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 美しい女性だ。

 雪のように白い肌に、切れ長の黒い目。目元と薄い唇には紅がさしてあり、艶やかな長い黒髪を背に下ろしている。鬱蒼とした山道の中、白い単衣ひとえと緋袴に、鮮やかな牡丹の描かれた打掛を羽織った姿は、そこだけ時代劇から切り取ってきたようだった。

 妙な違和感を覚えるのは、女性の背が異様に高いからだ。百八十センチ越えの天利よりも頭一つ分は大きいから、二メートルは優に超えているだろう。単に背が高いのではなく、頭や身体が全体的に大きく、側の草木との対比で遠近感が狂う。

 綺麗な女性なのに、なんだか怖い。彼女が山神の使い、山女やまおんななのだろうか。

 着物の女性は涼に向かって微笑むと、背を向けて歩き出した。足場の悪い山中で、歩きにくそうな着物姿にもかかわらず、綺麗に裾を捌き、宙を滑るようにするすると進む。

 涼は遠ざかる女性と天利の顔を。


「ど、どうするんですか」

「どうするも何も、追いかけるしかないでしょ」


 戸惑う涼に対し、天利は涼しい顔で女性の後を追いかける。そうなると涼も追いかけるしかなく、恐怖を抱えたまま足を動かした。

 天利はこんな状況だと言うのに、まるで研究室でディスカッションをするときのように話し出す。


「山女というのは、名前の通り山奥に住む女の姿をした妖怪のことだ。山姫やまひめとも言うね。遠野物語では、山女は『妖怪の類のもの』と、『山男にさらわれた人間の女性』に大別されているけれど。中世以降の随筆や怪談、民俗資料に登場し、東北から九州までほぼ全国各地に出没する。

 地方によって差はあるが、だいたいは彼女のように、長い黒髪の色白美女の姿をしている。木の皮や獣の皮、蓑でできた野趣溢れる服装の者もいれば、美しい着物や十二単を着ている者もいる。彼女は後者のタイプのようだね。

 ちなみに九州や四国の方では、山女に出遭うと、生き血を吸われたり、毒気を浴びせられて熱病に侵されたりして、死に至るらしい」

「えっ」

「だから山女に笑いかけられても、笑い返したらいけないよ」

「今さら言わないで下さい!」


 さらなる恐怖を掻き立てられる話に、涼はぞっとする。ついさっき山女に笑いかけられたではないか。もっとも、こちらは笑い返す余裕は無かったからよかったが。


「山女はナメクジが苦手だそうだから、探してみるかい? ああ、岩手に伝わる話では、山女は性欲旺盛で男の精気を欲して攫い、精力が無くなったら殺して食べるそうだよ。その点で言えば、御手洗さんは大丈夫かな」


 気休めにもならない話に、涼は頭を押さえる。


「じゃあ、天利先生が大変じゃないですか……」

「僕は平気さ」


 自信満々というよりも、さも当然のように天利は返してくる。本当に、なぜこんなに落ち着いているのだろう。彼の剛胆さが羨ましくもあり、気味が悪くもある。


「山女の正体は人間だという説もある。明治の末頃、岡山に山女が現れた事例があってね。ぼさぼさの髪で目を光らせて、腰にはぼろ布を纏い、生きたままの蛙や蛇を食べていたそうだよ。恐れをなした付近の住民たちによって殺された山女の正体はなんと、近くの村の娘だった。正気を失って、恐ろしい姿に変わり果てていたというわけさ。各地に伝わる山女の正体は、人間の女性が正気を失った姿だと推測する説もあるけれど……彼女は、明らかに違うよね」


 優雅な足取りで進む美しい着物を纏った女性は、たしかにそれらの女性とは異なるだろう。とはいえ、妖怪である彼女を“正気”と呼べるものかは分からないが。


「それより御手洗さん、大丈夫? 息が切れているけれど」

「……」


 天利の言う通り、山女を追うために早足――背の低さに比例して足の短い涼はほとんど駆け足だ――で山道を登っているため、涼は徐々に遅れを取っていた。息切れして、もはや天利に相槌を返すこともできず、追いつくだけで精一杯だった。

 無言の涼に何を思ったか、天利が急に立ち止まり、こちらに背を向けて屈む。


「はい、乗って」

「……へ……?」

「君を背負った方が早いから」


 涼はきょとんとする。天利の親切に驚いたのと、こんな山道を人一人背負って歩くのは大変だろうと遠慮したのと、できれば彼に近づきたくないと拒否反応を起こしたのとで、咄嗟に反応できずにいた。

 固まる涼に、天利は呆れたように溜息をつく。


「ほら、早く。山女を見失ってしまってもいいのかい。それとも、御手洗さんはお姫様抱っこをご希望かな?」

「いいえ!」


 このままでは無理やり抱え上げられそうだとわかり、涼は覚悟を決めた。天利の肩に「失礼します」と手を乗せて、背中に覆い被さる。

 天利は軽々と涼を背負った。目線がぐんと上がって、思わず天利の肩にしがみつく。転ばないかとひやひやしたが、彼は涼をしっかりと背負ったまま山道を登った。

 天利の足取りは、人一人分の重さなどまったく負担になっていないような軽いものだった。むしろ、先ほど涼を待ちつつ歩いていたときよりもよほど速い。山女よりも速いくらいで、離れていた距離がどんどん縮まっていく。

 見た目は細身だが、ずいぶんと力が強く体力もあるようだ。涼が感心していると、道の先が突如開けた。

 そこにあったのは、大きな屋敷だった。

 伝統的な日本家屋で、立派なこけら葺きの屋根に白漆喰の壁。優美な曲線を描く唐破風に、黒光りする柱と板間が美しい、大きな玄関。堂々とした佇まいで、以前旅先で見た武家屋敷や寺院を思わせた。

 玄関の前では、先ほどの山女が身体の前で両手を揃えて佇み、涼達を出迎えるように待っている。

 明らかに怪しげで、できれば屋敷に入りたくない。そんな涼の内心などそっちのけで、天利は涼を背から降ろす。


「さて、福本教授を探そうか。御手洗さん」

「……はい」


 そうだ、ここが目的の場所なのだ。もしも福本も同じように神隠しに遭っていたのなら、ここに居る可能性が高い。

 涼は天利と共に、屋敷へと足を踏み入れた。


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