わっちは、ヴィランと空を飛ぶ
わっち、えびすヒロ子は、横山美学が土下座したあたりで、こっそり下着姿から私服に着替え、退散しようとしたが、天条のおっさんに捕まった。
「ヒロちゃん、怖い思いさせちゃったね」
いや、わっちもお前、ハメた側やねんけど。
「これからは、僕が君を守るから」
「いらん、いらん」
天条は、いつもの10倍は、ひつこくした。何度、振り払っても、手を握ろうとし、「僕が守る。僕が守る」を阿保みたいに連呼し、立体駐車場を出てからも、どこまでもどこまでも着いてきた。
しまいには、わっちの目の前に立ちはだかり、跪き、子犬のような目で見つめてきた。
もう、ほんま勘弁してくれ。
「ヒロちゃん、今回みたいなことが、また、あったら、嫌やから、僕と付き合ってくれ。ずっと側にいて、君を守りたいんや」
「あ〜、うざ」
「ヒロちゃん、あの時の契約書って、まだ有効?」
天条が何を言うてるか、わっちには、すぐにわかった。サトシさんが仕掛けたドッキリの時に書かされた交際契約書のことや。こいつ、まだ、持ってそうやな。
わっちが、そう思った時には、天条は、すでにパンツの中から交際契約書を取り出していた。
どこにしもてんねん。
天条は、わっちの目の前で、その契約書をびりびりに破いた。
おっ? とわっちは、目を丸くしていたと思う。
「僕は、契約やなく君と心と心で通じ合いたい」
わっちは、さすがに困った。ここまで、まっすぐに気持ちをわっちにぶつけてくる男性は、ほんとに珍しい。
「すまんの。天条。わっち、お前といてもドキドキでけん。ときめかんのじゃ」
それを聞いて、天条は、何故か目を輝かせて、
「わかった!」と言った。
わかった?ほんまに?
天条は、いきなり、わっちにいきなり抱きついてきよった。
「ドキドキさせたら、ええんやろ」
「あかん!こいつ、やっぱり、全然、わかってへーん!」
「僕のとっておきの秘密、ヒロちゃんだけに教えるわ!」
天条は、そう言うとわっちを抱きしめたまま、上昇した。
え?上昇?
天条とわっちは、いつの間にか宙に浮いていた。
「え?え?なにこれ?」
ばさばさという大きな翼のはためく音がする。
けれど、翼なんかどこにも見えへん。
それやのに、天条に抱えられたわっちの身体は、どんどん空へと近づいていく。
人が、車が、建物が、どんどん米粒のようになっていき、眼下に光のお花畑みたいになった一面の夜景が広がる。
「ごめーん。僕、空、飛ばれへんって言ったのあれ、ウソ〜」
「ど〜でもえ〜!!降ろせ〜!!」
「ドキドキしてる〜?」
「そう言う意味で言ったわけないやろ〜!降ろせ〜!!わっち、この歳でションベンちびってまう〜!!」
「守護霊、もういいって。地上に戻ろう」
天条が言うと、また何処からともなく、翼のはためく音がして、急降下。わっちは、死ぬと思ったが、ふわりと無事、地面に着地した。
「どう?僕と付き合う気になった?」
と笑顔で言う天条にわっちは、んなわけあるかい!と言うつもりで気づけば、
「せやな」
と言っていた。
たぶん、あそこがきゅぅううっとなっていたせいや。いや、下ネタやなくて生理現象や。吊り橋効果なんかなんなんか、わっちは、もう、付き合ってやってもええかという気になっていた。ひょっとしたら、天条に催眠術をかけられたのかもしれん。かもしれんが、もう、ええかというのが、わっちの気持ちじゃった。
それから、わっちと天条は、普通のカップルとして、普通の日々を共に過ごした。前の彼ピとは、とうに自然消滅しており、なんの問題もなかった。
今から考えれば、それがわっちと天条が交際している期間のうちで唯一の普通の日々やった。
たぶん、2週間ぐらい。
2週間後ぐらいには、もう、さっそく事件が起こった。
それは、わっちと天条が飲み屋から自宅へと帰ってる最中のことやった。
「なんで、酒、いつも、一杯だけしか付き合わへんねん。お前、ほんまにわっちのこと、好きなんかぁ〜?」
「え〜、君が楽しそうにお酒、飲んでるの、側でずっと見てるのじゃダメ〜?」
とかいう会話をしている最中に黒いパーカーを目深に被った男が天条の後ろから、金属バットで天条の後頭部を撃ち抜いた。
「ひゃっ!!」
とわっちは、らしくない悲鳴を上げる。
「へへっ、何がガーディアンだ。やっぱ、ただの人間じゃねぇか。この催眠イカサマ野郎が」
震えているその声にわっちは、まさかと思った。
「椎馬さん?」
椎馬さんは、わっちと目が合うと走って逃げ出した。
天条は、道端に倒れて、ぴくりとも動かない。
「救急車ー!!」
わっちは、声を張り上げた。
「本当に暴漢に後頭部、金属バットで殴られたの?」
「はい」
とわっちは、眠ったままの天条のかわりに医者に答えた。
「たんこぶは、できてるけど。脳に内出血はないし、骨にも一切、異常なし。一応、本人、眠ったままだから、今日一日は、入院していいけど、明日、起きたら、退院してくださいね。ベッドに空き少ないから」
「本当になんの異常もないんですか?」
「逆になんの異常もないのに、寝続けるのは、異常だけどね。彼、徹夜でもしてたの?」
「連日、わっちが、飲みに連れて行ってたから、確かに寝不足やったかも」
「じゃあ、それだね」
救急当直医の医者の診断は、とてもええ加減に思えたが、翌朝、天条は、けろっとした顔で普通に目覚めた。
「ほんま、あんた、何者なん?」
「ん?」
天条は、くちびるを尖らせて振り返る。
いつの間にか、わっちの癖が伝染っとる。