第一章 クロドと少女 6
窓から差し込む日が湿っぽい色へと変化してくる。もう夕方のようだ。
親方、遅いな。
黒づんだ油塗れの手で額を拭い、クロドは顔を上げた。
ルイナを一人で家に置いておくわけにもいかず、暇つぶしに重空機〝赤足〟の整備をしていたはいいが、熱中し過ぎていつのまにかこんな時間になってしまった。彼女はどうしているだろうか。クロドがそう思った直後、ガレージの扉が開き、ルイナがこちらを覗き込んだ。先ほどまで寝ていたのか、まぶたがとろんと僅かに下がっている。
彼女はきょろきょろと周りを見回すと、ぶしっつけに質問してきた。
「……それって重空機? なんか独特な形だね」
クロドは手に持っていたドライバーを下に置き、
「親方のオリジナル機体だからな。元々は煙場に捨ててあった残骸だったんだけど、フレームを利用して親方が再設計したんだ。捨てられている材料の中には企業の最新試作部品とかもあるし、純粋な速度だけなら超高級重空機並みの出力が出せると思う。ただ操作性は随分とピーキーだから万人向けではないけどさ」
「それってつまり、一から組み立て直したってこと? 凄いねここの店主さん。独学じゃ流石にそこまでは出来ないと思うけど。元々何してるひとだったの?」
「元軍人だよ。補給班にいたらしい。主な仕事は物資の運搬と負傷兵の輸送。人材不足で他の部隊の手伝いをしてたりもしたから、そこで色々と学んだんだってさ。俺の護身術もあの人から習ったんだ」
「軍人? それにしてはクロドの動きはかなり独特だったけど、どこの共同体にいたの?」
「さあ? アザレアって言ってたけど、どうだかな。あまり詳しく教えてくれないんだよ。昔の話は」
クロドがそう言うと、何故かルイナは怪訝そうにこちらを見つめた。
まだ自分たちが追手の仲間だと疑っているのだろうか。彼女の視線を抑えるように、言葉を続ける。
「それで? どうしたんだ? 何か用があったんだろ」
「あ、うん。ちょっと探し物をしてて。ペンダントを見なかった? 銀色の、蛇と目の模様があるこれくらいの大きさのやつなんだけど」
「ペンダント? そんなものは見なかったけど」
朝すぐにリビングに飛び込んだ時も、特にそういうものはなかった。もしかして赤足で彼女を運んでいるときに落としてしまったのかもしれない。
クロドがそのことを伝えると、酷くがっかりしたようにルイナは顔を伏せた。
「大事なものだったのか?」
「母の……形見なの。祖父から受け継いだ宝物なんだって。何でも誰かとの約束の品だとか」
どうやら相当な思い出がある品物らしい。
昨夜落としてしまったのだとしたら、場所次第ではすでに拾われ、売り払われてしまっているだろう。もしそうなら再び手に入れることは不可能に近い。
人命がかかっていたのだ。自分は悪くないと思いつつも、彼女の悲しそうな顔を見ると、クロドは何となく後ろめたさを抱かずにはいられなかった。
「あ――……探してこようか。赤足ならあの場所まですぐに行けるし、人が普段通るようなルートは経由してこなかった。運が良ければ――」
「いいよ。この広いダリアでたったひとつのペンダントを探すなんて、鍵山の中から自分家の鍵を見つけるようなものだし。仕方がないけど諦める」
「でも大事なものなんだろ?」
「しょせん物だからね。お母さんとの思い出は全部心の中にあるもの。今さらあんなものを持っていなくたって、大丈夫」
吹っ切ったつもりなのだろう。だが明らかに強がっているのが見て取れた。
何となく気まずさを感じたクロドは、空気を変えようと口を開こうとして、――ちょうどそこでタイミングよく重空機のエンジン音が外から響いた。
「親方が帰ってきたみたいだな」
この重く伸し掛かるようなエンジン音は、親方が私用として使っている高反動型重空機のものだ。追手を危惧してかルイナの表情には緊張が走っていたが、クロドは安心させるようにそう言ってガレージの扉を開けた。
大きな鉄塊のような重空機に跨りながら、悠々と中に入ってくる親方。
彼は金魚の頭に似たヘルメットを脱ぎ捨てると、ルイナを見て嬉しそうに笑った。
「おう嬢ちゃん。元気そうじゃねえか。良かったな」
大きく威圧感のある声。
随分と遅かったから何かあったのかと心配していたが、問題はないようだ。自分の倍はある重空機から軽々と飛び降り、地に足を押し付けた。
すぐにルイナが彼に駆け寄り礼を述べる。
「あの、ありがとうございました。助けて頂いて」
「ああ、いいさ。気にすんな。この町じゃよくあることだ。……傷の調子はどうだ? 痛みは強いか?」
「はい。大丈夫です。少し血が滲んだり増しましたけど、今は落ち着いています」
「急いで縫い合わせたからな。縫い目が少し荒かったかもしれない。あとでもう一度見てみよう」
そういうと、親方はクロドに向き直り、
「おい、シャッターを下ろしてくれ。いつものように施錠もしっかりな」
「何で? この時間はいつも開けてるだろ? 食料の買い出しだってまだ――……」
言いかけて、そこで言葉を止めた。
親方の目が妙に緊張している。こういう場合はたいていよくないことが起きる前兆だ。
頷き、壁際のレバーを倒し、シャッターを下ろしながら、クロドはその疑問を親方にふつけた。
「何かあったのか」
「ああ。――少々面倒くさいことになった」
何でもなさそうに、親方はそう言った。