高校野球の球数制限なんて、物理学を知らないのか・・・
「高校野球の球数制限?
そんなことを言うやつは、物理学を知らないヤツだ!」
男は振り返り、右から左へと視線を移し、反応を伺う。
全員ではないが、反応があった。
まあ、25人中4、5人だが。
これでもツカミは良い方だろう。
以前、女性は微分方程式を使いこなしていると説いたが、
それよりも反応がいい。
テレビやネットでも旬のネタだから、か。
「先生、野球と物理学ってどう関係するの?」
前から三列目、右端の席の女子が手を挙げ言った。
「野球、いやスポーツなんて、
ニュートン力学がベースになっている。
ちゃんと物理が分かっていないと上手くなれない」
「マジすか」
坊主頭の男子が声を上げた。
「バッティングの基本は何だ。後藤」
「センター返し、ッす」
男子生徒はバットを振るマネをした。
センター返しとは、ピッチャーが投げる球を、
そのままピッチャーの方向に打ち返すことである。
「本当に正しいのか、それ」
「顧問の先生も言ってるし、
プロの解説者も言ってます」
坊主頭が首をひねった。
「お前も力積って習ったろう」
「はい、運動エネルギーの入射角と反射角と言うやつですね」
「そうだ」
教壇の男は一つ頷く。
「センター返し、ピッチャーに打ち返すということは、
入射角、反射角が90度。
ということは、バットに一番衝撃を受けるということなんだ。
だから、鋭く、遠くへ打球を打ち返すなら、
三塁側に引っ張るか、一塁側に流した方がいいんだ。
そうすれば、ピッチャーが投げた球の運動エネルギーを殺さずに
活かすことができるんだ」
「そうかな?
センター返しの方がヒットの確率は高いと思うけどなぁ」
男子学生はまた首をひねる。
「それはなあ、ピッチャーのレベルが自分より低い時だろう」
教師は彼を見つめる。
「剛球投手の時、ピッチャーゴロ多くないか」
男子生徒は言い当てられたように頷いた。
「速い球を打ち返す気持ちが働いて、
全身に力が入ってしまう。
力で打ち返そうとして」
「力で・・・」
男子生徒はバットを振るマネをし、
腰のあたりで止める。
「確かに力が入ります」
「バットに力をこめるなんて無意味なんだ。
逆に良くない。
バットでボールを飛ばすなんて、
バットの運動エネルギーがすべてだ。
運動エネルギーは1/2mv^2、
つまりバットのスイングスピードが一番重要だ。
だから、スイングスピードを上げるには
体をリラックスさせなければならない。
世界のホームラン王の王貞治氏が、
ぶら下げた紙を真剣で切るという練習をしていたというが、
スイングスピードを上げるには合理的な練習だろう」
男子生徒は両手を脱力させる。
そして、バットスイングのマネをした。
「あッ!?
で、球数制限は?」
「本題だな」
教師は黒板に書く。
生徒一同は怪訝な顔をしている。
『作用と反作用』
「ニュートン力学の第三法則だ」
教師は生徒を見渡すが、
生徒はキョトンとしている。
「ある部分に力が働く場合、
同時に逆方向に力が働くということだ」
教師は続ける。
「つまり、160km/hのボールを投げるピッチャーには、
それと同じ負荷がかかるということだ」
野球部の男子生徒が投球のマネをする。
彼のポジションはピッチャーだった。
「何キロだせる?」
教師は問うた。
「128キロがマックスです」
教師は予想通りというように頷いた。
「だから、そんなに負荷はかからない。
よほど変な投球ホームじゃなきゃ問題ない。
何連投しても」
「何連投もできないです」
生徒は下を向く。
「3連投が精いっぱいです。
4回戦以上いったことありません」
「そうだ。
だから、球数制限なんて剛速球投手を守る規定であって、
一般の高校生には関係ない。
プロやメジャーに行けそうな投手を守るための規定だ」
「そんなの当たり前じゃん。
いいピッチャーしかそもそも連投なんてないです」
野球部の彼は言った。
「でもな、高校生でも技巧派もいるんだ。
プロでは通用しないと分かっていても、
甲子園を目指している技巧派ピッチャーが。
そういう投手には極めて不利な規定になる」
「だったら、どうすれば・・・」
「3ストライクじゃなく、
2ストライクでアウトにすればいいんじゃないかな。
最近、バッティング優勢になっているから。
そうすれば、球数は減るだろう」
「いいですね」
ピッチャーの彼は言った。
「そうすれば、俺にもチャンスがあるかも」
二人は息を合わせたように頷く。
女子生徒が手を高く上げた。
「先生、授業をはじめてください。
数学の授業を」
そう、彼は数学教師だった。