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少女――、アメリカ

作者: せいいち

二十歳を過ぎたころ、一度だけアメリカを旅したことがある。

いわゆる、卒業旅行だ。一九八九年、男三人で西海岸を巡った。シアトルからサンフランシスコ、ロスアンゼルスと縦に下り、ちょっと東に折れてラスベガスにも行ったが、限られた持ち金を数えながらの「地球の歩き方」を模した旅だった。

二週間ほどの旅の途中、せっかくアメリカに来たのだからとさらに大回りをして巡ったグランドキャニオンは壮大だった。見渡す限りの土、石、岩で、これぞアメリカの原風景というべき見事な広さだった。

ただ、あの旅の想い出は、アメリカの大地が持つ大自然の中だけに尽きているわけではない。

グランドキャニオンは国立公園内をバスで廻るのだが、同乗者の中に同じ年頃の二人連れの少女がいた。学生の頃、しきりに観ていたハリウッド映画から空想する、アメリカ人が持つ自己主張全開のパワーはまったく感じられない、楚々として清廉な雰囲気をまとった二人だった。

西部劇に出て来るような広大な景観の中に遊んで、バスから降りては彼女らを観察し、バスに戻っては何とか近くに席を占めようと企てた。見たいところいっぱい、余計な妄想いっぱいの、学生という猶予期間失効寸前の三文旅行といえば、実にそうであった。

サンフランシスコからロスアンゼルスは鉄路で行くことにしていた。大きなアメリカを鉄道で縦断するという試みも、行く前からのわれら三悪人の愉快な企てだった。

あれから三十年――。その場所の記憶は、もう定かではない。

駅であったから、おそらくサンフランシスコ近辺のどこか小さな駅舎だったのだろうか。乗り換えだけのため、数時間ホームで待った記憶がある。そこで出会った少女が、記憶の中に今も鮮明なのである。

少女といっても、こちらは正真正銘の十歳にも満たない女の子である。気づけばベンチに座った私の後ろで、母親と思しき黒人女性と二人で鉄路をじっと見つめて立っていた。

まだ早い朝だったと思う。しかし駅がそれほど混み合っていたという記憶はないから、アメリカの辺鄙な片田舎の町だったのだろうか。おそらく置かれているベンチの数も少なかった所為もあろうが、少女は母親に手を引かれてずっと私の後ろに立っていた。

立って待つには二時間、三時間という時間は長過ぎる。さすがにどうぞとベンチを譲った。こちらにしてみれば、親切というより、自分の英語が通じるかどうかという若気の下心もあってのチャレンジだった。だがその時、少女が発した返答が鮮烈だった。

少女は私に向って、「You are a gentleman.」と返して来た。

断わっておくが私はなにもここで、ネイティブの英語を聴き取れたということを自慢したいわけでも、自分がしたことが紳士的な振る舞いであったと評価されたいわけでもない。言いたいことはただ一つ、十才に満たない少女が発した「You」に面喰ったということだ。

日本人なら、こうは言わない。「ありがとう」でことは済む。

行為を行った方も、こういう場合多くは返答に「Thank you.」を想像する。また、それでよいのだ。実際、ドキドキしながら母親に話しかけた私も、母親からの「Thank you.」のひと言を期待していたのだと思う。

だが、かたわらで手をつながれて立っていた少女が、母親に代わって発した言葉は「You are a gentleman.」だった。

あなたは紳士ですね。

直訳すればこうなるか。だが、この場合、少女が発した小さな思考を日本語に置き換えることに意味はない。

どこか淋しげな表情を浮かべた母親に手をつながれて立っていた、十才にも満たない女の子が発した「You」。「あなたは」と切っ先を突きつけられたようなひと言に、二十歳を過ぎた日本人の私は気圧されたのである。

あのアメリカの旅でおそらくこの体験が、紛れもなく現地を訪れることにより膚で感じることのできた最もアメリカらしい体験だったろう。少女の発した「You」には、アメリカという国が持つ優しさ、強さ、そしてすさまじく噴き出している現在のアメリカ社会に内在する混乱と嵐の来たる源が流れているような気がしてならないのだ。

十歳にも満たない女の子が発した、「You are a gentleman.」。

このような言語構造を基底にして成立した文化社会の中で育つ人間は、あのアメリカの自己主張の灰汁の強さを体現し、パワフルで、相手に向って目一杯に意見を押し通し、それでいてどこか優しくて脆くもあり、危険で、自分勝手さをあわせ持つ、人間という生きものの坩堝を開拓して来たような人々を産み落とすことになるのだろう。



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