佐藤大輝、安寧の価値を知る
個人的に工場のライン作業というのは、頭も使わず、肉体的にもそれほど苦ではなく、賃金はそれに見合ったものであるが、大した欲も、夢も目標も持たない俺からしたら天職のように思えた
俺の名前は佐藤大輝
22歳、独身、彼女なし、友達なし、親族なし
日本で最も繁殖した一族の証である苗字に、俺の産まれた年において、栄えある人気No.1を獲得した名前
黒髪、中肉中背、取り立てて醜男ではなく、人目を惹くほど美形でもない
特技は暇つぶし
こうして頭の中で益体もない事をつらつらと並べ、単純作業の退屈さから意識を逸らす
これをしていると高い確率で浮かぶテーマがある
【何故生きるのか?】
大した趣味もないし、将来の展望も希望もない
流れてくるダンボールを折りたたむ作業も、別にやりたくてやっている訳ではない
ならば何故生きる?
答えはいつも決まって同じ
【死にたくないから】
死ぬのは恐い。俺が今選べる死因は痛そうで、苦しそうで、辛そうなものばかり。仮に安楽死や老衰という選択肢があったとしても死後のことは誰にも解らない
死は未知
未知は恐ろしい
でもそれは生きる理由ではなく、死ねない理由だと思う
【何故生きるのか?】
過去から現代に至るまで、たくさんの人が考えているであろうそれを、多分に漏れず俺もよく考える
「佐藤くん、かわるから休憩いっちゃって」
「うっす」
考えたところで何の意味もないけれど
「佐藤さん、見ました?ニュース」
喫煙所でタバコをふかしていると、後輩の山田が話しかけてくる
この工場で、仕事以外で俺に話しかけてくる数少ない1人だ
「見た見た、またあったらしいな集団失踪事件」
ここ数年、個人でも集団でも、唐突に姿を消す人が増えている
原因は定かではなく。人体実験の為の誘拐だの、神隠しだのと、まことしやかに囁かれていた
「まじヤバくないすか?なんでも今度はその日家にいたアパートの住人が、一夜にしてまるごと消えたらしいっすよ」
「俺達も他人事じゃないかもな」
「マジでおっかないっすよ、俺も今の内にやりたい事やっとかないと」
「やりたい事?例えば」
「えーっと…海外旅行とか、車買ったり服買ったり、後は結婚して子供も欲しいっすね、マイホームとかも」
「とりあえず転職だな」
「そりゃそっすね」
俺は山田と顔を合わせて笑った
俺の働く工場は二交代制で一週間毎に日勤と夜勤が切り替わる
その日は夜勤だった
深夜の帰り道、俺は作業着で近所のコンビニへと向かう
俺の密かな小さな楽しみの1つ
この時間の行きつけのコンビニには、かわいいギャルの店員がいる
普段男ばかりの職場で、視界にむさ苦しい男ばかりを入れているので、たまに見る女の子がより一層かわいく見える
減量中の唐揚げみたいな
ダイエットした事ないけど
門を曲がり、コンビニの明かりが見えた
深夜で都心からは離れているという事もあり、人通りは全くない
おっ、ラッキー
どうやら今日はギャル店員がシフトに入っているらしい
雑誌コーナーに立っているのが見えた
あの店員いつも立ち読みしてるんだよな
俺に損はないから別にいいけど
好きなだけ立ち読みして末永く働いてくれ
俺の小さな幸せの為に
コンビニに入り弁当を1つ手に取りレジに向かう
店員はレジにいない、まあこれもよくあること
ギャル店員を呼びに行く
「すみませーん」
声をかけるとギャル店員が雑誌を置き、こちらを見た
随分と顔色が悪い、髪もセットしていないのか普段は綺麗に巻いている金髪もボサボサだ
まあ、そういう日もあるだろう
ギャル店員がこちらに気付いた事を確認すると俺も再びレジへ向かう
「あと42番1つ」
タバコを注文すると、ギャル店員はタバコを取り、目の前にバンッと叩きつけた
何だ?俺が何かしたか?
俺はよくこの時間にこのコンビニを利用するので、ギャル店員とは多少の面識があり、1言2言会話もする日もある
いつもはこんな事をする娘じゃない
少々苛立ちを覚え、顔を見て文句を言おうとすると、ギャル店員の尋常じゃない様子に気が付く
目は血走り、口の端から涎を垂らし、レジ台に叩きつけた手はプルプルと震えている
「だ、大丈夫?」
「あ、…」
「ア゙ア゙アアアアアアアッッ!!」
絶叫と共にギャル店員が血飛沫をあげ、割れた
そう、割れた、半分に
俺の顔に血が降りかかるが、あまりの事に理解が追いつかず反応ができない
そしてギャル店員が割れた中にそいつはいた
緑色の皮膚、血走り焦点が合わずグルグルと動き回る目、毛の1つもない顔面と頭部、やたら長い腕にはやたらと長く鋭い爪
俺の日常の天使はグロテスクな悪魔へと姿を変えた
「ア゙ア゙アアアアア!!」
呆然と固まっていると、そいつは長い腕を薙ぎ払い、弁当、タバコ、そしてレジごと吹っ飛ばした
「うわあああ!!」
悲鳴をあげ外へと全力で逃げ出す
なんだ!?なんだよ!?あれ!?夢!?夢じゃない!!
とにかくあれはヤバい!
ガラスが割れた音がして背後を振り返ると、化物がコンビニの外に出ていた
そしてグルグルと動き回っていた目がピッと固定される
俺に向けて
ヤバいヤバいヤバい!!!
「助けてくれ!!化物だ!!おい!!誰か!!」
恥も外聞も捨て助けを求める
もう振り返る余裕もない、それでも徐々に大きくなっていく足音が、化物が俺に近づいてきている事を示していた
そして俺は致命的な失敗をした
恐怖のあまり足をもつれさせ勢いよくコケた
何やってんだよ俺!ふざけんな!!
早く、早く立たないと
なんとか体制を立て直し顔をあげると、そこには目があった
瞳孔が縦に裂けグルグルと回っている目が
「ひっ!」
情けなく尻もちをつき、手を使い少しでも後ろへ下がろうとする
当然そんなことで距離を取れる筈もなく、化物が長い腕を、鋭い爪を目の前で振り上げる
終わった
次の瞬間、バンッという炸裂音と共に化物の頭が弾け飛んだ
化物は首から緑色の血を吹き出し、力の失った身体は後ろに倒れる
背後を振り返るとヘルメットを被り防弾チョッキのようなベストを着た集団が走り、こちらへ向かっていた
その手には映画やドラマでしか見たことのない銃を構えている
そしてその集団が俺の周りをぐるりと囲む
よく見ると腰や背中に剣のようなモノも携えている
「じ、自衛隊の方ですか?助かりました」
「民間の生存者1名、悪魔を目撃した模様」
俺の言葉には答えず、自衛隊はヘルメットに手をあて何やら通信をしている様子
「了解」
短く通信を終えると、1人が俺に近付き手を差し伸べた
「あ、ありがとうございまっ」
全て言い終える前にグイッと手を引かれ思わず身体が前のめる
首元に僅かな痛み
「すまない、記憶を消すだけだ」
そこで意識が途切れた
目を覚ますとスウェットで自室の布団の中にいた
ワンルームの格安アパート
「夢?」
いや夢じゃない
はっきりと覚えている、夢と現実の区別ぐらいつく
幻覚?
俺は幻覚剤、いわゆるドラッグをやったことがある
でもそれもだいぶ前だ、今になって唐突に後遺症だなんて考えられるか?
この状況で何事もなかったかの様に仕事に行く強靭なメンタルを持ち合わせていない
職場に体調不良の旨を伝え休みを貰う
昨日のあれは何だ?夢でも幻覚でもない、あり得ない程のリアリティだった
そうだ!血!
作業着にはギャル店員の大量の血がついていた筈だ!
だか部屋のどこを探しても見つからい
ならばやはり夢か幻覚か?
いや、これはこれでおかしい、俺は全部で3着の作業着を持っていたが部屋からは2着しか見つからなかった
ふと思い出す
自衛隊員は記憶を消すと言っていた
それが失敗していたとした?
昨日の事は強烈な現実味を持ってしっかりと記憶に残っている
しかし俺はあれを現実だと認めたくなかった
あのコンビニへ行こう
そうすればはっきりする筈だ
そして俺はスウェットのままにコンビニに向かった
工事中、コンビニはガラスの張り替え作業の工事中だった
背中に嫌な汗がつたう
「あ、あの、昨日ここで何かあったんですか?」
工事をしている職人に声をかけた
「ん?いやー詳しい事は解んないんだけどね、なんでも若いバイトのおねーちゃんがカラスを割ってバックレたらしいよ、恐いねー最近の子は」
夢じゃない、あれは現実だ
家に帰り毛布にくるまり震える身体で何とか思考をまとめようとする
しかし何度考えても行き着く結果は同じ
昨日のあれは現実で、自衛隊員が記憶を消すのに失敗した
それが答えだ
だとしたらどうだ?今も外ではあの様な怪物が跋扈しているのではないか?
自衛隊員はあれを悪魔と言っていた
人が悪魔になり悪魔が人を殺し自衛隊員がそれを処理する
そして目撃者の記憶を消す
そうすれば巷で話題の失踪事件にも説明がつく
死にたくない
自分は生にそれほどの執着はない
昨日までそう思っていた
だが今は違う
目の前で人が死に、自分も殺されかけた今、【死】というものを目の当たりにし、身近に感じた今
俺はどうしようもなく生に縋り付いていた
『なんでも今度はその日家にいたアパートの住人が、一夜にしてまるごと消えたらしいっすよ』
このアパートも安全ではない
警察や自衛隊に助けを求めても、今度こそ記憶を消されるかも知れない
なんとかして自分自身で自衛の手段を身に付けなければ
俺はパソコンで【悪魔】と【失踪】を紐付けて調べる
だがどれも眉唾もので有益な情報は見当たらない
次にダークウェブを開いた、銃を手に入れる為だ
ドラッグを買うのに何度か利用しているので勝手は知っている
どうも最近この界隈では【DD】というドラッグが流行っているらしい、だが今はそんなものにうつつを抜かしている暇はない
初心者に扱いやすいらしく、尚且つ金額的にも手が届くM1911という銃を購入した
受け取りには当然リスクもあるが、身の安全と比べれば秤にかけるまでもない
むしろ獄中のが安全まである
匿名snsで受け取り場所は漁港の公衆電話が指定された
俺が公衆電話に現金を隠しその場から去る、それを確認した売人は銃を隠して残す
当然詐欺のリスクもある、取り引き事態が犯罪なので警察も頼れない
幸いにも売人は律儀な人間だったようで公衆電話には小包が残されていた
自宅に戻り中身を確認すると拳銃と弾が10発、それと一枚の紙が入っていた
[悪魔に気をつけて]
紙にはそれだけ書いてあった
悪魔?この売人は悪魔を知っているのか!?
すぐさま匿名snsでコンタクト取ろうとメッセージを送ったが、返ってくる望みは薄い
この手のやり取りは取り引きが終わり次第、証拠隠滅の為にメッセージとアカウントを削除するのが鉄則だ
俺もこんな状況じゃなかったら迷わず削除している
次の日からトレーニングを始めた
悪魔に襲われた時、情けなく足をもつれさせ盛大にコケた
もしまた同じ事を繰り返せば今度こそ死ぬだろう
長年の運動不足で体は鈍りに鈍っていたが、俺は元々運動神経は良い方だ
鍛えればそれなりにはなるだろう
銃は手に入れたが、それは最終手段であり逃げられるのであればそれに越したことはない
そもそも今まで実銃なんか触れたこともなければ、見たこともなかった
そんなド素人が、実戦で弾を当てられると思うほど自分を過信しちゃいない
正直お守りみたいなもんだ
それでも一応、射撃の練習はした
当然実銃をぶっ放す訳にはいかないので、同じ型のモデルガンを買い、空き缶を的にして
こんな事をして意味があるのか?とも思うがやらないよりはマシだろう
これまで生きてきて、これほど何かに真剣に取り組んだことはない
身を守る為というのは勿論あるが、何より何かをしていないと恐怖で頭がおかしくなりそうだった
今までこの世界は安全なものだと信じていた
よその国では戦争が起きていることも知っているし、日本でだって事件に巻き込まれる確率はゼロじゃない
それでもやっぱり想像力の乏しい俺にはどこか他人事で、自分とは関係のない出来事だと思っていた
しかしある日突然、行きつけのコンビニに化物が現れ、自宅にも侵入してくる可能性があるのだと知った
警察には頼れない、自衛隊と繋がっている可能性がある
最早この世界に安全な場所なんてどこにもない
枕を高くして寝る、なんて当たり前だったことが、一体どれほど幸せなことか今になってわかる
大切なものは失ってから気づく
なんて聞き飽きた安っぽい歌詞は案外、真理なのかもしれない