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 こうして俺は中村香織と、毎日一緒に登下校するようになった。

 周りから見たら俺たちは、仲のいい恋人同士のように見えただろう。実際、そういう風に冷やかしてくるヤツも多かった。地味で目立たなかった俺が、女子と二人で歩いているだなんて、自分でも奇妙に思うくらいだし。中村香織はクラスの男子に人気があったみたいだし(まだ仲がよかったころのタケに聞いた話だ)、やっかみのようなものもあったのかもしれない。

 二人で歩いているときはいつも誰かが遠巻きに見ているような気さえした。さすがにそれは自意識過剰だと思うけど。

 でも実際の俺たちは、そんな風に甘い感じでは全然なかった。俺はどうしていいかわからなくて、二人で歩いていても、ほとんど何もしゃべらない。中村香織だけだ、沈黙に耐えきれないように、時折みょうにはしゃいだ声で一方的にしゃべる。昨日のテレビ番組のこととか、クラスの誰かのバカな話とか、そういうどうでもいいことを。

 そんな話だって、俺がちゃんと相槌をうったりしていれば、恋人同士にふさわしい、楽しい会話になったのかもしれないけど、俺にはそういうやり方も、そうするべきなのかどうかもわからなくて、ただあいまいに笑ってるだけだったんだ。

 そんな状態でありながら、俺は確かに、中村香織の存在にすがってもいた。

 あのとき以来、俺は卓球部に顔を出さなくなった。タケと目が合っても、声を出すことができない。ユウタとは目も合わせなくなった。おどろいたことに、二人としゃべらなくなると、俺が話すべき相手は誰もいなくなった。もともとそれほど友達が多い方じゃないことはわかってたけど、まさかこれほどだったなんて。

 だから俺にとって、中村香織はいつの間にか、家以外で俺に話しかける唯一の存在になってしまっていたんだ。

 俺だけじゃない。中村香織の方もそれは同じみたいだった。あの不登校以来、中村香織の友達はほとんどいなくなった。あれだけさわいでいた上橋さつきも、「カオリンはまた学校に来るようになってから冷たくなった」と学校中にふれまわって、あっさりとはなれていった。中村香織は、「あたしもさっちゃんのお節介にはうんざりしてたから、ちょうどよかったの」なんて言ってたけど。

「涼介くんに嫌われたら、生きていけないよ」

 いつかの中村香織のそんな言葉を思い出す。テレビのラブストーリーなんかで使われそうな言葉だけど、何だか怖い言葉だ。

 世の中の恋人たちは、本当に相手のことだけしか考えられなくなったりできるものなのだろうか。俺にはそんなこと、無理だって思う。

「ねぇ、あれって斉藤くんだよね?」

 中村香織が耳元でささやいた言葉で、俺はわれに返って顔をあげた。中村香織が指差す先には確かにユウタが――斉藤っていうのは、ユウタの名字だ――いた。向こう側を向いていて、まだ俺たちには気づいてない。

 どうしてユウタがここにいるんだ? ユウタの家は反対方向で、学校に行くときにこの道を通るはずはないけど……。

 その理由はすぐにわかった。制服姿のユウタは、右手にスポーツバッグを持って、左手では小さな女の子の手を引いていたんだ。それで俺は、ユウタに幼稚園に通っている妹がいることを思い出す。ユウタの両親は二人とも働いているから、たまに妹を幼稚園に送ってから登校しているんだと、まだ仲が良かったころ、ユウタ本人から聞いたことがあった。

 妹のことを話すときにちょっと照れた様子で笑うユウタの優しそうな笑い方を思い出して、俺は少しだけ寂しい気分になった。

 その時。

 幼稚園の入り口で、手をつないでいた妹を保母さんの方に送り出したユウタが、振り返って――目が、合った。

 妹に向けていたのだろう、ユウタの優しそうな笑顔の余韻が、固まった。

 目だけが動いて、俺と、中村香織を交互に見て、すぐに目をそらす。

 俺も、ユウタのそんな様子を見ていられなくなって目を背けた。気まずい思いを抱えたまま、けれど何も見なかったふりをして、急いでその場を立ち去ろうとして、右足に力を入れた。

「斉藤くん!」

 耳元で、中村香織がそう言うのが聞こえて、俺は驚いて顔を上げた。唇をきゅっと結んで、何かを決意したみたいな、中村香織の表情。

 あわててユウタの方を見ると、ユウタも驚いた顔で中村香織を見つめている。

「どうして、涼介くんに嫌がらせをするの?」

 精いっぱい強がっているのだろう、中村香織の声は震えている。今にも逃げ出してしまいそうなのを、必死で耐えているような表情だ。

 それを押しとどめているのは、「正義感」だろうか。それとも、俺への愛情というヤツ? ……勘弁してほしい。

 中村香織の思いがけない言葉に、ユウタの目が大きく見開かれる。真っ赤になった顔が、中村香織にではなく、俺に向けられた。

 充血した瞳に込められているのは、怒りと、悲しみと、悔しさ――そして何よりも、恥ずかしさ、だ。

 ユウタが、大きく息を吸い込む。力を入れすぎて震えている唇が、何かを言おうと、開きかける。

「ふざけんなよ!」

 叫んでいたのは、ユウタじゃなくて俺だった。

 驚いた顔をして振り返った中村香織の身体を、力任せに突き飛ばした。

 悲鳴を上げた中村香織が、アスファルトの歩道に尻餅をつくが、怪我をしたかどうかを心配するような余裕はなかった。

 頭に血が上っていた。視界が、一気に狭くなったような気がした。全身を駆け巡る感情をどうにもできなくて、夢中で腕を振り回した。

「いい加減にしろ! これ以上俺をぐちゃぐちゃにすんな!」

 地面に倒れたままの中村香織にそんな捨て台詞を残して、俺は、その場を走り去った。

 振り返るなんて、できるわけもなかった。


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