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「ちょっと西川くん、カオリンとなんかあったの?」
上橋さつきがそう言いながらつめよってきたのは、その三日後のことだった。俺が登校するのを待ちかねていたみたいに、教室に入ってきたばかりの俺のところにかけよってくる。
「え、ちょっとなんだよいきなり」
俺がめんくらっていると、先に来ていたタケがめざとく見つけてはやし立てる。
「カオリンって中村香織のことだろ? ニッシー、中村香織となんかあったのかよ?」
「知らないよ、別になんにもない」
俺があわてて言うと、上橋さつきがきゅっとまゆを寄せて怒ったような顔になる。ユウタも、気になってしょうがない、という顔でこっちを見てる。
「なんにもないわけないでしょ? カオリン、おとといから学校に来てないんだよ?」
「学校に来てない? 具合でも悪いの?」
タケがたずねると、上橋さつきは大げさに首を横にふってみせた。
「ううん。うちのママがカオリンのお母さんに聞いたんだけど、――カオリン、心の問題なんだって。病院に行ったら、そう言われた、って」
何かの秘密を明かすかのように、ことさらに重大そうな口調で上橋さつきが言う。
「なんだよ、心の問題、って」
そう言った俺に、上橋さつきはまるで被告人を追求する弁護士みたいにびしっと人差し指を突きつけてきた。
「西川くんのことにきまってるでしょ!」
「は? 何で俺が関係あるんだよ」
思わずトゲのある声で聞き返す。無表情をよそおっているけど、心の中ではドキッとする。心当たりがないわけじゃ、ない。
「だって、カオリンが急に不登校になるなんて、西川くんのことしか考えられないよ。最近、カオリンの話、西川くんのことばっかりだったんだから」
優等生ぶって熱心に主張する上橋さつきは、自分の言葉が教室中から注目を集めていることに気づいてない。いや、きづいているけど気にしてないのかもしれない。中村香織への友情と、正義感のために。
不登校、なんていうおだやかじゃない言葉を聞いて、クラス中の生徒たちの視線が、上橋さつきが正義感にあふれて責め立てている相手――つまり、俺にそそがれる。
「カオリンに、何かひどいことしたんでしょ?」
決めつけるような言葉。俺が犯人かどうか、判断するための最終確認。
「……ひどいことなんて」
――してない。
絶対にそう言わなきゃいけないところだったのに、俺のくちびるは言うことを聞かなかった。
生徒たちの目が、一斉に俺のことを見た、と思った。冷たい目。罪を責める目。
――否定しないの? やっぱり、お前が犯人なの? お前が女の子を、不登校にさせたの?
違う、そうじゃない。俺はなんにもしてない。
でも言葉にならない。喉がからからにかわいて、声が出ないんだ。
どこか遠くで、鐘の音が聞こえる。朝のホームルームが始まる時のチャイムの音だ。みんなは、俺から視線をそらし、ため息をついて席に着く。上橋さつきだけは、まだ俺のことをにらみつけている。
いつもと変わらない授業が始まる。でも教室の中の空気だけはいつもとまったく違う。ようやく教室に入ってきた担任の先生は、その空気にはきづかない。
俺はもう、その場にはいられなかった。
がたん、と大きな音を立てて、後ろにイスを倒しながらよろよろと立ち上がった。
みんなが首をくるりとこちらに回す。みんなの目が、また俺にそそがれる。
俺は、声を失ったまま、走り出していた。その場から逃げるように、教室を飛び出す。
驚いた担任の制止の声は、俺の背中に届かなかった。
好きです、と言ってきた相手に返事をしないのはひどいことだろうか。結局、あのメールが来て以来、俺はメールを返していないことになる。中村香織にしてみれば、あのメール以降ずっと俺が無視しているように思えただろう。
たぶん、ものすごく緊張して、ドキドキしながら中村香織は俺にあのメールを送ってきたはずだ。俺からどんな返事が来るのか、頭をいっぱいにして考えながら。
でも俺は言葉を返せなくて、そのままにしてしまった。だから中村香織は、いったんメールをなかったことにして、全部リセットして、元の関係にもどろうとしたんだ。
それなのに。俺はそのメールさえも無視した。無視したつもりはなかったけれど、結果的にそうなってしまった。
中村香織はどんなふうに思ったのだろう。
そう考えると、ひどい罪悪感が俺をおそった。あれは、やっぱりひどいことだった。
今からでも、なんか返事をしなくちゃ。
そう考えて、とりあえずたどり着いた公園のベンチにすわって、ケータイを開く。ここ数日は中村香織のことが気になって、こっそり学校に持ってきてたんだ。
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From: 中村 香織
subject: 聞いてほしいことがあります。
ずっとナイショにしてようと思ってたけど、もう、今日は言っちゃうよ!
こんなふうに色んな話をしてるのが、すごい幸せで、もっともっと涼介くんといっぱい話したいと思うし、できればそれは、メールとかじゃなくて直接会って話せたらいいなって思うんだ。
ホントはずっと思ってたんだけど、なかなか言えなくて。
あたし、涼介くんのことが好きです。
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明るい午前中の陽射しの中で、中村香織からのメールをもう一度読み返す。夜中に布団の中で見たそれとはなんだか全然違う気がして、不思議な気分になる。
これを書いた時の中村香織の心の中が、あの時よりもずっとはっきりと想像できるような気がした。
たぶん中村香織は、いつかこういうメールを送ろうと思っていたんだろう。俺にメル友になってほしいといったあの日からずっと。
はずかしくてなかなか認められなかったけど、多分、うぬぼれとかじゃなくて、彼女は俺のことを好きだと思ってくれているんだろう。好きだってのは、友達としてとかじゃなくて、多分……。
恋、だ。
恋ってなんだろう。正直言ってよく分かんない。
そりゃクラスにはつきあっているヤツとかもいるけど、あれって恋をしているんだろうか? そりゃそうだよな。つきあっているんだから。
俺は、恋なんてしたことない。ないと、思う。
そりゃあ女子のことを見て、かわいいな、とか話したいな、とか、あとは、その、さわりたいな、とか、そういうことを思ったことがないわけじゃないけど。でもそれが恋かどうかなんてどうしたらわかるんだろう。いくら何でもそう思うたんびに恋してるわけないし。
そういえば前、タケが別のクラスの女子とつきあって、すぐに別れた時に言ってたな。
「別に俺は相手のことが、そんなに好きだったわけじゃないんだけど、まぁかわいいし、告白されたら断る理由もなかったからつきあっただけだよ。だから急に『やっぱり好きじゃなくなった』とか言われたって別に痛くもかゆくもない。だから俺はふられたなんて思ってないんだ」
あの時は単なる負けおしみだと思ってたけど、結構本当のことかもしれない。告白されたからって急に恋するわけじゃないだろうし、必ず恋しなくちゃいけないんじゃそんな簡単にみんなつきあったりできなくなっちゃうもんな。
俺も、タケみたいに考えたらいいのかな?
そう思った時、俺は一番大事な質問を、自分にしていないってことにきづいた。つまり、俺は中村香織のことが好きなのかどうかってこと。
嫌い、ではないと思う。確かに話してて楽しいし、かわいいな、って思うことがないわけじゃない。
好きか嫌いか、と聞かれたら好き、だと思う。どっちかってことだったとしたら。でも、実際にはどっちか、ってもんじゃないだろう。
「そんなに好きだったわけじゃないんだけど、まぁかわいいし、告白されたら断る理由もなかったからつきあった」かぁ。タケのその気持ちはよくわかる気がする。
不意に子供の笑い声が聞こえて、俺はわれに返った。俺のすわっている公園のベンチの前で、三歳くらいの子供が三人で走り回っていた。とたんに、学ラン姿で昼間から公園のベンチにすわっている自分の場違いさに気づいてあわてる。
授業をサボってるヤツなんていっぱいいるけど、俺はそういうことしたいとは思わない。不良たちと一緒にされるのはまっぴらだ。
とりあえずメールだけ送って、学校にもどらなくちゃ。
ケータイを開いて無理矢理にでも文字を打ち始める。考え出すときりがないから、思いつくままに書いて送った。あたりさわりない内容でも、送らないよりはマシのはずだ。
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To: 中村 香織
subject: 無題
返事返さなくてごめん。
俺もまたメール送るから、色々話そうよ。
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