第三章 ヌルの眼と泉 3
廃墟ピラミッドから屋外へ抜け出ると、刃のような光が全身に降り注いだ。だいぶ日も上がってきたようだ。
喉の渇きを感じたクロドはショルダー型のバックパックから水筒を取り出し、それに口をつけた。中身は何変哲もないただの水なのだが、動き続けて火照った体にはよくしみわたる。そのまま喉を動かしていると、瓦礫の隙間から出てきたルイナがもの欲しそうな目をこちらに向けていた。
「……飲むか?」
返事を待たずに投げ渡す。
水筒を受け取ったルイナは、こちらを見て少しためらったのち、呑口を唇に当てた。よほど喉が渇いていたのだろう。ごくごくとあっという間にその中身を消費していく。
「全部飲むなよ。ダリアで飲める水は貴重なんだぞ。川も池も大抵化学物質に汚染されてるからな。それだって高い金払って商会から買ってるんだから」
「わかった。ありがとう」
ルイナは名残惜しそうに口から水筒を離し、キャップを閉じた。
――さて。ルイナが街から出るには足が必要だな。鉄の森の外周ならまだアラウンの追手も包囲しきれていないはずだ。たしか南西に廃棄された地走機がいくつも転がっていたはず。あそこに向かうか。
放置されている地走機はダリア全盛期の遺物だが、以前目にしたときには使えそうなものも何機かあった。ある程度の整備不良があっても、自分ならその場で修理することができる。次の目的を定めたクロドは移動しようと赤足に戻ろうとしたのだが、一歩足を進ませようとしたところで、何かが頬をかすった。頬に赤い筋が一つ浮かび上がる。
「クロド――!」
ルイナの鋭い声が響き、廃墟の裏から三人の男が姿を見せる。関節以外の部位を守る防護服に、独特な単眼型のガスマスク。アラウンの兵士だ。
その銃口が再びこちらを向いた途端、クロドはとっさに右方向へと飛びのいた。
地鳴りのような激しい銃撃音が響き、一瞬前までクロドが立っていた地面を粉々に抉っていく。
すぐにルイナの姿を確認したが、彼女もクロドと同様、反対側の瓦礫の裏に身を潜めたようだった。
――くそ、どこかで見られていたのか。待ち伏せしてやがったな。
頬の血を拭い、クロドは短く舌打ちした。
銃撃が止み、先頭に立っていた兵士が残りの兵士たちに目配せする。一人だけ武骨な肩当てをしているところを見るに、彼がこの部隊の隊長なのだろう。
その男は瓦礫の後ろにいるこちらを見通すように、野太い声を突き通した。
「ルイナ・レヴィナスだな。統一法反逆罪の容疑で拘束させてもらう。おとなしく出てこい」
いきなり銃弾をぶっ放してきたくせに拘束とはよく言う。その言葉が単なる建前に過ぎないことはわかり切っていた。
……どうする。あいつらを倒さないと赤足までたどり着けない。けど、ここで手を出せば間違いなくアラウンに目をつけられることになる。
マチェットの柄に手を当てたまま、決断を決めかねているクロド。その間にも、アラウンの兵士たちはゆっくりとこちらに近づいていた。
このままじゃじりひんだと思ったのだろう。彼らがさらに距離を詰めたところでルイナが腰の鞄から銃を取り出した。かなり大型のリボルバー拳銃。市場に流通している銃器はあらかた知っているがまるで見たことのない形状だ。荷物検査をしたときにはなかったはずなのだが、どこに隠し持っていたのだろうか。
「クロド、私が囮になる。その隙に赤足に走って」
「は? どうする気だ」
「いいから、言う通りにして」
ルイナは瓦礫の後ろから飛び出すと、リボルバーに取り付けられた二つのトリガーを同時に引いた。火薬が炸裂する音が響き、そこから飛び出た弾丸がアラウンの兵士たちの合間に落ちる。
「どこを狙っている!」
姿を見せたルイナを嘲るように、左に居た若い兵士が長銃を前に構える。しかし次の瞬間、彼の身体は右方向へと強制的に移動させられた。
ルイナが地面にめり込ませた銃弾を中心にして、重力のドームが発生していたのだ。半径一メートルほどのそれは周囲のあらゆるものを中心に引き付け拘束した。
――魔法銃……!
クロドが驚き目を見開くと同時に、再度銃口を兵士たちに向けるルイナ。ここで発砲すれば、相手は避けることができない。クロドは勝利を確信したのだが、流石に、そう上手くはいかなかった。
「くそ、離反者が。舐めるなよ」
重力に拘束されつつ、隊長の兵士が何かを前に投げつける。知恵の輪を球状にしたようなそれは、数度小刻みに内部の機構を動かした後、爆発するように眩い光を生み出した。
照明弾? いや違う。あれは――
光の中で何かが蠢き、外に飛び出す。それが地面に足をつけると同時に、球は光を失い、静かに落下した。
全身を金属で形成された二体の化け物。その骨ばった四肢を持つ狼のような物体は、アラウンが球獣を模して開発した、‶機獣〟と呼ばれる人造兵器だった。
ルイナはすぐに銃撃で応戦したが、動きの速い機獣はごとごとくその弾丸を回避し、瞬く間に距離を詰めていく。
「このっ――!」
目の前まで迫った機獣に向けて魔法弾を放つルイナ。彼らは重力場に足を取られ、そのままバランスを崩しルイナの背後の壁に激突した。
ここで高火力の魔法弾を放てば機獣たちを仕留めることができるはずなのだが、ルイナはそのまま逃げるように別の瓦礫の後ろへと飛びのく。
それを見て、クロドは彼女の武器の欠点を悟った。
魔法銃には二つの方式がある。ヌルの眼付近の物質で作られた銃弾を利用するものと、銃そのものがそういった材質で構成されたものだ。前者は状況に応じて様々な弾丸を取り換えることが可能だが、専用の弾丸を常に所持しなければならず、何より費用がかさむという欠点がある。対して後者は機能として魔法の力を持っているものの、特定種の魔法効果しか発揮することができず、汎用性に掛けた。
ルイナの持っている銃はどうみても後者に属する代物であり、追撃者の足止めを目的に作られたもののようだった。
「よし、左に回れ。挟み撃ちにするぞ」
重力場が解け、兵士たちが動き始める。流石に四の五言っている場合ではないようだ。
クロドはマチェットの鞘口を握りしめると、ルイナの元に向かって走り出そうとした。しかし、彼女の背中に追いつく直前で、先ほど重力場に足を取られた機獣の一体が体を起こしこちらを睨みつける。道を塞ぐように立つその機獣を前にクロドは足を止めるしかなかった。
――球獣の模造品か。悪趣味なことしやがって。
腰を落としながらマチェットを鞘から引き抜く。機獣は様子を伺うようにこちらを見据えたあと、一気に体を跳躍させた。
一般的には球獣の攻撃を回避する場合、中途半端に身を反らすのではなく、全身を使って横へ飛びのくべきだと言われている。人の斬り合いや拳の打ち込み合いとは違い、球獣の攻撃は避けてもそのまま‶押される〟ことが多いからだ。体躯の大きな球獣が相手であれば、ただ突っ込んでくるだけでこちらにとっては致命傷になってしまう。どれほど剣の腕が良かろうと、掌打の型が美ししかろうと、押されれば、なすすべもなく吹き飛ぶことしかできないのだから。
それがセオリー。それが球獣と相対した場合の基本。
だがクロドは、親方の教えと鉄の森で鍛えられた勘によって、敢えて前へと飛び込んだ。
スライディングするように身を低くし、機獣の真下へと滑り込む。そして、そのまま無防備な機獣の腹部に向かってマチェットを大きく切り上げた。
黒っぽい刃が金属の骨組みとパイプを断ち切り、茶色いオイルが周囲に飛び散る。
機獣の反対側へ抜け出たクロドは、そのまま振り向きざまに相手の首を切り飛ばそうとしたが、頑丈な装甲に阻まれ、刃は進行を止めた。
ち、面倒な……!
機獣はあくまで兵器。球獣を模して造られただけの機械なのだ。腹部のような循環機能がある場所ならともかく、まともに正面から切りかかっても、攻撃が通るわけがなかった。
クロドは足元の錆び砂を蹴り上げ機獣の視界を塞くと、突き放すようにその胴体を蹴り飛ばした。今はこんなやつを相手にしている場合ではないのだ。
もう一体の機獣がルイナに飛びかかる。彼女は銃でその突撃を受け流したものの、力に押されて地面の上に倒れ込んでしまった。
ここぞとばかりに、追い込みをかけていた兵士たちが銃口を向ける。
「ルイナ!」
決死の思いで彼女の前に跳び出すクロド。
兵士たちの銃弾が放たれたのは、それとほぼ同時だった。