冬萌に気付いた彼は
笠木に先導されるまま地下街に移動すると、多くの店は年始休みでシャッターを閉じているようであった。
普段と違い、歩行者がいなければ、さながらゴーストタウンのようになるだろうと、少しだけ黒川が喜びそうな事を考えてしまう。
地下街にあるパン屋の嗅いでいるだけで甘ったるい胸焼けしそうなバターの香り、立ち食い蕎麦の濃い醤油の香り。
いつもなら存在している要素がパズルのピースのように抜け落ちて落ち着かない。
いや……落ち着かない理由はそこじゃない。
目の前でキョロキョロしながら開いている店を探す笠木と、俺より数歩だけ遅れて歩く田中がいるからだ。
これから重苦しい話をしなくてはいけない状況であり、明確に悪役が存在しない話だからこそ、完全な結論が存在しない。
俺はそういった話が苦手だ。
白か黒かはっきりしない物が苦手であり、予測が出来ないのと同義である。
宝があるか分からない宝探しみたいな事をしたくないのだ。最低賃金のように保証が欲しい。
人間関係なんて数値化どころか、文字で表すのすら難しい話に保証なんて求めても仕方ないのだが、新年早々に安堵は訪れないようだ。
「ねぇ」
これからどんな会話がされるのか想像をすると胃がキリキリする。
学級会でタカシくんがミカちゃんを泣かしていました、謝った方がいいと思います! みたいな尋問が行われーー
「ねぇってば!」
「……あぁ、俺か。すまん」
田中の声が聞こえなかったわけではないし、難聴系主人公のように振舞っていたわけじゃない。
笠木に話しかけているのかと勘違いしていた。
「アンタは……その……迷惑じゃないの?」
田中が言う迷惑とは何を指しているのか分からないが、少なくとも迷惑だとは思わない。
笠木に関しても意地悪や余計なお節介ではなく、冬休み明けの俺と田中を配慮してのムーブをしているだけだろう。
そして田中も自身の逃げの理由ではなく、俺がこういう事を苦手だと知っているからこその配慮に違いない、そう思う。
「迷惑ではないが面倒ではあるな」
「じゃ、じゃあ……アタシから雪に言っておくから帰りなよ」
「何言ってんだ? 俺が言ってるのは、このギクシャクした関係を長引かせるのが面倒って意味だ。だから田中が逆に嫌じゃないなら、いつも通りに戻すため早々に片付ける必要がある」
今も尚、足は止めずに目の前の背中を追う。俺の目的は変わらない。
「そう……だよね。いつも通り、いつも通りから始めなきゃダメだよね」
本当に面倒な奴だ、気の利いた台詞一つ言えずに気を遣わせてしまうなんて俺は何も出来てやしない。
あてもなく彷徨うゾンビのような一日を過ごす事を懸念していたが、年始でも営業している店は存在していたようで、コーヒーの匂いに一本釣りされた笠木は、店の入り口まで到着すると、俺と田中を手招きしてくる。
手っ取り早く片付けたいものだが、俺の裁量で決められないだけ考えるだけ無駄なのだろう。
ここは八方美人の笠木に期待して流れに身を任せよう。
笠木が真っ先に古びた外観に不釣り合いな自動ドアに吸い込まれて、俺と田中も後に続く。
地下街よりも濃いコーヒーの匂いが満ちている空間は、これから口にするであろう苦さを想像させるには十分であった。
俺が店内を見回している間に笠木は店員との話し合いを終えて、振り向きながら奥の座席を指差していた。
「好きな席でいいんだって! 角席とかいいかな?」
「あぁ……田中は?」
一呼吸置いて話しかけるも、田中は僅かながら同意する返答のみで会話を終えた。
「貸切だね! 得した気分かも!」
笠木は俺と田中の雰囲気の悪さを察してか唐突に俺たちにとっては嬉しいアシストながら、店員にとっては痛いパスを蹴り始めた。
笠木の悪い部分が出ている。
いや、俺がネガティブなだけだろうか? 考えすぎなのかと思っていたが、俺の横に立っていた田中も何か言いたげな表情をしていたので、今回は俺が正解だろう。
貸切って事は、裏返してみれば客入りが悪いという事であり、笠木の言葉を陰訳すると……
「この店、人いねーな。年始にわざわざ営業する意味ある?」
俺が店主の立場なら顔をヒクつかせている。現に業種は違えど接客業をしている田中が、店主の代わりに顔をヒクつかせている。
笠木に悪気はない。春に比べて俺に対して辛辣な発言が多くはなっている気はするが、基本的に素直に思った事をそのまま口から出してしまうタイプなのだろう。
社会に出たら俺より苦労しそう、俺は社会に出る気がないから苦労するのは俺の両親ではあるのだけれど。
そんな笠木だと知っているからこそ、田中も怒るに怒れないのだろう。
先ほどと違い、諦めたように眉の角度が下がり、肩を撫で下ろしてため息を吐いていた。
「なんか角席って落ち着くよね」
席に着くや否や笠木は相変わらず口数の少ない俺と田中の代わりに場の空気を取り持とうとする中身のない会話を広げてくる。
恐らく会話の切り口を探しているのだろう。
ここで俺が返答するのは簡単だが、敢えて返答をしない。
入口でのやり取りで分かったが田中の口数が妙に少ない。
理由は緊張とかそんなところだろうが、どちらにせよ俺が返答をしてしまうと、笠木と俺のみで会話が進行してしまう可能性がある。
この場合の最適解は、笠木の言葉に対して田中に返答をしてもらう方だ。
俺が返答をしないとなると田中は笠木と俺を気遣って、否応にでも返答をしてくるだろう。
そこに俺が滑り込むように返答をする事で無理やり田中を会話に落とし込む事が可能となる。
ただ、唐突に女子特有のネイルトークとかになったら俺が入り込めないから、そこは許してほしい。
「雪って絶対に感覚変、窓際とかの方が良くない?」
「俺は笠木寄りだな、むしろ角席が空いてなきゃ店に入った事を後悔する。こんな店の窓際とか新年で気の抜けたジジババ、新年というワードを理由に謎のテンションアップしたウェイウェイする猿の大学生しか見るものがないだろ」
一先ずはこれでいい。後は舵取りをしている笠木がどこで会話の進路を決めるかだ。
「わ、私は……窓際にいたら、見られたりしてる気がして好きじゃないかな……」
「あーなんとなく分かる。アタシはそーゆうの気にしない方だけど、たまにコイツ見てんなーって感じる時あってゾワッとすんだよね」
窓際に笠木みたいな美少女が座ってたら見るのは必然であり義務である。
良い意味で注目された事なんか無いから笠木の感覚は分からんのだけれども。
しかし、俺の笠木ウォッチングが初期からバレていた疑惑があるな。マジで気を付けよう、うん。
「あっ! そういえば五月の頃に木立くん、綾香に通学路で怒られてたよね。まだ一年経ってないのに懐かしい感じするかも」
……あの時の田中とかケバ過ぎて別の意味でも恐怖だったんだよな。随分と懐かしく感じる。
陰キャの俺には濃い一年だったんだろう。昨年の俺に敬礼。
「あ、あれは、その……うん。ふつーに気持ち悪くて……ごめん」
「いや、気持ち悪い行動には違いないから謝らなくていい」
謝られると逆に申し訳なくなるのはどうしてだろうか。
気持ち悪い行動の自覚があるからです、はい。自己完結って素敵!
「あっ、ありがとうございます」
幕間の話のように、楽しかった青春を懐かしんでいると店員が持ってきたメニュー表を受け取った笠木は、俺と田中にも見えるように広げて見せた。
無言でメニューを眺め続けるが、俺の注文は決まっている。
有名な青春ラブコメライトノベルの主人公は人生は苦いから飲み物は甘い方がいい。といった名言を残している。
俺の場合そうはいかない。田中のマフラーを見た時から、なんとなく思っていた事がある。
だから甘さを捨てる為に、苦いくらいが丁度いいのだ。




