半仮面の男
カンミ事件最終レポート。取扱注意。コンピュータ言語にデータ書き換え後、保存のみを行い、脳内音声を含む朗読行為は一部を除き固く禁ずる。
・計画失敗。D区画の完全処分を要求する。以下、実験の概略と観測者各個人の心境を含むレポートを添付する。
「暗示」。これが人類における全滅へ至る可能性があるとされる、ひとつの事象。事象といえるほど明確なものではなく、人間の持つ潜在能力、特殊能力とも言い難い。ひどく曖昧なものであるが、確かに存在する。今回行う「暗示実験」では、至って平均的、一般人と呼ぶにふさわしき(私を含む)70名を人工島D区画へ招集した。生活の保障は充分過ぎるほどだ。その70名には仕事・衣食住・娯楽など自由に生活をしてもらい、それを4年間続ける。主に活動はそれだけだ。ただし、条件がある。
・(私も含む)70名全員、D区画の住民を例外なく全て把握する事。
・住民同士、積極的に話をすること。
・他の住人や家族との会話の際、“ささいな嘘”を必ずつくこと。一つ以上。個数は問わない。
・“ささいな嘘”を言った側、聞いた側ともに“それは事実である”と思い込むこと。
・月に一度、D区画全域に回覧板を回し、ささいな嘘を明記。公開するかは自由。
・この場においてすべての行いが、罪にならない。
以上。人それぞれ違いが出ると予測される。報告書記入可能だった一年を記す。
初月、1月。回覧板を回収。そこには、本当にささいな嘘が書かれていた。例えば隣の家に犬が1匹いるが、火曜日にだけ猫に変わっているとか。今の家族と生みの親は全く別人とか。睡眠をせず、3日目であるとか。数多くの“ささいな噓”がそこには書かれていて、被る嘘がそこそこ有れど、法則は無くバラバラであった。
2月。一つだけ、特殊な嘘があった。「半分顔の隠れた男が、自宅周辺をうろついている。」この嘘のみD区画に住んでいる人に対する嘘ではなかった。“71人目がいる”と思い込む嘘。なおかつこの嘘は回覧板にて公開共有しているため、(私を含む)70名全員、71人目がいることが“事実である”と、思い込む。
3月。先月の“71人目の男”に引っ張られる嘘がほとんどを占めていた。その男は、茶髪の30代であるとか、杖をついているとか。半分顔が隠れている事の解釈も様々で、単に大きめのマスクを着用しているとか、仮面舞踏会のようなアイマスクだとか、左半分に大やけどを負い、包帯のようなもので隠しているとか。原点となる嘘をついた人物は2月以降、ついた嘘を非公開にしていた。その人物の名前をこちらに記す。
D区画住民No.37名前、観見羊平。
4月。存在しない71人目のイメージが徐々にではあるが、近づいている。左の頬から固定された薄い膜のようなもので左半分の顔面を覆っているという嘘が多く見られた。年齢や容姿、出現場所はバラバラだった。お互いの嘘が他人との会話によってすり合わされていくことは、当然であった。
5月。年齢が32歳で固定される。
6月。容姿は黒髪で、鷲鼻、右目は大きく見開き、ニキビ顔。これで固定。
7月。出現場所が、D区画住民No.2峠田弘の自宅玄関前、深夜2時頃に固定された。71人目の存在は70名全員の手で共通創作され、完成された。
8月。D区画住民No.2峠田弘・・・死亡。D区画住民No.37観見羊平・・・行方不明。
実験中止を即座に求めるも却下。実験中止は最低でも二年は必要とのこと。なお、組織から精神分析班の派遣を行い、(私を含む)69名のメンタルチェック、殺人あるいは死亡事故を偽装し、実験継続。
<追記>(自筆で走り書きされている)今、気づくのは遅かった。この段階で1人死亡、1人行方不明であるにも関わらず、70名→69名。
“1人減っていない”。元々、71名だった?これもD区画共通の嘘だった?
もしくはそう“思い込んでいた”だけか。・・・もしかしたら2人減って、“1人増えた”のか。私も記録係というだけで、実験の一部でしかなく全てを把握してはいない。この嘘まみれの実験場で確かめる術なんて存在しないんだ。いよいよ半仮面の男が近づいている。・・・気のせいだろうか。気のせいだよね。
8月末。メンタルチェック終了。D区画住民69名、異常なし。
9月。こんなことがあった。近所に住む主婦ふたりの話。半仮面の男が今さっき歩いていた、というのだ。会話において、相手が一日のどこかで確実にひとつ以上の嘘をついていると考慮しながらというのは、骨が折れる。世間話で嘘があるかもしれないし、この会話では嘘はないかもしれない。その後6人の住人と出会い、同じような目撃情報を聞いた。71人目の男を作った時点でこの嘘は予想できた。ただ妙なのは、ささやかな嘘から生まれたその男が・・・正確に一人のみ、この街を徘徊している。目撃情報を照合すると、寸分の狂いもなく時間と歩くルートが一致していたのだ。嘘から出た誠。共有幻覚。
10月。この実験は、精神の貧困と暗示の密接な関係を探るために行われている。生活の保障と人との交流、ストレスフリーな人工島。そこでの暗示は無害である、と。そのはずだったんだ。・・・今月、8人死んだ。もう、転勤や引っ越しでの隠蔽は効果が薄い。バレている。同じD区画住人にトラブルが起こったことを。こうなればもう、精神が加速度的に悪化する。実験としても破綻している。・・・いや、これによって精神状況と暗示の有害性、有毒性は“まったくの無関係である”ことになるのか。そういう実験だったんじゃないのか。もう、ここまで静観したのだ。何もせず見殺しにした。どうせただでは済まないだろう。本音を語ることにする。
11月。61名から49名へ。・・・12名死亡。もう、処理が追い付かずそのままにしている家もある。腐臭の報告もある。しかし、(私も含め)D区画の住民はささいな嘘をつき、そしてそれを真実と思い込む。そのルールは揺るがない。殺人鬼を名乗る者も出てきた。これはもう、“ささいな嘘”なのか?そしてそれを信じる行為。もう意味が分からない。それと半仮面の男の目撃情報は止む事は無い。常に行動し、そこに規則性は無いように思える。ただやはり、目撃情報が散らばることは無く、“たったひとり”の徘徊者。報告は以上。それとは別に、個人的な調べものを始めた。例えば、この実験が第一回目であるというのは嘘なのではないかと思うのだ。組織「(削除済み)」の成り立ちは国家の歴史とも言える。殺人鬼という言葉から、ふと思い出したのだ。確か戦前、戦時中だったか?その頃に起こった事件がある。とある村で、殺傷用に改造された散弾銃を手に村を巡り、村人三十四人を大量虐殺した男がいたような・・・。その男はその後自殺している。故に動機不明。住人がいなくなったため、村は壊滅。現在は廃墟と化している。・・・現状と似ている気がしてならない。事件の再現実験か?
時期を考えると、この実験はいったい何度行われたのだ・・・。その虐殺さえも、かつての“何か”を再現していたのか?“儀式”・・・?キリがない。私は現状に近い事件や事象を続けて調べようと思う。命尽きるまで。
D区画住民No.44猪戸 弦。
12月。生存者35名。半分。全滅は免れないか。事件を調べていくと、“蠱毒”という外国由来の呪術に行き着いた。壺に毒虫を多量に入れて争わせ、最後に残った毒虫を使い、毒殺などの害を成す、というもの。ま、こんなものはよく扱われるネタのようなものだが。ただ、もしそうだとするとこの実験は人材厳選ということになる。生き残った者は“何か”に耐性を持ち、“何か”に利用される。もし誰も耐性がない場合、村人三十四人殺しの男のように、1人を殺人鬼として処理する。やはり、私以外に役割を持った人間がいる可能性がある。その人間は・・・処理者とでも言うのだろうか。それと、このD区画住人を深く探ってみると分かった。皆(私も含め)、極端に横の繋がり、いわゆる親族がいない。この場で消え去ろうと大事にならない。行方不明で処理できる。平均的な一般人、この平均が国ではなく人類であるならば、これは妥当なのかもしれない。
人知れず生まれ、人知れず死にゆく。貧しき平均値。現実という認識ほどフィクションめいたものは無いのかも。
・・・そんなことより。この状況を打破するためにはどうすればいいのか。処理者の発見と制圧。それを行うには・・・。無理だ。嘘つきしかいない場で、探偵は成立しない。やはり、殺られる前に殺るしかなさそうだ。
1月。<これ以降、不規則な文字が羅列されている。解読不能。>
レポート終了。
即座に、実験島4区画の完全破壊を実行する。
完了。目撃者無し。
異常発生。本国にて、“半仮面の男”目撃情報アリ。
至急対処セヨ。
「・・・・・これは?」
「ひひっ。・・・いやあ。」
眼の中心を占める、黒スーツの似合わぬ男は下唇をつまみながら、ニアニア笑っている。
「いやぁねえ、このレポートはとある筋から入手したものでしてね。」
「はぁ。」
「あなたは、どう見ます?」
「どうって・・・?」
「これが、本当にあった事件なのか。」
「いや、まあ創作文でしょう。」
「ええ、ええ。っというのはどうでもよくて。」
「・・・・・?」
「この観見という人をあなた、知ってるんじゃないかと。ひひっ。」
「何・・・?」
「あなたも、観見でしたよね?」
「なっ・・・。どうしてそれを。」
「いやあ、偶然。たまたまですよ。知り合いの知り合いぐらいから知りまして。」
「・・・。」
「兄弟とか、居ませんかね。」
「いません。」
「そうですか、じゃあ・・・。」
「違います。僕はこんな事件に関わっていない。家族も皆、死んでる。」
「おお、それは。お悔やみ申し上げます。ひひっ。」
「何なんですか、あんた。」
「気味の悪い中年男性とでも思ってください。」ニアニア顔がへばり付いてる。
「じゃあ私はこれで。」すっとこの場から逃げ出す準備をする。
「ああ!そうですか。じゃあこれだけでも聞いていってください。」
「?」
「観測するには眼が必要だ。ただ、一つでは奥行きなどが曖昧で。三つでは先が見えすぎる。」
「・・・。」
「二つでこそ、眼と呼べるシロモノなんですよ。眼という言葉の絶対条件というのは、“ふたつ”という数も内包していると、いうこと。」
「宗教勧誘ならお断りします。」
「へへっ。やあ、そう思われますよね。ではさらに、宗教めいた話を。」
「結構です!」
「そう言わずに。」
「・・・。」
「月と太陽、そして地球。それらが点でなく線になる時。いわゆる日食と月食。」
「・・・イカれてる。」
「その直線に、別の星が混じる時が稀にあって。稀星とでも言いましょうか。そして、それを観測する者がいる。その方法は一切不明。現在確認できるのは5人。それを成した者は進化し、星の代行物と成る。地球の代行物。」
「何の話を・・・。」無視して続ける。
「その5人は、決して視えぬ星を見た。その手段として用いた部分・部位が星と繋がる。5人はそれぞれ五感、5つの感覚。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚で星を視た。かれらはその能力限定で人智を超えた。それが王を作り、国家を生み、思想・神話を語った。」
「・・・。」この笑い男は、それを照れ臭そうに眼を泳がせながら語る。恥ずかしいなら喋るなよ。まったく、本当の話みたいじゃないか。
「それから時が流れ現代。確定ではないんだけど、6人目。“錯覚”で新星を視た可能性が有るんだ。」
「はぁ。何か問題でも?」・・・さっぱりだ。でも、なんだろう聞くに値する話のような気がしてきた。
「例えば視覚が人を超えると、どうなるでしょう?」
「物が細かく見えるんですかね。」
「それも正解、“色”がさらに細かく見えたりする。あとは未来視や“死”が視えたりするかな。視界範囲内すべての時間経過を早めたり遅くしたり。物体を視た瞬間の動作に固定する事だって出来る。石化のようなものかな。」
「なるほど。神の御業ですね。本当なら。」
「ただし、こんなものは視覚外から殺せるでしょう?」
「・・・?」
「無敵ではない。それは他の4人も同じ。それと最大の弱点、人間は寿命が有るからね。ほっとけば死ぬ。」
「・・・。」
「問題はね。錯覚で新星を本当に視ていた場合。」
「何か困る事でも?」最初は帰るつもりだったのに興味深く聞いてしまっている。結局、好きなんだよね。こういう話。黒スーツのイタい中年は話を続ける。
「人を超えた錯覚とはどんなものか。あくまで予想だが星の記録・起こり得る事象を“気のせい”で処理できるのではないかと思うんだ。」
「気のせい?」
「否定。嘘。星の記録ミス。さらには“無い事を有る事に”・・・もしかしたら“死”をも否定し、真実へすり替えることが出来るかもしれない。」
「そうなると、どうなる?」
「不老不死が現実に発生してしまうことになる。」
「・・・?」嘘だ。起こり得ないよ、そんなこと。
「いいかい。地球の代行物が主たる地球さえ、いや、この宇宙さえ逃れることのできない終わりを克服する。立場の逆転。そうなれば、全ての秩序が崩れ、どうなるか分からない。」
「・・・。」
「ほかの五感と比べ、錯覚は人間由来の能力だからこそ危うい。それこそ“稀星を視たという錯覚”である事を祈るばかりだよ。」笑う中年男性は、ここが都会のすみっこではないかのように高らかに語った。
・・・というかここ、ショッピングモール内フードコートなんですけど。
いったい何の話を聞かされているんだ。
「話が大きくなり過ぎました。ええ、すみませんねえ。ひひっ。」敬語に戻る。
「あんた、“ちぐはぐ”だよ。」
「ああ?・・・ああ。ちぐはぐ。うーーん、そういう特性というか、代償というか・・・。」何やら物騒な言葉が聞こえた気がする。手元の小さな数字が書かれた単純機械がピピピッと鳴った。フードコートの料理出来ました音。
「いってらっしゃい。」
「あの、まだ話あるんですか?」
「ええ。」
「・・・はぁ。」うっとおしさ見え見えのため息をつきながら、出店のように並んだカウンターの一角、ちゃんぽんを主として売っている某店に向かった。よくこの料理待ちの間にあれだけの話を聞いたものだ。
「・・・・・・・あれ?」
そういや、何でこんなことになったんだっけ?何か買い物に来たところまでは覚えているけど。あと、空腹感も。あのおっさんは腹の虫か何かなのかな。
元居たテーブル席に戻ってきた。笑い男はいない。
「・・・・・。」なんだろう、それこそ“錯覚”でも見ていたのかな。ちゃんぽんを食べる。
するとそこに。
「あの、ここの席いいですか?」と。全く面識のない女子高生が立っていた。手には二つのクレープ。一つは苺にホイップクリームとチョコソースがかかっている。もう一つはこれでもかというくらい、バナナとチョコソースがかかったクレープ。連れの友達でもいるのかな。
「ええ。食べ終わったらすぐに離れるので、大丈夫ですよ。」と冷静を装いながら手で示した。
「ありがとうございます。・・・・・。」?なんだろう、僕が食べ終わるのを待っているような。それも急かす感じではなく、食べ終わったら話があるかのような・・・。
「・・・あの器では、あなたの拒絶感がひしひし伝わってきたんで。」なんか言ってる。ちょうどちゃんぽんを啜る音に掻き消され、聞き取れなかった。・・・そんなことよりその制服はどこの高校だろう?なんて考えながら。制服って現代の鎧ともいえる防御力というか攻撃力?鉄壁の儚さ?まぁ意味合いがあるよね。なんても考えながら。
・・・・・まぁ、うん。クレープ二つ両手に優しく持ちながら、ちょこんと座る姿は目の保養というか・・・可愛い。いつの間にか、ちゃんぽんを食べ終わっていた。
「ごちそうさまでした。・・・んと、じゃあ、ぼくはこれで。」いつもの外食では絶対言わないような感謝をのべ、席を譲る仕草をした。なんというか格好つけていた。
「待ってください。」
「?」メドゥーサに睨まれたかのように、びたりと止まり、僕に言ったことを確認する。
「クレープ、どうぞ。へへっ。」え、なにそれ。かわいい。ええ、間違いなく。・・・もしかして、年下からすると僕みたいなのがブームになってて、カッコいいとかなってるんじゃないか。モテモテ期がついに来たか。春です、母さん。
「貰っていいの?それ。」動揺がダダ洩れであることも気にせず、格好つける。
「いいですよ。長い間、話を聞いてもらいましたし、これから続きを話しますから。」
「・・・?」話?そんなのしたっけ?
「・・・あ。もしかしてこっちのほうが食べたかったりします?バナナスペシャル。」
「い、いや。大丈夫ですよ。こっちで。」二つ買って一つが僕の。ということは初めから渡すつもりだったのか。・・・ああ。逆ナンというやつですか。男女逆転したナンパ。いやあ、これは男としてまた一つ、箔が付いたなぁ。というか、飛び級。
「食べたかったら、一口上げますよ。二口はあげませんけど。えへっ。」おいおい。参ったなこりゃ。・・・デートじゃん。
「い、いいよいいよ。これだけで。・・・ありがとう。」視線を合わせれない。向こうは僕をジッと見つめている。まずい、化けの皮が剥がれる。クレープを頬張る。甘い、美味い。
「観見が、甘味を感じてる・・・。ふははっ」何かツボに入ったらしい。笑いながら、クレープにチビチビと噛みつく。リスみたいだなと思った。もちろん良い意味で。
・・・というより今。観見と言わなかったか。あれ、名乗ったっけ?
「名前・・・。」とつい口から洩れてしまった。
「私のですか?」違う・・・と言いかけて、ここで名前を聞いておくのもアリだぞ、と自分自身が抑止力となった。
「え、ええ。まったくの初対面ですから。」
「ううむ。ナマエかぁ。」困り顔をしているようだが、不思議なことに鼻先から下、口元の笑顔がほぐれる事は無い。楽しくてその顔をしているのでは無い。ただただ無意味な、そんな錯覚。
印象として、顔の下半分を覆う仮面を嵌められているような気がした。
・・・窮屈そうだと思った。
「なまえは、無いです。へへっ。」
「・・・・・?」はい?なんだって?
「概念というか、現象というか・・・。」
「え・・・?」何を言ってるんだ、この子は。
「んー、例えば。」また、例えか。さっきの笑い男も例えが好きだったな。ん?そういや、まだ話があると言っていたのに、どこに行ってしまったのだろう?
「例えば、ひとつの肉体にふたつの人格が宿ったとします。それが先天的後天的かは除外します。すると、表に出てくる人格に肉体とセットで名前を付けるでしょう?するともうひとつの人格は名無しになるわけです。」
「・・・ん。な、なるほど。」うむ。この子はズバリ、世に言う不思議ちゃんというやつだな。モテ期だと思っていた心が何か、しょんぼりしている。いやまぁ。さっきの笑い男然り、変人にモテてるということではモテ期なんですが・・・。そういやこの子、語りの間もずっと笑顔だな。
「元々は主人格の裏人格。
それがある時、ある日を境に他人に・・・さらにまた、ひとりの他人に移った。」
話し方もそっくりだな、と思った。思ってしまった。
「補足を少し。ひとつの肉体にふたつの人格があったとして、主人格になる方が優性人格と思ってるかもしれませんが違います。優勢であるからこそ、優先されるからこそ表に出ない、ということもあるんです。私はそれの極限まで最高の優先順位を誇る人格のようで。表裏、肉体の決定権全てを余すことなく掌握できるんです。」
「はあ。」補足も何も急に何?って言わせてほしい。ていうかもう言ってしまおう。
「それは何?」
「それが私です。」
「・・・?」
「さっきのおじさん然り、この女子高生。その意識は眠ってますが、それは“私”という外来人格に肉体を選ばれ、入り込まれてしまったからです。・・・へへ。」
「・・・・・。」
「そうですね、世界で例外なくたったひとりしか罹らない病、感染症のようなものです。他に移れば今までと何ら変わらず生活できます。」
「・・・・・。」大体わかった。ということは・・・。
「あんた、さっきの中年男性ということだね?」
「そうです。もう、彼は“私”がこの子に移って、何事もなく帰っていきました。」
「はあ。そうですか。はぁ~。」がっかりです、まったく。モテ期というか、謎の病気に好かれてしまっただけ、と。ショックで、いつクレープを食べ終え、ちゃんぽんの器を店に返しに行ったのか、まったく覚えていない。
「それで“ちぐはぐ”だったわけね。肉体にまったく心当たりのない意識が捻じ込まれてたわけだから。」なんて物分かりが良いんだ僕は。まぁ、完全に他人事ではないからだけど。
「そういうことです。」
「今はそんな“ちぐはぐ”さはあまり感じないんだけど、それは?」
「一番初めの肉体もこれくらいの女の子でしたから。やはり原型に抗えないものです。えへへっ。」なぬ?・・・二重人格の女の子。ホラー映画を思い出すな。
「意識とか人格に性別は・・・。」
「有りますよ。そりゃあ。」そらそうだ。そうじゃないと肉体によって人生が決まるじゃないか。たまにズレが生じるのもそれは人格と肉体が対等に近い関係性の証明で・・・。まぁ、この今、前にいる外来種は女性であるということだ。うむ、なら問題ない。と、何かと折り合いをつけた。
「よし、じゃあ話は引き続き、錯覚だっけ?」もう、この異常の理解はやめとこう。
「ええ、そうです。」
「錯覚というのは、実生活においてどんな時に関わっているのか、あまりピンとこなかったりするんだよね。」
「例えば、痒みです。」
「痒み?」
「これはヒト特有のいわゆる、清潔ゆえに起こる錯覚で。反射ともいえるんですけど。」
「結局、脳の誤認識とかいうもんね。」何か話が合い始めている。
「生物の中でヒトぐらいじゃないですか。“気のせい”で人を殺すとか、自ら命を絶つのって。だからこそ、この感覚を昇華させることは許されないんです。許しちゃいけない。無と有をごちゃ混ぜに出来る感覚が人の手を離れてはいけない。ふふっ。」その声は真剣そのものであったが、やはり仮面は砕けない。笑ってやがる。
「確かに危険かも。」
「ええ、かなり。」
「でも、その五感+錯覚っていうのは、結局脳信号とかではなかったでしたっけ?」
「そうです。世界は単純です。ただそれでは、先に行けませんね。結局それも思考するのは脳で、始まりは“かもしれない”という錯覚めいた衝動からなんです。」
「?頭がそろそろ追いつかなくなりそうです。」
「人がヒトを考えると、答えが出ないということです。へへっ。」外見的には、恋愛哲学とか触れてそうな女子高生が、宇宙や人類を語るとか。人格違いは置いといて、なんというか不思議なギャップ萌えというやつです。女子高生の皮を被った、何かが語る。
「あと、そう仮定したとしても私のこの能力の説明がつかないんですよね。意識そのまま記憶そのままで他者へ移るという。」
「そうですね。私も・・・。んん。」おっと、口が滑る所だった。何もない何もない。
「あ、その機嫌を損ねず聞いてほしいんですけど・・・。」
「なんですか?どうぞ。」何か嫌な予感・・・。
「あなたの肉体にも実は、一度入っていまして。」
「なっ・・・。」
「すみません。」
「何してるんだ!!」声を荒げる自分。自分自身でも驚くほどの咆哮。
「・・・ひひひ。」
「笑ってんじゃねえ!!!」いまさら、何を怒っているのか。そんな可能性ほとんど確定的だったじゃないか、という自分の声をさしおいて、何かに怒っていた。
・・・・・秘密を知られた。
「・・・・・。」しばらくの沈黙。破ったのは女性の声。
「あの・・・。観見さん。あなた、何者なんですか?」
「・・・。」
「私、初めてですよ。自らの意志関係なく、肉体から追い出されたのは。」
「・・・。」
「あなたも・・・。もしかして、私と同じ?ふふ。」目の前の少女は笑っている。おそらくいつも表に出て来ない“彼女”がわざわざ似合わぬおじさんに移り、今もこうして話しかけているのは・・・。独りではなかったと、そう思うため。
「違う。」
「じゃあ、なんで?」
「言いたくない。」
「この、カンミ事件が関わっているんですね。」
「・・・。」
「始めに、あの中年男性に私がいた時、こう言いましたよね?
“このレポートはとある筋から入手した”と。」
「・・・。」
「あれ、観見さん。あなたのことなんです。へへ。」
「・・・。」
「あなたに私が入り込んだ少しの間、その時、見た記憶・記録。その中にこれが。」
「・・・それをわざわざ書き出してここに持って来た、ということか。」
「はい。・・・あなたはやはり、観見羊平さん、ですね。」
「どうだろうね。」女子高生の皮を被った“私”は少し声色を変え、語り始める。
「今まで、つらつらと錯覚の恐ろしさや星視る話をしましたけれど、実はそんなものあなたをこの場にとどめるエサでしかなかったんです。」
「・・・。」
「私は、もう何も感じません。長く裏に籠り過ぎたのでしょう。笑顔は張り付いていますが、本当に笑ったり、泣いたり怒ったり。そんなことは一度だってない。ひひ。」
「・・・。」
「入力機能は優れていても、出力機能が他人の肉体、借り物であれば感情というのは、無駄なんです。」
「・・・それが何か。」
「秘密って、交換するものですよね。へへ。」
「・・・はあ。」荒っぽい交渉だな。でも、喋る気になっている。これまでの彼女を知ってるから。
「教えてください。」
やれやれ。この体の秘密は、これで二人目になるかな。教えるの。ここまでさらけ出されては、少し喋ろうか。
「例えば。」“彼女”の話し方を“まね”する。
「例えば、鏡あるでしょう?自分の姿かたちを写す道具。・・・あれって、反射率100%ではないんです。」
「そうなんですか。」半仮面の少女は聞き手にまわる。
「99.9%と100%の差には明らかに大きな溝がある。」絶対など絶対無い。
「人間誰しも、自分の顔すら正確には知らないんだ。」
「いいですね、そういう話は好きですよ。へへ。」
「ならば、ドッペルゲンガー。これはご存じですか。」
「ええ。自分そっくりの他人。見たら死ぬと言われている都市伝説ですね。」
「・・・。簡単に言えばこれなんです。僕は。」
「・・・え?」
「“出会ってしまった”。ただ、そのきっかけは“ささいな事”で。」
「・・・。」
「ただ、この場合、姿かたちが同じということではなかったんです。同じなのは魂のカタチ。」
「魂のカタチ?」
「貴女が話してくれた人格のお話。あれです。酷似する人格。いや、100%同一の他人格。」
「そんなことが?本当に・・・。」少女は笑顔を崩さず、思い悩む。
「都市伝説で、ドッペルゲンガーを見ると死ぬとのことでしたが、まあ、似たようなものでした。出会ったその瞬間、二つの人格が一つに集約し、固定された。」
「それが今のあなた、ということですか?・・・・・なら、もう一つの身体は?」
「それは、秘密。」
「ちぇ。」
「つまり、君は“肉体を離れても存在を続けるほどの人格強度”。
に対して、僕は“一つの肉体に、二人を作れるほどの人格質量”。」
「ふむ。」
「僕は単純に“量が異常に多い”というだけですよ。人格・意識に“多い少ない”というのがあるか分からないけど」
「なるほどです。」
「だから、ごめんね。」
「?」
「僕は、君と同じではない。人間としての在り方が稀有なだけだ。」
「ああ、そんなことですか。いえいえ全然問題ありません。少し残念ですが、表に出てきた甲斐がありました。へへ。」その笑顔は偽物とわかっていても、本物のように温かく感じた。懐かしい感覚。
<観見羊平の過去>
・・・・・・・少し昔。観見羊平、幼少期。1人で秘密を抱えるには限界があった。
児童公園の砂場にて。涙目で砂をいじる少年。まるで群れをはぐれた羊のようで。
「ぼく、一人かい?」
「・・・!」壺を持つ浮浪者が一人、話しかけてきた。今すぐ逃げる支度をする少年。
「・・・・・。私も一人だよ。」汚らしい老人は砂場に座り込む。
・・・その背中は哀愁を纏い、その眼には光があった。
・・・子供ながらに、そう思ったのだ。
少年は、もう一度座り直し、砂場で山を作る。この公園で一番注目を浴びる、そんな砂山。
老人は、壺を傍らに置き、手伝っている。黙々と。ただ、黙々と。・・・砂を集めている。
とりあえず、今日の砂山はよくできた。その時にはもう、この老人を受け入れていた。
「おじいさんは、何をしているの?」
「ん?・・・何もしとらんよ。」
「おしごと無いの?」
「ああ。」
「・・・でも、砂山つくる仕事はてつだってくれた。」
「ああ、久しぶりの労働じゃったわ。」
「ともだちとかは、いないの?」
「妻が居ったよ。何年も前に失くしてしまったけどの。」
「死んじゃったの?」
「ああ。」
「・・・かなしいね。」
「ああ。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「その壺は、なに?」
「・・・この壺は、妻と海に行った時に、拾ったんじゃ。」
「へー。」
「少年。」
「ん?」
「子供らしくあろうとする必要はないぞ。」
「・・・!」
「それは人間らしさではない。
個々の在り方を年齢で束縛するのはハッキリ言って、気味が悪い。」
「おじいさんは、おじいさんっぽいのに?」
「ずっとこんな感じだったよ。年齢は後から来た。」
「そ、そうなんだ。僕が、子供らしさを演じてるってどうして思うの?」
「それじゃよ。」
「?」
「会話できる人間てのは、子供とは言わない。」
「そんなことで・・・。」
「少年よ、君は一体何者だ?」
「僕は僕だよ。」
「・・・そうか。なら、いいさ。」
「おじいさん。」
「?」
「その壺、水が入ってるよ。」
「ああ。これな。これはな・・・海じゃよ。」
「う、海・・・?」
「この壺は、海を知っている。だから、ここに水と塩、海藻。あとは色々入れてな。継ぎ足したり、捨てたりしながらいずれ、完成を待ってる。・・・もう、“20年”になるか。」
20年。
老人は、海で拾ったこの壺でもう一度、亡き妻へ海を見せたい。と言った。
それは、海を作ることよりも、妻に見せるということが。有り得ない事だとしても。
それは、この老人がただ、あの瞬間あの場所の海を知るのは己と壺だけで、その記憶を忘れたくない。ただそれだけだとしても。
それは、過ぎ去った過去に戻る、決して叶わない魔法だとしても。
僕(観見羊平)は、
それまで出会った大人子供、
そしてこれから出会う大人の中で
もっとも、美しい在り方だと確信した。
「どうした?少年。」
「いや、何でもない。・・・完成すると良いね。」
「ああ。確信はないが、もうすぐじゃよ。」
「・・・。僕にも秘密があるんだ。」
「おお。話す気になったかい。」
「僕は一人しかいないけれど、体が二つあるんだ。」
「ほう・・・!」
今いる少年の身体と、どこかで生活をする少し年上の子供。その感情、破損個所、位置、その他諸々が、一つの所へ集まって整理されている。優先は観見羊平にある、ということ。
言葉に出来る範囲で、老人に話した。
「君を分析すると、もしかしたらイデアの証明に行き着くのかもしれないな。」
「イデア?」
「物の本質。」
「なにそれ?」
「私も、よくわからん。」
「ありゃりゃ。」
「しかし少年、見る限り虚言癖があるようでもない。本当の事のようじゃな。」
「うん。」
「私はしばらく、このあたりに居るからいつでも話を聞こう。」
「うん!」
「また、会おう。」
翌日、公園向かおうとすると、母親に止められた。なんでも、今あの公園には頭のおかしな老人がうろついているそうだ。そうか。それが当たり前の常識というやつで、昨日の出来事なんて非常識な、いけない事だったんだろう。なら僕の存在も・・・・・。
あの児童公園に、子供はおろか散歩をする大人でさえ近づくことは少なくなった。
観見羊平は、親族とも友人とも、ひとつの大きな仮面を被りながら生活を続けた。
それからしばらくして、壺の老人は死んだ。
聞いた話によると、
死因は老衰ではなく・・・・・溺死。
そして、どこにも壺は無かった。
水無き陸地で、いったい何が起こったのか。
観見羊平は、過去へ至る海壺が完成された、その結果であることを祈る。
人知れず泣いた。声をあげて、えんえんと泣いた。子供らしく泣いてしまった。
それからはひとりだった。
<観見羊平の現在へ>
「観見さんは、何故このレポートを?」
「ああ、それね。」
「暗示実験はあったのですか?」
「・・・確かにあったよ。」
「なら何故、あなたは生きているんですか。」
「あの実験は“ささいな嘘”を一つ以上という条件があったろう?」
「ええ。」
「一つ以上ということは、“すべてが嘘”でも条件違反にならない。」
「・・・。」
「もちろんそんなことは無いけど。あのレポートはね、ところどころ逆なんですよ。」
「逆?」
「半仮面の男がいるということだけが“真実”で、その他が“嘘”だったとしたら・・・。」
「真実?」
「なにせあの場では、全ての行為が罪にならないのだから。条件すら破ってもいい。」
「・・・。」
「観測者と処理者も、逆だよ。」
「・・・猪戸弦が処理者ということですか。」
「ああ。・・・僕が行方不明になるまではシナリオ通りだった。」
「そこで、謎の死人が発生してしまったと。・・・いや、それすらも嘘?ひひ。」
「・・・。」この実験の参加者に選ばれる非公開情報。
「・・・あの実験に選ばれるのはもう一つ、大きな条件があった。」
「・・・それは?」
「“寿命が四年より短い”、ということだ。」
「・・・!」動揺する女子高生。崩れぬ笑顔。
この実験は・・・何をどうしようが全滅。
シナリオの上にある全滅。
実験結果の如何が
どうあれ、待つものは・・・・・全ての死。
「じゃ、じゃあ失敗しようと完全処分する必要なんかないんじゃ?」
「そうだね。でも、組織というのは万全に万全を重ねるものだよ。」
「そんな・・・。」
「?まるで、組織を知らないみたいな言い方だね。さすがに接触があっただろう?その特性、奴らが無視するはずがない。」
「この国に来たのは、最近なんです。というか、人格感染に限界距離なんて無くて。思考能力が人間程度ならば地球外生命体ですら、移ることが可能です。ま、経験ないですけど。」
「そうなんだ・・・。じゃあ、ほんとに知らないんだ。」
「ただ、別国で、似たような組織?と交流はありますよ。出会い頭に話した星と錯覚の話は、その組織からの依頼みたいなものを受けて知ったんです。へへ。」
「そうなのか。じゃあ君は本当に気まぐれでここにいるんだね。」
「うん。」そういや。ここって・・・・・フードコートじゃん。何をこんなSFまがいのお話を真剣にしてるんだろう。まあ、注意されないし問題ないってことかな。せめて、そろそろ飲み物でも買ってくるか。
「君・・・。飲み物買ってくるけど、何かいる?」
「・・・おしるこ。へへ。」
「飲み物かな、あれ。・・・まあ、分かったよ。自販機行ってくる。無かったら、水でいい?」
「その自販機で、一番甘そうなものを。」
「わかった。」甘味が好きだな、ほんと。
・・・だから僕も気に入られているのか?なんて。
自販機、到着。おしるこ有り。スポーツ飲料売り切れ。
「ま、僕は水でいっか。」突如。
ボタンを押す動作を拒むような強烈な・・・頭痛。
「・・か、は・・・・っ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。ふう。」
遠方に、こちらを見つめる“誰か”がいる。
その“誰か”は、顔をこちら向きに固定して、走り出そうとする。
「大丈夫だ!!・・・お前は来なくていい。」左手で目頭を抑え、右手のひらを“誰か”に向け、そこで止まれと強く命令する。
「・・・・・あの少女は、敵じゃない。・・・そう警戒するな。」
「・・・・・。」
その“誰か”は無表情だった。命令に従うようだ。
いや、無表情なのは、半分だけで。
もう半分は、・・・仮面に隠されている。
半仮面の。“誰か”。二人目のぼく(観見羊平)。半身。
魂なき、空っぽな、がらんとした器。
フードコートにまばらな人々。学生、家族連れ、老人。
いつもの席に、女子高生は・・・いなかった。僕は気にすることなく、同じ席へ座った。
タッタッタ・・。
もしや。と。そこに、またクレープを持って現れた笑顔輝く女子高生。名無しの彼女だった。
そして、クレープは自分の分だけ買っていた。今度は、いちごスペシャルらしい。
「そういや、お金はどうしてるの?」
「え?」
「お金。」
「私のお金で買ってますよ?」
「え。身体は他人の・・・。」
「ん?今はこれが私ですから。」
「・・・ううん、ごめん。何でもない。」
「?」そうだよな。そんなこと気にしたら、この子の所有物なんて一つもないことになる。そう考えるより、彼女はもっと自由であるべきだろう。それで良い。
・・・・・海壺の老人を想いながら思う。
「話。会話をもっとしましょ。へへ。」
「うん。いいよ。」
「この実験開始から、現在まで何年経ったんですか?」
「3年と一か月くらいかな。」
「じゃあ、もうすぐあなたは・・・。」
「遠慮しなくていい。」
「死ぬんですか。」
「うん。そうだね。」
「あなたの短命の原因は、やはりその、身体と人格にあるんですか。」
「うん。君は人格の強度、あと身体との相性が万人例外なく良いんだと思う。だから、間に摩擦も、綻びも起きない。」
「そうですね。私が入ることが原因で、死に至ったことは今までなかったと思います。むしろ刺激されて細胞や心が長生きするケースは数多くありました。へへ。」
「へえ・・・!それは良い事だ。・・・僕はね、平凡なんだ。身体も。その容量も。」
「それは、二つとも・・・?」
「ああ。だからどちらかに大きな負荷がかかる。僕の場合は身体だね。」
「身体・・・?」
「同じ容量のバケツを二つ用意して、ひたひたに水を入れる。それから。・・・そうだね、バスタブなんかが良いかな。そこに水を移して、空にする。」
「空になったバケツが二つ。その一つで、四分の一くらいまで水を入れ直して、そのバケツは終わり。残りの水をもう一つのバケツに入れる。そんなイメージかな。」
「そんなの、入らないんじゃないですか?」
「そう入らない。そのバケツと水が、僕(観見羊平)なんだ。どちらかを合わせるために何かを犠牲にしなけりゃならない。」
「・・・それが、寿命ということですか。」
「うん。」
「寂しいですね。それは。・・・へへ。」
「案外そうでもないよ。」
「観見さん、あなたは今何歳ですか?」
「25歳。」
「・・・確かに、老けて見えますね。へへ。」
「傷つくよ・・・。」
「ごめんなさい。でも、それにしては」
「?」
「寿命が短すぎる気がします。」
「ただ、生活するならもっと、長く生きれたのかもしれないね。」
「・・・。」
「僕は、この実験の始末をつけなくちゃいけない。」
「それは・・・。誰かを殺すのですか。」
「ああ。ただ、こちらから仕掛ける事は無いよ。正当防衛になるだろう。」
「猪戸弦、ですか。彼が処理しに来ると。」
「間違いなく。」猪VS羊2匹。勝敗は明らかだが。
「僕はこの特性で、秀でていることもあるんだ。」
「?」
「遅延のない伝達。100%の連携。」
「・・・。」
「本当の連携プレーって実は誰も見たことないんだよ。だって、どこまで擦り合わせようと他人だからね。唯一僕たちだけなんだ。それを見せれるのは。」
「それで、人殺しを返り討ちに出来るんですか。それが心配です。」
「心配なんて。ありがとう。・・・寿命以外で死ぬつもりはないんだ。」
その言葉に迷いはなく、寿命についても、嘘は無かった。それを躊躇わず受け入れる人生。そこに憧れる観見羊平の2つの目には、確かに光が感じられた。
「だから、君には僕の寿命が尽きるまで、この件については不介入でお願いしたい。」
「・・・そうですか。分かりました。」
「ありがとう。この実験で、獲得できる利というのが何なのか。僕には解き明かせなかった。」
「・・・どうにか、寿命を永らえる手段はないんですか。あまりにもあなたはひとりきり。」
「ふたりっきり、だよ。・・・そうだね。もしそんな手段があったとして。僕はもしかしたらそれを、選択しないかもしれない。」
「どうして?」
「二人の人生を細かく経験したから分かるんだ。
どちらの人生が美しいとか、優れているだとか、楽しい苦しいとか。
そんなどうでもいいことに価値を問う。
・・・僕はね、すべてが冗談でいいと思うんだ。
人生賛歌できるほどかな、この世界。・・・直視するほど汚れているし、つまらない。
僕は、この地に縋る気持ちは特にない。
・・・まあ、ここまで言っても殺されるのだけは嫌なんだけどね。へへ。」
「・・・・・。」
がたがたの笑顔を見せる観見羊平。それを、無言で見つめる笑えない笑顔の女子高生。
空白の時間。静寂。出会うべくして出会ったふたり。それは偶然か、必然か。
・・・もしかしたら、「暗示」によるのかもしれない。
鋼鉄のような風が吹く冬の終わり。2月の出来事。
観見羊平は、一人になった。どう、話を切り上げたのかはあまり覚えていない。
笑う彼女はもう少し、ふらついてから国に帰るとかなんとか、言っていたような気がする。そういや、女子高生のままどっかに行ってしまったな。あの子の本来の家庭は心配するんじゃないか。失踪届けが出されたりするかも。ま、他人の心配をするほど余裕があるのが不思議だよ。僕。
・・・おそらく、春は迎えられないってのに。
帰路。外は突き刺すように寒く、歩くという最小動作のみで、あまり熱を消費したくない。
家はある。1人暮らしのアパート。例の実験で言われている生活の保障はまだ続いている。私が実験失敗の要因だというのにだ。なんというか小さく見られているのか、組織というのが大きすぎるのか。
あの人工島から出てはならないという規則は無かった。だから私たちは逃げ出した。
僕ともう一人の僕。そして、猪戸弦を除く30名も一緒に。(・・・逃げられなかった多数の犠牲者。)
一年をかけ、僕の特性を生かし誘導した。まるで全滅へ近づくように、偽装して。
無人の人工島。
正確には・・・猪戸弦のみが取り残された人工島だった。そして。人工島の完全破壊。そこには猪戸弦という一人の人間の死も含まれる。はずだった。
彼を殺そうとしたのは間違いなく僕だ。その僕を、殺しに来るのは必然で。
ただ、それを素直に受け入れるほど大人ではない。醜く抗って抗って抗う。その先に死が待ち受けようとも。猪戸弦は殺しのプロだ。本職は殺人。組織の暗部。
ならばこちらも全力で。真後ろに控える頭一つ分大きな、半仮面の男。もう一人の僕。
自宅前。そこには3名の黒服が待っていた。・・・知らない奴ら。
「観見羊平さん。ようやく見つけました。」
「・・・。」油断なく、距離と構えを取る。
「この始末は、真剣勝負で。との命令です。いわゆる殺し合い。」
「・・・。」今、ここで。始めるのか。
「相手は、我々と猪戸弦。終了条件はどちらかの全滅。勝者は罪すべての免除。」
「・・・いいよ、それで。」半仮面の男を右側へ立たせる。そして柔道の構え。
「ここでは、あれでしょう。場所は郊外山中の廃病院にて。目撃者は無しが望ましいので。」
人数差による余裕なのか、口元が緩んでいる。戦いは数だとでも言いたいのか。
「肝心の猪戸弦が見当たらないが?」
「彼は、廃病院で待っています。なんでも我々に任せるとの事で。」
「へぇ。」・・・瞬間。背後に異様な数の足音。振り向くと、そこには、軍隊を思わせるほどに夥しい数の黒服、黒スーツの大人が左右に分かれ、道を作っていた。300人近くはいるのかな。何かのパレードみたいだ。その人でできた道の先に二台の車が止まっていた。一台は私たち。もう一台は三人の黒服。廃病院までの片道タクシー。
ここまで人を動かすとは。たまげたな。大国の大統領になった気分だ。
黒服の大人で作られた真っすぐ道の途中。ふと。
「観見さん、凄いことに巻き込まれてますねぇ。・・・ふふっ。」
・・・なんて。気のせいだろう。
移動車中にて。
「・・・。あの三人は、問題無いか。」観見羊平は、静かに分析する。
「問題は、やっぱり。」猪戸弦。息をするように人を殺す、殺人機械。
「最悪、どちらかの犠牲で・・・。」と、隣にいる半仮面の男を横目で眺める。
「・・・・・。」喋らないどころか、呼吸以外を停止している。
半仮面の男。もう一人の僕。観見羊平を“僕”“羊平”“羊”。二人目を“半仮面”“彼”と呼称する。彼は基本、自動運転のようなもので生活している。彼の人格が僕(観見羊平)と混ざってからというもの、彼の身体は僕が動かしているようなものだった。分かりやすく例えるとオート操作とマニュアル操作に切り替えられ、通常はオートで生活している。
オート操作では、僕ひとりのみを意識的に動かすだけで、彼は“生存”と“観見羊平の生存”のみを目的として自動的に行動する。
マニュアル操作では、ひとつの意識でふたりを動かす。文字通り、二人の観見羊平。
四つの目、八本の手足。二つの心臓。それを一切の遅延なく動かす。
マニュアル操作の問題は、寿命が加速度的に縮むこと。マニュアル操作に切り替えられる時間はあと、3分程度。それ以上は生存率が30%未満。5分以上では、5%未満。
・・・顔半分が焼け爛れた理由もこの能力の弊害であるのは語るまでもない。
彼(半仮面の男)は“自らの生存”より、“僕(観見羊平)の生存”を優先する。
それは、最上の自己犠牲。他人のための人生。人のような人形。
・・・“僕”と出会わなければ、“彼”は幸せな家庭なんかを築けただろうに。ごめんね。
「・・・ごめんね。」言葉と心で投げかける。
「・・・。」もちろん、その言葉に返答はない。
「もしかしたら、僕の寿命が尽きて。それからやっと君の人生が始まるかもしれない。」
「・・・。」返事はない。
「そうなることを僕は祈り続けるよ。・・・祈りはいつかどこかで叶うだろうから。」
「・・・。」返事はない。ただの自動人形だ。
廃病院、到着。二台の車はそれぞれ、正門と裏口に別れた。
(開始条件)廃病院に足を踏み入れた瞬間。
(勝利条件)相手側の全滅。
(敗北条件)全滅。or廃病院からの外出→即、死亡扱いとする。
所持品は自由。廃病院内のものなら、使用自由。
四階の廃病院。エレベータ稼働中。
行動開始。
裏口から観見羊平は、入場した。正門側から三人分の足音が聞こえる。しばらくすると、正面入り口のドアを開き、隙だらけで足を踏み入れる。統率の無い、三人衆。観見羊平は一階非常階段前で普通に立っている。その挑発ともとれる立ち姿に、焚きつけられた黒服三人は、怒声をあげ、駆け出した。
「おい!!」「おらあ!!」とか。「殺す!」とか叫びながら、突っ込んでくる。観見はそのまま階段を駆け上がり、二階、三階へと上がってゆく。三人も後から駆け上がる。二階と三階の間の踊り場。そこまで三人は上がってきた。そこから三階への階段の途中で観見羊平は居た。どうも息切れのようだ。三人は、ニヤリと笑い自分達も息が切れている事を忘れ、駆け上がる。観見羊平はゆったりと三階へ到着し、と同時に、後ろから階段ダッシュで上がってくる三人に振り返る。先頭の男はポケットナイフを取り出し、ケガしないように体より少し遠く持っている。最後尾の男は異変を感じた。この位置関係。あと、もう一人いたはずだ。今、圧倒的に不利なのはこちら側ではないか。・・・刹那。上から落下してくる大きな影に、先頭の男は激しくぶつかり、後方へ吹き飛んだ。転がり落ちて、強く後頭部を打ち、静止した。
突如現れた大きな影は半仮面の男だった。激しくぶつかったにもかかわらずに姿勢を崩さず、着地している。
一瞬のマニュアル操作。観見羊平の身体から蒸気が上り、汗が噴き出す。血圧が跳ね上がり、一人の人間では考えられない熱を持つ。観見羊平の眼を固定カメラとして半仮面の男を動かす。それは背後に眼がついているどころか、360度全ての角度を掌握できる。さらに、それはお互いで。
今度は、観見が飛び込む。半仮面の男の眼を固定カメラとして、行動する。半仮面の腕をがっしり掴み、半仮面はさらに加速させるように腕を動かす。重力と大男の腕力を合わせ、繰り出す飛び膝蹴り。動揺し固まっていた、中間の男の顔面に蹴りは直撃する。顔から後方に吹き飛び、受身が取れずに全身を強打する。そこまで高くない階段だったが、頭から流血し気を失った。あと一人。・・・というよりもう終わっていた。
集団戦における覚悟。それが全く足りずにやって来た三人。戦いは数ではない。
自分じゃなく他の人がどうにかするだろう、という意識を持つ者が一人でもいれば、それはむしろ、一人よりも弱くなる。それに対し、観見羊平は完全なる二人。反動を気にせずに飛び込み、それを補う。間髪入れずに、補う側が反動無関係に飛び込む。そしてそれを行動終えた側が補う。全身を投げ捨てる隙だらけの大きな一撃を、回避不能の連撃へと昇華させる。
武器はもう一人の生身の自分だけ。初撃が通った時点でこの対決は終わっていた。
一番後方にいる奴に覚悟などあるはずがない。観見が着地し、同時に半仮面が飛び込む。腕をがっしり掴み、自分より大きな自分を振り回す。人間一人分のリーチ差。半仮面は壁を蹴りあげ、踵を最後尾の男のつむじ辺りに落とす。男はとっさに回避行動を取るが、階段のため後方には大きく避けられない。体を低くし左方向へ飛ぶ。・・・が。すでに観見の膝が飛んで来ている。それに対処できず、側頭部に膝蹴りが突き刺さる。後方に吹き飛び、身体を強打する。意識は有るようだ。観見と半仮面は即座に駆け下り、意識のある男の頭を掴み壁に打ち付ける。意識を失うまで何度も。三人の無力化を確認し、マニュアル操作を解除する。その間、実に18秒。観見羊平は激しい頭痛に体を震わせながら、ポケットナイフを手に取った。そしてそれを・・・・・窓から投げ捨てた。自動行動になっている半仮面と協力し、三人の黒服を担ぎ、一階まで運び、廃病院から外へ運び出した。決して自分が外へ出てしまわないように。病院内で見つけたささいな医療道具でほんの気持ち程度の治療は施した。そこから生きるも死ぬも、自分次第。黒服三人、敗北。
・・・さて。ここからだ。二対一。・・・人数差でどこまで埋まるか。
猪戸弦。出自不明。今回のような実験に参加するのは三回目。その全てに生き残ってきた。
つまり、皆殺しにした。今回はどうなるんだろう。
「・・・よし。」頭痛も収まってきた。あと、使えるマニュアル操作は2分40秒。
得体のしれない相手。いったい何で勝ち残ったのか。狡猾さか、身体能力か。
ただ、先の一戦で、参加してこなかったあたり、何かしらのこだわりを感じる。流儀があるのだろうか。雑魚だと舐めているのならば、まだ殺りようがあるのだが。逆なら、厳しい勝負になりそうだ。
1階2階。3階4階。隅々まで確認したが、居ない。残すは・・・屋上のみ。警戒を緩めることなく見回ったせいか、活動限界が迫っている。屋上へ。
屋上への扉を開けるとそこに、猪戸弦は居た。落下防止の柵を超え、足をぶらぶら揺らしながら座っている。間違いなく高所恐怖症ではない。というより、死というものに関心が無いように思える。全力の警戒を緩めることなく、近づく。
左に観見羊平。右に半仮面の男(観見羊平)。ぴったりと行動する。
「君達が、観見羊平。」
「・・・・・。」
「そうかそうか。よく分からないな。」
「・・・・・。」
「それじゃあ、荷物を背負っているのと同じじゃないか。」
「・・・・・。」
「俺には、窮屈に見え・・・。」・・・言葉を吐き終える前に、
羊平はまっすぐ猪戸弦の方向へ。弦は背中を向けたまま。
「やっぱり窮屈そうだよ。」
「・・・・・。」羊たちの沈黙。
「暗示というのは、人間すべてに共通することで。」
「・・・・・。」
「暗に示す。これがこれだからこう動く。というね。」
「・・・・・。」
「自然なような不自然。ささいな先読み。」
「・・・・・。」
「そこをズラせば、例え何が相手でも回避可能なんだ。
・・・さすがに自然災害や爆撃は無理だけど。そこは、運だね。」
「・・・人工島破壊処理の時、なぜ生き残れた?」羊は猪に問う。
「だからさ、運。なんだよ。」
振り返った猪戸弦の顔は何一つ嘘のない、仮面を被った事なんて一度も無いまっさらな顔。まるで、無邪気な子供のような笑顔だった。
「これが、人殺しの顔だってのか。ふっ。」欲望のまま、自然に生きた顔。
「ただ、なんとなく島を出たんだ。それが良かった。」
猪戸弦の一人語り。
「俺はね、気に入らないとか、合わないと一度でも思った人間を例外なくぶち殺してる。」
「感情と同時に、手が出ているというのかな。手が感情を追い越すこともある。」
「その結果、近しい血縁者は今や俺を含め2人になった。消したからね。」
「これが自然で、その他は不自然だよ。だって、そういうやつの存在って、生存に有害だろう?」
「・・・・・はあ。君に対して、そんなこと一度たりとも思ったことないんだけどな。」
「君は、俺と似ていると思うんだ。何が美しいとか、何が醜いとか。」
「俺は美しさを、君は醜さを求めた。」
「実に不可解な事だ。」
「自由より不自由を。生存より死を。」
「理想を叶えるために君は平気で、自らを投げ捨てる。理想に自分がいない。」
「なのにどうして?俺の理想を叶えるために冷静になってくれよ。」
「こうなれば、もう終わりだ。決着をつけよう。君を最後まで憎しむ事が出来なかったよ。」
「お別れだ、観見羊平。」
猪戸弦は、座ったまま両腕の筋力のみで飛翔した。開戦の狼煙。
同時に、マニュアルに切り替える観見羊平。200%の羊。軋む体を他人事のように情報としてのみ受け取る。約3Mの飛翔。棒の必要ない棒高跳びのようで。身体を翻す。猫のように、足から着地。する前に。・・・そこを狙った、投擲。こちらは軌跡を描かないレーザービームのような槍投げ。二本同時に放たれる。その棒は、錆びた鉄パイプの先端に手術用のメスを差し込んだだけの業物とは程遠き槍のような凶器。同時に走り出す羊平と半仮面。その初速から加速に至るまで、自ら投擲した槍に追いつく速度。
一方で、猪戸弦はひらりと優雅に、着地する。迎え来る“死”に見向きもせず。
「回避不能の速攻。やはりここで、消すには惜しいよ。君“達”。」
二本の槍は、まっすぐ胸や腹辺り、中段を貫く。
羊平は、姿勢を低く、両手、左足を軸とした下段蹴り。
半仮面は、足腰とバランスを威力のため犠牲にした上段蹴り。
そのどれもが、命中すれば致命傷。しかし、猪戸弦に恐れは全く無い。むしろ、いつもより身体をリラックスさせ、手足をゆらゆら揺らしている。槍先が接触するコンマ数秒前。
後方へのステップ+上体反らし。着地点のささいなズレは大きく勝敗を捻じ曲げる。
羊平と半仮面の下段・上段は絶対的な連携を魅せるが、
後方へのステップによって、二本槍の着弾地点にズレが生じる。
上体反らしによって、上段蹴りと、槍の回避を可能とした。
必中の下段蹴り。ガキン!骨と骨の衝突音。もちろん、猪戸弦の脚への有効打。しかし。
弦は、二本の槍を片手にひとつ、片手にひとつ掴み取り、振り抜いた羊平の右足へ突き立てる。ふくらはぎを威力のみで雑に貫通した槍には肉片と、どす黒い血がへばり付いていた。
さらに。空ぶった上段を切り返し、かかと落としに変化を加えた半仮面の全身で振り抜く一撃も、弦の不安定な姿勢から放たれる、腕力のみの槍突きによって無力化された。
一度距離を取る。・・・その間、猪戸弦は脚をさすって自身へのダメージを確認する。
「・・・うん、良い蹴りだ。」しかし、歩けないほどではない。
観見羊平。右足、機能停止。
半仮面の男。左足、機能停止間近。
すでに満身創痍。しかし、二人の観見羊平の眼に光は消えず。
即座に状態を確認し、二人は肩を組む。その姿は二人三脚。残った足を外側にバランスを整える。これでは二人である優位性が一切無駄になる。二人の両目は、しっかり敵を倒さんと、捉え続けている。
「へえ。」猪戸弦はニヤニヤが止まらない。
「勝てるつもりなの、その状態で?」こちらもキラキラした眼だった。無邪気に面白がる姿は未知の“何か”と遭遇した子供のようだった。
「猪戸弦、お前。なぜさっきの一撃で殺さなかった?心臓へ槍を突き立てれば良かったじゃないか。」
「僕の殺しはね。一つ条件があって。」
「?」
「“道具を使わない”ということだ。素手もしくは素足のみで殺しきる。」
「・・・。」
「死の感触を刃物のような無機物に味合わせてどうする?やはり、あの暖かいものが、徐々に冷めていく感覚。あれは触れていないと勿体無いじゃないか。なあ。」
「・・・。」
「人類の進化は道具を使い始めた事とか言うけどさ。」
「・・・ふぅ。」息を整える二人。
「僕には“退化”としか思えないね。せっかくの身体を使い余らせている。」
その言葉には生物としての可能性と知能によって衰えた“本能”を愁いてるようだった。この男は知能を選ばなかったヒト科ヒト属霊長類。身体面において猪戸弦は地球上、最強の一角と言えるだろう。
「お前は、ここで死んでくれ。」
「やれるものなら。」
ドン!っとただお互いまっすぐ走り出す。2人と1人の肉弾戦。ただただ殴り、蹴るために。
平気で世界記録を超える走力の弦。即、死の間合いに入る。
急停止する羊平と半仮面。足の負傷を考え、先手は取れない。・・・というより、不意打ち速攻でほぼ無傷な時点で二人の作戦は大きく破綻している。ここからは“負けない”事のみ。
観見羊平は左肩を内側に入れ込み、半身を切る。鏡合わせのように、半仮面の男は右肩を内側に入れ込む。容姿こそ別人ではあるが、
その絵は反射率100%、高純度の鏡が間に挟んでいるようだった。
狙うはカウンター。後の先。二人の構えは太極拳。狙うは発剄。外部からでは届かぬ力を内側へ送り込む中国武術。
これすら届かぬなら、猪戸弦に死角・弱点は皆無。
対して猪戸弦。走り込みに乗せた単純な蹴り。おそらく、先ほどのお返しと言ったところだろう。狙うは上段。頭を蹴りぬき、即死へ至らせる。それを前に。二人は。
・・・まぶたを閉じた。蹴りが接触してから放つカウンター。すなわち、二人どちらかの死を意味する。躊躇は無い。敗北条件は、全滅なのだから。
思考の余裕はなく、放たれる上段蹴り。頬を吹き抜ける旋風。
頬に接触する首狩る一撃・・・は、鼻先を掠めただけだった。空振りだ。
そして、まるでスイッチが切れたかのように静止する、猪戸弦。
「・・・・・。」
「はあ・・・はぁ。ふぅ。」マニュアル操作を止める。
「間に合いましたね。」不自然な笑顔。ああ、そうか。
「・・・遅かったじゃないか。」・・・助かったのか。
「有り得ない反則技ですけどね、こんなの。へへへっ。」そこには、へばり付いただけの張りぼてでしかない、猪戸弦の身体にその持ち主の笑顔ではない、笑顔があった。名も無き彼女がやって来たのだった。まるで運命のように。自然現象のように。
「この人、何ですか。身体を乗っ取るのにここまで時間がかかるとは。ふひひっ。」
「天才だよ。本物の。」
「身体の隅々を調べましたが、不調が一つも無かったんですよ。絶好調です!」
「そらよかった。」おいおい。始めの蹴りは、ノーダメージだったのかよ。まいったね。結構自信があったんだけどなぁ。はぁ。・・・安心した束の間。激痛と吐血。
「か・・・あ。」
「観見さん!!!」羊平は倒れ込む。半仮面の男はそれを支える。
「うん。分かってる。・・・そろそろだね。疲れたよ。」限界だった。
「死んじゃあいけません!!」やめてくれ。心配顔は嫌・・・・・いや、笑顔だった。
「・・・。」
「とりあえず、猪戸弦(私)を場外へ持っていきます。それまでは、生きて。」
タタタっと、走ってゆく。・・・僕は僕と二人きりになった。
猪戸弦敗北。観見羊平勝利。
「・・・ああ。まったく。」
「死ぬ前というのは、もっと静かな眠りのようだと思っていたのに。」
「痛くて痛くて。泣いちゃいそうだよ。」
「君は、もう僕の呪縛から解放される。好きに生きるといい。」一滴の雨。
「・・・?あれ、君も泣いているのか?・・・いったいなんで。」今はオート操作。意識も感情も存在しない、人形。のはずだった。
「もしかして、君はずっと、居ないふりをしていたのか。」
「・・・・・。」
「僕という1人にそこまで・・・。ああ。」そうか。彼は単純に僕の生存を願っていた。
もうひとりの“僕”。それに徹底して。立派な人間だったんだね。もっとも大切な友人。
「・・・・・。」
「喋ることは・・・できないか。」
「・・・・・。」表現は、涙だけだった。
「ただ、好意のみで。そんな体になるまで。・・・ありがとう。」
「・・・・・。」
「なんだろう、身体が少し楽になった。」呪縛は、僕に罹っていたのかもしれない。
「・・・あ。あー。あー。」?
「あれ?喋って・・・。」
「観見さん!生きてますか!?」!!
「うわっ!!」
「私ですよ、私。」
「・・・。」中年男性から女子高生、猪戸弦。そして今は半仮面の男に移った半仮面の女。
「あれ?わかんないか。」
「・・・おい。」
「はい?」
「声が大きい。その身体は長らく声を発してないんだ。無理はやめてくれ。」
「ああ、その事ですか。」
「・・・。」・・・。
「大丈夫ですよ。この身体は、こうなることを望んでいたようです。」
「・・・どういうこと?」
「私は、この身体に人格を固定することにしました。」突然の告白。
「ええ!」
「観見羊平さん。あなたの寿命が極端に短くなったのは、身体が二つあることに起因していたようです。だから、この身体が私に成ってしまえば、あなたは死なない。」
「ええ・・・。」てゆうか、人格固定なんてできたんだ。でもそれじゃあ。
「でもそれじゃあ、君はもう他の人に移れなくなってしまうんじゃないか?」
「ええ。そうですよ。」きっぱり。
「それは、老いて死ぬことになるよ?」
「ええ。いいですよ。」さっぱり。
「・・・本当にいいの?」
「もう、決めたことです。それに今、目の前で友人に死なれるより、良いです。」友人。
「・・・。」あれ?そういや。一度も笑っていないな。
「いつもみたいなニアニア顔はどうした?」
「ああ。それがですね・・・どうも、完全な相性の良さでして。」
「半仮面でかつ、大男だよ?」
「はい、不思議です。感情が、感覚が薄くですが分かるようになってきました。」声は、野太い男性。なのにやっぱり少女のようだ。・・・すると。
「なんか、身体が溶けてない?」
「あれあれ。」どんどん溶けていく。
「おい!大丈夫なのか!?」羊平は、身体を起こし、自らの寿命が今では無くなったことを実感しながら、目の前の光景に寿命が縮む。
「安心してください。人格を固定したら、こうなるのか。ふむふむ。」
「・・・本当に大丈夫か。」冷静な彼女。慌てる羊。
「元々の身体と人格で折り合いをつけているんです、きっと。」
「わからん。」
「身体を女性にすべきか、男性にすべきか。幼くするか、年老いてしまうか。」
「・・・そこまで変わるのか。」半仮面の男は、いまや見る影もなくどろどろに溶け、人型に蠟燭のロウを流し込んだような形になっている。そしてそれが、一回り、二回り小さくなり、だんだんと女性、それも幼い少女の姿に形作られていく。
「嘘・・・だろ。」服は、大男の頃のままゆえに、大きな布にくるまれているだけに見える。
「完成です。」それは、中世時代の貴族を思わせる・・・まあ絶世の美女だった。美少女。
「・・・そんな馬鹿なことが。」
「うん、やっぱり最初の身体に近いですね。」
「・・・・・。」口が開いたままの観見羊平。
「名前はどうしましょうか。“私”では、ダメでしょうし。」
「・・・・・。」
「そうだ。“桜”とかどうですか?」
「・・・。」
「観見さん?」
「・・・いいと思う。」
「よし、それでは桜という名前を名乗っていきましょうか。」
「ええっと。これで、一件落着?」誰に聞いてんだか。
「はい。終わりです。」
この真剣勝負の勝利報酬は、全ての罪の免除。
それ以上に大きな報酬を貰ったと観見羊平は思った。今度は二人の友人が一つに、それも美少女に統合された事実は一ミクロも理解が追いついていないけれど。
「帰ろうか。」片足が他人の肉と骨みたいに動かない。
「応急処置は済ませましたが、ちゃんと病院へ。」
「わかった。・・・これからどうする?」
「んー、わかりません。」
「ええ・・・。」
「そうですね、それじゃあ。・・・一緒に桜でも見に行きましょうよ。」
「・・・いいよ。」
「もうすぐ春ですからね。えへへ。」
その笑顔は
“ちぐはぐ”じゃなく、
“張りぼて”でもなく、
ただただ綺麗な。まるで春先の日差しのような温かみを持った、最高の笑顔だった。
半仮面を脱ぎ捨てた“桜”と自らへばり付けた重い仮面を脱ぎ捨てた“羊”。
いまだ鋼鉄の風が吹く季節。いずれ溶けゆく季節。季節は巡り続ける。
巡りゆく未来に幸多からんことを。
お読みいただきありがとうございました。
今回、対決の描写を考えるのがとても楽しかったです。