帰り道で
黒木が検討室をあとにしてからも一輝は小夜と伊原の対局の棋譜を並べ直し、勝敗の分岐点を検討し、小夜の勝ち筋を探していた。
少し並べて見つからなければ、更に別の分岐点に戻るということを繰り返していた。
一輝が検討している頃、対局室では小夜と伊原の感想戦が続いていた。
小夜の勝ち筋は中々見つからず、感想戦でも負かされており、小夜の気分は上がらないが、その時伊原から声がかかる。
「ちょっといい?ここでこうすれば」
「あ、はい、そう……ですね」
「これでもまだ一局ってところかな?」
「確かにこれでは私の不利が解消されるだけですね」
まだ分からないという所まで戻り、とりあえず感想戦は終了の方向に向かおうとしているが、伊原が念の為、小夜に尋ねる。
「じゃあ、もういいかな?」
「はい」
小夜の言葉を受けて伊原が駒の片づけを始める。駒を駒袋に入れ、駒箱に閉まって盤の中央に置くと礼をする。
「ありがとうございました!」
両対局者、観戦記者、記録係が礼と共に頭を下げ、それぞれが帰り支度を始める。
感想戦の終了の話は検討室にいる一輝の耳にも入ってきた。
「どうやら伊原、牧野戦の感想戦が終わったみたいだ」
その声を聞き、一輝は小夜が帰るかも知れないことを察し、なんとか見つからないように将棋会館を出ようと画策する。
何故なら将棋会館にいるところなんて見られたら、研究はどうしただの、余裕ぶっこきすぎだの言われかねないからだ。
そんなことを考えながら一輝は将棋会館をあとにし、どうにか小夜とは会わずにすんだのだ。
一息ついてから一輝は中継アプリを見直すが、昼食中継時点で自身が検討室を訪れたコメントが書かれているのをを確認した。
これはうかつだったと自分に言い聞かせ、あとで小夜から小言を言われる覚悟を決める。
そうしてしばらく駅に向かって歩いていると小夜を発見する。その場から思わず逃げ出そうとしたが、小夜の様子がおかしいことに気付く。
小夜の肩が震えていたのだ。それを見て一輝は全てを察した。小夜は声こそ出していないが、涙を流しており、負けた悔しさが全身よりにじみ出ているのを感じた。
いくら幼馴染とはいえ、将棋の世界において敗者にかける言葉などないのだ。
一輝はそれを分かっているが、小夜がこっそり母に電話で様子伺いをしていることを知り、どうするかを迷っていた。こっそり小夜の家に電話するにしても、全ての事情を一輝は知らないが、小夜の両親は小夜が将棋をしていることをあまりよく思っていないことは感じていた。
結局一輝は勝負に生きる者としての矜持を大事にし、その場を離れるが一言だけLINEを送った。
『いい将棋だった』
小夜にどう響くかは分からない。でも今の自分の精一杯だと……。




