プロローグ 5
枯れ草まみれの中庭を突っ切り、武骨な建造物の内部を目指す。
当然こちらの入り口も閉まっていたが、真横にあった資材搬入用のシャッターは大人が数人がかりで持ち上げると、あっさりと開いた。
独特な鉄臭い空気を肺に吸い込みながら周りを見渡す。積み上げられた備品に武装した商会員。複数張られたビニールテント。〝製薬商会の施設〟のはずなのに、通行用歩道から見える景色は、まるでどこかの軍の駐在所のようだった。
だが逃げることに必死になっている村人たちは、そんなことなど目に入らないとでもいうようにどんどん奥へと進んでいく。突如雪崩込んできた集団を見て、製薬商会の会員たちは驚いたようにこちらを眺めていた。
「製薬商会のみなさん。申し訳ないが時間がない。村人を避難させたいんだ。地走機を貸してくれ。村に入ってきたものは全て確認している。今なら大型の地走機が三台はあったはずだ」
守備団長が資材置き場の中心で叫び、商会の面々の反応などお構いなしにどんどん奥へと進んでいく。大きなスライド式扉の前まで迫った彼を見て、扉の前にいた商会員が慌てて腕を前に伸ばした。
「おい、止まれ。ここは我々の敷地だ。勝手なことはするな」
「そんなことを言っている場合じゃないだろう。球獣が迫ってきているんだぞ。どけ」
守備団長は商会員を横に突き飛ばすと、強引に扉の開閉キーを回した。指令に応じて扉がゆくっりと上昇していく。
それを見た商会員たちは、慌てたように懐から銃を取り出し、団長に突きつけた。
「止まれと言っているだろう」
守備団長は一瞬ぎょっとした表情を浮かべたあとに、
「銃? 何故製薬商会の研究者が全員銃を携帯している? その銃……確かアラウン正規兵の携帯武装だったはず。……お前ら、本当に商会の人間か?」
じろりと、怪訝そうな表情で商会員を睨みつける守備団長。
商会員の一人が扉のキーを元に戻そうとしたところで、誰かがその腕を叩き落とした。球獣に対する恐怖を募らせた村人たちが、我慢できずに彼らへ群がっていく。
後ろの方からやってきた父がこちらに向かって大声を上げた。
「団長、外はもうだめだ。対処しきれない。早く地走機を手に入れないと」
「ああわかってる。みんな、急げ! 球獣が来るぞ。おそらく地走機はこの先だ。死に物狂いで走れ」
その号令と共に、立ち並んでいた商会員が複数の村人に取り囲まれ次々に押しのけられていく。こうなったらもうどうすることも出来ないのか、あとはもう彼らも事態を見ていることしかできなかった。
クロドたちは流されるがままに前へと進み、スライド扉の下を潜り抜けた。
先頭を走っていた守備団長が、目の前に広がっている光景を見て歳に似合わない高い声を上げた。
「何だこりゃあ?」
その理由を、クロドはすぐに察することが出来た。
製薬商会が来るまでただの岩場だったはずの場所の中央に、見たことのない真黒な球体が浮かんでいる。
それば、色とかそういうものを全て失った、全てが消えている〝何か〟だった。
次々にその球体を見て足を止める村人たち。
頭上に張り巡らされた足場。奇妙な機械の数々。まるで、この施設はこの球体のためだけに存在しているかのようだった。
村人たちの声を代弁するかのように、守備団長が頭上の商会員たちを睨みつけた。
「――お前ら、一体ここで何をしてた? 何でこんなとこに〝ヌルの眼〟があるんだよ!」
ヌルの眼。その言葉は当然クロドも知っている。この世界に生きる人間ならば誰もが認知し、恐怖し、嫌悪し、またそれにあやかる存在。
製薬商会が来るまでこの場所ではよく遊んでいた。だがあんなものなどなかったはずだ。もしあれば、遊ぶどころかこの村中の人間はとっくの昔にどこかへ〝逃げていた〟はずだから。
「ヌルの眼があったのなら、俺たちが気が付かないわけがない。こりゃあ、元からあったもんじゃねえな。お前らまさか……――」
守備団団長が台詞を吐き終わるより前に、施設の入り口のところから球獣の声が響き渡った。遠目に商会員たちが建物に侵入してきた蛇頭に向かって発砲している姿が見える。怯えた村人の一人がそれを見て、スライド扉のキーを回した。
「団長。あそこだ。あそこに地走機がある」
右斜め前の駐車場を指さし目つきを鋭くさせる若い守備団員。それを聞いた村人たちは我先に地走機に向かって走り出した。
円周状の通路を大慌てで進み、次々に停車している地走機めがけて飛び乗ろうとする。しかし、彼らが駐車場に足を踏み入れるより早く、突然、複数の銃弾の音が空間に響き渡った。
「な、あいつら発砲してきやがったぞ」
クロドの前に立っていた青年が声を上げる。駐車場で待機していた製薬商会の面々は、無表情で村人たちに狙いを定めると、次々に手に持った銃のトリガーを引いた。
その様子を見て、吹き抜けの上に張り巡らされた足場に立っていた商会員たちもこちらへと狙いを定める。
度重なる発砲音を聞き身を伏せると、血まみれで崩れ落ちる守備団長の後姿が見えた。
そんな、何で? 俺たちは〝人間〟なんだぞ……!?
村人たちは慌てふためいて逃げるも、慣れない場所と立ち位置に次々に撃たれその亡骸をさらしていく。少し先の足場でドリクらしき姿が倒れ込むのが見えた。
クロドが悲鳴を上げ耳を抑えていると、急にぐいっと腕を掴まれた。
「立て。こっちだ」
こちらの意思など気にもしない強引な誘導。持ち運ばれているにも等しい状態で視線を上げると、そこには自分と母の腕を引く父ディランの焦った顔が見えた。
最後尾で球獣と戦闘をしていたからか、その服装はぼろぼろで所々から血が滲みでている。右手に握りしめられている剣も大きくひしゃげて折り曲がっていた。
「父さん!」
「ディラン、どうなってるのこれ。一体何が――?」
「わからない。今はとにかく逃げるんだ」
父はこちらをまともに見ることもなく必死に動き回りながら周囲に目を走らせている。それは生まれて初めて見る、父の怯えた顔だった。
銃撃とは別の音が響き渡り、複数の球獣が施設の中に雪崩込んできた。村人たちが押し寄せたせいで侵入できてしまったのだ。足場の上にいた商会員たちは、自らの身が危険になったことで、慌ててその銃身の先を球獣へと構えなおす。
轟く発砲音。響き渡る唸り声と悲鳴。まさにその場は混沌に満ちていた。
甲高い悲鳴を上げ、母が倒れ込む。
クロドたちはすぐに母の場所に戻ろうとしたが、目の前に一体の蛇頭が飛び降りてきた。
「クロド、そこのコンテナの影に隠れろ。急げ!」
突き飛ばすようにクロドを壁際へ押し飛ばし、父は折れ曲がった剣を捨て、落ちていた商会員のナイフを拾った。
蛇頭は母の上に馬乗りになり、今にも肉を食らわんとしていたが、それよりはやく父が蛇頭の首に手を回し滑る様に背に飛び乗った。
「このっ……俺の嫁に障るな!」
何度も、何度も、切先を叩き下ろす。父の放つ雄たけびはまるで猛獣のようだった。
だがさすがに蛇頭もただやられているだけではない。必死に首をひねり体を飛び跳ねらせ抵抗し、父は蛇頭ともつれ合うようにその場に転がった。
どれだけ切り傷を負おうとも、ぼろぼろになろうとも、父は決して蛇頭の首から手を放すことはなかった。いら立った蛇頭が唸りながら顔を上げたところで、背中からナイフを抜き取り、その首をかき切る。
「ディラン!」
起き上がった母が父の元へ駆け寄り、青い顔で倒れている父を覗き込んだ。
「大丈夫だ。早く逃げないと。まだ地走機は――」
父が母の手を掴もうとした、その時だった。何か小さく黒いものが母の胸を一直線に突き抜け、地面にめり込んだ。
オレンジ色の服が、滲むように真っ赤に染まっていく。
「え? うそ……ディラン、私……」
父は何が起こったかわからないような表情で母を見つめ、口を動かそうとしたところで、同様に複数の銃弾によって体を貫かれた。
「世界のために!」
頭上の足場にいる商会員が高らかに叫び声を上げる。彼は直後、足場を上ってきた球獣に飛びつかれ、血をまき散らしながら落下した。
「――そんな、嘘だろ……!」
目の前で起きたことを正常に認識することができない。脳が現実を拒否していた。
「父さん! 母さん……!」
クロドは身の危険も忘れ、コンテナの影から飛び出した。恐怖の所為か、動揺のせいか、思うように足が動かずおぼつかない足取りになってしまう。
別の村人を狙った球獣が横を通り過ぎ、その爪が足をかすった。倒れ込み、己の足からどくどくと漏れ出していく血を見ても、クロドは何も思わなかった。
立つことが出来なかったクロドは、そのまま這うように父と母の元へ移動した。真っ赤な血の池の中に横たわている二人の姿を見て、ようやく事態が実感できてくる。
――クロド、ちょっと買い物を頼んでもいい?
だるそうに、それでいて穏やかに、自分にお使いを頼んだ母の笑顔。
―― お前もいずれ守備団に入るのなら、背中を預けられる人間を作っておけ。
ぶっきらぼうに、でもしっかりとこちらを思って、毎日見守ってくれていた父。
今はもう、そのどちらもこの世にはいない。
二人の亡骸を見つけながら、クロドは声を上げて涙を流した。両手を地面に付き、周囲の騒乱など構いもせずに泣き続ける。
何でこうなっただろか、何か原因だろうとか、そんなことはどうでもよかった。ただ、ただ悲しかった。世界が壊れたような喪失感で胸が消し飛びそうだった。