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ヒューマンドラマ・純文学

月にうさぎはいないけど、誰にも言えない秘密がある

作者: 優木凛々


20××年。

18年の歳月をかけ、人類はついに “ 月面宇宙基地 “ を完成させた。


基地には、常時6名の宇宙飛行士が駐在。

人員の入れ替えは、3カ月に1度。物資の補給と共に行われる。



――そして、基地完成から8年後。


宇宙飛行士・吉川悠斗よしかわゆうとが、日本人として初めて、月面宇宙基地に駐在することになった。


吉川は、人好きのする元気の良い青年だ。


都内で会社員として働いていたが、8年前に月面基地完成のニュースを聞いて、いたく感動。

月で働きたいという衝動が抑えられず、勤めていた会社を辞め、宇宙飛行士をこころざした。


そして、6年前。1000倍近い倍率の試験を、やっとの思いで通過。

アメリカでの長く厳しい訓練に耐え、ようやく月面基地任務を掴み取った。


2人の仲間と共に、月に行く宇宙船に乗り込みながら、吉川は期待に胸をふくらませた。

夢にまで見た、月での任務。

一体どんな生活が待ち受けているのだろう。


吉川を乗せた宇宙船は、滞りなく発射。

無事に宇宙へと飛び立った。



 




* * *





地球を飛び立って4日。

吉川達3人を乗せた宇宙船は、ついに月面基地に着陸した。


月基地とのドッキングが成功し、宇宙船から降りる3人。


大きな機械が所狭しと並んでいる通路を通って基地に入ると、揃いの紺色のポロシャツを着た現行メンバー6人が、笑顔で出迎えてくれた。



「やあやあ、よく来たね! 待っていたよ」


「月面基地へようこそ!」


「ありがとう。私達もここに来るのを楽しみにしていました」



無事を喜び、抱き合い、笑い合う9人。


挨拶をしながら、吉川は周囲を見回した。


クリーム色に塗られた金属の壁に、高い天井。

快適に保たれた室温。

小さな窓から見えるのは、砂や岩に覆われた月面と、広い宇宙空間だ。


吉川は高揚した。

いよいよスタートする憧れの月面生活。

ああ、なんて楽しみなんだろう。



挨拶がひと段落して、個室に案内される3人。

小さな窓が付いている個室は4畳ほどの広さで、ベッドと机が備え付けてある。


3人がラフな格好に着替え終わると、現行メンバーのリーダーである大柄なアメリカ人・デイビッドが、基地内を案内してくれることになった。



「今日からここで暮らすんだ。知りたいことがあったら遠慮なく聞いてくれよ!」



4人は、基地内を歩き始めた。

大きなテーブルのあるゆったりとした共有スペースに、小さなシャワー室、トイレ。

実験室や資料室、トレーニングルーム。


ディビッドのアメリカ人らしい大雑把な説明を聞きながら、これからの生活を想像し、どんどんテンションが上がる吉川。


そして、案内があらかた終わり、夕食を兼ねた歓迎会の30分前。

それまで陽気だったデイビッドが、急に改まった顔で、3人に言った。



「案内は大体これで終わりだが、1つ重大なことを伝えておかなければならない。恐らく、というか、絶対に、地上の訓練では習わなかった重大事項だ」



吉川は、首を傾げた。

月面基地駐在が決まってから1年間、彼等は厳しく細かい訓練を受けてきた。

その訓練に含まれていない重大事項など、存在するのだろうか?


いぶかしげな新メンバー3人の顔を見て、ディビッドが重々しく言った。



「信じられないのは分かる。だが、地上では絶対に学べない重大事項なんだ」



吉川達に、緊張が走った。

地上では学べない重大事項となると、基地内での生活に関連することに違いない。

一体何なんだろうか。


ディビッドの誘導により、基地内の端にある部屋に案内される3人。

部屋は10畳ほどの広さの医療室で、白いカーテンに仕切られたベッド、壁には医薬品の棚が備え付けてある。


ディビッドは、3人に椅子に腰掛けるように言うと、常に身につけている時計型の健康観察機器を指差しながら、低い声で言った。


(※危機管理のため、宇宙飛行士はいつも「時計型の健康観察機器」を身に着けており、脈拍や血圧の乱れがあると、地上管制室に知らされる仕組みになっている)



「知っての通り、俺たちの脈拍と血圧の状態は、常に管制室に伝わっている。 脈拍が過度に乱れたり、血圧が上がったらすぐに通報がいく。だから、どうか冷静に聞いてほしい」



3人は戸惑ったように顔を見合せた。

脈拍や血圧が乱れる話って、一体何なんだ。

まさかウサギがいるとか言い出すんじゃないだろうな。


デイヴィッドは、軽く息を吐くと、覚悟を決めたように口を開いた。



「さあ。兄弟たち! 気を強く持ってくれよ! 


――――紹介しよう。我が宇宙ステーション7人目の宇宙飛行士、タイチロウだ! 


ヘイ! 出て来いよ、タイチロウ!」



すると、突然。

カーテンの奥から、長身細身のアジア系の男性が出てきた。

30代中盤くらいで、白いポロシャツを着て、眼鏡をかけている。


彼は、呆気にとられる3人に、丁寧にお辞儀をした。



「ただいまご紹介にあずかりました、タイチロウです。以後お見知りおきを」



3人は、ポカンと口を開けた。


え? 誰これ?

こんな人いたっけ? 

いや、いないよね?

知らない人間が宇宙基地にいるとか、あり得ないよな?



驚き固まる3人を見て、ディビッドが困ったように頭を掻いた。



「まあ、そうなるよな。6カ月前、俺もそんな感じだったよ。……仕方ない。タイチロウ、例のアレ、頼む」


「……相変わらず大雑把ですね。流石にいきなりアレはマズイでしょう」


「こうなったら、何をしても結果はそんなに変わんないだろ。管制室には俺が誤魔化す」



だから手っ取り早くやっちまえ、と、言うディビッド。

諦めたように、ハアッ、と、溜息をついて、ディビッドに近づく、タイチロウ。


そして、次の瞬間。



「「…………っ!!!」」



3人は、思わず息を飲んだ。

なぜならば、タイチロウの体がホログラムのようにディビッドの体と重なったからだ。


まるで騙し絵のような光景に絶句する3人。


タイチロウが、どこか申し訳なさそうに言った。



「私は、その……、 見ての通り、幽霊的なアレなんです」


「「……………………………………………………」」



シーン、と、する室内。


そして、




ギィヤァアアアアアアアア!!!!!!




静かな宇宙基地に、3人の悲鳴が響き渡った。





* * *





ディビッドが、管制室に、「3人の脈拍の乱れと血圧上昇は、サプライズで驚かせ過ぎたことによるものだ」という、苦しい言い訳をした後。

月基地では、歓迎会を兼ねた夕食会が行われた。


食堂兼ミーティングルームの大テーブルの上には、届いたばかりの地球の食料たちが並べられる。


参加メンバーは、現行6人に、新規メンバー3人。

そして、当たり前のように、幽霊のタイチロウ。


コップの持てないタイチロウを除く9人で乾杯しながら、吉川は内心頭を抱えた。


(これは一体どういう状況だ)


ウサギならまだしも、なぜ幽霊が月にいるんだ。(いや、ウサギも十分おかしいが)

しかも、普通に歓迎会に参加してるとか、あり得ないだろ。

何でみんな普通に笑ってるんだ?

俺か? 俺の頭がおかしいのか?


夢にまで見た月基地生活が、明らかに違う方向に行ってるのを感じ、暗い表情で黙り込む吉川。


その表情を見て、タイチロウが申し訳なさそうに頭を下げた。



「驚かせてしまって、本当にすみませんでした。毎回、どうやって出るか迷うんですけど、正解が分からなくて」



すると、現行メンバーの女性宇宙飛行士が、クスクスと笑いながら言った。



「ホント、びっくりするわよね。私なんて腰を抜かしちゃったのよ」


「俺も驚きすぎて失禁しそうになったよ」


「一生忘れられない思い出だぜ」



恨む様子もなく、カラカラと陽気に笑う、現行メンバー6人。

デイビットの話によると、6人も前任者から、こんな感じでタイチロウを紹介されたらしい。


ちなみに、肉眼で見ると、普通の人間と変わらないタイチロウだが、カメラには一切映らないらしい。



「俺達も考えたさ。これは管制室に相談して、何らかの手を打ってもらうべきなんじゃないかって。でも、動画にも写真にも写らないタイチロウのことを騒いだところで、頭がおかしくなったと思われるだけだしな」



で、とりあえず、害もないから放っておいたら、いつの間にか馴染んだって訳だ、ハッハッハ!


豪快に笑いながら話すディビッド。



(説明の時も思ったけど、こいつ大雑把すぎるだろ)



心の中で悪態をつきながら、吉川は尋ねた。



「彼は、いつから基地ここにいるんですか」


「初代がタイチロウを知っているらしいから、8年前からだな」


「え。まさかの初期メンバーですか」


「ああ。その通りだ。だから、ここだけの話、我々も彼には随分助けられたんだ。何と言っても、月面宇宙基地の全てを知る辞書みたいなもんだからな」


「いやあ。そういう風に言われると、なんだか照れますね」



少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに頭を掻くタイチロウ。

若干腕が机にめり込んでいる以外は、普通の人間に見える。


新規メンバーの1人が、「地球に帰ろうとは思わないんですか?」と、尋ねると、タイチロウは悲しそうに微笑んだ。



「もちろん帰りたいと思っていますよ。……でも、どうしても帰れないのです」



タイチロウ曰く、これまで何度も、宇宙船に乗って地球に帰ろうとしたらしい。

しかし、離陸直後に気絶。気が付くと、この基地に戻っていた。



「地縛霊、って、やつなんですかね。どんなに頑張っても、この基地から離れられないのです」



だから、本当に申し訳ないですけど、 どうか引き続きここに置いてください。と、頭を下げるタイチロウ。

俺達からもお願いする、と、頭を下げる、現行メンバー6人。


吉川達新規メンバー3人は顔を見合せると、苦笑いしながら、頷いた。


こうなったらもう断れない。

害もないみたいだし、まあ、いいか。





* * *





吉川達が到着した1週間後。

3人の交代メンバーが地球に帰り、本格的に月面業務が始まった。


前任者たちの言う通り、タイチロウは非常に良い仲間になった。

彼は日本人らしく控えめで、でしゃばることはないが、ここぞというタイミングで現れて、そっとコツを教えてくれたりした。


また、8年いるだけあって、過去のトラブルにも詳しく、トイレが詰まった時も、「3年前は、確かこのへんを開けてグリグリしたら直ってました」と、教えてくれたりもした。


メンバー内のいざこざを仲裁してくれたこともあるし、ホームシックにかかったメンバーを慰めてくれたこともある。


つまり、タイチロウは非常に良いヤツだったのである。


最初は、「憧れの月面生活が幽霊付きとか、勘弁してくれよ」と、嘆いていた吉川だったが、タイチロウの言動には好感を持った。


(日本人らしい、控えめでいい奴じゃないか)


そして、月に到着して1か月後。

すっかり打ち解けた吉川とタイチロウは談笑する仲になっていた。






吉川が月に到着して、2カ月後。

この日、2人はいつものように吉川の個室で談笑していた。


珈琲片手に椅子に座る吉川と、ベッドの上に胡坐あぐらをかくように浮いているタイチロウ。

吉川が尋ねた。



「そういえば、タイチロウは記憶がないって言っていたけど、何も覚えていないのか?」


「ええ。日本人ということと、名前がタイチロウだったということ以外、全く記憶がないのですよ」



自分が何者か知りたかった彼は、地球に戻る宇宙飛行士に、自分のことを調べてくれるように頼んだことがあるらしい。



「宇宙基地にいるくらいなので、道半ばで亡くなった宇宙飛行士じゃないか、と、思ったんです」



しかし、調べた結果は、「該当者なし」。

亡くなった宇宙飛行士の中に、タイチロウという名前の者も、容貌が一致する者もいなかった。



「それで、じゃあ、関係者じゃないか、という話になって、基地開発中に死亡した人間も調べてもらったのですが、該当者なし。最後は、関連子会社まで調べてもらったのですが、私に該当する人物はいませんでした」



だから、私が一体何者か、私自身も分からないんですよ、と、笑うタイチロウ。


吉川が、何か他に手がかりはないのかと尋ねると、タイチロウはしばらく考えた後、こう言った。



「手がかり、というほどではないんですが、私がここで学んだ知識を宇宙飛行士さん達に伝えると、スッキリする感覚があるんです。もしかすると、 私は何かを伝えたいと思っているのかもしれません。


……それが何かは分かりませんが」



小さな窓から宇宙空間を眺めながら、ポツリと呟くタイチロウ。


吉川は胸が苦しくなった。


今まで幽霊だと思って深く考えてこなかったが、タイチロウはかなり過酷な状況にいるのではないだろうか。


月面での生活は厳しい。

比較的居心地よく作られているとはいえ、金属に囲まれた無機質で閉塞感のある基地。

小さな窓から見えるのは、ほとんど変化のないクレーターだらけの殺風景な月面と宇宙のみ。

娯楽もほとんどないし、気分転換も難しい。

月面に憧れて宇宙飛行士になった吉川でさえ、1年以上ここに住むのは難しいと感じている。


しかし、タイチロウは、ここに来てもう8年。

地球に帰れる見込みもなく、いつまでいればいいのかも分からない。

しかも、自分が何者で、なぜここに居るのかすらも分からないのだ。

いくら彼が幽霊とはいえ、この状況は相当厳しいに違いない。



「……なにか、なにか俺に出来ることはないか?」



吉川が思わず尋ねると、タイチロウは少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。



「……できれば、日本人なら誰でも知っているものが見たいです。もしかすると、何か思い出せるかもしれません」


「分かった。日本人が知ってそうな動画や映像を探しておくよ」


「ありがとうございます。感謝します」



そう言って頭を下げるタイチロウの顔は、少しホッとしたように見えた。







そして、吉川が月面に到着してから、3か月後。

新規メンバー達がやってきた。


同じようにタイチロウに驚くものの、すぐに自然と受け入れる新規メンバー達。


吉川は感心した。

幽霊にもかかわらず、これほど自然に溶け込めるなんて、もはや天才の域だ。


新規メンバー達が加わり、いつも通りに回り始める宇宙基地。


一方、吉川は、週1回の休みの日に、タイチロウに日本の動画や映像を見せるようになった、


まず見せたのが、国民的アニメ『ア〇パンマン』。

祖父母の代から100年以上続く、超有名な子供向けアニメだ。


机の上のノートパソコンで動画を再生すると、タイチロウが珍しそうにながめた



「これは子供向けのアニメ番組でしょうか」


「ああ。俺も、俺の祖父母も知ってる超長寿アニメだ」


「それはすごい。期待できそうです」



本を読む吉川の横で、ふわふわ浮きながら熱心に動画を見るタイチロウ。


しかし、経過すること2時間。

10本目の動画を見終わったタイチロウが、済まなさそう言った。



「すみません。見ていても何も感じないので、もしかして見覚えがないのかもしれません」


「そうなのか?」


「ええ。この『僕の顔を食べなよ』なんて、凄いインパクトだと思うんですけど、全く何も思い出さないんです。もしかして、昔過ぎる記憶はダメなのかもしれません」



確かに、幼少期の頃の記憶は曖昧なものが多い。

もっと大人になってから見た可能性があるものの方が良いのかもしれない。


そう考えた吉川が、次の週に用意したのは、サザ〇さん、ドラ〇もん、落語長寿番組の笑〇。

しかし、これらに関しても、見覚えがない。


こうなったら、数を打つしかない。

吉川は次々に動画や画像を探し出して、タイチロウに見せた。


3週目は、東京、北海道、沖縄などの、定番観光地の旅行番組。

4週目は、日本の歴史の教科書に、戦国武将の伝記。

5週目には、仙台の七夕祭りや、岸和田のだんじりなど、各地の伝統的な祭りや行事の画像。


日本人であれば、1つくらいは知っているだろう内容。

しかし、幾ら熱心に見ても、タイチロウは何も思い出せない。


そして、6週目。

日本の伝統的な正月番組も不発に終わり、もっと良いものはないか悩む吉川に、タイチロウが申し訳なさそうに言った。



「ありがとうございます。もう十分です。これだけ見ても思い出さないということは、多分もう思い出すことはないのだと思います」



諦めたような表情をするタイチロウ。

その表情があまりにも寂しそうで、吉川は思わず尋ねた。



「いいのか、諦めて」


「ええ、大丈夫です。お陰様で、やるだけやってスッキリしました」


「……本当か?」


「ええ、本当です。……ただ――」



一旦言葉を切って、黙り込むタイチロウ。

そして、しばしの沈黙の後、彼は小さく溜息をついて、呟いた。



「――ただ、本音を言えば、なぜ私がここにいるのか、理由くらいは思い出したかったですね。理由が分からず、ずっとここにいるのは、ほんの少しだけ辛いのです」



いつになく疲れた表情のタイチロウに、吉川は何も言えなかった。






* * *






月日はあっという間に流れ、吉川が来て6ヶ月。

3人の新規メンバーを迎える時期になり、月基地は一気に慌ただしくなった。


今回、タイチロウを紹介する役目に任命されたのは、吉川。


吉川は、今や親友とも呼べる間柄になったタイチロウを、とても心配していた。

自分はいなくなってしまうが、せめてタイチロウの印象を良くして帰りたい。


彼は考えに考え、タイチロウにこう提案した。



「今まで、3人同時に紹介していたから、3人の脈拍と血圧が同時に乱れて、大騒ぎになっていたと思うんだ。

だから、まずはリーダー1人に説明して、リーダーから他2人に説明してもらったら、スムーズにいくんじゃないかな」


「なるほど。それは良いアイディアかもしれませんね。信頼できるリーダーの言うことなら、他2人も落ち着いて聞けるかもしれません」



うんうん、と、頷くタイチロウ。






―――そして、新メンバーを乗せた宇宙船が月基地に到着した、その日。



基地内の案内をあらかた済ませた吉川は、新メンバーの代表である、ケント・ブラウンを医務室に呼び出した。

ケントは、黒髪に青い目の物静かなアメリカ人だ。


勧められた椅子に座りながら、なぜ呼び出されたのか分からず、訝し気な顔をするケント。


吉川は深呼吸すると、かつて、ディビッドが自分達にしたように、タイチロウの紹介を始めた。



「実は、1つ重大なことを伝えておかなければならないんだ。地上の訓練では習わなかった重大事項だ」


「え、そんなものがあるんですか?」


「ああ。地上では絶対に学べないことだ。今から君はとんでもなく驚くことになるけど、どうか冷静に聞いて欲しい」



訳が分からず、戸惑ったような顔をするケント。

吉川は、軽く息を吐くと、覚悟を決めたように口を開いた。



「さあ。気を強く持ってくれよ! ――――紹介しよう。わが宇宙ステーション7人目の宇宙飛行士、タイチロウだ!」



その声を合図に、カーテンの奥から出て来たタイチロウが、丁寧にお辞儀をした。



「ただいまご紹介にあずかりました、タイチロウです。以後お見知りおきを」



目を見開いて固まるケント。


そして、数秒後。

彼はガバッと立ち上がると、大きな声で叫んだ。




「父さん!」




……………………え? 父さん?


予想外過ぎる言葉に、呆気にとられる吉川。

同じくらい驚いたらしく、ポカンとした顔でケントを見つめるタイチロウ。


ケントが必死に叫んだ。



「俺だよ。ケントだよ! タイチロウ・ブラウンと、アンジェラの息子、ケントだよ!」



立ち尽くし、ケントを凝視するタイチロウ。


そして、次の瞬間。

タイチロウの目が大きく見開かれ、顔がくしゃりと歪んだ。



「……もしかして、賢人ケント賢人ケントか」


「そうだよ。賢人ケントだよ! 約束通り、父さんが作った月面宇宙基地に、宇宙飛行士として来たんだ!」



ボロボロと涙を流しながら叫ぶ、賢人ケント

タイチロウの頬を涙が伝った。



「……そうだ。俺は、この月面宇宙基地の設計者だ。途中でガンになって、最後まで携われなかったんだ……。

アンジェラは、母さんは元気か?」


「アラバマの実家で楽しく暮らしてるよ。……ああ、父さん、俺、話したいことがたくさんあるんだ」


「私も、お前に伝えたいことも教えたいこともたくさんあった。それなのに、病気で私は……」



抱き合うように語り合う2人。


静かに立ち上がり、そっと部屋を出る吉川。

そして、後ろ手でドアを閉めると、彼は、ホウッ、と、溜息をついて、呟いた。



「なるほど。タイチロウは、月面基地の初期開発に関わっていたエンジニアだったんだな」



アメリカの宇宙開発局にエンジニアとして勤めていたが、闘病のため退社。月基地完成を待たずに亡くなったのだろう。

そして、残された小さな息子は、父が関わった月面基地に行くため、必死に宇宙飛行士を目指したに違いない。



(……そうか、タイチロウは、ここで息子を待っていたんだな)



吉川は、服の袖で涙をぬぐうと、医務室に向かって小さな声で呟いた。



「良かったな。タイチロウ」





* 





そして、迎えた1週間後。吉川達の帰還日。


帰還メンバー3人は、残るメンバー6人とタイチロウに見送られていた。


皆が別れを惜しむ中、ケントが吉川に手を差し出した。



「色々とありがとうございました。発表によると、来年から月基地の駐在人数を倍に増やすらしいので、是非また来てください。きっと、父も喜びます」


「ああ。分かった。きっとまた来る」



笑顔でケントの手を握り返す吉川。


周囲を見回すと、部屋の隅に、幸せそうな顔で手を振るタイチロウの姿があった。

いつもと同じに見えるが、ほんの少しだけ、手が透き通って見える。


溢れだしそうな涙をこらえて、手を振り返しながら、吉川は思った。


これがタイチロウを見る最後なのだろう、と、




――その後、吉川を乗せた宇宙船は月面を離れ、3日後に無事地球に到着。

吉川の長い月面生活が終わった。







* * *







そして、月日は流れ、吉川が地球に帰って4か月後。

とある晴れた秋の日の午後。


自宅にいた吉川は、月面にいるケントから1通のメールを受け取った。


メールには、タイチロウが消えたことと、吉川への感謝の言葉が簡潔に綴られていた。


そっと息を吐いて、窓の外をながめる吉川。


脳裏に浮かぶのは、穏やかな表情をした友の顔。

あの心優しい幽霊は、息子に伝えたいことを全て伝え、静かに消えていったのだろう。


どこまでも続く青い空を見上げながら、吉川はそっと呟いた。



良かったな、タイチロウ。

ゆっくり眠れよ。









最後までお読みいただきありがとうございました。

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[一言] 電車で読んでいて、危うく惨事になるところでした。 マスク万歳、いい感じに涙も吸ってくれます。 食わず嫌いのジャンルでしたが、タイトルに惹かれて読みました。 心温まるお話を、ありがとうございま…
[一言] すごく良いお話でした。 未来的おとぎばなしといいますか。 ほっこりしました。 『こういう話が増えたらいいなぁ』と思います。
[良い点] 面白かったです(≧∇≦) カレの正体を想像しながら読みましたが 作者殿に次から次へと潰されました(T_T) [気になる点] 感想がネタバレになる? [一言] 最後は"枯れ尾花"から"人工…
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