13.この人、毒を盛られてるんじゃない?
「で? 今のはなに?
あなたが、男爵の首を絞めたってこと?」
気に入らぬげに眉を寄せたカタリナは、イアンを見下ろした。
イアンは、もがきながらなんとか床の上に座る。
「そうだ。おふくろを人前であんな風に侮辱されたんだ。
文句あるか?」
ふてくされたイアンは、横を向いて吐き捨てるように答える。
カタリナは、すっと笑みを消した。
「文句なんてないわ。
いくらなんでも、あれは酷すぎたもの。
もし、わたくしがあんなこと言われたら、相手が誰であろうと、肝臓に渾身の一撃をお見舞いするか、火かき棒で背骨をフルスイングよ」
サン・フォンは聞き取れなかった男爵の罵詈雑言、カタリナはしっかり聞いていたようだ。
ここまでカタリナが言うとは、よほどのことを男爵は言ったのだろう。
ちなみに、先日、カタリナは体重を乗せた見事な拳を某子爵にキメ、華麗に昏倒させている。
肝臓も怖いが、火かき棒は普通にヤバい。
「でも、なぜ後になってから、殺しに来たの?」
「……こんな家、おさらばしてやると私物をまとめてたら、ベルが鳴ったんだ。
今更呼びつけるとかなんのつもりだよって、頭に来て書斎に行ったら、呼びつけた癖に、向こうを向いたまま、振り返りもしない。
なんだこいつって近づいたら、緩んだクラバットが、首の周りに垂れてるのが目に入った」
イアンは、視線を泳がせた。
「で、つい……魔が差した……ってやつなのかな。
……気がついたら、締め上げてた」
口元が、無理に歪んだ笑みを浮かべようとする。
執務机の端には、使用人を呼び出すためのボタンがいくつか取りつけてある。
その一つが、秘書の部屋につながっているのだろう。
「なるほどね。
そんなことなら、さっさと逃げればよかったのに」
「商学校の学費を出してやっただろうって、安月給でこき使われたんだ。
手ぶらで出ていくわけにはいかない。
男爵の寝室を漁ったが、金目の物はろくになかった」
「なんということを!」
執事のヨーゼフが憤激するが、カタリナがそういう話は後でやれとばかりに一睨みして黙らせた。
「この書斎には、貴重な古い魔導書もあるって聞いてた。
どうせ今日は、皆、早く休むだろうし、死体の発見は朝になるはずだ。
この際、持ち出しちまえって戻ろうとしたら、ティーヌだかティーナだか、とにかくお嬢様のどっちかっぽい悲鳴が書斎から聞こえて、咄嗟に階段裏の暗がりに隠れた。
すぐにシャンデリアが落ちた音がして、皆、集まってきて逃げられなくなったから、知らん顔して紛れこむしかなかったんだ」
「馬鹿ね。値打物の魔導書なんて、どの家のものか見ればわかるわ。
闇で買い取るコレクターがいないとは言わないけれど、素人が売り飛ばすのは無理よ」
しくじった、と言わんばかりにイアンは舌打ちをした。
「というか、公爵令嬢サマ。
おっさん、脳溢血か心臓発作かなんかでぽーんと自然死しちまったんじゃないのか?
少なくとも、俺は殺しちゃいないんだ。
この縄、さっさと解いてくれよ」
カタリナは、イアンの要求をスルーして、少し考え込んだ。
「自然死も、ありえるわね。
ありえるけれど……
わたくしが男爵を見て、最初に思ったのは、この人、毒を盛られてるんじゃない?ってこと。
太り過ぎだし、長年の不摂生で心臓も弱っているんでしょうけど、このむくみ方や顔色、おかしいでしょ」
カタリナは、軽く言うと皆の顔をじいっと眺めた。
「「毒!?」」
クリスティーナとクリスティーヌが驚いて、顔を見合わせる。
後の者は、薄々感づいていたのか、お互いを伺ったり、視線を泳がせたりしていた。
「レディ・クリスティーナ。
私の魔法で、父君の血液などを簡易鑑定してもよろしいでしょうか?
それに、飲みかけのウイスキーや、机に転がっていたチョコレートも気になります。
チョコレートは、どうも、一度口に入れて吐き出したように見えますし」
アドバンが、うやうやしく申し出た。
丁寧なのに圧の強い申し出に、クリスティーナは「え、ええ」と頷く。
「は? 君、そんなことができるのか!?」
サン・フォンは、ぶったまげた。
記録性が弱いため、裁判の証拠としては用いられないが、土魔法によって、サンプルにどのような物質が含まれているか解析することはできる。
だが、難易度はかなり高く、魔導院に所属しているレベルの魔導師でも、発動できる者は稀だ。
「土魔法には少々、自信がございますので。
それに、公爵家では『解析』が使えると特別手当が頂戴できるのですよ」
さらっと言うと、アドバンはさっきのケースからミニサイズの時計皿やピペットを取り出した。
まずは、傷口から血を、最初の皿に移す。
それから、飲みかけのグラスから採ったウイスキーと、瓶の中に残っているウイスキーを別々の皿に。
さらに、机の上に転がっていた半分壊れているトリュフチョコレートと、菓子箱に残っていたものもいくつか皿にとった。
半開きになったままの男爵の口を開け、中も観察する。
「右頬の内側と舌の側面が、ちょっとただれてますね。
口の中だけで、喉には及んでいないようですが」
「え? 晩餐の時は普通に飲み食いしていたじゃない。
その後に熱いものでも飲んで、やけどしたとか?」
カタリナが首を傾げたが、執事も従僕も料理人も皆、黙っている。
なにはともあれ、アドバンは、まず血液を採取した時計皿に右手をかざした。
「解析」
詠唱らしいものは、その一言。
だが、時計皿の上に展開された、花開いていく睡蓮のような魔法陣は、目も眩むほど複雑だった。
アドバンが手のひらを外すと、球を棒でつないだ構造模型のような幻影が、魔法陣の上に現れる。
指を右に振ると、最初のものは消えて、別の幻影が現れた。
指の動きにつれて、次々と幻影が現れ、消えていく。
「ふーむ……
お。出ましたね」
アドバンがすいっと人差し指を立てると、複雑怪奇なかたちの幻影が中空に浮かんだ。
ゆっくりと回転している。
「鎮静剤です。
ヒヨスから精製されたものでしょう。
致死量には届きませんが、鎮静効果が出ていた可能性は十分あります」
「鎮静剤!?」
サン・フォンは無意識に繰り返して、「あーッ!」と声を上げた。
「レディ・カタリナ!
さっき、オーダージュのグラスを男爵のグラスとすり替えたのは、鎮静剤を盛られていると気づいたからなんですか!?」
カタリナは、男爵がサン・フォンのグラスを用意している間に、自分のグラスと男爵のグラスを入れ替えていたのだ。
サン・フォンの眼の前で、堂々と。
 




