飛空艇のチケットと、長期休暇の真意と
「ただいま~。ルナ、冬期休暇中の予定だけど――」
「イオ! イオ! 見てくださいこれ!」
帰ったらルナレシアに冬期休暇中の予定をどうするのか聞くつもりだったのだけれど、俺が話を切り出すよりも先に彼女の方から飛びつかんばかりに話しかけてきた。
ルナレシアの手には、手のひらサイズの紙切れがある。
「飛空艇のチケットです! お休みに入ったら、これでカーテルーナ修道院へ帰省してくださいって」
「へえ」
カーテルーナ修道院とは、ルナレシアの預けられていた修道院だ。
結構有名な修道院で、俺も前世で訪れたことがある。
ただしその時はもう戦時中の話で、半壊した修道院の大聖堂が遺されていただけだった。
「このチケットは同伴者も乗れるようになっているんです。ですからイオも乗れますよ」
「本当? 飛空艇のチケットって高いんじゃなかった?」
「ええ、実は私も乗るのは初めてで……。ですからイオ、冬期休暇中この飛空艇チケットで一緒に――」
言い掛けて、ルナレシアは唐突に「しまった」といった表情をした。
「あ、あの……私、飛空艇チケットが嬉しくてついはしゃいでしまって……、イオも冬期休暇中の予定について、何か言い掛けていましたよね? 実はもう何か予定が決まっているのでしょうか? もしそうでしたら飛空艇はキャンセルしても……」
上目遣いにモジモジとした仕草で、申し訳無さそうな口調で尋ねてくるルナレシア。
「いや、ルナには何か予定があるのかなって聞きたかっただけだよ。へえ、飛空艇か」
「イオも飛空艇は初めてなのです?」
「初めてだよ。田舎から出て来た時は乗合馬車で一緒だったし。前世でも乗った事は無かったな」
飛空艇のチケットはとてつもなく高価で、ただの平民にはとても手が届く値段ではない。
「カーテルーナ修道院か。そこまで行くなら、俺もついでに故郷を見に行ってくるかな?」
「イオの故郷って、修道院からは近いのですか?」
「徒歩で二日ちょっとくらいだったと思うよ」
ただし雪の無い季節の話であって、今の季節だと村と修道院を結ぶ山道は結構な雪が降り積もっているはずだ。
この時期に徒歩で修道院まで行ったこと無いのでわからないけれど、今の季節は徒歩だと一週間。天候の悪化などで停滞でもすることがあれば、二週間近く掛かると見積もったほうがいいかも。
「あの……イオの故郷も、機会があれば行ってみたいとは思うのですけど、この季節に山越えは……」
「確かに歩いての山越えは厳しいかな」
ルナレシアも修道院で育っていたので、あの辺りの冬の天候は良く知っているらしい。
気を遣ってくれたのか、言葉を濁すルナレシアに俺は笑ってみせた。
「歩かずに空を飛んでしまえばいいだろ。多分、それほど時間を掛けずに行けると思うんだ」
空を飛べる権能『飛行術』は、権能を使用中は持久走のように体力を消耗する。
そのため子どもの頃は長時間空を飛ぶことはできなかった。
だが今は、士官学校で徹底的身体が鍛えられていて、持久力も相当なものとなっている。
今なら二時間、三時間くらい飛び続ける事も可能だと思う。
「ルナが修道院滞在中に、ちょっとだけ行ってくるよ。天候さえ良ければ、二、三日で戻って来れるんじゃないかなって思う」
「はい。冬期休暇、とっても楽しみになってきました」
うん、俺も凄く楽しみになってきたぞ!
◇◆◇◆◇
冬期休暇が近づくにつれて、さしもの王立士官学校でも浮ついた空気が見られるようになってきた。
もともとバディ同士、一緒に行動する事が基本だけれども、教室、廊下、グラウンドの到るところでバディ同士冬期休暇の予定について話し合う光景がよく見られていた。
帰省するにしても、監視も兼ねてバディは相方の家も訪ね無ければならないからな。
どちらの家へ先に訪問するのか、何日間滞在するのか、旅程・旅費はどうするか、決めておかなければならないことはいくらでもある。
そういえば、バディの家族と顔合わせする事にもなるんだな。
イグナシオやエイリーンのように縁戚筋とバディを組んだ者、バウスコールやドムのように知己と組んだ者なら、先方の家族との顔合わせにそれほど気を遣う必要は無さそう。
でも、例えば俺とルナレシアのように、互いに大きな身分差があるバディや、バウスコールのようにバディが異性だと、互いの家族と顔合わせって結構難易度が高い気がするぞ。
そんなどこか士官学校全体がソワソワした雰囲気に包まれた日々が過ぎ、いよいよ冬期休暇の初日。
士官学校の正門に続く並木通りには、大きな荷物を抱えた候補生たちがそそくさとした足取りで歩いていた。
正門前には迎えに来たのだろう何十台もの馬車が停まっていて、軽く渋滞している。
「うわあ、多いですね」
ティアを竜舎に預けて――さすがに飛竜を帰省先に連れて帰るわけにもいかず、冬期休暇中は王立士官学校の竜舎の職員が面倒を見てくれる――普通科の皆と一緒に正門前まで歩いてきたルナレシアが目を丸くしている。
「それじゃあ僕、行きますね。皆も、姫様も休み明けに会いましょう」
混雑している中、真っ先に自分の乗る馬車を見つけたバウスコールが挨拶するとサッサと歩き出す。
バウスコールが向かった先の馬車は、集まった馬車の中でも相当立派な部類に入るものだったが、客車に翻る紋章旗はバウスコールの実家、スパーク商会のものじゃない。
バディの家の馬車なのかな。
「あれはセレスニィ伯爵家の馬車ですね」
バウスコールの後ろ姿を眺めていた俺に、ルナレシアが教えてくれる。
大きな商会の息子とはいえ、バウスコールのところも身分差が大きいな。
でも、バウスコールの姿を見たセレスニィ伯爵家の御者は、彼を恭しい態度で迎えていた。
幼馴染で小さい頃から家を出入りしていたっていうから、先方の家にも認められているんだな。
「僕の家の馬車も来たようだ。姫様、一足先に失礼します。良いお年をお迎えください」
「はい、イグナシオさんも良いお年を」
「はあ~」
大きなため息を吐いているのはエイリーン。
「ゾンビさんとかぁスケルトンさんとかぁ……またご一緒するんでしょうかぁ」
「い、今までだって年末年始の集まりには参加していたんだろう? 今までアンデッドを見ることなく過ごせてきたんだ。大丈夫だろう」
「そうだと良いんですけどねぇ……それじゃあ、あたしも行ってきますねぇ」
肩を落として歩くエイリーンは、悲壮感すら漂ってるな。
エイリーンのバディは、本家フルハイム家でも変わり者として通っていたらしいから、年末年始の来客の多い時期はきっと隔離してもらえるんじゃないのか?
そうひどい事態にはならないようにと、彼女のために祈っておこう。
「それじゃあ儂もそろそろ行こうかのぉ」
「ドムは迎えの馬車は?」
「そんなもんあるかい。この足で歩いていくつもりじゃ」
そう言ってドムは荷物を担いでいない左手で、ポンポンと左足の太腿を叩く。
「帰省する前にな、市場にも寄って行きたいんじゃよ。ここへ閉じ込められていた間、石や木材の市場に変化が無かったか、品質に変わりは無いか、色々と見たいんじゃよ」
はあ、さすが元腕利きの職人。
引退したとはいえ、市場の動きは気になるんだ。
と、そう感心していたのだけれど、
「そんな事を言って、師傅はただ単に行きつけだった酒場に顔を出そうとか考えているだけでしょう?」
その声に振り返ると、ドワーフの青年が荷物を背負って半眼でドムを見ていた。
彼がドムのバディか。
「はじめまして。工部特務科のガイです」
「普通科のイオニス・ラントだ。こちらはルナレシア・レイフォルト・ヴァン・リヴェリア様」
「お名前は師傅からかねがね」
ガイと名乗ったドワーフの青年は俺と握手を交わし、ルナレシアには深々と一礼する。
「せっかく儂が格好をつけようとしておるのに、早速バラさんでくれ。それにじゃなガイよ。もう半年以上も酒を一滴も呑んどらんのじゃ。少しくらい目こぼししてくれてもええじゃろう?」
「とか何とか言って、どうせ工房に帰ったら親父や皆と飲みまくるじゃないですか。だったらサッサと工房に帰ってからゆっくりと飲めば良いじゃないですか」
「わかっとらんのぉ、家飲みは家飲み、外飲みは外飲みで、同じ酒でも美味さも愉しさも全然違うんじゃぞ」
「いえ、師傅の言うことはわかります。わかりますけれども、何も帰省するその日に外飲みしなくても良いじゃないですかって事です。あ、お二人とも。それでは師傅ともども失礼いたします」
後に残ったのは俺とルナレシアにチット。
「チットは結局バディの家に厄介になるんだろ? 迎えは?」
「それがやなあ……」
チットは途方に暮れたような顔で目を細め、
「どれがワイのバディの家の馬車なんかわからん」
「ああ……そうか」
「まあいつまでもワイが来んかったら、ここで待ってれば誰かしら迎えが来るやろ。あんちゃんと姫さんは飛空艇で行くんやろ? 発着場まで歩きなんか?」
「はい、出発までの時間に余裕がありますので」
「飛空艇での旅行なんて贅沢な話やな。あんちゃんがうらやましいで~」
「贅沢に溺れてここへ戻ってくるのが辛くなりそうだな」
そう言って笑うと、俺は士官学校を振り返った。
「あんちゃんだけやないやろ。皆、結構戻って来る時きっついと思うで?」
「そうだろな」
この冬期休暇、案外俺たち士官候補生の精神力を試すといった側面もあるのかもしれない。
厳しい訓練の日々から解放されて、日常生活の緩さを味わい、その上で再び過酷な生活を送る場所へ戻れるかどうかの――。
チットはその事に気づいていたのか。
「じゃあ、俺らも行くから」
「休み明けにまた会おうや。姫さんも気ぃつけてな」
「チットさんも良い休日を」




