冬萌のゆるふわビッチ
シャワーを浴びて居間へ戻ると藤木田は先程まで着ていなかった上着を羽織り、今か今かと遠足を心待ちにしている小学生のように、ソファに腰を掛けず立ち歩きをしていた。
「どれだけ楽しみなんだよ……」
俺が呆れたように苦言を藤木田に向けると、藤木田は苦言など微塵も気にしていないような笑顔で、俺へ旅行先についての説明をつらつらと話し始めた。
「楽しみなのは当たり前でしょう! 今回の旅行先は旅行サイトや湯巡りサイト、また旅雑誌、テレビCMによる知名度の高い場所なのですぞ! それこそ木立氏がいつものように低いテンションであるのが、おかしいくらいだと某は言いたいのですぞ! それに……ほら見てくだされ!」
俺のテンションはいつもよりは高めであると言いたい、単純な話で藤木田のテンションの最高値が百だとしたら、俺の最高値が二十であるだけの話だ。
俺のテンションについては置いておくとして……孔雀が羽を広げるように、両腕を大きく広げて大の字を体現する藤木田と旅行の関連性が俺には分からない。
孔雀が羽を広げるのは求愛行動なのだが、俺もしかして求愛されてる?
「ほら……と言われようが、そんなポーズをされても意味が分からん。旅行に関係あるのかよ……」
「おやおや、木立氏はまさか知らないのですかな?」
煽りを入れて、自慢げに鼻を鳴らす藤木田の態度にイラつきはしない。むしろ俺が疑問を抱く事によって、藤木田にとっては正解の流れで知識をひけらかしたいのだろう。
「はよ言え、はよ」
様式美のように、やれやれ仕方ない。といったポーズを取りつつ、藤木田は一度咳払いをして、間を置いて俺に話始めるのであった。
「このジャケット、実は今回の旅行のために新調したのですぞ」
「それがどうした?」
「……価格は五万円でしたな」
「は? バカじゃないのかお前……」
無くなったお金を惜しむように、先ほどまで広げていた両腕をだらんとし、斜め上を見上げている様子で、ジャケットを買うまでの葛藤が読み取れる。
どこから、そんな金が出てきたのか俺の知る由はない。しかし、旅行の為に五万円の上着を買うなんて俺の感覚ではあり得ない。
そして、未だに旅行とジャケットの関連性が理解出来ない。
「厳密には旅行の為に購入した……というわけではないのですが、ジャケットに五万円をかけるくらいに、某は旅行を楽しみにしていたのですぞ!」
藤木田が旅行を楽しみにしているのは、ジャケットなんか無くても、そわそわした態度から漏れてるんだが……それを突くのは無粋な行為なのだろう。
「それに……旅行というのは出会いの宝庫なのですぞ! 黒川氏は言わずもがな……木立氏も想い人がおり、青春という舞台に必要な要素を持っていますが、某は……そういった恋に落ちるという経験に縁がないのでありますぞ」
もう端的に、「女受けを意識しましたぞ!」と答えてほしい、一行で済むだろうに。
しかし、これも無粋であるのだろう。
「それでファッションを武器に旅行先で……陽キャ風に言うとワンチャンを狙ってるわけだな?」
「ですぞ!」
そんな都合のいい展開が有り得るのだろうかーー否、青春ラブコメの世界線じゃない事は、俺が身を以て体現しているからこそ、現実を藤木田に説いてやりたい。
主人公補正のない現実において、女性から声を掛けられるのはイケメンである事が必須条件だ。
それに男で三人旅なのだ、イケメンでも半分無理がある。女性からしたら声を掛けづらい事、この上ないと俺は思う。
何より、黒川にそんな気が無い事は分かっているが、声を掛けられるなら藤木田や俺じゃなく、黒川一択なのだ。自分でも悲しくなるが、黒川と俺たちでは顔面偏差値に遥かに高く厚い壁が存在する。
そう、俺は言ってやりたい。しかし、考えを全て言葉にして発信するというのは正解ではない、不正解である場合が多い。
何より、藤木田のこんなに楽しそうな顔を見ていると流石に言えないよなぁ……。
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幾許か時間を潰しつつ、バス停を到着すると、黒川は俺と藤木田よりも早く到着していたようであった。
「おはよさん」
「おはようですぞ! 黒川氏!」
「あぁ……」
心なしか、黒川の返事は覇気がなく、いつものようなクールさというよりは、暗く重い返答に聞こえた。
「……黒川、何時にバス停に到着した?」
「三時間前だ」
そう、宿泊研修の時もそうだった。黒川も俺よりは藤木田側の感覚に近く、気分が高揚してしまう遠足症候群を発症しやすい。
そもそも早く着いたところで、バスの本数は限られてるし、なんなら藤木田みたく俺の家に寄ればよかったのに、変なところで考えが急ってしまっているのだろう。
「黒川氏……それはあまりに早すぎですな。遠足が楽しみな小学生みたいですぞ!」
「いや、お前もだからな。俺が寝てる時には、家に侵入してたくせに何言ってやがる……」
「ふっ……藤木田らしいじゃないか……だが、木立はいつも通りで安心だ」
「……まぁ、な」
黒川の言う安心とはクリスマスと年始における俺と田中の話なのだろう。
恥ずかしいから触れてやらないけど。今は束の間の休息を俺は楽しみたい、俺の選択がどのような未来を描くかはもう少し先の話で、今は緩やかに身を任せたい。
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バス停に到着して十数分経過して、俺達以外にも年始の旅行者は多いのか、まばらに人が増えてバスの到着を待ち望んでいると、送迎バスが到着した。
バスに乗り込むと最後部は五人乗りの席となっている、普段は陽キャ御用達の専用席ではあるが、ここぞとばかりに黒川は最後方まで歩いていく。
「ふむ……人が多いな、後方窓際の席は俺がいただくとしよう……」
「黒川氏に特等席を取られてしまいましたぞ! それにしても某達以外に学生は見当たりませんな」
「いない方がいいだろ、学生なんて猿と変わらん。旅行を騒ぐ為の免罪符として、利用し始める事は分かり切っている」
「木立氏は今年も変わらずに棘がある言い方をしますな……しかし、一理ある事も否定は出来ませぬ……むむむっ」
流石、どれだけファッションに詳しくなってクラスに溶け込もうが、陰者の心を忘れない藤木田大先生だ。
そう、人間の根は変わらないのだ。どれだけ表面上取り繕っても結局のところ、蓋を開けて見れば、出てくるのは長年で培われた人間性であると俺は言いたい。
よって、藤木田には残念なお知らせで、旅行における出会いなど存在しないと俺はーー。
「木立、残念な知らせだ」
「え? 俺に?」
窓の外を見ていた黒川は、藤木田ではなく俺に残念なお知らせを告げてくる。
サイコメトラーかな? しかし藤木田のワンチャン目的はまだ話してなかったはずだが……。
「もうすぐ、このバスは木立の嫌いな動物園へ変貌を遂げる」
「何言ってんだ……?」
数十秒後、黒川の言葉は適確に捉えていた事を知った。席に座り一息つく暇まなく、バスの入り口で大きな足音を立てつつ、一人の女性が姿を見せてくる。
「間に合った!」
女性が発した、一見は普通の一言。
しかし、それが人間ではなく猿寄りの発言である事を察するに、時間は必要無かった。
声の音量、イントネーション、そして……その言葉を発した女性の外見は、温泉地よりもクラブが似合いそうな外見をしていたからだ。
バスに乗るや否や、開口一番で注目を集める女性は、注目などお構いなしと体現するように、バスの入り口へ身体を向けて再度、大声で呼びかけ手招きをしていた。
「萌、早く!」
その言葉から数秒後、バスに乗り込んできた二人目の女性は、先に乗りこんできた女性と雰囲気が少し異なり、一言で表すなら、ゆるふわ。
しかし、雰囲気は異なれど、まごう事無き陽キャ側の人間である事は明白であった。
「みーちゃん、置いてったぁ~ひどいぃぃ!」
「間に合ったからいいじゃん! ほら、座るよ! つーか、後ろ空いてんじゃん!」
は? 何言ってんだ? 後ろの席なんか空いてないのだが?
しかし、俺の脳内ボイスとは裏腹に、二人の女性は俺達三人が座る席の方まで歩いてきた。
え? 何? もしかして俺らの姿見えてないの? 陰キャ極め過ぎちゃった俺らが悪いんだね、そうだね、ごめんね。
「隣いい?」
「んぇ……?」
俺が気持ち悪い鳴き声を発して、返答をする前に一人の女性は席へ腰掛ける。
初対面から敬語ではなく、距離が近い喋り方は止めてもらいたい。友達かと錯覚してしまう。
やはり陽キャ……コミュ力に振ってやがる。
「ほら! 萌も早く座って!」
「あっ……えっと、いいんれすか?」
「あっ、はい」
間違いない……ハキハキした方は恐らく田中と同系統の人種。だが……もう一人は、巷で噂される、ゆるふわビッチッ!
舌足らずな喋り方、異様にもこもこした服装、オタサーの姫みたいな、キモータ受けが良さそうな外見がなによりの証拠だ。
黒川の宣言通り、嫌な予感しかしない旅行が始まった。




