(14)
「うわぁ……」
屋敷の内部は、外観と同様に豪華としか言いようのないものだった。
何畳あるのか数えるのも大変そうな広い座敷。金箔の背景に大きな緑の一本松や可憐な草花が描かれた障壁絵。巨体をうねらせる竜が彫りこまれた、きらびやかな彫刻欄間。格子の中に緻密に描かれた鳥や花が美しい天井板絵、今にも飛び出てきそうな獅子と虎の襖絵……。
次々に現れる豪華絢爛な部屋に、涼は呆気に取られるばかりだ。大学近くのワンルームアパートに住む涼からすれば、ここは人が暮らす家というよりも、観光名所のお城の見学通路だ。
それぞれの部屋には美しく着飾った女性がいて、絵巻物を眺めたり、カルタをして遊んだり、琴を弾いたり、踊りを舞ったり……楽しげにしている様子もまた、どこか芝居めいており現実離れしていた。
彼女達は、板張りの広い廊下を進む天利と涼にくすくすと笑い、手招きしてくる。白く長い腕がこちらに伸びてきて、涼は思わず、前を歩く天利の上着を掴む。
「そんなに怯えなくても、取って食われやしないよ。歓迎しているだけさ」
「で、でも、さっき生き血を吸うとか殺して食べるとか言ったじゃないですか」
天利への苦手意識より、この異様に豪華な屋敷と山女達への恐怖が勝った。しっかと上着の裾を離さない涼の手を、天利は振り払う様子も無く、案内する山女の後をついていく。
やがて、山女がひときわ大きな襖の前で立ち止まった。平安貴族のような衣装を着た人々が描かれた襖を、山女が開ける。
襖の向こうは大きな広間となっていた。たくさんの膳が並べられ、豪勢な料理の数々がかぐわしい匂いを漂わせている。
「いらっしゃい」
「いらっしゃい、お客人」
これまた着飾った女性達がわっと天利と涼を囲み、腕を引いて肩を押し、それぞれ膳の前へと座らせる。
脂の艶がてらりと美しい角煮や、尾頭付きの鯛の塩焼き。伊勢海老の活き作りや刺身の舟盛りを、飾り切りされた野菜が花畑のように彩る。味噌の香りと湯気を上げる鍋は猪鍋だろうか。からりと揚げられた山菜の天ぷらや和え物もある。
「どうぞ召し上がれ」
「さあさあ、遠慮せずに」
周りの女性達が、にこにこと笑いながら膳を勧めてくる。
見るからに美味しそうな料理の数々だが、涼の頭をよぎるのは、あの有名な神隠しアニメ映画の一場面だ。屋台の料理をむさぼり食う両親が、徐々に豚の姿に……。思い出すと、恐ろしくて食べられない。
「御手洗さん、言わなくても分かっているだろうけれど、食べない方がいいよ。これはあちらの世界の食べ物だからね」
「はい……」
天利の忠告もあり、涼は箸にすら手をつけなかった。
「どうされましたか、お客人」
「先ほど食べたばかりで、あまり腹が空いていないのですよ」
「ならば御酒を」
「下戸なもので」
嘘か本当か、天利がさらりと答えると、女性達は「まあ」と顔を見合わせる。無理に飲んで食べろと勧めるわけではなかった。
「ならばせめて、楽しんで下さいませ」
パン、と一人の女性が手で合図すると、座敷に別の女性達が入ってきて、楽器を奏で、舞を踊り始める。美しい女性達が、極彩色の着物の袖をはためかせながら舞う。彼女らの背後にある障壁に描かれた花々とも相まって、絢爛豪華、夢のような光景だ。
いっそ夢だと思えば、ご馳走を食べ、飲んで踊って楽しめるのだろう。だが、膳の影で抓った手の甲はちゃんと痛みを伝えてきて、これが現実であることを示していた。
山女達の歓待を受けながら、涼は隣の天利にこそこそと話しかける。
「天利先生、これからどうするんですか」
「そうだね……あ、失礼、厠はどちらにありますか」
天利は傍にいた女性に尋ねる。女性が案内する素振りを見せると、天利は涼を置いて立ち上がった。
「じゃあ、行ってくるよ」
「え?」
「御手洗さんはここで頑張って」
「はい!?」
天利はにこりと笑い、涼が立ち上がる隙を与えずに広間から出て行ってしまった。涼は一人、女性達に囲まれた状態で残される。
「お嬢さん、お菓子はいかが」
「甘茶もありますよ」
天利がいなくなった途端、女性達がぐいぐいと迫ってくる。
涼は「いえ」「あの」と言葉を濁してやり過ごそうとするが、女性達は先ほどよりも親し気に触れてきた。
くすくす、くすくす、とさざめく笑いが広間に広まっていく。
「みたらい」
「みたらい、すず」
名を呼ばれて、涼は「ひっ」と身を縮めた。
そんな涼の腕を摑んで、女性達が広間の奥へと誘う。
「こちらへ」
「こっちよ」
強い力で引っ張られて広間を横切り、奥にある襖の前まで来る。そして襖を開き、涼の背を押した。
「さあ――」
「次はあなたよ」
とん、と押されて中に踏み入れる。
そこは、広間に比べて随分と簡素で小さな部屋だった。
その部屋の一角に、誰かが座っている。白髪頭に、マウンテンパーカーにトレッキングパンツという現代的な恰好をした人は、こちらを驚いたように見ている。
「……御手洗、くん?」
「ふ……福本先生?」
眼鏡の奥の目を丸くして涼の名を呼ぶのは、紛れもなく福本だった。