(11)
翌朝、身支度をして食堂に降りると、すでに天利と那岐が朝食を取っていた。
ご飯に味噌汁、卵焼きに納豆、焼き鮭に山菜の煮物といった和の朝食を取りながら、皆で今日の予定を話す。
「ひとまず、福本教授が消えた山に向かおうか」
「でも先生、山って言ってもこの辺り全部、山の中じゃないっすか? どの辺か分からないと、正直厳しくないですか?」
「うん。だから、教授の捜索に関わった人を探して、案内してもらおうかと思ってね。特に、教授が消えた時に側にいた案内の人に話を聞ければ一番なんだけれどね……」
言いながら、天利が空になったお椀を手に、カウンターに置かれている炊飯器に向かった。大盛りに盛られた白飯に、那岐が「先生、まだ食べるんですか」と、驚き半分呆れ半分に目を瞠る。
「成長期だから」
「いやいやどこまで成長する気ですか」
天利と那岐が軽口を交わし合っていれば、そこに「あの」と遠慮がちな声が掛かった。
カウンターの奥から声を掛けてきたのは女将だ。大きな急須を持った彼女は、テーブルに急須を運びつつ、口を開く。
「あのぅ……さっき、福本っておっしゃいましたか? もしかして福本先生のことかしら」
女将さんの言葉に、皆ははっとする。顔を見合わせる涼達をよそに、天利だけは平然と頷いた。
「ええ、そうです。福本教授、この村に来ていたんですよね? 実は僕たち、彼のことを探しに来たんですよ」
さらりと天利は答える。女将さんは顔を一瞬強張らせたが、すぐに神妙な顔で頷いた。
「まあ、そうだったんですね。実は福本先生、この宿にしばらく泊まっていらして……ほら、宿は村にうち一軒だけしかないから。それで、先生にも村に伝わる話について聞かれたんですよ。昔話に出てくる『山神の大欅』の話をしたら、見てみたいって言うものだから、うちの旦那がそこに案内したんです。でも、その途中で気づいたらいなくなって……」
「そうだったんですか。もしよろしければ、旦那さんに話を聞きたいのですが。できれば、その場所まで案内して頂けると助かります」
天利の申し出に女将さんは困り顔をする。
「でも、もう三か月も前ですよ? あの後、警察も来たし、近くの村の狩猟会や消防団も総出で捜索して……。事件性も結局無いと、警察の方も仰っていたし……」
「はい、承知しています。ですが……彼は僕の恩師なんです。ここにいる学生も、教授のことが心配でどうしても自分達で探したいと言ってきかずに……。自分の目で確認したいんです。どうかお願いできませんか?」
天利が真摯な表情で頼み込むと、女将さんは渋々といったように頷く。
「じゃあ……ちょっとうちのに聞いてみますね」
そう言って、女将さんはカウンターの奥に姿を消した。
思わぬ有力な情報に皆は喜ぶも、涼は小首を傾げる。
「でも……どうして昨日話してくれなかったんでしょうか」
昨晩、天利が民話について尋ねた時、女将さんは何か隠すかのようにそそくさといなくなった。
「それはほら、やっぱ福本先生のことがあったからじゃないの? だって、自分が案内した人が急に消えたら大変じゃん」
確かに那岐の言う通りだ。もしかしたら、気まずかったから、あえて民話や福本の話をしなかったのかもしれない。だが、涼が立ち聞きしてしまった「シキの家」の話も気になった。
考える涼に、天利はあっけらかんと笑った。
「とりあえず案内してもらえるんだから、こちらとしてはありがたいよ。旦那さんに詳しい状況も聞ければなおさらね」
天利は言いつつ、いつの間にか空になった茶碗を片手に炊飯器に向かった。
***
朝食後、それぞれ部屋で準備をして食堂へと降りる。山歩きになるとわかっていたので、皆動きやすい格好に着替えていた。
食堂には、この宿の主人――敷野が待っていた。短く刈った白髪交じりの髪に無精ひげのある、武骨な感じの男だ。先ほど、朝食を食べ終えた頃に一度顔を合わせていた。
四人を一瞥した彼は、「じゃあ、案内するぞ」と背を向ける。女将さんに比べると愛想は無いが、天利が話しかけるとぽつぽつと答えてくれる。
『山神の大欅』があるのは、ここから歩いて一時間もかからない場所らしい。四木山地区を囲む山の一つ、四木山――これがこの地区の名の由来となったそうだが――の中腹に、大きな欅の切り株があるそうだ。
「その大欅が出てくる民話というのは、どういうものでしょうか」
「ああ……」
――むかしむかし、山に囲まれた四木山村には多くの山師がいた。木々を伐採して生計を立てる彼らであったが、山の中腹にある大きな欅の木だけは切らずにいた。山の神が宿ると言われ、大切にされていたからだ。
しかしある年、不作が続き、村を飢饉が襲った。そこで村の皆で話し合い、少しでも食料を得るための金にしようと、大欅を伐ることとなった。大欅の元に集まった山師たちが山神様にお祈りをして、いざ欅を伐ろうとした時である。山師たちの前に、山の中には不似合いな、美しい着物を着た大女が現れた。山神の使いだという彼女は、欅を伐らないでくれと言う。
『どうか一年、待って下さい』
欅の代わりに別の宝を渡すという彼女に、山師の代表者が連れられて山の中を進むと、一軒の立派な屋敷があった。美しい女たちばかりが暮らす家で豪勢なもてなしを受けた山師は、たくさんの金銀財宝や絹織物の土産をもらい、欅のところまで再び連れ帰ってもらった。
しかし、そこには切り株だけしか残されていなかった。一年待つという約束を、他の山師たちは守らなかったのだ。女は嘆き悲しみ、その場から消え去ってしまったという――。
敷野の話を聞き終え、隣を歩いていた涼と瀬里は顔を見合わせる。
「何だか……」
「いろいろと混ざっているわね」
話の流れは『四方四季の庭』と同じだが、土産をもらう話になると『浦島太郎』だろうか。しかし一年という歳月は、浦島太郎にしては短い。土産の宝がどうなったかなども明らかでない。天利も気になったのだろう。
「その後、山師や村の人々はどうなったんですか」
「……知らんよ。伝わってる話はそれだけだ」
尋ねても、敷野は首を横に振るだけだった。
そうしているうちに、敷野が立ち止まり、道路から細い山道へと入る。古い鳥居のようなものが建てられた箇所が、山道の入口のようだ。鳥居に一礼した敷野を先頭に、縦一列に並んで山道を登る。那岐、瀬里、涼、そして最後尾が天利だ。
あまり人が通らないのだろう。周囲の草木は伸び、かろうじて道とおぼしき土が見える部分も石が転がっていて足場は悪い。おまけに傾斜もあるので、皆の口数は減っていった。
「うわー、けっこうきつ……あのー、福本先生もここ通ったんすよね?」
那岐が敷野に聞くと、「ああ」と短い返事だけ返ってきた。
涼達は、登りながら辺りを見回す。……もっとも、これで福本の痕跡が見つかるなら、とっくに村の捜索隊の人達が見つけているだろうが。
山道を歩きながら、涼は何となく懐かしさを覚えていた。幼い頃、田舎で兄弟や従兄と山でよく遊んでいた。子供の体力は無尽蔵で、このくらいの山道なんて平気で駆け上がっていたものだが、今は無理そうだ。
少し息が切れた時、敷野が前を指さした。示す先が少し開けている。
「あそこが大欅の切り株がある場所だ」
どうやら目的地はすぐそこのようだ。結局、ここまで福本先生の痕跡を何も見つけられなかった。
これから天利はどうするのだろう。どうやって福本を探し出すのだろう。
天利の様子は、と涼が振り返ろうとした時だ。
「――みたらい、すず」
誰かにはっきりと、背後から名前を呼ばれた。
「え? はい――」
思わず答えて、後ろを振り向いた時。
ぐにゃりと、世界が歪んだ。




