魔神と、天変地異級の権能その一と、
下級魔神の黒い棒のように見える胴体、人なら丁度腹部にあたるところが、ボコンと大きく膨れ上がった。
そしてボコン、ボコンと胸部、喉へとせり上がって行き――。
「イオニスの名において命ずる。壁よ、阻め――『光盾』!」
『耐熱』の効果が続いているのに、『光盾』の権能を使ったのは、ただの勘だった。
下級魔神の口がガバっと大きく開かれると、炎の塊が射出される。
炎の塊は、『光盾』の権能で生まれた光の膜に真正面から衝突すると、まるで液体をぶち撒けたように炎が光の膜全体に拡がって燃え盛った。
この炎は、何か可燃性の液体が燃えているのか!?
『光盾』の光の膜上で消えずに燃え続ける炎。
屋敷の延焼があんなにも早かった理由が、これでよくわかった。
燃料となる液体を燃やしているから、可燃物が存在しなくても炎が消えないのだ。
『耐熱』を過信しないで良かった。
『耐熱』は熱を防いでくれるが、身体に付着した燃料が燃え続けるのなら、窒息していたかもしれない。
炎を防がれた下級魔神は、一つきりしか無い眼球を覆うまぶたをパチパチと開け閉めすると、再び胴体がボコン、ボコンと膨らませ始めた。
アレが炎を吐くための予備動作らしい。
燃料となる可燃性の液体を、腹から口までポンプのように組み上げているといったところか。
そして口まで燃料が到達したところで、今度はボッ、ボッ、ボッと小刻みに炎を吐き出してきた。
『光盾』の権能を展開したままので、光の膜に遮られて俺にまで炎は届かない。
しかし、今度は光の膜へぶつかった可燃性の液体は、俺の周囲へ撒き散らされていた。
炎で俺を包囲するつもりか!? とも思ったのだが、不意にガクッと身体のバランスが崩れる。
バルコニーの足場が燃えて崩落しようとしていた。
屋敷自体は石材を中心に建てられていたが、バルコニーは木製だ。
奴の狙いは俺をバルコニーの崩落へ巻き込むつもりだったか。
もちろん、崩落に巻き込まれる前に『転移』で脱出。
「貴君、無事か!?」
地上へ下りた俺を見て、こちらへ駆け寄ろうとするアセリア中佐の声で振り返ると、いつの間にかプルシェンコ大尉邸の庭に、大勢の人が集まっている事に気づいた。
野次馬だけでなく消防隊も駆けつけて来たようだ。
このままだと多数の犠牲者が出かねない!
「中佐! 魔神がいます! すぐに皆を避難させてください!」
だが、警告を発した時には、下級魔神は辺り構わず炎を吐き出していた。
下級魔神の吐き出した炎は、直撃した犠牲者の身体を容易く貫いて、さらにその背後にいた者へ降り注ぐ。
さっきも言ったが可燃性の液体だ。
燃料が降り注がれた者は、あっという間に人間松明のように燃え上がり地面を転がる。
「ぎゃあああああああ!」
「がああああ!」
「助けてくれエエエ!」
身の毛もよだつ絶叫が、あちらこちらで上がり、
「何だ、この火! 消えないぞ!」
「ダメだ! 水をぶっかけても消せない!」
燃える人を救おうと、布で火を叩き、消防隊が水を掛けて消そうと試みているが、可燃性の液体が燃えている炎は全く消すことができない。
嫌な匂いが辺りに立ち込めた。
「イオニスの名において命ずる。我が敵を射抜け――『光塵矢』!」
バルコニーがあった辺りで浮かんでいる下級魔神へ、『光塵矢』を連続して射出。
上空から炎を吐き出し続けられては、被害が拡大するばかりだ。
まずは地上へ叩き落としたい。
だが、下級魔神の身体がおそろしく細い上に、ゆらゆらと動くのでまともに当たらない。
当たりにくいのなら!
「イオニスの名において命ずる。大気よ渦巻き、地へ誘う風の回廊を築け――『操風』!」
強烈な下降気流が、宙に浮かんでいた下級魔神を、地上へ叩き落とす!
当てられないのなら、避けられないよう範囲攻撃で当ててしまえばいいのだ!
「行け!」
地面へ落ちた下級魔神へ、アセリア中佐の命令を受けた四体の泥人形が、鈍重そうな見た目の割に素早い動きで迫った。
泥人形が振るう拳の狙いは、下級魔神の玉子型の頭部。
グネグネとした胴体に攻撃は当たりにくいが、頭部は人間の頭と同じ大きさゆえに殴りやすい。
四体の泥人形の拳は、下級魔神の頭部を的確に捉え続ける。
「今のうちに避難しろ! 長くは保たないぞ!」
なるほど。
殴り続けている間は、可燃性の液体を吐く事はできないようだ。
「気をつけるんだ、貴君。異界の住人たる魔神は、こちらが想像もつかない方法で反撃に出ることがある。油断するなよ」
下級魔神相手に優勢に戦いを運んではいるが、アセリア中佐は厳しい表情を浮かべたままだ。
振り子の先端に付けた玉のように、泥人形の拳に頭を殴られて、左右へ行ったり来たりしている下級魔神だが、まるでダメージを受けているように見えない。
「私の手持ちの動く人形では、足止めが精一杯だ。貴君の魔法はどうだ?」
アセリア中佐に問われて考える。
『光塵矢』、『光槍』を当てるのは難しそう。
それなら接近してから、範囲を抉り取ってしまう『竜牙裂』ならいけるかもしれない。
「中佐! 手が――」
アセリア中佐へ「あります」、と言葉を続けようとした矢先。
「貴君、避けろ!」
下級魔神の薄っぺらい腕が急速に伸びた。
そして縦横無尽に振るわれると、泥人形の胴が、首が、脚部が、腰部が切断。さらには、避けられなかった数人も切り裂いて鮮血が飛び散った。
あの薄っぺらいグネグネした腕は、鋭い刃にもなるのか。
その鋭利な刃の腕が、俺たちに向かって伸びてくる。
バルコニーで炎を防がれたので、物理的な攻撃に切り替えたのか。
一撃、二撃と後退しつつ避け続けたが、躱し続けるだけではいつか捉えられてしまいそう。
「イオニスの名において命ずる。遠き地より、汝の主たる我の元へ来たれ――『物質転移』!」
俺の腕の中で覚えるズッシリとした、何とも頼りになる重み。
以前は、前の記憶を頼りに『武器創造』で創造したが、今度は王立士官学校の寮の部屋から喚び寄せた本物の大剣だ。
横殴りに振るった大剣の刀身が、魔神の鋭利な腕の刃も弾き返す。
このファナティカーという両手剣。
この世から竜を一匹残らず滅ぼすためと、この大剣を造らせた聖騎士が、最初の竜との戦いでその大剣を振り回した際に、誤って自身が騎乗する馬の首を切り落として落馬。そのまま命を落とした――という謂れが無かったなら、本当に伝説の名剣として歴史に名を刻んでいたかもしれない。
ただ、その場合、俺が手に入れる事はできなかっただろうけど。
突き出される腕を大剣で弾き返し、いま一度『操風』を使う。
「イオニスの名において命ずる。大気よ渦巻き、天に誘う風の回廊を築け――『操風』!」
ただし、今度は下降気流ではなく、地上のものを上空へ巻き上げる竜巻状に風を操る。
下級魔神の身体を地上から引き剥がし、天高く巻き上げたところへ。
「イオニスの名において命ずる。天より降りし雷神の槌、破滅の光よ降り注げ――『天雷』!」
七十二ある様々な権能の中で、俺的に使ったらマズイと思われる天変地異級の権能の一つ――『天雷』。
俺が権能発動の力ある言葉を口にした瞬間、数十にも及ぶ雷光が王都上空を奔り、空が白一色に染まる。そして、ほぼ同時に大気がビリビリと震えた。
下級魔神へ落雷する轟音が、大気を震わせているのだ。
そのあまりにも激しい閃光と轟音で、『天雷』の権能を使った俺も、思わず悲鳴のような叫び声を上げていた――ように思うのだが、俺自身の声すらも落雷の轟音にかき消されてわからなかった。
天雷は『カタトゥンボの雷』のようなイメージ




