ちーちゃん家
脈々と受け継がれて行く生命。
ただそこに居てくれるだけで、魂が救われ癒される…そんな存在もあるのです。
ちーちゃんはねこたちを飼って来た。
《飼って来た》とは言っても、普通の《飼い猫》とは、ちょっぴり違う。
どう違うのかと言うと、ねこたちは家の中にほとんどあがったことがないのです。
かといって家の人達がねこ嫌いかというとそれも違う。
どちらかと言えば、ねこが大好きな一家だ。
ちーちゃん、お母さん、お姉さんが裏口から出ると、それをどこで見ているのか、ねこは尻尾を上に立てて“ゆらゆら”と、揺らしながら「…なー…」と、甘えた声を出しながら足にすり寄って来る。
一説によると、それはねこが縄張りを示す“マーキング”らしい。
つまり「この人間は我の物。近寄るべからず!」と、いうことだそうだ。
これをやられると、大抵のねこ好き人間は「よしよし。ごはん?待ってて。」と、目を細めて、ねこ用の茶碗に“ザーッ”とねこ用のドライフード(通称“カリカリ”。総合営養食でこれと水だけで、全ての栄養素が賄える)を、献上するらしい。
ねこにとってはねこが“好きか嫌いか”が重要ではなく、ごはんを“くれるかどうか”が大事なのであって(コイツはくれるかもしれない)と、思うと両目を穴が空くかと思う程見つめる。
そして、瞬きを“バシバシ”と繰り返し、“好き好きビーム”を発射する。
これをねこ好き人間が食らうとふらふらとごはんをあげてしまうそうだ。
上級猫になると、これに加えていかにも柔らかそうな腹を無防備にも見せて“ゴロンゴロン”と、やるらしい。
これを喰らうともう抗うことは出来ない。
ちーちゃんの家には、あと一人お父さんが居るが、ねこはこの人には、甘えたりビームを出したりして、ごはんの催促をすることはしない。
何故なら“くれない人”だと解っているからだ。
勘違いしちゃいけないのはあくまでも“くれない人”であって、“ねこが嫌いな人”では無いということなのだ。
ねこは決して無駄なことはしない合理主義なのです。
今では解らない人も多いだろうが、昭和の時代には“亭主関白”がまかり通っていて、主人は威厳が保てるように振る舞っていました。
今のジェンダーレスの時代には考えられないことだが、男が“かわいい”と言うのも、言われるのも、態度で現すのも“女々しいこと”と、思われていました。
そういった訳で、そうは易々と家長がデレデレした態度を取る訳にはいかないのです。
鋼の心が必要だったのです。
知ってか知らずか、ねこたちもなんとなく分かっているようで、お父さんに甘えたりはしません。
ちーちゃん家は見渡す限り緑と、青の続く自然の中にあります。
家の裏には広い畑が一面に広がり、そこの境界の竹藪を越えると、高さ20mを越える雑草の入り交じった急峻な斜面が川面迄続いています。
広大な川は幅50mを優に越え、上流から下流迄、長く大きく横たわっています。
この辺りは八百の津(港)と言う地名が表す通り、以前は上流で伐採した見事な丸太を組んで筏にして、川を下って運搬する途中の中継地でした。
そのため治水はかなり上手に安全に造られており、川の両岸に、酒蔵や味噌蔵、酢、醤油、菓子、蒟蒻、煎餅…ありとあらゆる商店が豊かな水源を利用しひしめき合っていたのです。
さて、ちーちゃん家はそういった自然豊かな山河を望む土地に昔からありました。
広大な裏庭には、畑だけではなく、木造の古い小屋が二棟点在している。
ちーちゃんがまだ産まれる前、それぞれ、馬と牛を飼っていた小屋です。
ここがちーちゃん家のねこたちが代々受け継いで、ねぐらにしている所で、その為母屋に上がる必要がないのです。
朝、昼、晩と好きな時に、好きなだけ庭に出て、ゴロゴロしたり、ネズミやモグラや小鳥を狩ったりと悠々自適なねこライフを送ればいいのです。
勿論、狩りの獲物も食べますが、専ら主食はカリカリで、ちーちゃんやお姉さんたちが飲み水と一緒にせっせと献上してくれるので、狩りはどちらかと言えば、狩猟本能を満たしたり、遊びだったりするようです。
そんな感じで、ねこたちも人間達もストレス無く暮らしてきました。
畑を荒らすネズミ達は、ねこたちが捕ってくれるし、ねこたちも十分な食事と夏は涼しく、冬は暖かい風雨を凌げる住屋を与えて貰う…言わば持ちつ持たれつの共生関係なのです。
海外の広大な牧場や漁港、裏町ではこのとびきり優秀なハンターを、町中の皆が大事にかわいがるため野良猫という概念がそもそも稀薄で皆で飼っているという感じです。
歴代の優秀なネズミ獲りハンターはその偉業を讃えて銅像が建てられたりもします、
少し異なりますが、日本の猫事情もかなり良くなっています。
有志の保護活動団体が、罠で捕獲し、それを無償で避妊、去勢活動をしてくれる獣医と連携し、地域猫として、皆で世話をする。(TNR活動)
猫を捕獲するボランティア、仔猫の世話をするミルクボランティア、保護した猫を人馴れさせるために一緒に生活する預かりボランティア。
様々な人々の協力により日本の野良猫事情もずいぶん変わってきました。
こういったねこたちを譲渡会という、言わばお見合いのイベントを開き猫と新しい飼い主さんを引き合わせるのです。
《飼いたい人が飼いたい猫を連れ帰る》そういう、単純な話では無く、数々の決め事があります。
例えば、完全室内飼いが出来るか?とか、猫を孤独にしないか?とか、猫と遊んであげられる時間は十分に取れるか?病院は近くにあるか?等の基本的な条件をクリアした上で、“トライアウト”と呼ばれるお試し期間があります。
言わば、貰われて行く猫と飼い主の相性を判断する期間です。
こういった活動のおかげで日本の野良猫事情は少しづつ良い方向に向かっています。
さて、最近は町中で野良犬を見かけなくなったのには気付いていますか?
行政が捕獲してくれているのですが、何故、野良犬は、ほとんど観なくなったのに、野良猫は減った印象が少ないのでしょう。
猫より犬の方が木に登ったり、素早く狭い所を逃げたりしない分、捕獲しやすい事もありますが、前述した通り避妊、去勢をした後、耳にその証である切れ込みを入れて、また離すからです。(この形が桜の花弁に、似ていることから桜耳=避妊、去勢済みの猫と呼ばれます。)
やはり譲渡会で人気が集まるのは、余り大きく育っていない仔猫です。
意外と知られていないのですが、猫が人に慣れたり、甘えたりするのは生後2~4ヶ月位までに人とコミュニケーションを取ることが出来た猫が大半を占めるそうです。
勿論個体差にもよりますが、若ければ若い方が人馴れしやすいようです。
こうして、仔猫や大人しい成猫はしばらく、ボランティアさん達が「ほ~ら。人は怖くないよ」と、愛情たっぷりに可愛がります。
そして“これなら、大丈夫”ということになったら、譲渡会で新しい飼い主との運命の出逢いを待つのです。
さて、通常日本の土地は都会の方に行ったり、ある程度の人口密集地になると、空地や田畑等のねこや鳥、狸、いたち、てん等…野生動物達が
のびのびと暮らせる場所は限られて来ます。
ちーちゃん家はそんな小さな生態系のある、里山と呼ばれる所の一角にあるのです。
この物語は昔から脈々と受け継がれて来た、ねこたちの一族とその中のねこたちが人々の心を救い、癒し、その存在自体が知らず知らずのうちに多くの人達を幸せにしていくお話です。
ねこが好きな人も嫌いな人も、半分夢で半分本当の不思議なこのお話を読んで頂ければ幸いです。