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第三話 記憶

うにーって

 次の日、紺野さんはもう登校していて、自分の席でケータイの小さな画面とにらめっこしながらテンキーを両手でポチポチしていた。いつもの光景だ。

 鞄を自分の机に置きながら、紺野さんにだけ聞こえるように挨拶をする。

「おはよう」

 紺野さんは僕に気がついて、小さな声で返事をしてくれた。

 席についてからノートの端を破り、昨日はごめんなさい。ちょっと嫌なことを考えてしまっただけで、紺野さんはなにも悪くないです。と書いて紺野さんの机の上になんてことのないように置いた。

 紺野さんはちらと横目で確認したあと、またケータイのポチポチに戻った。いったいなにをそんなに書くことがあるのだろう、といつも疑問に思う。

 メールにしては長文だし、もしかしてブログとかmixiでもやってるのだろうか。

 そうやってぼうっとしていると、ワイシャツの肘あたりがくいくいと引かれた。

 紺野さんの方を向くと、彼女はケータイのメール作成画面をこちらに向けていた。そこにはこう書かれている。

 誰にだって嫌な記憶がある。昨日はちょっとだけ気まずい思いをしたけど、鶫くんに話しかけたのは私だったし、許します。また放課後ね。それともお昼?


   ☂


 お昼の時間になると、紺野さんは鞄からペイズリー柄の赤色のバンダナに包まれたお弁当箱を取りだし、すぐに教室を出ていってしまった。

 僕も自分のを持って紺野さんを追いかけた。

 今日も雨だった。梅雨の湿気の多い生温さが好きな人間なんてどこにもいないだろう。

 いや、小雨は、どんな天気でも喜んでいた。それは病弱だったからではない。僕と一緒だったからだ。

 僕も小雨と一緒だった頃は、こんな天気でもいい気分だったのだろうか?

 記憶にない。

 紺野さんは、背中すら見えなかった。だからどこに行ったのかを予測しなくてはならない。雨だから中庭はなさそうだけど、中庭には東屋のようなものがあるから、もしかしてそこに居るかもしれない。でも、まったく濡れずに東屋には行けないから、可能性は低いだろう。

 三階から二階へと下る踊り場の窓から中庭を見てみる。東屋に紺野さんはいなかった。まだ到着していないのかと思ってしばら待ってみたけど、やっぱりそこが目的地ではないようだった。

 ということはきっと二階にも一階にも行っていないだろう。

 でも、三階にお昼を食べられるようなところなんてあっただろうか?

 三階の一番奥には図書室がある。図書室? もしかしてそこかもしれない。もしくは図書準備室とか。

 自分のクラスにしか用がないから、普段は歩かない廊下を歩いてゆく。

 ちらと他クラスの様子を見てみる。どこもうちと似たりよったりだ。

 でも三組には、二組の仲のよさそうなカップルがいるようだった。

 お弁当を突き合わせ談笑している。

 もし小雨が存在していて、僕と同じ高校に通っていたら、あんなふうにご飯を食べていただろう。幸せそうに。

 いつ終わるともしれない人間の人生だ。幸せは多いほうがいい。

 そういえば、ご多幸をお祈り申しあげます。という紋切り型の挨拶について、小雨とのエピソードがあった。

 小学校の頃、小雨の検査のときに病院についていったことがある。

 あまり誰が誰に向けて言っていたのかはわからないけど待合室で、ご多幸を、と聞こえてきたのだ。

 小雨はこう言った。

「ごタコ? タコをお祈りしてどうするの」

「なんだろ、タコが神さまとかなのかな?」

「私、タコさんウインナーにはお祈りしてるけど」

「なんて?」

「いただきますって」

「いただきますって……お祈りか」

「お祈りだよ。命に対する」

 ああ、そうだ。小雨は小学生のときから、生死について自分なりに考えていたのだろう。

「鶫は、私が死んだとき、ちゃんとお祈りしてくれる?」

「バカ、一緒に死ぬんだろ」

「……鶫は、死なないでほしい」

 僕はそれになんと答えたのだっけ? 覚えていない。

 今ならなんと答えよう。

 どうやって……。


   ☂


 図書館の近くに差しかかったとき、階段の方向から紺野さんの僕を呼ぶ声が聞こえてきた。

「また、悲しそうな顔をしてる。今日も雨だもんね」

 紺野さんは屋上に続く階段の下から三段目に腰をかけ、膝上にお弁当を置いていた。

「うん」

「男の子ってさ、うん、じゃなくて、ああ、とかって答えたりしない?」

「ん? うん、そうだね、そう答えるひとのほうが多いかも」

「鶫くんはどちらかと言うと、優しい言葉を使うよね」

「そう? 自分じゃそういうのはわからないな」

「自分のこと、意識したことないの? いつもなにか考えてるのに?」

「いつも考えているのは、自分の外のこと……。外のことなのかな? 自分の記憶のことは、外のことじゃない気がする」

 もしそうだとしたら、小雨はずっとずっと、僕が死ぬまで僕の内に存在するということになる。

 手を触れたり、匂いを感じたり、声を聞いたりすることは外のことだ。

 記憶からそういうものを思いだしたとしても、それは僕の内だけで起こっていることで、外に存在するということでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分の内って、いったい何だ?

「今度はむつかしー顔してる。うにーって」

「うにー?」

 紺野さんは苦笑と微笑みの間のような笑みを洩らして、自分の隣を猫みたいにパシパシと叩いた。

 坐れ、ということだろう。

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