プロローグ 2
壁際の空き地でドリクたちとボール遊びをしていると、強い視線を感じ思わず振り返った。すぐに岡の上に座っている一人の老人と目が合う。
――あの人は確か……。
何日か前からこの村に滞在している旅人だ。
いつも同じ場所で日向ごっこをしており、村の誰が話しかけても耳が聞こえないのか無視を決め込んでいるのか全く反応がないため、気味が悪いと噂されている。
借金から苦れてきたもののもう旅を続ける体力もないため、この村を死に場所に選んだ世捨て人なのだろうというのが大人たちの定説ではあったが、真実はわからなかった。
老人はクロドの顔をしばらく見つめると、わざとらしくぷいっと目を逸らす。クロドは奇妙に思いつつも、遊びに熱中し、ボールを蹴り続けた。
もう間もなく昼にさしかかろうという頃だろうか。大きな音を響かせ、一台の地走機が村の中に入ってきた。めったに目にすることのない大きな運搬コンテナを積んでいたため、ここからでも門を通過するその一団を目にすることができた。
クロドの視線に気が付いたドリクが、足元にボールを寄せ怪訝そうな表情を浮かべた。
「あいつらまた来やがった。もうこれで八台目だぜ」
武骨な兜に似た前面部に、魚の胴体を思わせる駆動部。それにムカデの尻尾のような複数のコンテナが連なった、既に見慣れた製薬商会の貨物運搬用地走機だ。
外部への移動用として村にもいくつか地走機はあるのだが、ここ数日で続けざまにやってきた製薬商会の地走機は、どれもその三倍もの大きさを誇っている。浮かんだ本体と地面の間から上がった大量の白い砂塵が、門番をしている守備団の兵士を強く咳き込ませていた。
「新種の植物かなにかが見つかったって話だけどよぉ。そんなもんを調べるのにあそこまで大掛かりなコンテナが必要になんのか? 村の奥にはやつらの建物までいつのまにか建ってるし、あいつらこの村を乗っ取るつもりじゃねえだろうな」
「こんな何もない村を乗っ取ってどうするんだよ。あるのは白い砂と小さな農地だけだぞ」
かっこつけて腕を組み、悩むそぶりを見せるドリクに向かって、クロドは呆れるように息を吐いた。
「だってよー。お前は気にならないのかよ。あいつらが本当は何をしてるのか。村長はうまく丸め込まれたみたいだけどさぁ。……なあ、ちょっくら忍び込んで確認してみねえか?」
「そうやって好奇心を持って、ついこの間痛い目にあったばかりだろ。俺はやだよ。あれから大変だったんだぞ。何時間もずっと説教を聞かされて」
村の大人たちに叱責されるのとはわけが違うのだ。クロドの意見に賛同するように、他の子供たちも頷いた。
ドリクはつまならそうに足元のボールを転がしながら、
「ちぇ、わかったよ。付き合いわりいなお前ら。昔はもっと勇猛だったのに」
「何もわからなかったから、年上のお前を信じて従ってただけだ。今思うと後悔することばかりだったぞ」
過去の事件を思い返し、皮肉交じりにクロドは答えた。
「はいはい。わかったよ。もうやめようぜこの話は。せっかくの晴天なのに気分が悪くなっちまう。ほら、遊ぼう遊ぼう」
真横の道を通過していく地走機から視線を逸らし、ドリクはボールを蹴り上げた。高く上げ過ぎたらしく、受け取り側にいる少年が困ったように後方へと走っていく。
彼がボールを拾い戻ってくるまで僅かに暇になったので、もう一度だけ地走機のほうに目を向けると、風で布がめくれたのか、先頭部の荷台に乗せてある珍妙な機械が見えた。牙のような銀色の棘がいくつも中心に向かって伸びている立方体の枠組み。それは見るものを不安にさせる、得体の知れない〝何か〟だった。
「おいクロドいったぞ」
ドリクの声とともに、上方からボールが落ちてくる。クロドは慌ててそれを胸に受け止めた。
地走機は静かに村の奥へと走り去っていった。
木材の不足しがちなこの村では、家屋の多くが金属製のプレートによって作られていた。
六十年ほど前に起きた大戦の残骸と、もともと地層深くに埋まっていた旧時代の遺物から採取した金属を溶かして引き延ばし板にすることで、壁や床、骨組みの材料にしているのだ。
もちろんそのまま金属を組み立てるだけでは気温の影響を受けすぎるので、当然季節に応じた対策もしてある。夏場は熱を発散させる植物の繊維を組み合わせた断熱層を、冬場は熱を内部に保たせる球獣の外皮を利用した防寒層を作り出し、それぞれ内部と外部に専用の膜をもうける。その取り付け方や色合いは人様々で、各家庭の特色やセンスを周囲に誇示する一種の見栄にもなっていた。
黄色い球獣の外皮層に覆われた家の門をくぐり抜け、備え付けの台所で手を洗い、リラックスしきった調子で居間に向かうと、父のディランと母がテーブル席でクロドを待っていた。既に食卓の用意は終わっているのか、台所の鍋がぐつぐつと揺れている。
「遅かったね。今日はどうしたの?」
ぼんやりと映像受信機の放送を眺めつつ、母が首を傾けた。発熱保温式のテーブルが気持ちいのか、長い髪の間から覗く目がとろんとしてしまっている。最近寒くなり始めていたから、一年ぶりに起動スイッチを押したらしい。
クロドは彼女の斜め向かいに移動し、腰を落ち着けた。
「ちょっとボール遊びに夢中になっちゃって。ドリクのやつが中々帰してくれなくてさ」
「仲がいいね。いつも一緒にいるんじゃない?」
「別に。村が小さいから遊び相手が限られてるだけだよ。ただの腐れ縁だ」
クロドがそう言うと、テーブルの上に腕を組んでいた父がいつものかすれた声を出した。
「友達は大事にしろ。いざというときに助けてくれるのは、心底信頼をおける相手だけだ。ドリクは一見乱雑なやつだが、ああいう男は情に厚い。お前もいずれ守備団に入るのなら、背中を預けられる人間を作っておけ」
「デイラン、クロドはまだ子供なんだからそんなことを言ってどうするの」
呆れたように父の硬質な目を見返す母。だが彼は一向に気にする素振りなどなかった。
母と一緒にテーブルの上に料理を運び、この村お決まりの儀礼を述べた後で食事を始める。クロドが大きな骨付き肉を頬張っていると、映像受信機を眺めていた父が不機嫌そうな顔を作った。
「アザレアでまた反乱事件だと。まったく。一般人の犠牲者を出して大衆が賛同するわけがないだろうに」
「大丈夫なのかな」
手を止め映像受信機を見つめる母。
「仮にも天下の五大共同体の主都市だ。問題はないだろう。常駐軍だっているだろうし、あそこは首都オラゼルの兵士がすぐに駆けつけられる位置関係にある。今に鎮圧されるさ」
全くの他人ごとのように父はそう言った。
アザレア。この世界を維持している五つの主要共同体の中でももっとも強大な力を持つ魔導兵器の開発に特化した組織。統一機構アラウンはその五つの共同体の上位官職者から構成されているが、アザレアの統治者はその決定を覆せるほどの力を持っているらしい。日頃から強引に多くの資源採取、他共同体への干渉を行っているため、デモ活動やこういった事件が絶えず、毎日のように映像受信機ではそのニュースが流れていた。
危険な場所であると村人たちは口を揃えて言う。だが実際にその都市へ赴き、空気を吸った者は一人もいない。流れる映像に映る光景は、この村と比べて実に未来的で高い建造物に溢れている。少しでもいいからいつか訪れてみたいと、クロドはひそかに思っていた。
「同じ五大共同体でも、クレマチスはすごく静かなのに。何でこうも違うのかな」
「クレマチスは保守的な共同体だからな。初期品流通や雇用も全て内部で完結させているから、敵も少ないんだろう。それがいいことかどうかは俺にはわからないが」
母の疑問にそう答えると、父は掴んだ酒を一気に口内へ含み、満足そうに喉を鳴らした。
「まあ、この村にいる限り、そんな争いごとに巻き込まれることなんてないだろう。六十年前の大戦時ですら、世界中がてんやわんやになってもこの村だけはのほほんと生活できていたらしいからな。畑仕事をやって野菜を売るか、工具を作って生活の補助をするか、守備団に入って周辺の球獣を駆除する。それだけの村なんだからな」
酔っているのだろうか。父はいつにも増して饒舌だった。
そう。それがこの村の全て。この村で生まれたものの宿命。ありふれたごく普通の生活。世界の争いとも事件や問題とも一切の繋がりのない陸の孤島。いずれ自分も守備団に入って村を守るために日々外周地を走り回る。そんな日々が、人生が待っていると、このときのクロドはそう思っていた。