乗船と、因縁の相手と
「う、うぐぐ……クソぉ、行くぞ……」
至近距離からの真龍の咆哮(ほぼ自爆に等しい) から何とか立ち直った俺は、再び『飛行術』で真下の船の甲板へ急降下。
スタッとかっこよく下り立つはずだったのに、少し膝が震えていたりするのが我ながらカッコ悪い。
生まれたての子鹿のように震える足で甲板に立った俺は、船員たちに包囲されない内に、『物質転移』で大剣を召喚しようと思ったのだが――。
船上では船から海へと飛び降りる者、その場で腰を抜かして座り込んでいる者、甲板に伏せて彼らの信ずる神の名を唱える者など、凄まじいパニック状態。
ドタバタと駆け回る者、そこらの樽や箱にしがみついている水夫の横をすり抜けても、俺の事など見向きもしない。
船には対海賊船や大型の海の魔物用らしい大砲や、大型弩砲なんて兵器も据え付けられていたけれど、誰も反撃なんて考えてはいなさそうだった。
まあ、無理も無いけれど。
大砲や大型弩砲を撃ち込んだところで、このサイズのドラゴンを落とすのは無理だろう。
ところで、甲板が海水で濡れている上に、上下左右に大きく揺れて立っているのが難しいなあ。
これは、大剣は使わないほうが良いかもしれない。
転んで自分を傷つけてしまう気がする。
さて、船長の野郎はドコだ?
甲板を見回せば、高台のに軍服にも似た制服に制帽を被った三人がいた。
出港直後という事も関係しているのかもしれないが、周りでパニックになっている水夫たちと身だしなみが一線を画している。
あれが、この船の上級士官たちかな?
三人の中で一際立派な帽子とコートを身につけた、貴族のように端正な顔立ちの男がいるので、彼がきっと船長だ。
もっとも、港の女たちにモテそうな端正な顔立ちも、今はただ呆けて口をあんぐりと開けていて間抜けな顔になっていた。
「落ち着け! あんな化けもんが現実にいるわけないだろう! あんなもんまやかしだ! まやかしだっつってんだろうコラ! 逃げんじゃねえ!」
へえ、肝っ玉の座った奴もいるじゃないか。
船長の隣にいた士官が部下たちを怒鳴り散らしている。
真龍を見てまだパニック起こしていないだけでも、十分誉められるべきだ。
さすがは士官といったところだけれども、残念ながら下っ端の水夫たちがどんどん船から海へと逃げ出すのを止められない。
そりゃあそうだろうな。
いくらまやかしだのと叫んだところで、現実に太いマストはへし折れて海を漂い、舳先や甲板にも軽い破壊痕。
何より、猛烈な嵐のような風。
真龍の雄大な翼が起こしている風だ。
ともすれば吹き飛ばされてしまいそうなその風が、今の状況が夢やまやかしでない事を教えてくれる。
「な、何だ、お前!? この船の者じゃあねえな!」
ただ、さすがに士官の三人へと近づくと、逃げるのに必死な下っ端水夫と違って誰何の声を上げられた。
目の前の驚異(真龍)からの現実逃避もあるのかもしれないけど、とりあえず明確にわかりやすい不審者の俺への対処を優先する事にしたらしい。
水夫たちに叫んでいた士官が、片手斧を手に駆け下りてきたので、ヒョイッと片手斧を躱しざまに腹部を蹴り飛ばす。
我に返ったといっても恐怖のせいか腰砕けの状態だったので、片手斧を振り回されても全く怖くなかった。
ゴトリとその場に落とした片手斧を拾い上げると。
「て、てめえよくも」
甲板に転がった士官が立ち上がろうともがいていたので、俺は手に持っていた片手斧を投げつけた。
ドゴッ!
「ひっ……」
もがいていた士官の顔の真横の床に片手斧がめり込んで、顔が凍りつく。
「クソッ! 不審者だぞ貴様ら! 貰った給料分は働かねえか!」
別の士官が湾曲した片手剣、舶刀を握って下りてくる。
俺も腰の短剣へと手を回す。ところがその直後、大きな揺れが船を襲ってきて俺はたたらを踏んでしまい。
「お、お、うわっ」
「わっ、とっとと……」
丁度駆け下りてきた士官も階段を踏み外して尻もちをついた。
床と滑りやすい階段。
足下の条件が、その後の俺と士官の立ち直りに影響した。
俺はそのまま飛び掛かると、みぞおち辺りに頭突き。
「どふっ」
体勢的にも腹に力を込められず、士官は短く息を吐いて悶絶。そのまま俺は士官服の襟首を掴むと、階段の端へ後頭部を叩き付けた。
ゴンッ。
良い音がしたのでしばらく伸びたままだろう。
その様子を高台の上で見ていた船長が、及び腰になって後ずさりする。
腰の舶刀を抜くには抜いていたが、先の二人の士官以上にへっぴり腰だ。
船が大きく上下左右に揺れている上に、足下も濡れているなどの悪条件のせいもあるかもしれないが、もともと武芸が得意ではないのかもしれない。
船長が正面切って海賊と決闘するなんて事は、物語の世界だけだからな。
「あんたが船長だな!? 精霊を封じる結界を張っているのは貴様か!?」
「ち、違う! 私では無い!」
その時、距離を取ろうと後ずさりしていた船長の視線が、俺から一瞬だけ外して肩越しにちらりと後ろを見た。
その視線の先には――。
「なるほど、アレか」
船長の背中越しに、金属製の台座に置かれた動く石像を模したブロンズ像がある。
あのブロンズ像から魔力の波動のようなものを感じる。
あれが悪魔か魔神の力を借りた精霊を封じる結界の触媒に間違いない。
あの像をぶっ壊せば、船倉に閉じ込められているエルフたちは精霊魔法を使えるようになるわけだ。
「ち、違う! あれは断じて精霊を封じる結界の要などではないぞ!」
その慌てっぷりと態度が、アレがそうだと物語っているよ。
「そこをどけ」
「か、勘弁してくれ! あれを壊されたら、アダン様とルードルードに殺されてしまう」
アダン? ルードルード? それが精霊封じの結界を張った魔法士の名前か?
「何ならあのドラゴン、けしかけてもいいんだぞ?」
「う、うぅ……」
さすがに今この場にいない魔法士よりも、上空を舞い続ける真龍に恐怖を覚えたようだ。
俺がぐいっと肩を押すと、船長はよろけて台座の手すりにすがりついた。
「イオニスの名において命ずる。哀れなる贄を喰らえ――『竜牙裂』!」
俺の右腕の先に現れた『竜牙裂』の見えざる顎が、動く石像を打ち砕く。
「ああ……」
船長の絶望したような声。
その瞬間、何となくだが空気が変わった気がした。
相変わらず、真龍の翼で風がゴウゴウと唸りを上げていたが、それでも周りの空気が何となく、深山や大きな滝の近くで覚える清涼な空気に近いものへ変わったような気がしたのだ。
これで船倉に閉じ込められているエルフたちも、精霊魔法が使えるようになったはずだ。
破壊の魔法に使う火の精霊には、燭台の明かりから呼び掛けることができるだろう。
たとえこの騒ぎで火が消えていたとしても、海水がたっぷりとあるので、水の魔法で船倉の壁や船底も破れるはずだ。
そこから先は『水中呼吸』の魔法で、溺れること無く脱出できる。
精霊魔法が便利なところは、対応する精霊さえ存在すれば、魔法が融通が利きやすい事だ。
冬の海、冷たい海中でも、精霊にお願いすることで凍える事無く泳げるんだそうで……あれ? そういえば、船から飛び降りた水夫たちって、この海水温に耐えられるのだろうか?
……心臓麻痺で死ななきゃ良いけど。
何しろ彼らには、救助された後に奴隷密売組織について、話してもらわなければならないのだから。
ひとまずは予定通り、精霊封じの結界は破壊できた。
俺はここからでもよく見える、カルネの町の時計台を見た。
バーンズ氏の屋敷だ。
あの手前で、ルナレシアがこちらの様子を見ているはずで、ここから先は彼女の仕事だ。
いや、最後にもう一仕事か。
船室へと続く階段から一人、人影が昇ってくるのを見て俺は身構える。
「しばらくは天気が良くなるはずなんじゃがのぉ。随分と荒天になったと思えば……あのドラゴンは小僧が召喚したものかな? 召喚士……いや、儂のご同輩、後輩かのぉ?」
船室から出てきた一人の老人。
士官や水夫たちのように制服では無く、トレンチコートを身に着けて、腰のベルトに宝玉の嵌った短杖を挿している。
状況からして、精霊を封じる結界を作った魔法士だろう。約八年前にルーシアの里を襲った魔導士もこの爺さんという事だ。
まあ、爺さんは俺のことを知らないだろうけど、因縁の相手と言っても良いかもしれない。
「おぉ、おぉ、儂がせっかく作った結界の像を壊しおって……。どおりで奴隷どもが騒いでおるわけじゃわい。この損失はどうするつもりじゃ、船長よ?」
「アダン様! ぞ、像はそこの小僧が! その小僧、魔法士です」
「そんなもん、あの真龍を見ればアホでもわかるわい。やれやれ、たいした小僧じゃな。その歳でどうやって真龍をも従える魔神と契約を為したのか。興味があるのぉ」




