第一章 アザレアの継承権 3
箱庭から約一キロメートル先にある飛行場。そこにルドぺギアの飛翔機が無数に降り立っていく。
ルドぺギアは機械技術があまり発展していない共同体と聞いていたため、リナックスはかなり旧式の飛翔機が現れることを想像していたのだが、予想に反し窓越しに映る飛翔機はどれも真新しく、アザレアの旅客用機体と比べても遜色はないほどだった。
――まあ、当然と言えば当然か。
なにせルドぺギアとの交流はかなり長い。魔法技術者を借りる代わりに、こちらからも多くの機械技術者を派遣している。武装や特殊技術に関する事柄ならともなく、一般的な飛翔機、既に世界に流通している技術であればアザレアと遜色がないのは当然だ。だが例え武装に関する機械技術にうとかろうと、ルドぺギアの人間たちの戦力を侮るわけにはいかない。彼らは“魔法〟を武器としそれを最大限に生かした戦法を取ることに特化した集団だ。機体こそアザレアの技術提供によるものであるが、その中身にどんな細工や趣向がほどかされているかはルドぺギアの人間にならなければ知る由もない。
「来ましたよ。リナックス様。背筋を伸ばして」
他にも護衛の兵士がいるからか、いつもより少しだけ謙遜した態度をとるヨルム。だがやはりどうしても馴れ馴れしさはぬぐい切れない。
まるで子ども扱いされているような態度に苛立ちを覚え、リナックスは軽く彼を睨みつけた。
ひと際大型の飛翔機の中から長い布を体に巻き付けたような、独特の服装をした者たちが降りてくる。その多くには色鮮やかな花や植物の模様が描かれ、黒と金色に囲まれたアザレアの飛行場の中を一瞬にしてカラフルに彩った。
――いよいよか。
今日一日のことを思うと非常に気が重いが、これもアザレアのためなのだ。五大共同体のどこもかしこも不穏な動きを見せている現状、ルドぺギアとの関係は非常に重要な力となる。正直言って政治や地位なんてものに興味は一切ないのだが、盟主候補として指名されてしまった以上、今はやるべきことをやるしかない。重い息を吐きながら飛翔機から降りる一団を眺めていると、ヨルムがこっそりと耳元に口を近づけてきた。
「いつもにも増して気だるそうですね。しっかりして下さい。アザレアの代表として式典に出るんですから」
「わかってるよ。ただこう物々しい雰囲気はどうにも好きになれないんだ。締め付けられているような気がしてさ」
飛行場を守っている駆動兵器の数々に、周囲を取り巻く数多の護衛兵。彼らはアザレアの正式兵服である黒と銀色の装甲服を着こみ、その顔の上半は無機質なバイザーのようなゴーグルで覆われ、口下には鋭利な歯のような顎当てが取り付けられていた。傍目に見れば狼の顎から人の顔が生えているようにも見える。
「それが皇族ってもんでしょう。仕方ないですよ。我慢するしかない。嫌だったらさっさと盟主になって、自分で法律を変えることですね」
「何年先の話だよ」
自分が盟主になるとはつまり、父がその席から退去することを意味する。生気に満ち溢れているあの父が退去するには、あと三十年はかかるだろうと思った。そのころにはきっと従弟のタングスティンもいい男になっているに違いあるまい。
あれはルドぺギア側の護衛兵なのだろうか。青と白色の甲殻のような防護服に覆われた男たちが、ずらりと道の端に並び整列する。その間を先ほどの色とりどりの布を纏った面々が歩き出した。
彼から近づいてくるのに合わせ、父が一歩前に出る。そして父が手を指し伸ばすと同時に、先頭を歩いていた青い衣の男がそれを力強く掴んだ。長い白髪を後ろで結び、うっすらとひげを生やした精悍な顔が目に映る。
「お招きにあずかり光栄です。スオウ盟主。このような機会を設けて頂き、感謝致します」
「こちらこそイキシア盟主。遠路はるばるありがとうございます。アザレアはあなた方を心より歓迎いたします」
そこで距離を置いて控えていた情報商会の面々が一斉にカメラのシャッターを切る。父もイキシア盟主もお互いの手を握りしめたまま、彼らに屈託のない笑顔を向けた。
盟主たち以外の絵ずらも収めておきたかったのか、続けてリナックスたちにもフラッシュの嵐がやってくる。恥ずかしさと緊張でどこを向いていいかわからずにいると、ルドぺギア側に立っていたある人物の下で視線が止まった。
薄黄色の衣を纏ったその女性は、ルドぺギア盟主イキシア・サフィラザインの真後ろに立ち何だか不安そうな表情で両手を握り合わせている。政治にうといリナックスでもその顔には当然覚えがある。イキシアの第一子女、リナリア・サフィラザインだ。
へえ写真でみるより随分と美人だな。
リナックスだって年頃の男子だ。大人ぶらざる負えない環境に身を置いてはいるが、同年代の女性を前にすれば歳相応に意識はする。それも今日一日箱庭の中を案内することになっている相手ならなおさらのこと。
彼女の朝日に照らされた川のような長い黒髪を眺めていると、視線に気が付いたのかリナリアがこちらを向いた。思わずハッとし照れるリナックスをよそに、彼女は複雑そうな表情を一瞬浮かべ、すぐに作ったような笑みを浮かべる。何だか引っ掛かりのある表情だったが、気にせずリナックスも会釈を返した。
「さあいつまでもこのような場所で立ち話もなんだ。一旦控室に案内しましょう。一時間後に式典を開始する予定です」
当たり障りのない挨が終わったのか、父のスオウがイキシア盟主の肩に軽く手を回し、赤と金で装飾された絨毯の上を切って返す。それに合わせ、ルドぺギアの面々も歩みを再開した。
「リナックス様。可愛い女性に目を奪われるのは年頃の男として致し方ありませんが、そろそろ足を動かさないと大衆の前で大恥をかくことになりますよ」
後ろから響くヨルムのからかうような声で我に返る。いつも何かリナックスの周囲にいた幹部たちも、その一団に続いて移動を開始していた。
リナックスはヨルムをこづいてやろうかと思ったが、フラッシュの光が再び光るのを見て振り上げようとしていた腕を途中で止めた。ここで護衛の兵士を突然叩いたりなどすれば、それこそ余計な注目を集めてしまう。
手に力を込めたまま我慢して歩き出すと、背後についてくるヨルムの口笛の音が微かに聞こえた。
式典前の待機室として設定されている大ホールに到着すると、それぞれの共同体の幹部たちは慣れたようにお互いに挨拶を始めた。
テーブルに置かれていたグラスに手を伸ばし、それを呑み込もうとしていたリナックスは一人だけ浮いた格好となってしまう。財務部本部長のガリレイなどは、どういう動きをしたのか既に三枚もルドぺギア側の名刺を手に持っていた。
――これ僕もやらないと駄目なんだよな。
ぼうっと突っ立ていると父スオウの冷たい目がこちらを捕らえ、慌てて自分もその人垣に参戦する。名刺などは持っていなかったので、とりあえず握手と挨拶だけをしどろもどろに繰り返した。
和平協定の中身についてお互いの最終確認と種類捺印を終わらせ、細かな決め事を繰り返しているうちにあっという間に時間が過ぎ、気が付けば式典開始の時刻になっていた。リナリアとも挨拶をかわしたかったのだが、それは叶わずに再び移動となる。
無数のアザレア兵の間を通り抜け、箱庭五階の屋上展望広場へと出ると、下の広場に集まっていた民衆から一斉に大きな歓声があがった。
見慣れた道路もその横の庭も、ロータリーになっている広場も一面人、人、人で溢れている。毎年年始に行っている盟主の挨拶でも人は集まるが、こうして上から彼らの姿を眺めるのは初めてのことだった。夥しい数の目が自分に集中しているのを感じ、緊張で思わず顔がかっと熱くなる。
あれ? 緊張しているんですが? しっかりしてくださいよ。あなたは盟主候補なんですから。
そんなヨルムの戯言が聞こえた気がしたが、彼は今は外の隊列に加わり護衛兵の一員となっている。その声が聞こえないことに何故か不安感を抱きつつも、か細い神経をより合わせ必死に動揺を押し隠した。
しっかりしろリナックス。こんなことで精神を乱していたら兄さんに笑われるぞ。自分が代わりになるって誓ったんだろ。
深く息を吸い込み心を落ち着かせる。兄、サキエルの死を思い出すと、足の震えはすぐに鎮静化した。
「それより、これよりアザレアとルドぺギアの和平協定式典を開始する。軽歌隊、前へ」
去年の共同体内音楽祭で優勝した軽歌隊が演奏を開始し、世界的に有名な平和を訴える曲が流れ始める。その音は拡声器によって箱庭の周囲ならずアザレア中に鳴り響き、周囲のざわめきを津波に呑むようにかき消していった。
続けて正門の横に控えていたパレードの一団が広場中央へと現れ、小型駆動兵器、魔法道具を存分に使用した派手な催し物を開始する。彼らは音楽に合わせるように隊列を次々に変えながら、炎や水の魔法弾で空中に絵を描き、その間を雑技団が飛び交った。さながら宇宙で戦争をしているSF映画の一場面のようだ。非常に激しく幻想的な光景だったが、どうにも素直に感動できない。一体これにどれほどの予算が使われているのか僅かに考えてしまったあたり、もう自分が体制側になってしまったことを実感した。
十分間ほどのパレードが終わり、司会進行の男が和平協定開始の挨拶を述べる。続けて外交大臣が和平協定発足の経緯とそれが実を結ぶまでの苦労話を長々と述べ、うんざりし始めた頃にようやく父スオウとイキシア盟主のスピーチが始まった。
二人はそれぞれお互いの共同体について褒めたたえ、この和平協定がどのような効果をもたらすか、そのような利益を生み出すが熱熱と述べた。
先ほどの外交大臣の言葉など寝耳に水のようだった観衆たちも、二人の感情の籠った言葉に誘導されるようにその熱を上げていく。流石にお互い三十年近く盟主をやってきただけはある。形式ばった内容のはずなのに、妙に緩急があり、ユーモラスに溢れた演説だった。
「それでは、和平協定の証である貴品の交換を行います」
外交大臣がマイクに唸り、盟主たちに共同体の宝の一つが渡される。父スオウの手の中にあるものはアザレアが発足以来大事にしてきた宝の一つ、この地にすくっていた災害とも呼べる球獣の体内から取り出された紫色の結晶体であり、ルドぺギアが持ち出してきたのは齢千年を超える大樹の芯から作り出された見事な一角獣の彫刻だった。聞くところによれば、あの彫刻は炎でも燃えることはなく、斧を叩きつけても傷一つつかないという噂だった。
「我、アザレア盟主スオウ・ウィルヴァリアは、ここにルドぺギアとの和平協定を結ぶことを誓う」
「我、ルドぺギア盟主イキシア・サフィラザインは、ここにアザレアとの和平協定を結ぶことを誓おう」
両陣営から拍手が上がり、それが広がる様に階下の広場に集合していた大衆たちからも大きな歓声が鳴り響く。
二人が貴品の交換を終えると、待ってましたとばかりに司会の外交大臣が手を上げ、軽歌隊が先ほどよりもいっそう明るく激しい演奏を轟かせた。
これは五大共同体の体制が出来てから初めての、大規模共同体同士による和解の瞬間だった。
――いや、そうなるはずだったのだ。