15.だったらアドバンは
「階段を見つけたついでに、引っかかったら転びそうなところに黒い細引を張っておいたのです。
お嬢様が、急にヴァランタン卿を呼ぶようおっしゃいましたので、申し上げそびれましたが」
アドバンは、例によってうやうやしく一礼してくる。
このお辞儀、実は馬鹿にされているような気がしてきた。
「……ちょっと、階段を見てみる」
一呼吸置かないと、本気でキレそうだ。
わたくしの部屋に踏み込ませないと、現行犯逮捕にならないじゃないの!とぷんすかしているカタリナを放置して、サン・フォンは、開けっ放しの本棚の裏に入ってみた。
中は真っ暗だ。
「ライト」と唱えて、魔法で光を灯す。
空間の出入り口を見ると、ちゃんと框が造られている。
後から壁を抜いたのではなく、もともとこの塔にあった出入り口を利用したようだ。
塔の隣に居住用の棟を増築する時に、外からはピッタリとくっついているように見せつつ、出入り口とつながるように狭い空間を残し、階段を作ったのだろう。
で、廻り扉をつけ、書斎側からわかりにくいように、扉に本棚を造り付けた──
よくよく照らしてみると、ホコリが厚く積もった階段には、でろりと黒い細引が垂れていた。
階段の途中まで、真新しい足跡が続き、派手に転んだ跡らしい、大きくホコリが乱れたところもある。
引っかかったはずみに、細引が外れてしまったのだろう。
「男爵、この階段を上がったみたいだな……
で、おそらく、なかほどで転がり落ちた」
後ろから覗き込んでくるカタリナに、サン・フォンは説明した。
そういえば、アドバンがサン・フォンを呼びに行った時に、妙な物音がしたような、とかゼルダが今更なことを言い始める。
サン・フォンは、大股で男爵の遺体のところに戻った。
よく見ると、前腕のあたりや、膝のあたりにホコリがついている。
ぱっくり割れた頭部を左右に傾けて、改めて観察した。
「やっぱりそうだ。
たんこぶができている。
男爵は、階段から転がり落ちて、頭を打ったんだ」
右耳の上のあたりを、サン・フォンは指した。
ちょうど髪が薄いあたりで、ぷくりと膨れているのがよくわかる。
そこまで大きいものではないが、生きている間に、頭を打った証拠だ。
「つまり、公爵家の執事サマのトラップに引っかかって、おっさんが転ぶ。
ふらふらしながら机まで行って、どうにか座った。
呼び出しのベルを押したが、そこで脳出血かなんかで力尽きた……ってわけか?」
まだまだ縛られっぱなしのイアンが、首を傾げる。
「その可能性はあるわね。
だったらアドバンは、過失致死ってことになるの?」
「は!? 私がですか!?」
アドバンは、さすがに動揺した。
ゼルダが冷ややかな笑みを浮かべ、「ザ・マ・ァ」と口の動きだけで言っている。
カタリナの寵愛を巡って争っているとか、しょうもない確執があるのだろう。
「……まずは、血液や机周りの精査を終わらせよう。
新たな証拠が出てくる度に、右往左往しているのではらちが明かない」
ここまでほとんど喋っていなかった、ヘクターが声を上げた。
「つうて、この執事だって立派な容疑者なんだ。
容疑者サマが、ナントカ毒を飲まされてるとか言っても信用できないだろ」
「私は、『解析』を発動することはできないが、結果の読み方はわかる。
一緒に読めば問題ない」
ヘクターはイアンのツッコミに冷静に返すと、結果は後で伝えるからと、クリスティーヌを連れて部屋に戻るようクリスティーナに促した。
が、姉妹はこのまま見届けたいと拒む。
ヘクターは渋々受け入れ、時計皿の上に展開された魔法陣を覗き込んだ。
「続きを」
まだ承継手続きは終わっていないが、男爵が亡くなった以上、嗣子に指名されたヘクターが新たなオスク男爵だ。
線の細い、いかにも学者っぽい風貌は変わらないが、態度に重々しさが出ている。
「は」
アドバンは一礼すると、血液中に含まれる物質を次々と示す。
深みのある声で、ヘクターはアドバンと共に物質の名を読み上げていった。
グルコース、グロブリン、アスコルビン酸、トリグリセリド、マグネシウム……
昔、王立学院の授業で習ったような記憶がうっすらある名前が、つらつらと続く。
サン・フォンは、つい眠気を感じた。
この系の授業は、だいたいのところスヤスヤしていたのだ。
「砒素。それなりに濃度がある」
は、と部屋の空気が変わった。
「とはいえ、致死量は越えていません。
砒素で死んだといえるかどうか、難しいところですね」
砒素とは、無味無臭の結晶。
殺鼠剤などに用いられるため入手しやすく、毒殺によく用いられることで悪名高い。
しかし、読み上げはそのまま続いた。
「鉛。通常値よりはるかに高い」
「ですが、死亡するような濃度とは言えませんね。
中毒症状が出ていても、おかしくありませんが」
緊張が走った。
こちらも、人体には有毒だ。
一度に致死量を摂取させるのは難しいので、あまり毒殺に用いられないが、鉛中毒から死亡することはありえる。
その後も読み上げは続き、やがてアドバンが「血液の簡易鑑定は以上です」と宣言した。
引き続き、口腔内とウイスキー、チョコレートの鑑定に移る。
時計皿ごとに『解析』を展開するのはさすがに大変らしく、アドバンとヘクターはなにやら技術的な議論を交わしている。
結果が出るまで、少しかかりそうだ。
その隙に、カタリナは、畳んだ扇で軽く自分の手のひらを叩きながら、ちらっと執事達の方に視線を走らせた。
「毒が、二種類。
どちらも、毒のせいで亡くなったとは言いにくい量。
そして、急性症状も出ていない」
姉妹はこの屋敷で暮らしているが、男爵は基本的には領都の館か王都だ。
微量の毒を時間をかけて盛ったのなら、男爵付きの執事・秘書・従僕が怪しい。
「そういえばあなた、名前は?
普段はどこで働いているの?」
カタリナは、料理人を扇で指した。




