第七話 存在
「七叶の中学校生活は、彼女との思い出だけでできている。おしまい。次は鶫くんの番だよ」
「や、それはいいけど、つっこみたいところがひとつあって」
「座敷童子?」
「そうだけど……。紺野さんのほうから言ってくるの?」
「私、頭おかしいので」
「そういうこと言いたいんじゃないんだけど……。あの、そのとき、自分では気づいてなかったの? それとも気づかないフリをしてたの?」
紺野さんはしばらく黙って、言うべきことを思いついたのか口を開こうとした。けれどまた口を噤んでしまった。そしてこう言った。
「わからない」
紺野さんの声は震えていた。どちらなのかわからないことが怖いのだろうか。
「ごめん。僕の問題とも関係がありそうだったから……。でもそんな顔をさせてしまうなんて思わなかった。もう聞かない」
彼女は弱々しく頷いた。お詫びの印というわけではなかったが、僕と小雨のことをきちんと語ろうと思った。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。放課後に持ち越しだ。
☂
どうやら雨は綺麗にやんだらしい。五棟ある校舎の二階を一本でつなぐ巨大な廊下に夕日が差し込んでいる。生徒たちはたいしてまじめに掃除をしていないから、先を歩く紺野さんの後ろで埃が舞ってきらめいた。
「ねえ、会わせたいひとって?」
「いいからいいから」
僕のしつこい質問に紺野さんは振り向きもせずにそう答えてばかりだった。
みなが去ったあとの教室で、僕は紺野さんに小雨のことを語った。
小雨の容姿について語ったとき、紺野さんはなにかはっとした表情をした。すべてを語り終えたあと、紺野さんは僕の腕を掴んで、会わせたいひとがいる、と言って立ちあがった。
紺野さんが向かっているのは旧校舎だった。フォークソング部や演劇部など、いくつかの弱小の文化部がそこで活動したりしなかったりしている。どこかの部にその目当ての生徒がいるのだろう。
旧校舎の隣には図書室が併設してあって、増築の関係かなにかで、旧校舎と図書室の内装の気色はずいぶんと違った。
旧校舎は木造のどちらかというと素っ気ない造りで、図書室は木造ではあるものの、窓枠の木材に飾りが彫ってあったりして、どこかの洋館のようだった。
紺野さんが僕を連れてきたのは、その図書室の階段を挟んだ隣の空き教室だった。
図書室側にも、この旧校舎側にも階段がひとつずつあって、二階からだと旧校舎と図書室はつながっているのだけど、旧校舎側から階段を降りると、図書室の下にある空間にアクセスすることができない。本来あるはずの扉がなく、ただの漆喰の壁なのだ。
そして図書室側の階段を降りていくと、金属製の開かない扉に出くわす。だから図書室の下がなんのスペースになっているのかを生徒は知らないし、そもそもそんな造りになっていることも知らないだろう。
たぶんただの倉庫か、閉架かなにかなのだろうと僕は思っているのだけれど、知らないままのほうが神秘的なので、知らないままでいたい。
紺野さんはその空き教室の開け放たれたドアをくぐって、窓際に坐るひとりのボブカットの女性をみとめて挨拶をした。
いや、待ってくれ。
「紺野さん、その子は?」
嘘だ。
「鶫くん。あなたはとても繊細に小雨ちゃんのことを語ってくれた。でもひとつだけおかしいところがあるの。偏執的なくらい小雨ちゃんのことが好きなのに、その死に際のことが一切ない。お葬式とかね。どうして?」
「どうしてって……」
それは僕にとっての小雨は、あの雨の日の堤防の上で死んだからだ。
「小雨ちゃんは死んでないよ。ただいなくなっただけ。ちゃんと生きている」
「紺野さん? それってまさか、そこの、その子が小雨だって言うんじゃないよね?」
たしかに似ている。その眼差しも、髪型やその色も、僕の記憶のとおりだ。でも。
「私には鶫くんが語る小雨ちゃんは、私の知るこの女の子、私の親友の小雨としか思えない」
「そんなわけない」
ありえない。だって小雨は。
「どうして? 小雨ちゃんが突然いなくなってしまったことがショックで、記憶を作り変えて死んでしまったことにしたんじゃないの?」
「そんなわけない。だって、小雨は、僕の想像の存在でしかないのに……」
「今、なんて?」
「小雨は、僕と幼馴染だったことも、恋人だったこともない。僕にはそんな過去はない。僕はただの孤独な少年で、それに耐えられなくてそういう存在を意識的に作り上げただけだ」
「でも、じゃあここにいる小雨は鶫くんの語る小雨ちゃんとは別人なの? こんなに似ているのに? ただの想像なのに、どうしてこんなに似ているひとが存在するの?」
「わからないよ!」
「いや、あの……わたしをほっといてなにシリアスしてるんですかね。混ぜてほしいんだけど」
小雨は困ったような表情で言った。声も、僕の想像のとおりのものだった。
「どうして、小雨がこの世界にいるんだ?」