英雄の血と、少女の成長と
ルナレシアを押さえ込んでいたもう一人は、唐突な状況変化を呑み込めていないのか、俺に殴られて倒れた仲間を目で追いかけていた。
こいつら、実は荒事に慣れていない?
ただ、ルナレシアを解放する絶好の機会。
連中が我に返る前にルナレシアを押さえつけるもう一人を殴りつけようと、拳を固めたところで、突然俺の両足がガクッと引っ張られた。
「――っぶ! 痛ってぇ!」
そのまま体勢を崩して地面に前のめりに倒れる。
反射的に手をつけたが、そうでなかったら顔面から地面へ突っ込むところだった。
何だ? 何が起きた!?
腹這いの状態でバッと首だけを動かして両足を見てみると、土で作られた手が地面から生えていて、俺の両足首を掴んでいる。
これは……精霊魔法か!
土の精霊へ呼びかけて、土の手で相手の足を絡め取る行動阻害の初級精霊魔法。
まだ俺が村に住んでいた頃、精霊魔法の使い手だったエルフのルーシアに見せてもらった事がある。
精霊魔法を操る魔法士が、真っ先に覚える基礎中の基礎として使う魔法なのだそうだ。
ちなみに本来の用途は狩猟用。
逃げる獲物の足を捕まえるの使用されるのだが、こうして戦闘にも応用できる。
眼の前に敵の動きを読もうと集中している際に、足下という死角からガッチリと足首を捕らえに来るこの魔法は実に厄介。
現に俺は見事に隙を突かれて、敵の前で無防備にも倒れてしまっているのだから。
クソッ!
足に力を入れてもがく。
しかしこの土で出来た手。
造形は子どもの作った粘土細工のように不格好な物なのだけれども、見た目とは違って頑丈で崩れない。
土の手に蹴りを入れようにも、両足がガッチリと捕らえられているし、前のめりという体勢のせいで、腰のホルダーに収めた短剣を突き立てるにも難しかった。
そもそも短剣を抜く時間を連中が与えてくれるかどうか。
「血の契り、古き盟約、我が一族の名の下に――光在れ!」
俺が無様に地面に突っ伏している一方で、ルナレシアが魔法を発動させていた。
もう一人を殴り飛ばすことは叶わなかったけれども、押さえつけていた一人を倒していた事で、魔法を使う隙を得る事はできたようだ。
ルナレシアの身体が、山岳踏破訓練で見た青と白を基調にして、縁取りと装飾に金が使われた鎧が纏われていく。
こうして明るい場所でルナレシアの魔法を見たのは初めてなのだけれども、鎧を身に纏って佇むその姿は、本人の美少女然とした容姿をさらに際立てていて美しい。
神話や伝説、伝承の中に出てくる勇者、あるいは英雄のようだ。
実際、ルナレシアに手を振りほどかれた男は、再度彼女へ手を伸ばす事を躊躇っていた。
今のルナレシアからは、どこか触れてはならない神秘的な雰囲気を放っていた。
『遠き地より訪れし、天と地の王従えし英雄王。民に請われて大地を拓き、嵐を鎮め、彼の地に永久楽土を建設せん』
この国に育った者ならば、知らぬ者がいないリヴェリア王国の初代英雄王。
かの王も、今のルナレシアのような雰囲気を持った人物だったのかもしれないな。今の彼女からは、本当に何者をも従えてしまうような力を感じさせていた。
そんなルナレシアの得体の知れない雰囲気に呑まれていた男が、自分の心を叱咤するように大声を上げて再び彼女へ掴み掛かった。
だが、この状態のルナレシアの身体能力は、力を借りた英雄王へ迫るまでに上昇する。
身体へと伸ばされた手をパシッと払い除けると、軽快な動作でその場で跳躍。身体をくるりと翻して後ろ回し蹴りを男の首筋に叩き込んだ!
スタッという軽やかな足音を立てて、ルナレシアが着地。
「ぐふっ」
短い呻き声を上げて、その場に男が崩折れる。
その一連の動作の間に、ルナレシアは腰から小剣を抜き放っていた。
「イオ、今助けます!」
「……いや、大丈夫。こっちで何とかする」
魔法を使える隙を作れたとはいえ、助けるつもりだったのに、助けられてしまっては情けないにも程がある。
バディ同士、助け合いは当然だという事は頭の中でわかっていても、やっぱり歳下の女の子に助けられるというのは、何となく抵抗を覚えるんだよ。
ルナレシアをバディとして認めた以上、そうした自分の意識も変えなければとは思うんだけれどもね。
それにしても、今のルナレシアの攻防。実に短時間の間に行われていたのだけれど、何ていうか山岳踏破訓練の時で刺客との遭遇戦時に比べて、随分と彼女が成長した事を感じさせる。
あの時は人を傷つける事にも随分と怯えていたというのに。
人を傷つける事を躊躇わなくなれた事、それが良い事なのか悪い事なのかはわからない。ただ、戦場ではその躊躇いが自分の命を、仲間の命を奪ってしまう事が多々あるのだ。
今のような状況で躊躇わなくなったのは、ルナレシアに取って良いことに違いない筈だ。
「うう……」
ルナレシアの豹変に、仲間たちが気圧されている事に気づいたのだろう。
リーダーの男自身の声音にも、焦りと戸惑いの色が隠しきれない。
そのリーダーの目が土の手で足を掴まれて、地面に腹這いになっている俺を捉えた。
「男! 取る、人質! 娘、抑える!」
俺を人質にしてルナレシアを牽制する作戦に切り替えた!?
舐めんな!
「イオニスの名において命ずる。我が身を彼方へ――『転移』!」
土の手が崩せない。それなら腹這いのままの姿勢で、『転移』の権能で一メートル横へ瞬間転移。
思惑通り、俺の両足は土の手から逃れる事に成功する。
だが、その瞬間。
「魔導士!」
ざわり、と俺たちを囲む連中の間に漂っていた敵意に、恐怖と憎悪のような感情が混じるのを感じた。
「魔導士ぃ……」
腹から絞り出したような低い声で、リーダーの男が漏らす。
他の連中も小声で何か話している。
彼らも本来の言語で、呪詛のような言葉を吐いているのだろうと思う。
さっきまでとは雰囲気が一変していた。
許し難い程手荒だったとはいえ、先程までの彼らは、俺たちの命までは奪おうと考えてはいない様子だった。
拘束して尋問する。
リーダーらしい男の指示に従って動いていた。
それが俺の権能を見た途端、八人全員から強烈な敵意と殺意、憎悪。そしてその感情の裏に潜む恐怖の感情。
そういえば、俺の権能は魔導士の魔法と酷似していると聞いた。
彼らの敵対者に魔導士がいるのか。
それにしても、もう人違いだと言えるような雰囲気じゃなくなってしまった。
もう血を見なければ、収まりがつきそうにない。
「イオッ!」
キキンッという乾いた音。
漁師の作業場の小屋の屋根から放たれた二本の矢を、ルナレシアが小剣で切り払ってくれた音だった。
危ないというよりも、凄いという感想を覚える。
何しろ、屋根の上といっても数メートル程度の距離なのだ。
はっきり言って、この距離から矢を受けたら避けるのは難しい。
矢を放たれた後では、権能だって発動させるのが間に合わない。
その高速で飛来する二筋の矢を、ルナレシアは完璧に見切って見せて、地面に叩き落としたのだ。
憑魔士の憑依の魔法は、身体能力だけでなく、反射神経、動体視力なども飛躍的に上昇するらしい。
そういえば、前世で見た憑魔士の多くがデタラメな動きをしていた。
そいつは味方だったんだけど、降り注ぐ矢の雨の中、高笑いを上げつつ突っ込んでいく頭のおかしい奴だった――と、そんな事はどうでもいい。
とりあえずルナレシアが矢を払ってくれたおかげで助かったが、屋根の上の二人が邪魔だな。
先に殺意を込めて攻撃を仕掛けてきたのはそちら側だ。
もう人違いだろうと、容赦はしない。
「イオニスの名において命ずる。我が敵を射抜け――」
「待ってください! お願い! 待って! イオ!」
屋根の上の二人に向かって、俺の指先に『光塵矢』の赤い光が凝集し始めた時、俺の名前を叫びながら一人の人物が立ち塞がる。
その声は、俺にとって無視できないものだった。




