幻と、炎の鳥と
『まさか!? 消えた?』
「っ! 上じゃ!」
バッと空を仰いだ魔神と老魔導士が、魔神の頭上に『転移』で転移した俺を視界に捉える。だがその直後、俺の身体は乳白色の霧のようなものが覆い隠された。
「魔法で霧を生み出したおったのか!? 仕掛けてくるぞ!」
「イオニスの名において命ずる。哀れなる贄を喰らえ――『竜牙裂』!」
急激な視界の変化に伴うめまいを我慢し、そのまま自由落下に任せて『竜牙裂』を発動。
バグンッと見えざる大きな顎が空間をえぐる。
しかし。
『――危ないところでしたね』
抉り取ったのは魔神のステッキだけ。
決まれば上半身をえぐれただろうに、もう一歩のところで躱されてしまっていた。
『驚きました。まさか界に似た魔法まで使えるとは……。あなた、私の眷属とも契約されてらっしゃるのですか?』
トトンと、軽やかな足音を立てて魔神が距離を取る。
「まるで奇術師のようじゃな。いったい幾つ手の内を隠しているのか。これは儂も手を貸したほうが良いかのぉ?」
『必要ありません――ですが、ただそこで見ていても退屈なだけでしょう? 久々の魔法戦、アダンも楽しまれてみてはいかがです?』
「フォッフォッフォ。そうじゃなぁ……エルフどもは精霊を封じてしまえば話にならんし、修めた業も朽ちるばかりじゃわい」
『まだ全てを見せているとは思えませんが、切り札のドラゴン召喚を封じている以上、気をつけるべきは先程の転移と同時に使った、空間を抉る魔法だけでしょう』
「ふむ、じゃあ少々儂も運動してみるかのぉ」
何だ?
老魔導士の周囲に半透明にボウっと光を放つ球体が、幾つも出現する。
魔力の塊か?
魔神などの超常的存在が得意とする『魔力弾』か?
魔力を弾丸のように撃ち出す術で、俺の『光塵矢』の権能に似た魔法だ。契約した魔神の力を操る魔導士なら、大抵の者が使える基本的な攻撃魔法である。
「まずは小手調べじゃ。ほれ!」
撃ち出された『魔力弾』の速度は、思っていたよりも遅いものだった。
俺の『光塵矢』と比べてももちろん、もしかしたら人の投擲した石よりも遅いかもしれない。
撃ち出された『魔力弾』こそ二十発近い数で多いものの、これならわざわざ防がずとも躱すのは容易い。
「ルードルードの力はこう使う」
嫌な予感がした。
「イオニスの名において命ずる。壁よ、阻め――『光盾』!」
障壁を張り巡らせるのと、周囲を爆音が包むのはほぼ同時に、ガガンッという金属音。
大剣をその場に取り落とした音だった。
右腕に目をやれば、右肘から先の肉が削げ落ちている。
真っ赤な血が溢れ出していてわからないけれど、傷は骨まで達しているかもしれない。
白い地面へボタボタと、血の染みが生まれていた。
『咄嗟に障壁を張って、急所へのダメージは避けましたか。ですがその右手では、その大きな剣は持てないでしょう。ではこういうのはどうです?』
次の瞬間、目の前に魔神がいた。
違う。
身体が魔神の前へ、強制的に転移させられたんだ。
振り下ろされた魔神のステッキが肩口を強く打ち据えて、無様な姿で床へ叩きつけられる。
「がはっ……」
『実に……実に良いですよねぇ。その苦悶の声!』
堪らず肺の中の空気を全て吐き出すと、魔神が恍惚とした声を上げた。
地に伏したままで、はっはっはと短く浅い呼吸を繰り返す背中をステッキで打擲する魔神の哄笑は、耳障りなレベルになっている。
「待て待て、ルードルードよ。そう、殴り続けては小僧があっさり死んでしまうぞ? 久々の魔法戦を楽しんではどうかと言ったのはお主であろうが? 少しは儂も楽しませんかい」
『おっと、これは私としたことが、つい興奮してしまいまして……』
「小僧よ、まだ立てるかのぉ? まあ立てたところでその様子では、戦いにもなりはしまいが……」
『やはり切り札を封じてしまっては、精霊を封じたエルフ同様、大した戦いにもなりませんでしたなぁ。申し訳ございません、アダン。見込み違いとついやりすぎてしまいました事に謝罪を』
「……フォフォフォ、まあ良い。儂も無抵抗な相手を一方的になぶり殺すのが嫌いではない。じゃが、あまり時間を掛けると、逃げ出した商品を回収するのが面倒になる。そろそろトドメをくれてやってもええじゃろう」
そんな魔神と老魔導士の会話を、俺は地に伏したままの姿勢で聞いていた。
トドメだって? 舐めんなよ!?
痛み?
そんなもの感じるはずもない。
だって俺は、魔神と老魔導士から十数メートル程度は離れた場所にいる。
魔神のステッキに打ち据えられている俺は、全て幻なのだから。
『幻影投射』。
俺が『転移』で転移した直後に発生した乳白色の霧は、『幻影投射』の権能によるものだ。
あの瞬間に魔神と老魔導士は、俺の『幻影投射』の幻に掛かっていたのだ。
そして今現在も幻と気づく様子も無く、魔神は身代わりにしておいた俺のコートを楽しげに打ち据えている。
おかげで魔神と老魔導士の魔法は観察できた。
貴重な魔法士との戦闘だからな。
できるだけどんな戦い方をするのか観察したかった。
前世での魔法士との戦闘は、こちらが逃げ惑うだけだったし。
さて、幻の俺を打ち据えて喜んでいる魔神と老魔導士を、そろそろ現実に戻してやるとするか。
彼らには正面から戦ってもらわなければならないのだ。
俺自身が全力で権能を使って魔法士と戦った時、どれだけの事ができるのか。
周囲へ一切の配慮を考えないで良い状況での魔法士との戦闘は、貴重な経験を積める。
『では、楽にして差し上げましょう』
魔神が俺のコートを『魔力弾』で貫く前に、
「イオニスの名において命ずる。その威を示せ――『招火』!」
ブワッとコートが燃え上がる。
「な、何じゃ!?」
『何!? これはいったい…‥』
「幻だよ」
『幻……この魔神である私が幻を見せられていただと……』
「おかげで、あんたらの力はよく観察させてもらったよ」
『ば、バカな……確かに柔らかい肉を叩く感触がありましたよ!? まさか魔神の私の感触まで欺くレベルの幻術を、人が操れるだと……』
「なるほどのぉ……これは儂も一杯食わされたわい。じゃが、幻で儂らをどうするつもりじゃ? 小僧の切り札は封じられたままじゃぞ?」
「俺がいつ真龍が切り札だなんて言った?」
俺の頭上に生まれた小さく揺らめく炎。
「イオニスの名において命ずる。天上の陽と地獄の劫火を纏いて、羽ばたき舞い上がれ! 我が意のままに我が為すままに、全てを呑み込み焼き尽くし、灰燼に果てよ――『火の鳥』!」
詠唱の終了と同時に一気に膨れ上がった炎は、翼長十メートルにも及ぶ巨大な鳥の形を作り上げる。
そしてこの燃え盛る炎の鳥は、俺の意のままに操ることができた。
そおら、これでも喰らえ!
『ぉおおおおおおおおおおおおおっ!!』
空間を遮断する障壁が張れるはずの魔神、ルードルードの苦悶の声。
「ルードルード!? い、いかん! 何だ、この炎は!? 空間を遮断しているはずなのに、炎が侵食してくるだと……」
へえ、そうなんだ。
一人と一柱がまとまってくれていたおかげで、そこへ突っ込ませた『火の鳥』は、俺が思っていた以上に強力な権能らしい。
俺にはどういう訳だか、『火の鳥』の炎の熱さが感じられないし。
何とか障壁を張って『火の鳥』をやり過ごした魔神と老魔術師だったが、一度天空へと舞い上がった『火の鳥』が再び突っ込んでくるのを見て、顔を引き攣らせていた。
「またこっちへ来るぞ! あれだけの威力の炎を自在に操れるのか!」
『火の鳥』から聞こえる、キュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイという音は、高熱で空気が膨張する音なのか、それとも炎の翼で風を切り裂く音なのか。
『あの魔法、もはや魔法と呼べるものではなさそうです。あの炎の鳥そのものが幻獣……いや、我らに近いい存在にまで昇華されているのか……』
「マズい。力を見誤っておったわい。アレを何度も喰らうと、ルードルードはともかく儂の障壁などいつか破られてしまうわい。早めに決着をつけねば……」
今だ!
やり過ごした『火の鳥』にばかり意識がいって、老魔術師の障壁は、『火の鳥』に対してのみ張られている。
背後にいる俺への意識が薄れている。
これは別に老魔術師が油断したわけではない。
老魔術師の張る障壁では、『火の鳥』に向けて全力を注がねば、破られてしまうからだ。
だが、そのおかげで俺への注意を逸らすことに。
「イオニスの名において命ずる。我が身を彼方へ――『転移』!」
『後ろです! アダン!』
魔神の警告ももう遅い!
無防備になった老魔術師の背後へと転移した俺は、大剣を振るう。
手に伝わってくる人間の肉と筋、そして腰骨を切断する感触。
前世では、この大剣で三桁は軽く殺してきたけれど、今世に来てからはこれがこの剣の初めての殺人だった。




