時計台のある屋敷と、衝撃の夕食会と
時計台のある屋敷。
カルネの町で最も目立つその屋敷は、俺たちがエルフの皆さんに囲まれた漁港から、桟橋を挟んで反対側の海沿いにあった。
天気の良い日に、この屋敷の二階のテラスから見る海の眺めはとても綺麗だろうな。
それに屋敷から通りを挟んだ正面には、外洋を航海する大きな船が停泊していて、これが俺の心をくすぐってくる。白波立つ荒れた海で、大きく波に揺れている外洋船だ。
飛空艇を初めて見た時もそうなんだけど、やっぱり大きな乗り物を見るとワクワクしてしまうよね?
ただ、ルーシアの話では、あの船で奴隷密売貿易が行われているんだよなぁ。
その事実が俺のワクワクした心にちょっぴり影を落としているんだよ。
「やあ、よく来たね二人とも。外は寒かっただろう? 遠慮なく当家で寛いでくれたまえ」
「暖炉に火を入れてありますからね。火に当たっていてください。温かい飲み物でも用意しましょう」
「助かります」
「ありがとうございます」
玄関で迎えてくれたバーンズ夫妻に招かれて、俺たちは屋敷の中へと入る。
その玄関の扉を潜る前に、俺は素早く庭へと目を走らせた。
正面玄関から目立たない場所に、数人の男たちがいた。
護衛の人間かな?
「お二人の部屋は二階に用意しておいたよ。荷物もそちらに運んであるからね。夕食の後にでも案内しよう」
まず先に案内されたのは、大きな暖炉のあるリビング。
薪が大量に焚べられていて、とても暖かい。
寒い外から暖かい部屋に通されると、ホッとするなあ。
裏では奴隷密売組織を営んでいるのかもしれないのに。
ただ、俺たちはただの客として招かれているので、今はまだ変に緊張する必要はない。
ありがたく火に当たらせてもらった。
暖炉の前には品の良いロッキングチェアー、壁にはこの町の風景画なのかな? カルネらしき町と、その先に突き出た岬の上にカーテルーナ修道院らしい建物が描かれた大きな絵がある。
サイドボードには高級酒の詰められた瓶が並べられていて、瓶が暖炉の火の明かりを反射していた。
「食事の前に冷えた身体を温めた方が良いだろう。湯も沸かしてあるから使ってきなさい」
「先にルナ、行って来いよ。俺は後で貰うから」
「はい。それでは遠慮なくいただきます」
本当に至れり尽くせりだ。
「どうだね? 彼女が湯から上がってくる前にひとゲーム」
「はは、それではお付き合いしましょう」
人の良さそうな笑顔を見せて、そそくさとボードゲームを用意する姿は、本当にただの好々爺にしか見えない。
本当にルーシアたちの言うように、この人が奴隷密売貿易を行っているのだろうか?
ルナレシアに続いてお湯を頂き、夕食の会場へと案内される。
個人所有の屋敷なのに、夕食の会場があるとか。庶民には想像もつかない世界だな。
驚いている俺と違って、さすがに王族のルナレシアは至って普通に受け止めていたけれど。
会場へはバーンズ氏その人が案内をしてくれたのだが、その廊下の途中で地下へと続いているらしき階段があった。
地下か。
もしも拐ってきたエルフの人たちを監禁しておくのなら、地下ってとても有り得そうな場所な気がする。
扉に防音処理を施せば、地上の部屋よりも、囚えられた人の助けを求める声が漏れるのを防ぐのも容易いだろう。
「この屋敷には地下もあるんですね?」
「ハハハ、私の趣味でワインを集めていてね。地下にはワインセラーがあるのだよ。君たちはまだワインを嗜むには少し早いかな?」
「そうですね」
俺は飲めるけどな。
身体は十四歳でも、精神は四十代だ。
リビングで見た高級酒の詰まった瓶は、どれも前世では飲めるような酒じゃなかった。
地下室がワインセラーだけとは限らない。その奥に監禁しておく部屋があるかもしれないので、後でどうにか中を探ってみたいな。
いや、絶対に探っておこう。
少しでも可能性があるのなら、虱潰しに調べておくべきだよな。
決して前世では安酒にしかありつけず、高級酒に興味があるから調べるわけではないんだ。
一本か二本くらい、持ち出せないかなぁとか考えつつ夕食の会場へやって来た。
おお、すげえ!
そこは十分に会場と呼ぶに足る広さの部屋だった。
そういえばこの屋敷は、商いで使っていると言っていたな。
取り引き相手を饗すための、晩餐会の会場にも使っているのかもしれない。
壁際にはリビングと同様、大きな暖炉があって部屋全体を暖め、たくさんある燭台には火が灯されていてとても明るい。
部屋の中央には長方形の大きなテーブルに真っ白なテーブルクロスが敷かれていて、所狭しと料理が盛り付けられた皿が並べられている。
おいおい、花瓶には季節外れの大輪の花々まで活けられてあるぞ。
あれは、王侯貴族が冬に催す宴で飾り付けるために、わざわざ暖房を利かせた部屋で育てられているとかいう花だよな?
あの花々だけでも、金貨が山のように飛んでいくぞ!?
まるで、これから大勢の招待客を相手にしたパーティーでもあるみたいだ。
でも、テーブルには四脚の椅子があるだけ。
バーンズ夫妻のものと、俺とルナレシアの席が用意されているだけだ。
とても四人で食べきれる量の料理じゃないと言うのに。
「わあ、こんなにもお料理を……私、とても食べきれません」
「ハハハ、心配しなくても良い。残ったものは屋敷のものでちゃんと戴く事になっている」
ルナレシアのこぼした呟きに、バーンズ氏が快活な笑い声を上げて言った。
この部屋には俺たち以外にも、給仕役らしい使用人の女性が四名控えていた。
もちろんこれだけの料理をバーンズ夫人一人で作れようはずもないので、厨房には料理人たちもいるのだろう。
「私たち夫婦が温泉へ滞在中、この屋敷を自由にして構わないと申しましたが、せめて初日くらいはこのくらいの饗しをさせて頂いてもよろしいかと思いましてな」
バーンズ氏の言葉に俺は、そうだろうなとは思った。
飛空艇で親しくなった程度で、これほど饗して貰えるはずがない。
バーンズ氏は伯爵位を戴くこの辺りの土地を治める領主。
ルナレシアとは面識は無くとも、双子の姉であるアデリシアとは面識があるだろう。
そしてアデリシアには双子の妹がいて、今目の前にそのアデリシアと外見、年齢共にほぼ同じ少女がいたのなら、その少女が何者なのかなんて察しがつかないはずもない。
ましてや、つい一年前までは、バーンズ伯の治める町にある、高名な修道院に少女はいたのだ。
「ようこそ当家へ、そしてカルネの町へお越しくだされた。私は王陛下より伯爵位を賜り、この地方を治めておりますオスワルド・ヴァン・レイ・バーンズ。そして妻のアンナにございます」
そうしてバーンズ氏と夫人は、貴族の宮廷作法に則って跪き、ルナレシアに礼をして見せた。
「あの……今の私は王族としてこの町に訪れたわけでは……」
「ハハハ、もちろんわかっていますとも殿下。ですからこの挨拶だけに留めたいと存じます。ここからは私も年少の友人と接するようにさせてもらいますよ。ですが、殿下とお呼びする事だけはお許し願いたい。さすがにお名前をそのままお呼びするには、臣にはとても心苦しい……」
「わかりました。呼び方だけでしたら……」
ルナレシアがどこかホッとした様子で頷いた。
「それでは、食事の前に挨拶の時間を取ってしまってすまなかったね。うちの料理人たちが腕を奮って作った料理だ。冷める前に戴くとしようじゃないか」
バーンズ夫妻の前のグラスにはワインが、俺とルナレシアのグラスには果実を絞ったジュースに冷たい水の二種類が置かれた。
「では、我々のこの出会いに感謝して――乾杯」
夕食会が始まった。
ぶっちゃけて言えば、俺は食事の作法なんて知らない。
王立士官学校で二年生に進級したなら、こうした晩餐会や式典での作法等も学ぶらしいのだけど、今の俺は隣で食事するルナレシアの真似をして食べるしかない。
せっかくの豪勢な食事だと言うのに、緊張で何を食ってるのか、味がよくわかんねぇ……。
見様見真似でナイフとフォークを使い、ステーキを切り分ける。
肉なんてナイフで切り分けなくても、噛み千切ればいいじゃん。それか串刺しにして齧り付けばいいのに。
なんて思いながら一口――戦慄が奔る。
ナニコレ!?
肉が口の中で溶けていく?
肉だよな!? 俺が食ったの?
めっちゃ美味いんだけど!?
と、前世も合わせた人生でも味わったことのない、衝撃の食事の時間が進んでいき――そろそろか。
「申し訳ない、バーンズさん。どうも旅の疲れが出たようで、少々眠気が……」
ルナレシアと談笑していた――王族だけあって、ルナレシアの話術は巧みなものだった――バーンズ氏が会話を止めて心配そうに俺を見る。
「おや、王都からの長旅でしたからな。疲れが出てしまうのも仕方がない」
「イオ、私はまだ眠くはないのですけれど?」
「ハハハ、殿下。殿下にとってここは勝手知ったる故郷ですが、イオニス君には初めて訪れた土地。知らない土地を訪れる事は、想像以上に疲れるものですよ」
「うん。バーンズさんの言うとおりかもしれない。体力には自信があったんだけどなぁ……」
「旅先で無理は禁物だよ、イオニス君。では、先にイオニス君を部屋に案内しよう」
「すみません。ああ、ええっと、ルナは――」
「殿下はまだお休みになりたくないようですし、もうしばらく私どものお相手をしていただきますよ。甘いデザートも用意してありますし」
「デザートですか?」
バーンズ夫人の言葉に、ちょっと嬉しそうに顔を綻ばせるルナレシア。
「では、お言葉に甘えまして先に休ませて貰います。ルナ、俺の分までデザート食べようとか思うなよ?」
「むぅ、食べませんよもう……」
そうルナレシアをからかってから、俺は使用人の女性に案内されて夕食会場を後にする。
もちろん、疲れが出たというのは方便だ。
ルナレシアがバーンズ夫妻の注意を引き付けて、俺が屋敷の中を探索する。
そのための単独行動。
予めルナレシアと打ち合わせておいた予定通りの行動だ。
バーンズ氏はルナレシアの事を王女だと勘付いていたけれども、実は勘付いていなかった場合、こちらから素性を明かすつもりだった。
ルナレシア王女が屋敷に滞在するとなれば、使用人も護衛も王女に注目が集まるからな。
「さて、やるか」
二階の客室で、案内してくれた使用人の気配が消えるのを待って、俺は今入ってきたばかりの部屋の扉を静かに開いた。




