奮闘。ちーちゃん、手探りの仔育て。
2006年(平成18年)9月のこと。
ちーちゃんは家の裏庭にある小屋に入った。
土壁の塗られた小屋は、その昔牛が飼われていた所です。
牛と言うと今では、乳牛か肉牛のどちらかを指しますが、ここで飼われていた牛は、そのどちらでもありません。
今では聞き覚えのない、農耕牛という用途で飼われていました。
犂という農具を牛に引かせて、田畑を耕す…今で言う耕運機のように使うのです。
もうひとつの小屋は農機具置場のようになっているので、こちらを上げ底にしてねこたちが住める様に手を加えてあります。
ココに常時1~3匹のねこたちが暮らしているのです。
最近はお腹の大きな淡い色の三毛猫が1匹住んでいましたが…
ちーちゃんは側に来たついでに、中に置いてあるねこのごはんの器にカリカリを補充しようと、扉を空けました。
大袋のカリカリが小屋に保管してあるので、ソコに近づきカリカリの袋を取ろうと手を伸ばした時です。
「…みゃあ…みゃあ…」と、か細い鳴き声が聞こえました。
三毛猫のお腹が大きかったので、そろそろ産まれたのかな?と、思い、ちーちゃんは仔猫の鳴き声がどこから聞こえるのか“キョロキョロ”と、辺りを見回して、探しました。
どうやら小屋の奥の方から聞こえてくるようです。
奥に使わなくなった、家具や備品とかが積まれていました。
そちらの方から、今にも消え入りそうな、仔猫の鳴き声が聞こえて来ました。
昔のあんかなどには豆炭と呼ばれる、練炭の一種が使われることが多く、その豆炭を入れておく墨壷という容器がありました。
その壺の中から、鳴き声がします。
ちーちゃんが慌てて中を見ると、炭で真っ黒になった、まだ目も開いていない仔猫が、か細い鳴き声で必死に助けを求めていました。
ちーちゃんは、ビックリして一瞬固まりましたが、すぐに思い直して仔猫を助け上げました。
側に掛けてあった手拭いを使い、仔猫をくるみ、炭で真っ黒な身体の汚れを優しく拭き取りました。
「…どうしよう…」
ちーちゃんは呟きましたが、他に兄妹もましてや母猫も見当たりません。
「取り敢えずミルクと寝床を用意しなきゃ」
ちーちゃんは段ボール箱に新聞紙を敷きその上からタオルを置いて、優しく仔猫を寝かせた。
それから、ちーちゃんは、買ったばかりの自動車を運転して、隣の町にあるペットショップへ急いだ。
ペットショップの中で仔猫用の粉ミルクと注射器の形のミルク給餌用のスポイトと暖かくて肌触りのいいタオルを2枚買い、急いで家に帰った。
まだ、暖かい陽気とはいえ、仔猫は、まだ上手く体温の調節が出来ない。
ぬるま湯にガーゼを浸して仔猫の汚れた体を拭いてやると、淡い縞々の模様が出て来た。
「サバトラ?…違う…茶トラ」
後で知ったのですが、仔猫は、ミルクティーと呼ばれる、極めて色素の淡い茶トラで、普通の茶トラが赤とらとか黄とらと呼ばれる赤みや黄色がかっている感じが全く無いのです。
洋種などに多く見られる銀色がかった種類はサバ、トラになっていればサバトラと呼ばれますが、その独特の光沢もなく、限りなく“白っぽい”茶色なのです。
そう、それを形容する言葉が“ミルクティー”です。
誰が言い出したかは、分かりませんが普通の茶トラともサバトラともあきらかに違う見た目にとてもしっくりくるピッタリの名前です。
しかし、この時のちーちゃんはまだ“ミルクティー”という呼び名を知りませんでした。
それどころか仔猫と親猫はそのまま“仔猫”“親猫”と、呼んでいました。
現在は、分からないことがあれば、何でもスマホでググるのが一般的ですが、その当時のちーちゃんはガラケーでパソコンも使う機会が無く、検索するという習慣が全くなかった為、全てが手探りの子育てだったのです。
なぜ仔猫がたった一匹で墨壺の中に居たのか、今となっては分かりませんが、母猫は子供が一匹しか産まれなかったり、極めて元気が無かったりすると、育児放棄して次の子を作ろうとする場合があるみたいです。
ちーちゃんも聞いたことはあったのですが、自分が母親代わりになるのは初めてです。
残酷な様ですが、種の保存の観点から見ればそれが1番合理的なのかも知れません。
14~15年後には全く逆のことが起こるので、一概には決められませんが…
何しろ、ちーちゃんはなんの知識もないまま手探りで仔猫を育てました。濡れたティッシュを使い、お尻を刺激して排泄させたり、ミルクを作り与えたり、まるで本当の母親のように甲斐甲斐しく愛情を持って育てました。
その頃のちーちゃんはフィルム写真をカメラで撮るのが好きで、その仔猫もよく被写体になっていました。
数ヶ月が過ぎ、仔猫はすくすくと育ち、仔猫と成猫の間位になりました。
なんとか冬も乗り越え、庭にある梅の木や柿の木を登ったりして、元気に過ごしています。
『ほら、ぼくもうこんな木なんかへっちゃらさ』『こんなところにも登れるんだよ』
ちーちゃんのことをお母さんだと思っているみたいです。
“ミルクティー”の♂の仔猫はすっかり逞しく育ちました。
ちーちゃんが庭に出て来ると尻尾を“ピン”と、立てて、得意気な顔をして“ちょこちょこ”と、後をついて歩きます。
そうして数年が過ぎましたが、そのねこは相変わらず“仔猫”と、呼ばれていました。
何故ならちーちゃん家は常にねこが入り浸っていて、いちいち名前を付けるということが無く、それが普通だったからです。
“ミルクティー”の茶トラだった仔猫は大きくなっても“仔猫”その母親の淡い色の三毛猫は“親猫”と、いう具合いです。
丁度その頃日本中のあちこちで、同時多発的に猫や犬を救おうというムーブメントが沸き起こって来ました。
特にブリーダーの虐待や多頭飼育崩壊等の悲しい現状が明るみに出るようになって、正義感を持った人達によって、保護団体が次々に立ち上がりました。
正直に包み隠さず話すと、 僕に取っては遥か遠い世界の出来事のように感じていました。
動物や動物の世話が嫌いだとかは、全くありません。
実際今まで、多くの猫や犬を飼って来ました。
工場勤めの時も出勤する前後に、ゴールデンレトリーバーをダッシュで散歩させたり、相撲を取ったり、休日に川遊びさせたり、DIYが得意だったので、町営住宅の庭を十分な高さのラティスフェンスで覆ったり、渡り廊下をつくったり。
同時にねこも飼っていました。
そのねこは捨てられていたねこで、ものすごく人懐こい茶トラでしたが、ある日病院で猫白血病のキャリアで、そう長くは生きられない事を告げられました。
そのねこが他界し、間も無く犬も逝きました。
僕は、その時に(もう生き物を飼うのは終わりにしよう…)と、思いました。
悲しい想いをするのは、もう嫌だったからです。