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(3)

 五月の末になっても、福本は戻ってこなかった。


 一介の学生に過ぎないすずに福本を探す術は無い。何度か瀬里と共に福本の携帯へと電話を掛けたりメールを送ったりしたが、当然ながら連絡は取れなかった。福本の家族や警察に進捗を聞くわけにもいかず、学部長からの連絡をただ待つのみだ。何もできない状況がもどかしい。


 五限目の講義が終わった涼は、研究棟への廊下をとぼとぼと歩く。

 福本研究室があるのは研究棟の四階の端だ。白い扉の横には掲示板があって、そこに瀬里せりお手製の在室表が下がっていた。ホワイトボードに『在室』『講義』『食事』『帰宅』などが書かれた枠があり、その中に自分の名前付きのマグネットを貼って在室か否かを示すのだ。

 見ると、瀬里は『帰宅』になっていた。今日は家庭教師のバイトがあると言っていたから、もう帰ったのだろう。他の研究室生も『帰宅』『学内』となっていた。が――

 『在室』に、誰かのお土産のなまはげマグネットが一つ。張られたシールの名前は『天利あまり』だ。


「……」


 ……よし、図書館に行こう。


 数秒の葛藤の末、涼は踵を返す。

 今日は東洋文化史のレポート課題をしようと思っていたから、図書館で十分だ。むしろ図書館の方が資料はそろっているのだし、図書館の方がいい。

 心の中で呟きつつ一歩踏み出した時、背後の扉が開いた。


「ああ、いた」

「っ!」


 ぎょっとして振り返ると、背の高い男性が扉から半身を出していた。


「……天利先生」


 固まる涼に、天利はへらりと笑んで、部屋の中を指で示す。


「ちょうどよかった。ロールケーキがあるんだ、さっきお客さんからもらってさ。ナイスタイミングだね、みたらしさん」

「…………みたらいです……」


 涼的にはバッドタイミングだ。


 この流れで行くと、天利と研究室に二人きりになってしまうではないか。

 誰か他の学生が来てくれればいいのだが、それまで間が持てるかどうか。――いや、持てない。


 ここは逃げるしかないと、涼は天利からそろそろと離れた。


「あの、せっかくですけど、私これから図書館に行こうと思ってて……」

「パティスリー緒川の一日二十本限定のロールケーキだよ。食べないの? それに、せっかく研究室ここまで来たのに」


 教室棟から研究棟の四階までわざわざ来たのに、という意味を含んだ天利の返しに、涼は答えに詰まる。

 ここで頑なに断れば不審に思われるし、今後余計に気まずくなりそうだ。悩む涼に畳みかけるように、天利は言葉を続ける。


「それから、福本教授のことで話したいことが……」

「え!?」


 福本の名前が出てきて、涼は思わず天利に向き直った。


「何かわかったんですか!? もしかして福本教授、見つかったとか……!」

「うーん、まあ、いろいろと情報が入ってね。立ち話もなんだし、せっかくだからケーキ食べながら話さない?」


 天利は部屋の中をもう一度指差す。

 涼ははたと我に返った。これでは天利と二人きりコースにまっしぐらだ。何となく天利に丸め込まれた気がしてならないが、福本に関することは知りたい。

 涼はトートバッグの持ち手を握りしめ、緊張しつつ研究室に入った。





「――みたらしさんは、玄米茶が好きなんだよね?」


 天利に唐突に聞かれ、流しで飲み物の準備をしていた涼は、思わずマグカップを取り落としそうになった。


「……みたらいです。どうして知っているんですか?」

「葉山さんから聞いたんだ」

「……」

「あ、誤解しないでね? ほら、研究室の皆と仲良くなるために、好みとか知っておいた方がいいかなって。葉山さんは紅茶でしょ。那岐なぎ君はカフェオレで、乙村おとむらさんはブラックコーヒーで……」


 天利は研究室の学生の好きな飲み物を挙げていった。全部正解だ。


 ……そこまでリサーチして学生の好みを覚える前に、名前の呼び方をちゃんと覚えてほしいものだ。


 内心で溜息を吐きつつ、涼は流し横のカラーボックスを覗き込んだ。棚には、それぞれ皆が好きな飲み物の茶葉やインスタント粉末を持ち寄って置いてある。

 その中から、インスタントコーヒーの瓶を取った。和菓子ならともかく、ケーキには玄米茶よりコーヒーの方が合うだろう。


「天利先生、コーヒーでいいですか?」

「うん、僕は何でもいいよ」


 二人分のコーヒーを手に、中央のテーブルに行くと――二等分にされたロールケーキが、でんと皿に乗っていた。

 直径十センチ、長さは二十センチを超えるロールケーキの半分だ。でかい。


「よし、食べようか」


 天利はうきうきとフォークを手にして、呆気にとられる涼をよそに食べ始めた。涼はコーヒーをテーブルに置きながら、「大きくないですか」と思わず言ってしまう。


「え? ちゃんと半分にしたよ」

「いや、そうじゃなくて……半分も食べきれませんよ」

「食べれるよ。丸々一本でもいける」


 平然と答えて、天利はケーキをフォークで切り分けながらぱくぱくと食べていく。

 早い。がっついているわけじゃないのに、次々に天利の口の中へケーキが消えていく。


「食べきれなかったら僕が食べるから」

「わ、わかりました」


 まだ呆気にとられながら、涼は天利の向かいの席に着いて、ロールケーキを一口切り分けた。

 パティスリー緒川のロールケーキは、軽めのクリームとふわふわのスポンジで有名だ。普通のケーキよりも安いうえに自慢のクリームをたっぷり味わえて、涼も好きな品だ。

 季節のフルーツ入りの限定品は初めて食べたが、クリームの軽さにフルーツの甘酸っぱさが加わって、美味しさも食べやすさも倍増している。

 さすが限定品。これは確かに、いくらでも入りそうだ。

 思わず涼がケーキに夢中になっていれば、ふと視線を感じた。

 顔を上げると、すでにケーキを食べ終えた天利が涼の方をじっと見ている。

 目が、合った。


「おいしい?」

「……おいしいです」

「よかった」


 にこりと天利は笑った。何だか餌付けされたような気分になり、同時に緊張も蘇ってくる。涼はフォークを置いて、コーヒーを飲んで気を落ち着かせる。

 今さらながら、この研究室に入った目的を思い出した。危うくケーキに絆されるところだった。

 涼は軽く咳払いして、天利に尋ねる。


「あの、それで、福本教授について何かわかったんですか?」

「ああ、そうだったね」


 天利はコーヒーを吹き冷ましつつ答える。


「残念だけど、福本教授はまだ見つかっていない」

「……そうですか」


 何となくわかってはいたが、少し期待もしていたため落胆する。そんな涼に天利は言葉を続けた。


「ただ、警察に知人がいて、福本教授の情報を少し流してもらってね。彼が最後に目撃されたという村を教えてもらったんだ。それでね……御手洗みたらいすずさん」


 天利に急に名前を――しかも間違わずにフルネームで――呼ばれて、涼は目を瞬かせる。

 天利は涼を見つめながら、楽しそうに提案する。


「一緒に、福本教授を探しに行こうか」

「……はい?」


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