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プロローグ 6


 どれだけそうしていたのだろう。

 ふと顔を上げると、あれほどまでに騒がしかった音が無くなっていた。

 ゆっくりと顔をあげて周りを見渡すと、こちらを囲むように近づいてくる球獣たちの姿が見えた。

 村人や商会員たちは、皆殺されたようだ。生きて動く人間は、その場にはもうクロドしか残ってはいなかった。

 ――いいさ。もう父さんも母さんもいないんだ。……俺だけ生きていたって……。

 ぼうっとした表情で迫ってくる球獣たちを眺めながら、どこか他人事のように自分の末路を認める。

 先頭の球獣がクロドの前に辿り着き、足から垂れる血を見て舌なめずりするように口を大きく開けた。

 誰かの肉片がその口の中で揺れ、存在を主張している。クロドはただ気持ち悪いとだけ思い目をつぶった。

 死を覚悟した。死を容認した。生きていたくないと、そう思った。

 だが、どれだけ待っても、どれだけ無防備な姿をさらしていても、球獣の牙がクロドを貫くことはなかった。



 一体いつからそこにいたのだろうか。

 球獣たちの群れ。そのど真ん中に、真っ白な髪をした男が立っていた。歳は三十代ほどだろうか。どこかて見たような顔つきだが、心当たりはない。

 球獣たちも全く意識していなかったのだろう。突然現れたその男の姿に、慌てて飛びのき、喉を震わせた。

 その間を、男は悠々とクロドに向かって歩み寄ってくる。

 男が背中を見せたところで、球獣たちは怒ったように一斉に彼に飛びかかった。

 クロドは男が殺されると思ったのだが、その次の瞬間、ばらばらになって地面に転がっているのは球獣たちのほうだった。

「は……?」

 その光景はまさに現実とは思えなかった。村人を全滅させた球獣が、商会員の銃撃の中をかいくぐってきた球獣が、全てその白髪の男一人の手で次々に消し潰されていく。

 あれほどの球獣がいたはずなのに、あれほどの被害を出した存在だったはずなのに、ものの五分で、広場にいた球獣は全て(むくろ)となって消えていた。

 男は何事もなかったかのように手を払い、クロドを見つめた。敵意とも、親愛とも違う、それは得体の知れない目だった。

「何だあんた……? 一体――……」

 問いかけたところで、ぐいっと首元を掴まれ持ち上げられる。男はクロドの顔をまじまじと眺めると、呆れたように呟いた。

「間抜けそうな顔だな。……まあ、言えたぎりじゃないが」

 そのまま、クロドの意志など一切気にしないように前に進んでいく。暴れながら後ろを見ると、そこには〝ヌルの眼〟があった。

「おい、何する気だ。離せ、離せよ!」

 必死の抵抗を全て無視し、男はずこずこと歩みを進めた。見た目に似つかわしくない非常に頑強な体と、強い力だった。

 〝ヌルの眼〟の前で、男は足を止めた。この村特有の白砂がゆっくりと、だが確実に眼に飲み込まれ消えていく。

「お前には悪いが、これは必要なことなんだ。サイクルを保つために」

「さ、いくる? 何を言ってんだよ」

 せめて意志だけは負けまいと、強く男を睨みつけるクロド。彼はそんなクロドを哀れそうに眺め、そして、〝ヌルの眼〟に向かって――投げた。

 眼に、全てを飲み込む虚無の塊に飲み込まれる。

 クロドはそう思った。そう実感した。

 男の真剣な顔を視界に移したまま、父と母がいた、ドリクと走り回った世界が、急激に遠ざかっていく。

 本能で、体の軸がずれるのがわかった。存在が空間に沈み込むのを感じた。

 父と母の死を目のあたりにして、もう生きることなどどうでもいいと思っていたはずなのに、その瞬間、強烈な恐怖が全身に湧き上がってくる。死ぬのを怖いと、そう感じてしまったのだ。

 ――誰か、助け……――

 願い手を伸ばす。しかし瞳に映るのは白髪の男の姿だけ。

 腕が、足が、体が〝重く〟なり底知れぬどこかへと沈み込んでいく。

 何故男がこんな真似をするのかわけがわからなかった。

 殺すつもりならあのまま放って置けばよかっただけなのに。

 でも、もうそんな疑問など関係ない。

 その‶重さ〟は意識すらも取り込み、クロドを深い、深いどこかへと引きずり込み続ける。

 守備団になると思っていた。

 父の後を継いで、ドリクと一緒にこの村を守るとそう思っていたんだ。それがクロドの夢であり、憧れだった。

 世界が暗闇に包まれる。音も、視界も、臭いも、手足の感覚も、何も存在しない全くの無。このまま飲み込まれて恐らくは意識すらも掻き消えてしまうのだろう。

 でも、それでいいのかもしれない。母も父も、友達も失った今、クロドには生きている理由なんて何もなかったのだから。

 ――消えると、そう思った直後だった。

 ふいに、腕に何かを感じた。見えないはずの視界の中で、皺くちゃの手がクロドの皮膚に食い込んでいる。

 クロドはその腕にすくい上げられるように、‶ヌルの眼〟の中から飛び出した。

「なっ?」

 白砂に頬を突きながら手の主を見上げる。

 それは、数週間前からこの町に滞在していたあの流れ者の老人だった。

 彼の体はクロドを引き上げた代わりに‶ヌルの眼〟の引力に捕まり、ゆっくりとその中へと沈み込んでいく。

「あっ――」

 大した仲ではない。会話したことすらない相手。でもその瞬間、彼の目に、非常に穏やかな何かが光っているのが見えた。

 ‶ヌルの眼〟に飲み込まれていく老人を見て、白髪の男が焦りの声を上げる。しかし老人は腕を突き出すと、白髪の男を突き飛ばし、そのまま‶ヌルの眼〟の中へと消えて行ってしまった。

「今のはまさか……」

 老人に押された胸を眺めながら、驚愕目を見開く男。まるで、幽霊でも見てしまったかのような顔だった。

 地面の上に寝そべりながら、クロドは体に奇妙な異質感を持ち始めていた。世界が薄く、軽い妙な感覚。‶ヌルの眼〟と同様に体の輪郭をうっすらと虚無の闇が覆っている。

 我に返り、クロドの様子を目にした白髪の男は、焦ったように片手で己の顔を抱えた。

「そんな、――……サイクルが崩れてしまった。これでは……――」

 横たわっている地面が、体を乗せている白砂が、‶ヌルの眼〟に吸い込まれ、どんどん後ろへと移動していく。クロドは再び‶ヌルの眼〟に落ちないように、四つん這いになりながらも必死に前方の土を掻き続けた。

 白髪の男はそんなクロドをしばらく茫然と見ていたが、突然我に返ったように自身の腕時計を確認した。ここからではよく見えないが、金色の指針がかちっと次の時刻へ移動したようだった。

 何がおかしかったのだろう。

 白髪の男は自身の手を、そしてクロドの姿を確認すると、拍子抜けしたように大声で笑った。それは狂気に満ちた笑いやクロドに対する(あざけ)りというよりも、純粋な喜びからくるもののようだった。

「そうか。既に俺は――……」

 ぶつぶつと聞こえない言葉を呟きながら、笑みを浮かべ続ける男。その様子は酷く不気味で恐ろしかった。

 男はもうクロドへの興味を失ってしまったらしい。

 こちらに背を向けると、何も言うことなく手を混ぜにかざし、一心にそこを見つめる。

 白砂が目に入り、一瞬まぶたをつぶる。再び前を向いた時には、すでに男の姿はなかった。

 砂埃が、周囲の瓦礫が、横たわる死体たちが、‶ヌルの眼〟に引き寄せられこちらに寄ってくる。

 その中に父と母の亡骸を見つけ、クロドは涙が溢れそうになった。

「父さん、母さん……!」

 目の前で〝ヌルの眼〟へと飲み込まれていく二人の遺体。別れの言葉をいう(いとま)もなかった。

 茫然とその場に立ちすくんでいると、遠くの方で蛇頭の鳴き声が(とどろ)いた。この場にいた球獣はあの白髪の男が全てばらばらにしたが、建物の外にはまだ無数の球獣が徘徊している。

 クロドは重い体を起こし、痛む足を引きずりながら裏口を目指した。

 父と母を失ったという事実から、親友であるドリクが死んだという悲劇から、村が無くなったという恐怖から逃げるように、ただひたすら足を動かし続けた。

 製薬商会の施設の裏手は急な坂になっており、思うように体を動かせなかったクロドは、バランスを崩しそこを転げ落ちた。

 ぐるぐると何度も体を回転させ、雑草の生い茂る草原の中に身を打ち付ける。

 全身が熱く痛かったが、ここで止まってしまってはすぐに球獣たちに追いつかれてしまう。何とか立ち上がり、どこを目指すでもなくただ必死に歩き続けた。

 三十分。いや、数時間だろうか。

 体力に限界がきたクロドは、白砂の広がる草原の中にばったりと倒れ込んでしまった。

 得体の知れない全身の違和感と、目のあたりにした事実のショックにより、そのまま一歩も動くことができない。

 もう球獣たちの声は聞こなかったが、村人たちの悲鳴が耳の奥で何度も反芻(はんすう)していた。

「何なんだよ、畜生……何でこんな――……」

 ありとあらゆる絶望を込めそうつぶやく。

 そのまま、クロドの意識は引きずらるように闇の中へと落ちていった。




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