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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

聖女礼賛、悪女退散

作者: 河辺 螢

 ある年、モングラチェリでは春を迎えても季節外れの雪が残った。ようやく温かくなりかけたところで雨が続き、日差しが充分に注がないまま肌寒い夏が終わり、農作物に多大な被害が出た。

 領主は備蓄していた穀類を解放したが、それでも足りず、誰もがひもじい思いをし、他領に夜逃げする者、飢えて死ぬ者が出てきた。


 そんな中、温かいスープやパンを提供し、領民の命をつないだ者がいた。

 となりの領フリューメンの領主の娘、エレイアだった。

 フリューメンもまた充分な実りを得た訳ではなかったが、父の反対を押し切り、自領や他領の貴族から出資を募り、自ら進んでモングラチェリまで向かうと、あちこちの広場で炊き出しを行った。

 エレイアの炊き出しを口にした者達は、飢えをしのぐだけでなく、不思議に不安が消え、力がみなぎった。

 正に聖女の力だ。皆、感謝しながらエレイアからの施しを受けた。

 辛かった一年が過ぎ、次の実りの時期が訪れ、モングラチェリは何とか持ちこたえた。

 飢饉の間、自分たちを支えてくれたエレイアを、モングラチェリの人々は讃えた。

 その後もモングラチェリの街角で炊き出しは続き、聖女の力のこもったスープの御利益を信じ、人々は感謝しながら口にした。

 その力のおかげか、モングラチェリでは人々は疲れ知らずで勤勉に働き、その年の収穫は1.3倍、産業も復興し、人々の暮らしは満ち足りていった。

 エレイアを称え、感謝を示そうとあちこちから多額の金が寄進された。エレイアはその金を次の街の炊き出しや衣料の提供に使い、自身は決して華美に装うことはなかった。


 冷害の年から五年後、モングラチェリの領主一家が病で次々に命を落とした。

 後に残された遺言では、あの飢饉の時に領を救ってくれた聖女様に領地を委ねると書かれていた。

 エレイアは自分には領地を治めるだけの才はない、として固辞したが、モングラチェリの民の後押しもあり、一旦エレイアが引き受け、父であるアダンが治めることで国王からも了承を得た。


 それから二年後、王都カエラムの街の片隅で、聖女エレイアの炊き出しが行われていた。王が治める地であっても貧富の差はあり、暮らし向きのよくない人々も少なくなかった。

 譲り受けた領地、モングラチェリで得た利益を人々に還す。その言葉に人々は感銘を受け、喜んでエレイアの手伝いをした。

 貧困地区に住む者達は空腹が満たされ、聖女に敬意を示した。聖女に礼をしたい、と勤労意欲を沸き立て、少し離れた農園や鉱山に出稼ぎに行く者も増えた。さすが聖女様、と人々はますますエレイアを称え、信奉する者は増えていった。


 ある日、一人の女が炊き出しのスープの中に何かを入れた、と捕らえられた。

 女はすぐに街の警備隊に引き渡され、事情を聞かれたが、女は

「怪しい物など入れていません」

と答えた。

「それならばこれを食べてみろ」

と、女が何かを入れた鍋のスープを差し出すと、女は何の抵抗もなく全て平らげた。

 他の者もいぶかしがりながら、一口口にしたが、鍋には特段変わりはなく、その後体調を崩すこともなかった。

 女は釈放されたが、要注意人物として記録された。


 それからも時々、炊き出ししている近くで、女の姿が目撃されていた。

 時々炊き出しの列に並び、共に並ぶ者に声をかけ、受け取ったスープに謎の調味料を振りかけることもあったが、特に腹を壊すこともなく、かといって味がよくなる訳でもなかった。

 本人は受け取ったものはそのまま持ち去り、その場で口をつけることはなかった。


 数日後、炊き出しの中に毒が含まれていた、と通報があった。

 とある鍋の炊き出しのスープを飲んだ者だけが急に腹痛を起こし、周りにいた者がその鍋の近くにこの前何かを入れた女がいた、と騒ぎ出した。

 すぐさま女の家に警備隊員が駆け付けると、女の家には謎めいた粉末の入った瓶が多数あった。それらを混ぜて何かを調合している様子も残っている。さらに、聖女をたたえた記事が壁に貼られ、そこには恨みがあるかのようにナイフが突き刺さっていた。

 これは怪しい、とすぐさま警備隊の本部に連れて行かれた。


 初め、女は自分がどうして警備隊に連れてこられたのか、それさえわからない様子だったが、鍋に毒が入っていたことを告げると、

「ああ、そうですか。…そうでしょうね」

と言った。

「おまえが入れたんだな」

 女は()()とも()()()とも言わず、それから何も話さなくなった。


 聖女様の施しに毒を入れた悪女のニュースは、あっという間に広まった。

 そして、毒入りスープを飲んだうち、体の弱っていた老人が命を落としたことから、人々は聖女様の善意を穢す悪女の死刑を求めるようになった。

 女の家は襲撃され、家具や日用品は勿論、家の中にあった全ての物が壊された。

 その話を聞き、女はにやりと笑った。

「これで、私が何を入れたか、わからなくなった訳ですね」

「やはり入れたんだな!」

 言質を取ったとばかり、取り調べをしていた警備隊員が女の胸ぐらを掴み、何度も揺らした。しかし、女はニヤニヤ笑うだけで、何も答えなかった。


「どうかその方を許してあげてください。きっと何か事情があったのでしょう」

 女が監禁されている警備隊本部の前で、涙を浮かべて懇願するエレイアに、人々はかくも心優しい聖女を貶める行為をする奴は許せない、と逆に怒りを沸き立たせた。

 聖女を崇拝する者達が警備隊本部に押しかけ、大声で罵声を浴びせ、投石するようになった。

 このまま暴動が起こることを恐れた街の関係者は、急遽女を「魔女」と認定した。家の中にあった妙な粉末も魔女の儀式に使う物であり、街の人々に害をなそうとしていたとして、死刑を執行することにした。

 エレイアはその処遇を嘆き、王都の支援者の家に閉じこもった。その間も、支援者による炊き出しは続いていた。


 街の広場に仕立てられた処刑場へ移動する間、聖女を信仰する者達は大声で罵り、石や泥団子、腐った食べ物などを投げつけた。

 女は頭に当たった石に苦痛の表情を浮かべたが、すぐに痛みをこらえ、あえて口には笑みを浮かべていた。

 処刑台まで行き着くと、集まってきた民衆を前に、

「それでは皆さん、五年後、あの世でお会いしましょう。先に行ってお待ちしております」

 それだけ言うと、斬首台の上に首を置かれても抵抗することなく、眼を閉じた。

 それを見ていた警備隊長が、

「待て」

と声をかけた。

「五年後とは、どういうことだ? おまえ、他にも何か仕掛けたのか?」

 女は時々投げられる石が当たり、顔を歪めはしたが、その場を動くことはなかった。

 執行人が指示を受けて、一旦女を斬首台から下ろした。

 女はさっきまでの白けた表情から一転、疲れた様子を見せ、溜息をついた。

「さっさと執行すればいいのに…」

「そんなに死にたいのか」

 警備隊長が叱るように言うと、女は強い語気で、

「聖女に殺されるくらいなら、ギロチンの方がましでしょう」

と言い切った。その言葉により激しく罵声が上がり、周辺から一斉に木や石が投げつけられたが、周りの警備隊員が押さえた。

「殺される、というのは? おまえは殺す気はないんだな?」

 女は警備隊長を睨み付けたが、警備隊長が自分を見る目が真っ直ぐで、偏見を持っていないことに気がつき、浮かべそうになった薄ら笑いさえも消した。

「…モングラチェリの住人は、聖女様の力で領を豊かにしました。休むことも、寝ることもやめて働き続け、聖女様に尽くし、元の住民の三分の一は五年以内に死にました。…私の父も、書いてもない遺言状で領を聖女様に捧げました。領では皆、幸せに暮らしています…、隣のフリューメン領の者達が」

 モングラチェリの旧領主ヴェルデ家唯一の生き残り、アデリーナは、集まった人々を端から端へゆっくりと目をやり、深く一礼した。

「聖女様の次の狙いは王都のようです。皆様、おいしい炊き出しで元気を出して、聖女様にお尽くしください、身も、心も、財産も。あの世で皆さんが来るのをお待ちしております」

 そう言うと、再び斬首台に首を置こうとしたが、

「待て、刑の執行は延期だ!」

 警備隊長の一声で、アデリーナは集まる人々の非難を浴びながら、元いた警備隊の牢へと連れ戻された。


 即座に聖女の炊き出しに使われた食材が押収された。

 使われていた物は大半が王都で仕入れた物だったが、その他に王都では見かけない黒い粉と白い粉が用意されており、その粉は必ず入れるように、と指示されていた。


 聖女エレイアとその支持者たちは参考人として呼ばれた。

 呼び出された時、エレイアは王都の支援者の家におり、大きくスリットの入った真っ赤なドレスを身にまとい、パーティにでも行くような宝飾品で飾り立て、ほろ酔い状態だった。慌てていつもの服に着替えようとしたが、そのまま連れ出された。

 エレイアは粉など知らない、と言いながら、炊き出しで出されているスープも、目の前で粉末をかけられた食べ物も口に入れることを拒否し、支持者たちを驚かせた。


 アデリーナは、その粉が何か知っている、とほのめかした。しかし話せと言っても口を閉ざし、脅せば脅すほど頑なになっていった。

 しかし、警備隊長が来て、これまでの聴取のやり方を一喝した。アデリーナは牢から出され、警備隊長の応接室で話を聞かれた。

「犯人扱いして悪かった。どうしてもこの事件を解決したい。頼む、協力してくれないか」

 それでもしばらくは口を開こうとしなかったが、出されたリンゴのジュースを口に含むと、ずっと我慢してきた緊張の糸が切れた。

 ほろりと一粒涙を流すと、ジュースを一気に飲み干し、

「二杯目もいただけるなら、話してもいいです」

と答えた。

 死を覚悟して聖女の信者にも警備隊員にも刃向かってきたアデリーナだったが、故郷の懐かしい味がするリンゴのジュースに心を揺さぶられ、自分が生き残った意味を考えた。そして自分の知る真実を、信用できる者に伝えることにした。


 家族を失った後、家に残る黒と白の粉末に疑問を持ったアデリーナは、モングラチェリの炊き出しに密かに潜り込み、似たような物が混ぜられていることを知った。

 こっそりと粉末を持ち帰り、両方が同じ物であることを確認した。

 その後、調べを進め、黒と白の粉はモングラチェリとフリューメンにまたがる山でしかとれない、珍しいキノコを乾燥し、粉末にした物だと判った。地元の者は黒いキノコには毒があることを知っており、口にすることはない。しかし、白いキノコと共に口にすることで、その毒を弱めることができた。

 大きな鍋に、黒いキノコの粉を1杯、白いキノコの粉を2杯。かつて奴隷に使われていた薬のレシピだ。味はほとんど変わらず、誰も気がつかない。白いキノコにより弱まった毒はやんわりと心を高揚させ、幸福感をもたらし、疲れを感じさせず、自らの限界を忘れて何かに没頭する、そんな作用があったが、定期的に体内に取り込み、休むことを忘れた者は早ければ半年もせず、遅くとも五年経たずに命を落とすことになった。


 エレイアはそのまま牢に入れられ、王の指示によりフリューメンの領主の館に捜査が入った。

 外観は古びた館だった。玄関や客が通される部屋は質素で寂れた印象だったが、私室とは扉で区切られており、扉の向こうはきれいに修繕を受け、至る所に絵画や骨董品が置かれていた。床の絨毯は舶来品で、部屋はもちろん廊下にも敷き詰められ、天井には美しいクリスタルの照明が輝いていた。領主の部屋のドアノブは金が使われており、異国の珍しい動物の剥製や毛皮もあった。エレイアの自室には日替わりにしても着尽くせないほどのドレスや靴が積み上げられ、宝飾品はもはや箱に入りきっていなかった。

 普段着ている炊き出し用の服は、質素なのは一番上の上着とスカートだけで、下着類は全て絹でできていた。炊き出しが終わると早々に着替え、普段質素な分、家の中では着せ替えごっこのように様々な服を取り寄せていたという。


 モングラチェリ、王都には支援者を名乗るエレイアの恋人がいた。

 恋人達は、エレイアが捕まったと知ると簡単にエレイアを裏切り、すぐにあることないことを織り交ぜて供述した。


 モングラチェリの炊き出しに使っていたのは、実際には元領主が飢饉の中提供した備蓄を横領したものがほとんどだった。

 聖女の炊き出しを、当初は領民優先のために遠慮し、後には怪しんで口にしなかった領主一家は、エレイアを熱狂的に信じる使用人の手により死の三ヶ月前からキノコを食事に混ぜられていたことも判った。最後は黒いキノコだけが入れられ、皆、命を落とした。実行犯の使用人もその後そう経たないうちに死んでおり、領主殺害については誰の指示によるものか、結局解明できなかった。

 聖女の思し召しのまま、奴隷のように働いていたモングラチェリの住人が減ったことで、ここ一、二年は収入も落ち込み、新たな労働力を王都に求め、炊き出しを行っていたのだった。

 国への税のごまかしも発覚し、エレイアの父アダンは領地を没収され、廃爵となった。


 ここまで対応が早かったのは、王都で今までにない死に方をする者が増え、王命によりその原因を探っていたからだった。異変は聖女の炊き出しがある地域に住む者に多く、街の警備隊も加わって調査を進めていたところだった。

 幸せな死に顔。

 王都の貧困地域や、王都に近い坑道で増えた、突然死する者達の共通点だった。

 聖女を憎む女、アデリーナの入れた「毒」が原因だ、と思っていた者も多く、捜査は難航していたが、ここにきてようやく解決を見た。


 ではアデリーナは何を入れていたのか。

 警備隊長はふと疑問に思い、アデリーナに聞いてみた。

「キノコの解毒薬です。まだ研究中だったので、いろんな人に試しましたが…」

 こちらもこちらで、人体実験を行っていた。

「自分も解毒剤入りのスープを飲んだと言うことは、ある程度効果はあったんだな」

「ええ、ありましたよ」

 アデリーナは自信たっぷりに答えた。

 確かに聖女の炊き出しを受けていても人々の高揚感はなく、死者も出ない地域があった。それがアデリーナが実験をしていた地域だったのだが、捜査を攪乱させた一因でもある。

 まだキノコの影響を受けている者も多くいる。早急に薬を飲ませ、解毒する必要があった。警備隊長は安堵の顔を見せたが、

「残念ながら、みんな壊され、潰されちゃいましたけどね。くっくっくっ」

 アデリーナの笑みは、ざまあみろ、と語っていた。


 解毒薬は家を襲撃されて全て使えなくなっていたが、アデリーナはその処方を覚えており、しぶしぶその知識を提供した。そしてその薬は実によく効いた。

 キノコの影響とはいえ、勤勉な労働者が減ったことは、国にとって良いのか悪いのか微妙ではあった。しかし笑いながら喜んで死ぬ者はいなくなり、ほどほどに働いてほどほどに賃金を得る、そんな生き方をありがたいと意識する者は増えていた。


 学生として王都で学び、故郷を離れていたために聖女の厄災から逃れたモングラチェリの領主の娘アデリーナには、父の領地を継ぐことも提案されたが、アデリーナは家族のいないモングラチェリには戻りたくない、と辞退した。

 やがて、モングラチェリ、フリューメン両地には新たな領主が就任した。


 アデリーナは王都の片隅で薬師として働き、少し風変わりだがよく効く薬を作り出した。

 怪しむ者には処方せず、信じる者には遠慮なく実験台となってもらうそのやり方は、合意の上で行っており、方針も明確できちんと記録もとられていることから、特に咎められることはなかった。

 時に患者から薬の効果に感謝を込めて

「まるで聖女様のようだ」

などと言われると、とたんに顔をしかめ、

「聖女なんかに頼ってたら死にますよ」

と答えたという。


ローファンタジーと言いながら、ファンタジー設定を現実で打ち破ってみようかな、という話。

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