青春の試練がやって参りました
翌日の朝、スマホのアラームで目を覚ます。
多少夜更かしをした事で俺は普段よりも眠気が強く身体を動かすのが億劫でベッドに数分横になっていた。
スマホの時計を見るとアラームの設定を間違えて既に出発時間五分前なんてベタなオチもなく時刻は午前五時三十分であった、そして画面に表示された藤木田からのチャットの通知。
【藤木田:某、楽しみのあまり既に起床してしまいましたぞ、木立氏の家に迎えに行ってもよろしいでしょうか?】
チャットが届いたのが午前五時、俺は藤木田に連絡を取ることにした。
【木立:今起きた、六時までに家に来てくれ】
そしてスマホを枕の横に投げて天井を見続ける、理由なんてないが何もしたくないのだ、しかし宿泊研修のバスは六時半に到着するため、ずっとぬるま湯に浸かっているわけにもいかず俺は数分経過してようやく布団を身体から剥がしフローリングを踏む。
フローリングは数週間前と違い既に冷たくなくなっていた。
出勤前の父親と軽く挨拶を交わし、こんな時間に既にスーツを着ているなんて大人になるっていうのは地獄に向かうのと一緒であると再認識すると同時に学生生活、青春の有難さを認め藤木田が到着する前にシャワーを浴び身支度を整える。
準備が終わると良いタイミングで藤木田からチャットの通知があり、父親に出かける際の挨拶をし小型のリュックを背負い家を出る。
多少身体の怠さを感じながらも日差しは五月にしては強く、日が昇り切れば更に暑くなると実感する。
「木立氏、おはようですぞ!」
藤木田はこの間購入した黄色いキャリーバッグを持って立っていた。
「あぁ、まだ眠いわ」
「木立氏は実際図太い神経してるとかと思いますぞ、普通なら緊張して逆に眼が冴えたり気分が高揚してランナーズハイのようになっているかと思いますぞ」
「俺に限ってはランナーズハイはあり得ないな、人より頑張らない事に長けている」
「またそのような事を……」
そしてココでようやく黒川の安否が気になりだした。
「黒川にも連絡したのか?」
「黒川氏なら連絡したら既に学校に着いていると連絡がございましたぞ」
黒川も気分が高揚して眠れなかったのだろうか? そんな事を思いながらも集合時間まで僅かな俺と藤木田は何度も話し合った宿泊研修の会話に花を咲かせるのであった。
十数分後……学校に到着すると全校朝会の如く集まった生徒達、普段と違うのは怠そうな雰囲気ではなく宿泊研修という大型イベントによる賑わいであった。
また玄関の離れの花壇の石段の上に黒川は座っていた、随分と疲れている事が下がった肩と頭から予測できた。
「黒川、起きてるか?」
黒川は俺と藤木田に気付くと身体をビクっとして顔を上げる。
「ああ、今起きた」
「黒川氏、もしかして寝ていないでござるか?」
黒川は数秒無言を貫いた後に口を開く。
「十五戦……十五戦で止めようと思ったんだッッ! しかし……クソッ!」
黒川は目を見開きテレビでインタビューされる危ない人を同じ言葉を放つ、昨日から察しが付いていたが黒川は間違いなく寝ていない、善処と言う言葉ほど信用ならないのだ。
「帰ってからそのまま計三十戦は行った……だが、続けてじゃなくインターバルを挟んだり待機時間があったからな休めなかったわけではない」
「いや、それ休んでねーから」
「ちなみに某がチャットで連絡をした時間が午前三時過ぎだったとは思いますが、何時頃から学校にいたのでありますかな?」
「二時だ」
黒川の生活リズムは既に学生の枠を飛び越えている、廃人そのものであった。
「お前……よく警備員に見つからなかったな」
「それくらい俺も対策はする、石段の上にあるプチ雑木林みたいな場所で身を潜めていた」
黒川はFPSの知識を現実で発揮し始めているまである、ここまで来たら将来e-sportsで食っていってほしいと切実に思う。
「戦場では反応速度よりも我慢が大事、鉄則だ」
「……もう何も言わないがバスでは大人しく寝てろよ、オリエンテーション中に倒れたら注目の的になるだろう」
「それだけは避けたいな、視線で吐く」
黒川は眉間に皺を寄せるが、いや倒れた段階で既に吐くか泡吹くだろ。
そうこうしている内に規定の集合時間まで僅かとなっていた。
「しかし木立氏にとっては重大なイベントとなりますな!」
「え、何がだ?」
藤木田は指を一本ビシッという効果音が出そうなくらいに立たせ教授を始める。
「いいですかな、木立氏、外泊イベントと言うのは青春ラブコメの定番ですぞ、笠木女史に近づくための絶好の機会ではないですか」
「前にも伝えたが、俺は別に笠木が好きなわけじゃない…気になっているだけだ、外見が単純に好みなだけだ」
俺の発言に藤木田は考え事をする仕草をする。
「気になると好きというのは何が違うのでしょうか? 某にとっては両方同等の意味としか思えなくて……」
俺も藤木田の言葉に一瞬戸惑いながら答える。
「好きって言うのは付き合いたいとか、その子を独り占めしたいみたいな感覚……かな?」
言ってる俺自身もよく分からなくなってきた、俺の感覚が違うのだろうか?
「それじゃあ木立氏は仮に高橋氏と笠木女史が付き合ったとしたらどう思われますかな?」
なんだそれ……考えただけで物凄く嫌だな、よりによってキョロ充の高橋なのが嫌悪感を助長している。
「その顔で分かりましたぞ、答えていただかなくても結構ですぞ、それに……」
藤木田が何か言いかけたところで学年主任兼我らがクラスの担任の佐々木による集合の合図が出される。
「おっ! 集合でございますぞ、行きましょうぞ」
そう言って藤木田は歩いていく。
「この行事は木立の言う青春には間違いない、一先ずは楽しもう」
黒川も身体を起こし藤木田に続いて歩いていく。
様々な葛藤はあるが、なにはともあれ青春の一ページだ、今はコイツらと楽しもう。
学年主任兼我がクラス担当の佐々木による誰も聞いちゃいないような注意事項の説明や、しおりに既に書かれている内容の復唱が行われていた、そして佐々木の話を右耳から左耳へ通し内輪で浮かれる陽キャ達、子守歌代わりに眠りこける生徒、ソワソワと落ち着きがない生徒、それを注意する各クラスの担任達。
これぞ学生の旅行って感じがする、というより今頃になってワクワクしてきた。
青春ラブコメをしたいとは思うが特定の誰かが好きなわけではないし俺はこの旅行にて藤木田や黒川との親睦を深めようと思う。
「―――であるからにして、本校の生徒としての自覚を持って行動するように!」
ようやく佐々木の演説が終わり各クラスの担任がクラスをまとめバスへ乗車するように指示を出す、俺達のクラスもようやくバスへ乗り始める、俺の前の席は黒川と藤木田。
そしてこのバスでもスクールカーストを象徴するかのように後部席を陣取る陽キャ達、そして隣の通路から俺の隣の席へ座ろうとしてくる笠木。
は?
笠木!?
「木立くん、隣ごめんね」
申し訳無さそうに俺の横の席へ腰かける笠木。
ダメだ、俺は数分前に青春ラブコメを放棄し青春友情ストーリーを楽しもうとしていたはずだ、女子一人に思考が翻弄されるなんて陰キャの風上にも置けん、いや……女性慣れしていない陰キャだからこそ勘違いしちゃうんだな、そうだ、そう思っておこう。
「い、いや、こちらこそ申し訳ない……」
俺の恐縮した姿を見てか笠木はクスリと笑う。
「そんな畏まらなくてもいいのに、普通にしてほしいな」
「あ、はい、いやえっと…うん?」
「うんでいいよ、木立くんが隣でよかったかも、あまり話した事のない人と乗るより教室でも隣の席だしね」
いつものパターンだ……落ち着け俺、ここで勘違いせずにやり過ごさなきゃ将来ハニートラップとかに引っかかる事、間違いなしだ。
いつもより距離が近い、体温すら感じられそうだ。
ギャルゲならルート入ってるだろコレ。
「か、笠木はどうしてこの席に?」
そう言うと笠木は後ろの席の方をチラッと見る、釣られて俺も後方確認、後ろの席は円卓の騎士五人が占拠していた。
「あぁ、一番後ろは五人掛けなのか」
「うん、それで前の方に誰か行かなくちゃいけなくてね」
笠木の事だから追いやられたというわけではなく、自身が名乗り出たのだろう。
俺の知っている笠木ならばそうする。
「そうか、気遣いとか出来るのは美徳だな」
「え、そんなんじゃないよ……私」
「本人がどう思おうと俺はそう認識しているし周りもきっとそう、笠木に悪い印象を抱いている人間なんていない……と思うぞ」
やはり時折、笠木の言葉には引っかかる物言いがある、そして俺と藤木田が聴いてしまった三人組の会話を思い出す。
笠木に伝えた方が良いのだろうか?笠木に敵意を抱いている人間がいる事について、けれどもあの会話が事実だとしたら俺に知られている事すら笠木は嫌がるだろうし誰が聞いているかわからないような車内でしても笠木に迷惑が掛かるだけだろう……仮に伝えても不安を煽るだけだ。
「……木立くんて周りの事よく見てるよね」
「俺みたいな奴が身を守るためには必要な事だからな」
「その考えは…うん、よく分かる」
笠木は賛同するかのように頷く。
「笠木も周りをよく見ていると思う」
「え?」
笠木は意外そうな顔を俺の方へ向ける、かわいい。
「え、いや……クラスで困っている奴がいたら直ぐに気付いて手を貸したり誰にでも隔てなく接しているだろ? あれ違った?」
「やっぱり木立くんってよく見てるね」
「まぁ俺は見ているだけだけどな」
この言葉に偽りはない、俺と笠木の根本的な違いは行動の部分にある、笠木はよく見た上で最善の行動を出来る人間である、俺はよく見た上で自身を守る事しか出来ないのである。
言葉だけなら簡単だが雲泥の差がある程に笠木と俺の位置は対極にある。
「そんな事ないと思うけどなー」
「あっ……でも笠木が困ってたら助けると思う……」
笠木がは意外そうな顔をして目を見開く。
「一度ヤバイヤツ認定された時に誤解を解いてもらった借りがあるから……うん」
そう他意はないが、何かを与えてもらってばかりじゃ蕁麻疹が出そうになる。
「……そっか、じゃあ何かあったらお願いしよっかな」
恐らくその場面は一生来ないだろう、笠木が助けが必要な立場になったなら後部座席にいる陽キャが助けにいくだろうし俺が腰を上げる前に皆動く、結局俺が出来る事は何もないのだ。
しかし、そろそろ限界だ、笠木の使ってるシャンプーの匂いやこれまでに無い距離感、会話のキャッチボール、額に汗が溜まってきていた。
これまでに無い成果だろ? 笠木と会話出来て嬉しいんだ、それは間違いない。
ただ、会話馴れしていない俺のキャパは既に大洪水だ。
「木立氏! 某ホッキーの期間限定桜味噌味を購入しましたぞ、ご賞味くださいませ!」
前の席に救世主はいた、黒川が寝ていて暇なのか藤木田は前の席から顔を出してカレーのような色をしたホッキーを差し出してくる。
「お前、冒険するにも程度があるだろ、そんなもんいるか!」
「大丈夫ですぞ、食べられない事はないですぞ」
「それ不味い物を食レポする時の言い方じゃねーか!」
「しかしです……あっすいません」
そう言って藤木田は顔とホッキーを引っ込めてしまった。
恐らく俺の隣が笠木だと知らなく話しかけたが空気を読んだのだろう。
今はそんなのいらないのに……。
「木立くん達の付き合い方ってイイね、自然体で羨ましい」
笠木も一人の人間として悩みはあるのだろう、笠木には本心を話せる友達はいるのだろうか、次々と涌いてくる疑問に解を出せないまま青春の宿泊研修は始まってしまっていた。




