第五話 意味
「ここから離れないということは、私とお喋りしたいってことでいいんだよね?」
紺野さんは優しく笑いながら首を傾げてそう聞いてきた。
僕は、年上のすこし意地悪なお姉さんに不意に優しくされてしまった、みたいな恥ずかしい気分になって、少年のようにか細い声で、うん、と返事をした。
「それじゃあ……鶫くんのことを色々聞きたいけど、でもその前に私のことから話したほうがいいよね」
といってもあまり話すことはないんだけど、と紺野さんは語りはじめた。
主語は私ではなく七叶で、どこか他人事のような、変な語りだった
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紺野七叶の物語に登場する人物は幾人かいるが、大きな役割をはたすのは、七叶とあとひとりだけだ。
七叶の父親は、小さな劇団のシナリオライターを経て、現在は漫才や、コント、ラジオなどの作家をやっている。
そのため、七叶は幼い頃から〈お話〉に囲まれて生きてきた。
小説や映画も〈お話〉の一部だったが、父親とその友人の質の高い会話や、エピソード話のほうが割合を占めていた。
父親の血を継いでいたのか、それとも知らず識らずのうちに聞いて学んでいたのか、七叶は幼いながらも話がうまかった。
話がうまいというのは、小学生において大きすぎる武器であるように思う。
しかし七叶が求めたのは、話を聞いてくれるだけの人間ではなく、きちんと会話をしてくれる人間だった。
七叶レベルの話を小学生ができるわけもなかったし、大人でも、そこまで達者に話せる人間がいない、ということにも気づいてしまった。
話の下手なひととはできるだけ会話したくない、というのが人間の本音のはずだ。
大人なら自制心もあるし、処世術として、他人の話を我慢して聞いてやる、ということができただろう。
だが七叶はまだ小学生だった。まだ自分のことだけで精一杯だった。
七叶は人気者だったが、次第に喋らなくなっていってしまい、休み時間は友達のいない図書室に籠もった。
ただ、本はたくさんのことを話してはくれるが、七叶の話し相手にはなってくれなかった。本は一方的に語りかけてくるだけで、七叶がなにかを言っても、本は応えてくれない。
どうしたらいいのだろう?
そんなときに七叶が出会ったのが、ひとりの女の子だった。
じつはその子は七叶が図書館に来るよりも前からその図書館の主だった。ただ主とはいっても、誰の目にも留まることのないよう、端で体育座りをして本を読んでいたので主だと思っていたのは図書館そのものだけだっただろう。
「こんにちは」
「ん? はい」
その子の反応は淡泊だった。ちらと七叶を見てすぐに本に戻った。
彼女が読んでいたのは文学全集で、小学生の女の子には大きすぎると思った。
「そういうの読めるの?」
彼女は全集の近くに差さっている国語辞典を指した。
「単語は問題ないとして、意味はわかるの?」
「さぁ? 他のひとが意味を理解しているかどうかがわからないからわからない」
「どういうこと?」
「説明できない」
その子は会話があまりうまくないだけで非常に賢かった。七叶はしばらくその子と会話をして、さきの言葉の意味を引きだした。
つまりこういうことだった。
この本を理解したひとがいたとして、その理解を他人に伝える手段がない以上、自分が理解したということを照らし合わせて確かめられない、ということだった。
なぜ他人に伝えられないのかというと、本というのは、なにかたったひとつの真理みたいなものを言い表しているものではなく、本のありとあらゆるところで意味が生じていて、それはときに矛盾しているし、ときに関連しあっている。
そのすべてを他人に伝えるには、言葉では不可能だから、脳を丸ごとぽんと渡さなくてはならない。
そのときの七叶は半分くらいしか理解できなかったが、脳を丸ごとぽんと渡さなくてはならない、ということには同意した。
「でも、丸ごとぽんと渡さないからこそ、私たちはお喋りをしたくなるんじゃないの?」
「お喋りしたいの? 変わってるね」
「あなたが変わってるんだよ」
「そうかなぁ」
七叶はその子のことが好きになった。
でも、次の日、その子は図書室に現れなかった。