修道院と、二百年の歴史と
沖に突然現れたドラゴンによる船への襲撃。その船から脱出したエルフたちによって発覚した、この付近の土地の領主にして豪商バーンズ氏の奴隷密売の発覚。
あの騒動が起きてから三日が過ぎた今も、カルネの町では上を下への大騒ぎになっているのだけれど、町の岬に建つカーテルーナ修道院では、そんな世俗の騒ぎとは無縁のような静けさを保ったままだった。
この三日の間に俺とルナレシアは、カルネの町へと入った王国軍から何度も事情聴取を受ける事になった。
事情聴取と言っても、ほとんどの説明はルナレシアがしてくれたけど。
王国軍の指揮官も、相手が王女。それも自分たちを庇護する立場に立つルナレシア王女が相手という事で、随分と丁寧な応対だった。
ちなみに王国軍への説明は企図していたとおり、俺とルナレシアがバーンズ氏の招待を受けて彼の屋敷に滞在中、突然出現したドラゴンがバーンズ氏の所有する交易船を襲撃。その船には秘密裏に奴隷として他国へ運ばれようとしていたエルフ族が乗船していて、船が破壊された騒ぎで逃げ出してきたところを、たまたま居合わせた王女が保護したという事になっている。
そしてルナレシアの立ち会いの下で、ルーシアたちに奴隷狩りの実態を証言してもらった。ただし、ルーシアたちエルフ族がこの町に集って、同胞を奪還しようとしていた事は王国軍へ話したりはしなかった。
また、出現したドラゴン――というか真龍を召喚したのが実は俺で、船に乗船していた老魔導士と魔神の事も話していない。
あくまでも野良ドラゴンが、気まぐれにも沖を行く船を襲い、その船に奴隷として乗せられていたエルフ族がこの騒ぎに乗じて逃げ出したところを、たまたま旅行でこの町を訪れていた王女が保護した。
これだけの証拠があれば、奴隷狩りと奴隷密売の罪を犯したバーンズ氏を裁くことができるだろう。
そうして三日も過ぎた頃、ようやく王国軍からの事情聴取等などの後始末が片付き、俺たちは当初の予定にあったカーテルーナ修道院を訪れる事にしたのだ。
あの騒ぎに気がついていないはずも無いのに、修道院への道を行き交う人々は、不思議と落ち着いた雰囲気を保っていた。
あれかな?
道から見える大聖堂のどっしりとした石造りの重厚さが醸し出す風格と、築二百年を数える歴史のおかげかもしれない。
というか近くまで行ってみて知ったのだけど、カーテルーナ修道院の大聖堂は、まだ建築の真っ最中だった。
前世で訪れた時には、大聖堂の天井部分に大きな穴が空いていたのを覚えている。
あれは戦火に巻き込まれて崩れ落ちたものだと思っていたのだが、どうやらまだ建築中で完成していなかっただけのようだ。
というか、カーテルーナ修道院って建立から二百年以上の歴史があるんだろう?
二百年も掛かっていて、まだ大聖堂が完成していないのか!
修道院の周囲には木材や石材が山のように積んであって、年末も近いというのに職人らしき姿格好の者がちらほらと働いていた。
ドワーフの姿もあるな。
大きな石材を前にして太い腕で腕組みをして唸っているが、どうやら何かの彫刻を施している様子。
手先が器用な彼らが神様か聖人の石像を彫り、完成させてから建物の上部へ運び上げるのだろうか?
大聖堂へいよいよ近づいてみると、その建物の大きさに圧倒された。
というか、本当にでかいな。
王都の王宮で一番高い塔よりも高いかもしれない。
これでまだ完成していないというのだから驚かされる。
それにしても石造りの大きな建物は、独特の迫力がある。
こう、真龍にも通じるものがあるというか、ただそこにドーンと建っているだけで、心が震えてくるというか……。
この大聖堂の周囲に集まっている人々が、先刻のドラゴン出現の騒ぎがあってもどこか落ち着いた雰囲気にあるのは、大聖堂の持つこの威容のおかげだという俺の推測も、あながち間違いでは無さそう。
大聖堂の周辺にはところどころ物資の集積所が作られていて、石材や足場に使うための木材が大量に積み上げられていた。
その大聖堂と物資集積所の間を行き交う工人たちの邪魔にならないよう通り過ぎると、大聖堂の横手に石と泥を固めた壁の、平屋建てで質素な造りの建物が見えた。
「わあ、こちらを出たのは一年前程度なのに、何だかとっても懐かしいです」
ルナレシアが目を細めて辺りを見回す。
「ここがルナの預けられていた所なの?」
「はい。あそこは皆が日々の生活を送る場所なのです」
修道院で暮らす人々は、あの平屋で共同生活を送り、未完成の大聖堂でお祈りなどの日々の日課を済ませるらしい。
ルナレシアも修道院でそんな毎日を送っていた。
建物が目に入った途端、ルナレシアは今にも飛び出していきそうだ。
王宮よりもここで生活していた時間の方が長いそうだから、帰ってきたルナレシアのはしゃぐ気持ちはわかる。
『ねえ、イオ。私も一緒についてきて良かったのかしら』
俺の腕をツンツンと突いたのはルーシアだ。
バーンズ氏によって囚えられていたエルフ族の同胞を解放した後、ルーシアは彼らと共に帰らずに俺たちと同行していた。
町ではルナレシアの呼び寄せた王国軍の一部隊によって、バーンズ氏の構えていた屋敷、商会、さらには町の行政に係る建物が抑えられている。
そしてバーンズ氏本人も、王国軍によって身柄を拘束されているのだが、貴族であるバーンズ氏を王国軍が裁く権限は無い。
近日中に王都へ送還されるはずで、ルーシアはそれを見届けるためにカルネの町に残る事にしたらしい。
ただ、ドラゴンが襲撃してきた船に、大勢のエルフ族が奴隷として囚われていたという話がもう町中で噂になっていて、エルフが町にいると好奇の目を向けられてしまう。
そこでルーシアが俺の幼馴染みだと知ったルナレシアが、町から少し離れた修道院に滞在してはどうかと提案したのだ。
『ルーシア様。修道院では古来より巡礼に訪れる旅人を饗して参りました。遠慮なんてしないでくださいね』
『ルナもこう言ってるんだ。遠慮なく世話になろうぜ?』
『それにルーシア様はイオとも親しいと伺いました。その、もしよろしければ私とも仲良くしてくださいましたら、とても嬉しいです』
『ありがとう。こちらこそ、仲良くしてもらえると嬉しいわ』
ルーシアはそう言うと、ちょっと驚いたような顔で俺を見た。
『人族の貴族とか王族って、もっと高圧的な態度を取るような人ばかりって思っていたけれど、そうじゃない人もいるのね』
ルーシアの里も奴隷狩りの被害に遭遇しているし、人の貴族への印象は悪いだろうからそう思うのも無理は無いかもしれない。
「……姫様? まあ、姫様ではありませんか? いつこちらへお戻りに? ご連絡頂けたら、飛空艇桟橋までお迎えに上がりましたのに」
そう言って俺たちを出迎えてくれたのは、修道服に身を包んだ老齢の女性だった。
皺の深い顔には穏やかな微笑みを浮かべている。
「お久しぶりです、院長先生。こちらへは四日前には着いていたのですが、久しぶりの帰省でしたので、少し町を見て歩きたかったのです」
バーンズ氏と奴隷密売組織、そして町の沖で起きた騒動には触れずルナレシアはそう言うと、二人はそっと抱き合った。
「まあまあ、そうでしたか。小さな町ですもの。それはゆっくりと見て回ることができたでしょう。でも、この町は物が別の場所から運ばれてきて、別の場所へと運ばれていくただの中継地。何も変わったところは無かったでしょう?」
「そんな事は無いですよ。大聖堂がまた高くなってます」
「ああ、そういえばそうね。ここでずっと暮らしていて、大聖堂が建てられていくのを毎日見続けていると、変化していた事に気づけないのね。でも、そうね……私の目でもすぐに変化に気づけるものはあったわ。姫様、一年前に比べて随分と背が伸びましたね。それに、ますますお綺麗になられて」
ああ、そういえば俺が出会った頃よりもさらに背丈が伸びたかもしれない。それに身体つきも女性らしさを帯びてきているかも。
まあ、ルーシアに比べるとまだ全然子どもっぽい体型だけど、なかなか身近だと、ちょっとずつ起きる変化には気づきにくいのかもしれない。
そこでふと院長の老修道女は俺とルーシアを見た。
「院長先生。こちらは、私が王都の士官学校で大変お世話になっているイオニス様と、それから友人のルーシア様です。この度の私の帰省にも付き合ってくださいました」
「まあまあ、姫様が王都でお世話に? それにエルフの方なんて珍しいわ。はじめまして。私はこの修道院を任されていますリゼと申します」
「イオニス・ラントです」
「ルーシア・ウィル・フィアリア・シュレーン、デス。会ウ、デキテ嬉シデス?」
おお!? 拙いけれどもリヴェリア語だ!
ルーシア、いつの間にリヴェリア語を覚えたんだ?
「イオニスさんとルーシアさんね。私もお二人に出会えて嬉しいわ。さあさあ、ここは寒いのでとりあえず中にお入りなさいな。王都からの旅路でさぞお疲れの事でしょう。何もありませんけれど、ごゆっくりお寛ぎくださいな」
リゼ院長が用意してくれた部屋は、粗末な木製のベッドがあるだけの簡素な部屋だった。
「さて」
一言呟くと、背負っていた大剣を石壁に立て掛ける。
こんな騒動に巻き込まれると思っていなかったので、大剣は旅の荷物になると思い、寮の部屋へ置いてきたのだけど……『物質転移』で取り寄せる事になってしまった。
『物質転移』は取り寄せはできても、返送とかできないんだよな。結局荷物を、それも結構な重量があるものを増やす結果になってしまった。
今回のケースだと『武器創造』で大剣のイミテーションを創ったほうが良かったかもしれない。
『武器創造』で創り出した武器ならば、消すことができる。
本来は味方に与える武器を大量に創り出すための権能……いや、権能に漂う邪悪臭からすると、暗殺に使用する凶器を創造する使い方が一番正しいのかもしれない。
証拠隠滅できるので。
ところで、案内してもらった部屋の事だが、以前俺が利用した王都の安宿よりも狭い部屋だった。
でも、ベッドのシーツには皺一つ見られず、毛布は日に干してあったのか日向の匂いがして、石床には塵一つ見られず掃除が行き届いていた。
そして建物自体が石材と泥を使って建てられているので、一見部屋の中も寒々しい印象を与えてくるのだが、部屋の中には陶器で作られた火鉢が用意されていて、赤々と燃える木炭がたっぷりと焚べられていた。
さらに部屋の隅の桶には、替えの木炭も用意してある。
質素倹約の生活の中に、客を饗すための心遣いも見て取れて、なるほどルナレシアが健全に育った背景が良くわかるというものだ。
このカルネの町に到着して早々、とんでもない騒ぎに巻き込まれてしまったけれど、この修道院でゆっくりと年末年始の休暇が過ごせそう。
ルナレシアも嬉しそうだったし、来て良かったなと思う。




