襲撃者と、託された者と
「な! お役人さん、いったいなにをっ!」
文字通り尻に火が付いた二頭の馬はいななき、大きく立ち上がると、とんでもない速度で走り出す。
「何だ!?」
「ど、どうした?」
傭兵隊の隊長の鋭い声と行商人の狼狽えた声に応えたのは、頭上の方から風を切り裂いて飛来する幾本もの矢。
「うわあ!」
「た、助けて!」
幌を突き破って降り注ぐ矢に、互いを庇い合うようにして頭を抱える農夫の親子。
「山賊か? それとも刺客か!?」
「刺客に決まっているだろ! クソッ! 待ち伏せしていたとでも言うのか!」
幸いにも最初の矢は、乗客の誰にも刺さる事はなく馬車の床と行商人の荷物へ突き刺さった。
その直後、メキメキッという音が聞こえて後方を見る。すると道を塞ぐように大木が倒れ、その向こうに取り残されてまごつく護衛の傭兵たちの姿が見えた。あれでは後続の護衛たちが追って来られない。分断された形だ。
馬車はますます速さを増して、みるみるうちに商隊と護衛達の姿が見えなくなった。
にわかに騒がしくなる客車内で、四人組の男の一人が全員を叱り飛ばす。
「落ち着け! 何とかして馬車を制御しろ!」
跳ね上げたフードの下から現れた顔は、初老程の年配の男。
くすんだ銀色の長い髪を後ろで一つに結わえ、口元には立派な髭。精悍と言って良い顔つき。若い頃はさぞかし異性にモテただろうとわかる。
「も、もしかして貴族様!?」
「ど、どうして貴族様が乗合馬車なんかに?」
「貴族とて馬車くらい乗る!」
その身なりと首元のループタイの留め金、袖口のカフスに家紋らしき紋章から貴族ではないかと見当を付けたのだろう、悲鳴のような声で疑問を口にした中年の農夫と行商人へ貴族だったらしい傭兵隊の隊長が叫んだ。
「頭を低くして矢から身を隠せ! 決して顔を上げるな!」
「ひっ」
ザクザクと矢が幌を突き破る音がして、農夫の親子と行商人が慌てて床に這いつくばった。
「数は?」
「後方に五騎!」
俺と農夫の倅を押し退けるようにして、馬車の後方から外を覗き見たフードの一人が鋭く答えた。
「殺れるか!?」
「こう激しく揺れると狙いが……」
「外しても構わん! 牽制代わりになる!」
フードを跳ね上げた二人――まだ二十歳前後の男女だった――が、弓に矢を番えて射る。
馬車が上下左右に激しく揺れて、行商人の商品らしき芋や玉葱などが散らばった。
「ちっ、ええい! せめてもう少しまっすぐ走れんのか!」
隊長が御者へ振り返ったが――。
その直後、馬の悲鳴のようないななきが聞こえると、大きな石か地面の凹凸に乗り上げたのか馬車が一際激しく跳ね上がった。
「うわっ!」
「わあああ……」
御者の老人と、俺の隣に座っていた農夫の倅の悲鳴。
大きな衝撃を受けて御者の老人が御者台から弾き飛ばされ、後ろの席で半立ちになって前方の様子を窺っていた農夫の倅も、客車から転げ落ちた。
でも、落ちた二人を気遣ってはいられない。
御者を失って制御を失った馬車は、何度も激しく岸壁に打ち付け俺たちはその度に酷く身体を車体にぶつける羽目になった。
傭兵隊の隊長とその部下らしい男女二人も、今は客車にしがみつくので精一杯の様子。
誰もが必死に客車の縁を掴んでいた。
口を開けば舌を噛んでしまいそうだ。
どのくらいの距離、どのくらいの時間暴走を続けたのか。
馬車から振り落とされまい、身体をぶつけまいと耐えている俺たちにとって、果てしなく長い時間が流れたように感じられたが実際には数十秒程度の事だっただろう。
直線からカーブに差し掛かった所で、客車が遠心力に耐えきれずついに崖から空中へと投げ出された。
地面から浮き上がった客車の重みに、当然繋がれた馬も引き摺られて――。
「うああああああああああああああああ」
誰の者かもわからない悲鳴。
客車の天井の幌がバタバタと激しく音を立て、身体は不気味な浮遊感を覚えた。
「『転移』!」
俺は一瞬視界の端に捉えた空へ『転移』の権能を発動。
他人に構っている余裕は無かった。
距離等明確に定めず偶然見えた空へ転移した俺は、空中に飛び出す格好に。
唐突な視界の変化から来る乗り物酔いに似た立ち眩みは、子どもの頃からやってきた特訓で慣れているとはいえキツイものがあった。だがヘタレてはいられない。こみ上げる吐き気をこらえて『飛行術』の権能を発動。
落ちていった馬車を追いかける。
空中でモタモタしていられない。
矢を射ってきた者がいる。空に浮いていれば格好の的だ。
今の俺に命を狙われる覚えは無いし、農夫の親子にもあるとは思えない。命を狙われる可能性があるなら商売上のトラブルが考えられる行商人か傭兵隊の護衛していた人物だと思う。
でもここまで用意周到に襲ってくる敵が、無関係だからと見逃してくれはしないだろう。
何しろ俺なんて空を飛んでいる時点で、敵に回せば厄介な魔法士であること確定だからな。
ガシャンッという激しい音とともに、馬車が大地に叩きつけられのが見えた。
幌が張られていた骨組みは折れて幌の布を突き破り、車輪は車軸から外れて吹き飛んでいき、客車の台車の木組みが大きく割れていた。
「おい、大丈、夫か……」
声が途中で小さくなってしまった。
崖は切り立っていたわけでなく斜面になっていたが、結構な高さを落ちてきたのだ。
大地に叩きつけられて客車は一度弾んだのだろう。後方に移ってきて弓矢を射っていた二人は、その時に外へ放り出されたのか、馬車から少し離れた場所に倒れていた。死んだのかそれとも意識を失っているのか二人ともピクリとも動かない。
二人に近寄ろうとして俺は何かに躓いた。
重量感のある台車の縁と地面に頭を挟まれた状態で、農夫の父親がうつ伏せに倒れていた。地面に血が広がっている。これでは即死だろう。
「うう……」
馬車の中から声がする。
俺は急いでナイフを取り出すと、幌の布を切り裂く。
行商人だ。
まだ生きている――が、腹部を折れた幌の骨組みが貫いていた。
これでは助からない。
「おい……」
横合いから声を掛けられて見ると傭兵隊の隊長、いや貴族だった初老の男と。
何だ、これ?
淡く白く輝いている繭だ。
「私は、エイジェス・ヴァン・レイ・ルドリアムという者だ。頼みがある……」
男がエイジェスと名乗る間に光の繭に亀裂が走り、
「この方を……連れて、逃げてくれ」
繭の中から彼らが護衛していた小柄でフードを被っていた人物が現れた。
女の子だ。
まだ少女と呼んだほうが良い歳頃。
白い肌、整った鼻梁、長いまつ毛、蜂蜜色の柔らかそうな金髪。
美しい少女だ。
エルフのルーシアも美人だったが、この子はどこか危うげで儚げな雰囲気を持っている。
「できるなら、護衛の者と合流を――」
そこまで言った時に、風切り音。
咄嗟に俺は女の子を抱き抱えると、壊れた客車の陰に隠れる。
エイジェスと名乗った隊長も半身だけ起こした状態で身体を引き摺り、客車の陰へと入る。
「あんた、足の骨を……」
「両足だなこれは……」
激痛に脂汗を浮かべつつも、苦い笑みを見せて頷くエイジェス。
これでは逃げることもできない。
「契約の名のもとに、降り注げ焔――『火炎弾』!」
痛みを堪えて客車の陰から身を乗り出したエイジェスが、手のひらから複数の炎弾を飛ばした。
魔法だ。
貴族らしいから魔法が使えてもおかしくはない。
「幸い両手は、無事だったからな。私が魔法で時間を稼ぐ。だからその方を――」
「待ってくれ」
荒い息を吐いて懇願するエイジェスの言葉を遮った。
「この矢を射ち込んでいるのがあんたらを狙っているとして、連中はどうしてこの馬車にあんたらが乗り込んでいることを知ってたんだ」
「……何?」
「商隊には他にも馬車がいた。商品を満載した明らかに商会の馬車は除いても、王都方面に向かう乗合馬車は他にもあった。この馬車だけを的確に狙えたのはおかしいんじゃないか?」
「……内通者が、いるということか」
俺は頷いた。
商会の馬車は省いてもいいだろう。
大事な商品を運ぶ役目を飛び入りの新人に任せるとは思えない。
「別の乗合馬車の乗客か、あるいはあんたら護衛隊の中に裏切り者がいたかだ」
「馬鹿な! 護衛隊の者は騎士団から派遣された、信頼の置ける者たちばかりだ」
騎士団、騎士団ね。
このおっさん、軍閥貴族の派閥、通称騎士団に所属する貴族か。
騎士団は王国軍内に強い権勢を誇る軍閥貴族の通称。
当然所属する者も古い貴族、騎士階級の者が多く、武芸にも魔法にも長けたエリートが所属する部隊だ。
「詳しい話を聞いてる時間はないけど、状況からしてどうせお家騒動とか、権力闘争の類に巻き込まれたんだろう? だったら相手方が騎士団の、あんたの部下の中に密偵を潜り込ませていても不思議じゃない」
渋い顔をするエイジェスに言うと、俺は矢が飛来する合間を縫って客車の陰から顔を出す。
「あいつら、下りてきてる」
「クソッ……『火炎弾』!」
炎弾が一発命中し、斜面を下りてきていた男の一人が転落した。
降り注ぐ矢の数が激しくなった。
「……君はこの状況で良く頭が回るな。魔法も使えるのだろう? 落ちた時に魔力を感じた。もしかして貴族か?」
「違う。ただの農夫の倅だよ」
「農夫の倅がどうして旅なんか?」
「王都に行って士官学校を受験するつもりなんだ」
「王立士官学校か?」
俺は頷いた。
「そうか。ならば丁度いい。その方を連れて王都へ行ってくれ。君の話を聞いてみれば、護衛隊も全面的に信用は難しいようだ。となれば君を信じてそうするしかない」
「逃げ切れるとは限らないぞ?」
「ここにいるよりはマシだろう? なに時間は稼いでやるさ」
「そうか」
俺は眠ったままの少女を抱え起こすと背負った。
思った以上に軽い。
「問題は、どうやってこの矢を掻い潜ってあそこまで行くか、だ」
エイジェスの目は、崖から十メートルは離れた茂みを見ていた。茂みから先は森になっているようだ。
ただ、そこにたどり着くまでは何も障害物が無く、追っ手から射線が通っている。
「大丈夫さ」
権能を使えば全く問題ない。
「とにかく王都まで行けばいいんだな?」
「最悪、護衛隊との合流を目指しても構わない。密偵が紛れ込んでいる可能性は確かに高いが、全員が密偵なはずはないからな」
「了解した。俺はイオニス。イオニス・ラントだ」
「イオニスか。その名前、覚えておく。これを持っていってくれ」
手渡されたのは袖口のカフスボタン。
「我が家の紋章が刻まれている。何か役に立つことがあるかもしれない」
「わかった」
「頼んだぞ」
「イオニスの名において命ずる。我が身を彼方へ――『転移』!」
次の瞬間、俺と少女の身体は十メートル先にあった茂みの傍に現れる。
エイジェスがこちらを見て目を見張るのが見えた。
俺は任せろという風に片手を軽く振ってみせると、森の中へ飛び込んだ。
しばらくして、後方から爆音が幾つか響き――やがて何も聞こえなくなったのだった。
3/27 騎士団=王国軍内の組織の一つ⇒王国軍内に強い勢力を持つ軍閥貴族の通称に変更。