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(4)

 ――福本教授を探しに行く?


 すず天利あまりの唐突な提案にぽかんと口を開ける。


「探すってどうやって……ていうか、警察が捜索しているんじゃ――」

「警察が捜索するのは、事件性が高いときだよ。実際、今回の教授の件に関して、警察は情報提供の呼びかけくらいしかしていない。まあ、教授が滞在していた村の青年団や狩猟組合の人達が、付近の山中を捜索してくれたみたいだけどね。結局、二週間で打ち切られたと聞いているよ」


 山の中で何か事故に遭った、あるいは遭難した場合、一週間以上経つと生存の可能性は低くなる。また、山中で福本の持ち物や衣服などの痕跡が一切見つからなかったことも、捜索が打ち切られた要因となったようだ。

 すでに三か月近くが経つが、有力な情報は入ってきていない。福本が生きているにしろ、いないにしろ……何らかの理由で連絡できずにいるのか、あるいは自分の意志で失踪したのか。

 しかし福本が失踪する理由については誰も心当たりが無く、警察も福本の家族もお手上げ状態らしい。


「そんな……」


 現状を知らされて、涼は少なからずショックを受けた。

 いや、福本の安否を深く考えないようにしていただけで、ずっともやもやとした不安は抱いていた。天利の言葉で、それがはっきりと形になっただけだ。

 顔を強張らせる涼に、天利は「福本教授のことが心配?」と尋ねてくる。今更何を聞いてくるのだろう。


「心配に決まってます」

「だったら、探しに行こうよ」


 軽く天利は言ってくるが、そんなに簡単な話じゃないだろう。


 涼だって、福本を探せるのなら探しに行きたい。

 だが、素人が行方不明者を探せるものだろうか。探偵とか、そういう専門の人に頼んだ方がいいのでは――。


 訝し気に眉を顰める涼に、天利は冷めたコーヒーを一口飲んだ後、話し出す。


「教授が最後に目撃された村には、神隠しの民話が伝わっていてね。教授は村に滞在しながら、民話に出てくる山を調べていたらしい。その最中に行方不明になった。分かれ道の所で足跡が消え、それ以外の痕跡は何も残さず、急にいなくなったそうだよ。村の人達の中には、彼が『神隠し』に遭ったと思っている人もいる」

「神隠しって……」


 涼は戸惑いつつ、天利を見た。


 民話や昔話で『神隠し』がよく出てくるのは知っている。福本の講義でも、神隠しの話は出てきた。

 人間がこの世界とは異なる世界……『異界』に入り込んでしまう、あるいはその異界に住む者――天狗や鬼、隠し神などに連れ去られてしまうという話だ。有名なアニメ映画の題材にもなったことがある。

 だが、現実で実際に『神隠し』なんてあり得ない。

 現代で言うところの『不可解な失踪事件』を、明治大正の頃までは『神隠し』と理由付けしていたのだと、講義では習っていた。


 民俗学の講師である天利なら、涼よりもよほど、その辺りは詳しいはずだ。

 なのに――


 見つめる先にある天利の表情にふざけた様子は無い。

 癖のある前髪の下、二重の大きな猫目が涼を見つめ返している。

 いつものへらりと緩んだ頬からは笑みが消えていた。笑っていない天利の顔は、初めて見たような気がする。いや、こうやって彼と向かい合って話すこと自体が初めてなのだ。涼が、天利を避けていたのだから。

 ふと、涼は天利の目が明るい茶色であることに気づいた。

 こんなに目の色が薄かったんだとか、本当に綺麗な顔をしているだとか、頭の片隅で思う涼はなぜか彼から目を離せない。

 どくっ、と心臓が圧迫される感じがして、急に息苦しさを覚える。背中に冷や汗が伝った。


 まただ。この“蛇に睨まれた蛙”感覚。


 涼は視線を引き剥がすように、彼から顔を背けた。その時、視界の端に何か赤いものが映ったような気がしたが、瞬きすると消えてしまった。

 話の最中に顔を背けて黙り込んだ涼に、天利はふっと笑う。


「……みたらしさんはさぁ、本当に僕のことが嫌いだよねぇ」

「え」


 涼がぎくりと顔を向けると、天利は頬杖をついてニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 涼の背に、今度は別の意味の冷や汗が伝う。

 天利は、一応は涼の指導教員だ。さすがに面と向かって「嫌い」と肯定して、不興を買うのはまずい。福本が戻るまでは、この研究室に残っていたい。


「そっ、そんなことは……」

「あるでしょ? あれだけ避けられたら気づくよ」

「あの、別に嫌いっていうか、ただ苦手なだけです!」

「あはは、はっきり言うなぁ。……苦手って、いやな相手とか、忌み嫌う相手って意味があるよね」

「うっ……」


 涼は咄嗟の言い訳も思いつかず(まさか堂々と“天敵”なんて言えるわけがない)、素直に謝ることにした。


「……すみません」

「あれ、そこで謝るんだ」


 天利が愉快そうに、にぃっと口の端を上げる。

 涼の気のせいだろうか。天利から、他の女子学生に見せるような愛想の良さは消え失せ、いじめっ子のような意地の悪さが見える。

 天利は涼の顔を覗き込むように、前のめりになって顔を近づけてきた。


「ねえ、みたらしさん。早く僕にいなくなってほしいでしょう?」

「いえ、そんなことは……」


 ないです、と涼はごにょごにょと言葉を濁す。はっきりと言い切れない自分の馬鹿正直さが恨めしい。

 天利の目はますます愉快そうに細められ、歪む口元が鼠を甚振る猫のようだった。


 ――これは一体何の尋問だろう。今までの自分の態度が悪かったことは認めるし、謝ったのだから、もう勘弁してほしい。


 椅子の背に背中を押し付け、できるだけ距離を取ろうとする涼に、天利が追い打ちをかける。


「早く福本教授に戻ってきてもらいたい、って思っているよね」

「……」

「だったら、僕が探してあげるよ。僕ならきっと、彼を探し出せる」

「……は?」


 天利の宣言に涼は目を瞠る。

 その自信はどこから来るのか。そもそも、なぜ三か月も経った今になって、そんなことを言い出すのか。訳が分からない。


「だから、福本教授を探すの手伝ってね。みたらしさん」


 ね、と天利は微笑む。もはや確定事項の宣言だった。

 みたらいです、と訂正することも忘れ、涼は唖然とする。その間に、天利は「ケーキ食べないなら貰うよ」と涼の前にあった皿ごと残りのロールケーキを奪い取って、一分も経たずに腹の中に収めてしまった。


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