仔猫が“ こむぎ ”なら母猫は“ むぎ ”でしょ?
2009年(平成21年 )僕は、ハローワークで派遣の仕事を拾った。
仕事の内容は、携帯電話の修理やデータの転送、消去等です。
3年後スマホの普及に伴い、ガラケーからスマホ、iPhoneへのシフトが段階的に行われた。
僕の仕事もAndroid関連に移行し、部所も“新装”という、所に変わった。
新しく入社した人達と言葉を交わす中に、小柄な女性がいた。
(どっかで会ったことがあるような…)と、思いながら話してて、高校の同級生だと気付くまでそれほど時間はかからなかった。
そうこうする内に、動物だけでなく、恐竜、昆虫、妖怪…等のレアな趣味が共通していて、お互いに独身ということもあり、交際するようになった。
主に僕の車で、県内の名所や道の駅巡り、食べ歩き、映画鑑賞等をして、共に時間を過ごした。
某大手企業の工場の一角を間借りしてやっていた仕事も、ガラケーの規模の縮小に伴い、段々と終わりが近づき、その工場での業務が閉鎖され、他県の工場へ移転(合併)することになった。
わざわざ他県に行ってまで続ける仕事ではないと、思い、3年続けた職場を辞め、調理師免許の資格を使い、自宅から山を一つ越えた所にある病院と養護施設の食事を作る仕事についた。
その町の川沿いに、彼女の家もあった。
病院で働き始めて間もなく年を越し、2013年になった。
そして3月、僕は職場で脳梗塞を発症し、高次脳機能障害という後遺症が残った。
構音障害…簡単に言えば、言葉が出て来ない、それと両手足の感覚障害、筋萎縮性疼痛…辛く苦しく、己れの運命を呪った。
脳梗塞と共に、狂ってしまっていたらどれ程楽だったか。
思い通りに動かない手足や口と違って、思考力は、皮肉とも思える程ハッキリしていた。
脳梗塞や脳卒中等の脳に関わる病気全般に言える事だが、脳に痛覚はないのでテレビドラマのように頭を押さえて痛がるなんて事は無い。
職場で倒れてから、少し横になって休んだ後、総合病院で検査をしてもらうつもりで、自分で車を運転した。
職場から1~2km進んだ所で(もうだめだ…)と、思い彼女に電話した。
なんとか彼女の家の前までたどり着き、運転を交代してもらった。
比較的大きな総合病院でMRI検査をし、神経内科の医師の診察を受けた。
MRI画像を見せながら、医師は脳幹梗塞だと淡々と説明した。
あまりにもあっけらかんと話すので、僕は事の重大さに気が付かなかった。
家に帰ることもなく、親を呼んで説明を受けると、そのまま緊急入院となった。
集中治療室で点滴を射ち、病室に移されて目を覚ますと、もう以前の自分の身体とは違い、口も手足も思うようには動かなかった。
彼女…ちーちゃんは、毎日病院に見舞いに来てくれた。
決して近くではない、病院まで毎日。
自暴自棄になり塞ぎ込んだり、恨み言を繰り返したりする僕を根気よく勇気づけたり、励ましたり、時には叱ったりしてくれた。
僕はありがたく、嬉しい気持ちの反面、申し訳無い思いに苛まれていた。
こんな自分のために、彼女の大切な時間を使わせては可哀想だと思ったからだ。
ちーちゃんは慈悲深く、決して僕の事を見放したりはしないだろう。
それを知っていても僕はちーちゃんを拒絶することは出来なかった。
甘えていたんだと思う。
(いつか、嫌われるだろう、自然消滅するだろう。)
そう思っていた。
結果を先に言うと、今現在もう2023年末である。
ちーちゃんはずっと僕の傍で僕を支え続けてくれている。
買い物に連れて行ってくれて、荷物も運んでくれる。
筋力が衰えないように歩く、喋る、食べるなどの日常の行動を甘やかすことなく補助してくれる。
僕が最初の脳梗塞を患ってから、既に丸11年が経とうとしてます。
しかもこの間何も無かった訳ではない。
2016年、2020年、2022年にも脳梗塞を発症し、いずれも救急搬送された。
4回目の入院時に徹底的に検査を行い、“ 原発性抗リン脂質抗体症候群 ”という長ったらしい名前の国指定の難病だということが分かった。
極力簡単に説明すると、脳梗塞発症のリスクが高くなる病気…としか言いようが無い。
しかし、この約11年間なんの見返りもなく、ちーちゃんは自分の幸せを投げうって僕の傍に居続けてくれている。
僕は遠い昔に、知らないところである約束が交わされていたことも知りませんでした。
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2013年の5月、僕が1回目の脳梗塞で入院して、2ヶ月弱経った。
どういう理由かは知らないが、1つの病院に入院出来る期限は1ヶ月と決まっていたのでリハビリ施設のある別の病院を紹介され移転して半月程が過ぎた。
入院中のある日、僕は衝撃的な話を聞いた。
元気の無いちーちゃんを問いただしお義兄さんが脳出血で倒れた話を聞いた。
ちーちゃんのすぐ上の、お姉さんが嫁いだ旦那さんが、庭で突然倒れたと言う。
しかも、僕より遥かに後遺症が酷く、言葉を発せないどころか動かせるのが、目だけと言う。
自分がこういう身体になって初めて、理解出来ることがあります。
ちーちゃんのお義兄さんの苦しみも、“ 己れの比では無い ”ということがすぐに理解出来た。
…いや…理解出来るなどと言うことが、おこがましいと分かる。
今まで、言葉を発する事を、意識したことがあっただろうか?歩いたり、物をつかんだりすることを意識したことがあっただろうか?
自分がそういう身体になり、喋るだけ、歩くだけでしんどい。
今まで無意識に出来ていたことが、ある日突然出来なくなり、もう二度と治る事は無い。
ギターを弾くことも、歌を唄うことも、車を運転することも、もう二度と出来なくなったのだ。
…でも、それだけなのです。
ちーちゃんのお義兄さんに比べたら、どれだけ幸せだろうか?
構音障害とはいえ、全く喋れない訳ではなく、杖を使えば自分で歩くことも出来る。
トイレも食事もなんとか自分でやっている。
それに何より、傍に居て励まし続けてくれる人が居る。
こんなに嬉しい事は無い。
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そして僕を、救い続けてくれるのは、ちーちゃんだけじゃないのです。
入院を続けたところで快方へ向かうという訳でもなく、理学療法、作業療法、言語療法のリハビリも行う限度があり、それ以上やっても回復の見込みがない。
約2ヶ月の入院生活を終え、リハビリは週に一回の通院ということで、僕は自宅療養ということになった。
早朝からコンビニエンスストアで働いている、ちーちゃんは仕事が終わった後、週に2回は顔を見せに来てくれた。
ある日の午後、僕は何とはなしにちーちゃんに電話をした。
注)ここからの僕の言葉は全て健常者が話す言葉のように変換して、記述します。
“トゥルルルッ…ガチャッ”「はい、もしもし。」
(くるるるっ)最初は聞き間違いだと思った。
リハビリも兼ねて通話を続けていると、また、遠くから(くるるるっ)と、聞こえる。
(聞き間違いじゃない!)「何か聞こえるよ」と、言うと、ちーちゃんは「あ~ねこ」とあっけらかんと答えた。
僕は今まで、そんな心地の良いねこの鳴き声を聞いたことが無かった。
まるで小鳥のさえずりのようで、明らかにちーちゃんに甘えた声を発している。
「今、どこにいるの?」
「裏庭の小屋の中でねこを飼ってて、餌をあげに来たところ。」
「すっごいかわえー声で鳴くね。名前は?」
と、聞くと、ちーちゃんは。
「仔猫」
と、答えたので、僕は言葉通りに解釈して、
(まだ、子供のねこなんだ…)と、思い、
「何ヵ月位なの?」と、尋ねた。
するとちーちゃんは、説明に困ったように答えた。
「何ヵ月っていうか、もう7~8歳。」
「えっ…でも、今仔猫って…」
「うちでは、ねこは名前は付けないのよ。」
続けてちーちゃんは「母猫もその辺にいるので、仔猫なの」と言った。
そして、「でも、産まれた時から育児放棄されてたから、私がずっと育てたんだけどね。」と、追加した。
それで僕は納得した。
道理で聞いたことの無い声だ。
あの、“ くるるるっ ”と、言う鳴き声は、仔猫が母親に甘える声なんだ。
詳しく話を聞くと、小屋の中にケージを入れてその中で、そのねこを飼っているらしい。
何故かというと、お母さんと、お姉さんが相次いで“仔猫”の機嫌が悪い時に触ろうとして、噛まれて“病院送り”にされて、それ以来ケージ生活らしい。
しかも、ちーちゃんのいうことはよく聞くらしく、二度程他のねこを見かけてハイになった時に“シャーッ”と、言っただけで、ちーちゃんが叱ると“しゅん…”となっておとなしくなるらしい。
散歩に行く時も、リードも無しで、ちーちゃんの2~3m前を先導して歩き、(チャンとついてきてる?)って感じで振り返ります。
柿の木が倒れていて、いつもその倒木の上で爪を研いでから、おやつを貰い帰って来るそうです。
道に落ちている野菜をヘビと間違えて飛び上がったり、おっちょこちょいな一面もありますが、ちーちゃんのいうことをよく聞く良いねこだそうです。
一方、“母猫”は“仔猫”には全く関心が無く、その代わりちーちゃんとお母さんとお姉さんになついていました。
お母さんが畑仕事をしていると、すぐ傍でゴロゴロして遊んでいたりしてました。
“仔猫”のケージが旧牛小屋の方に置いてあるので、“母猫”はもう一つの小屋を使っていました。
“仔猫”が近寄って甘えようとすると、いつも「フーッ!」と、威嚇して遠ざけるそうです。
実の母猫なのに少し可哀想な気もしますが、自分の母乳で育てた訳でもなく、ちーちゃんに預けたのですから、それが“ねこの仁義”という物なのかも知れません。
とは、言え、名前が無いのは可哀想な気もするし、呼ぶ時に困るので、
「誰か名付けたことは、無いの?」
と、聞いたら、
「何度か動物病院にかかったことがあって、呼ばれる時に名前が無いと駄目ってことで、“母猫”が“チビ”で“仔猫”が“チビチビ”ってことにしたよ。」
と、ちーちゃんが答えた。
その声色から、それが全く悪気はなく(普通のことなんだ)と、解った。
続けてちーちゃんは、
「あー、そう言えば昔、姪っ子が“仔猫”を見て、綺麗な小麦色のねこだから“こむぎ”にしたら?って言ったけど、それっきりだったわ。」
と、言った。
僕は(それだ!)と、思い、即決した。
何故か“こむぎ”と、言う名前を聞いた時、電流が走ったような気がした。
ちーちゃんは、
「じゃあ、“母猫”は?」
と、聞いたので、僕は、
「“仔猫”が“こむぎ”なら“母猫”は“むぎ”でしょ?」
と、これも即決した。