使い魔の用途と、尾行と
さて、アセリア中佐の木偶人形を、猫の背中へ乗せて無事に屋敷の中へ潜入させることに成功したのだが、そこから先は特に俺にできる事は無い。
『使役魔』の権能で操った猫は、アセリア中佐の木偶人形と違って視界の共有ができるわけじゃない。ただ、命令を聞かせることができるだけだ。
だから客車の椅子に座ったままで、大人しくアセリア中佐からの報告を待つ。
そのアセリア中佐は木偶人形と視覚を共有させるためなのか、目を閉じたままで動かない。
「いたぞ、プルシェンコだ」
猫が塀を飛び越えてから、しばらくしてそう言ったきりで黙り込んだままでいる。
多分、プルシェンコ大尉から目を離さないよう、木偶人形の操作と視覚の共有に意識を集中させているのだろう。
客車の窓から屋敷の方を覗ったところで何が見えるわけでもなく、正直に言って暇だったので、『使役魔』の使い途について考えて待つことにした。
動物に命令することができると言うだけで、視覚聴覚といった五感を共有できるわけじゃない『使役魔』の用途で、一番有効に使えそうな動物といえばやっぱり馬だろうか。
騎乗する馬、または車を牽引する馬車に『使役魔』を使って命令する。例えば、「道に沿って歩きなさい」などと命令するとか?
そうしたら手綱を握ることなく馬車を走らせる事もできそうなんだけど、「どこそこの村まで行ってくれ」などという細かい命令は難しいだろうな。
地名なんて馬にはわかるわけもないだろうし……。
案外使い途が無さそうな気がしてきた。
そういえば『使役鳥』という権能もあるが、これは『使役魔』の鳥類版といったところで、効果にさほどの違いはない。
こちらも鳥に手紙でも託して運ばせるくらいしか用途が思いつかないぞ。
でも、伝書鳩じゃなくても多様な鳥を使って手紙を飛ばせると考えたら、敵の索敵網を潜りやすくなったりするかもしれない。
後は、いつか世界のどこかに人を乗せて飛べる大きさの鳥でもいたら、『使役鳥』を試して背中に乗ることができないか試したいところだ。
なんて、取り留めの無いことを馬車の中でぼーっと考えていると。
「プルシェンコが出てくるようだぞ」
ポソリと目を閉じたままのアセリア中佐が小声で呟いた。
ハッと我に返って急いで馬車の窓からそっと覗いてみると、屋敷の正門辺りに夜会の招待客らしき貴族たちの姿が確認できた。
夜会自体はまだ続いている様子だけど、もう結構遅い時間になっているからな。ちらほらと帰ろうとする客たちもいるようだ。
プルシェンコ大尉もあの集団の中にいるって事か?
でも、どいつがプルシェンコ大尉なんだ?
「もうすぐ門を潜る一団の最後尾、中肉中背の男だ」
「イオニスの名において命ずる。我に与えよ、天上より見通す眼を――『千里眼』」
この『千里眼』という権能、詠唱では『天上より見通す眼』なんて、御大層な文句を言っているが、要するに遠方にあるモノが見えるようになるだけである。
まあ、遠くが見えるだけでなく、ついでに闇の中でも見通す事ができるのは便利だ。
さて、最後尾の男か。
ええっと……。
「――え? 中佐、あいつがプルシェンコ大尉なんですか?」
最後尾を歩く男を確認した途端、俺は思わず声を出してしまった。
客車の窓から、『千里眼』の権能で強化された俺の眼が捉えたプルシェンコ大尉は、人畜無害そうな顔立ちの三十前後といった歳頃の男。
肩を落として背筋を丸めて歩く姿は、とても高級軍人、ましてや貴族には見えなかった。
男爵としての礼装を身に着けていなければ、市民街で夕刻から夜に掛けてよく見かける、勤め帰りで疲れ果てた、どこかの商会の奉公人か職人にしか見えなかった。
足取りも重そうで、浮かない顔をしては何度もため息を吐いているようだった。
重たい足取りとため息の理由は、王都への召還命令と更迭にも原因があるのかなとも思うけど。
「後を追わせる」
男爵が自家の馬車に乗り込んだのを見て、木偶人形を猫の背中から素早く回収したアセリア中佐が御者に命じた。
にゃんこよ、ありがとう。
「ニャアアアン」
役目を終えた猫を解き放ってやると同時に、俺たちを乗せた馬車はゆっくりと動き出した。
男爵家の馬車はここへ駐車している馬車の中では一回り小振りなものだった。もちろん、市井の乗合馬車などよりは大きい。
男爵が乗り込んだ馬車が動き出してすぐ後を追うのは、あからさますぎやしないかとも思ったが、その心配は杞憂だったようだ。
他にも帰宅しようと馬車を動かす貴族がいて、駐車スペースにされていた広場はちょっとした渋滞を起こしている。
動き出していた俺たちの馬車も、交通整理を行っていたウイニア伯爵家の衛兵によって一度止められた。
こうした場合、宮廷序列の高い貴族家の馬車が優先的に出発する事が多いので、アセリアが御者に一度脇へ避けるように指示を出す。
このまま衛兵の指示に従っていると、伯爵であるルドリアム家の馬車が男爵のプルシェンコ家の馬車よりも先に出発を許されそうだったからだ。
そうして広場の渋滞が少し落ち着いたところで、ようやくプルシェンコ大尉を乗せた馬車が出発を許された。
その後を追って、十分な距離を取りつつ俺たちを乗せた馬車も動き出す。
それにしても貴族街というのは、深夜でも街灯を灯しているんだな。
市民街でここまで明るいのは、飲み屋街くらいしか無いのに。
街灯は呪紋士と呼ばれる魔法士が、水晶玉へ光の呪紋と呼ばれる刻印を刻んだものだ。
呪紋を刻まれた水晶一つ一つがとても高価な上に、明かりを放つための魔力を得るために、街のどこかに設置された高温の炉で大量の燃料がガンガン燃やされている。炉で発生した熱エネルギーが魔力へと変換されるシステムだ。そして呪紋による導線を使って街灯の水晶へと繋がれ、貴族街の通りは明々としていた。
ようするにあの街灯は非常に金が掛かっている代物なのだ。
そんな代物を贅沢にふんだんに使用しているのは、さすが貴族である。
そういえば前世でも、王都の目前まで敵に攻め込まれた状況でも、貴族街の街灯はしっかりと灯されていた。
王都陥落間近で、武器糧食はもちろん燃料だって不足していたというのに……。
今にして思えば、あれは王国が滅びようとしている現実から、目を逸らそうとしていたのかもしれないな。
もしそうだとしても、救いの無いバカな行為だと思うけど。
いつの間にかプルシェンコ大尉を乗せた馬車と、俺たちを乗せた馬車は、貴族街の外れの方にまで移動していた。
市民街と貴族街を仕切る壁に近い区画。
そこで、プルシェンコ大尉を乗せた馬車は、ある屋敷の前で停車した。
ここがプルシェンコ大尉の屋敷か。
「行くぞ、貴君」
俺たちも馬車を降りると、建物の陰から様子を伺う。
貴族街にある屋敷の中では、中規模程度の大きさの屋敷だ。
貴族街と言っても騎士身分の家や、士爵身分の家だってあるので、まがりなりにも王家より領地を拝領した男爵位の貴族だけあって、そこいらの屋敷よりは立派な構えだった。
三階建ての建物で、庭園もそれなりに広い様子。
プルシェンコ大尉を乗せた馬車が停車すると、屋敷の中からゾロゾロと出迎えの使用人が出てきた。
先頭に立っているのは二十代半ばくらいの、ちょうどリゼル教官と同じ歳くらいの女性と、五つか六つくらいの幼い男の子だ。
プルシェンコ大尉の妻と息子かな?
男の子が無邪気な笑顔を見せてプルシェンコ大尉に抱きついていた。
国境のルザイ砦駐留軍指揮官だったのだから、久しぶりの親子の再会なのかもしれない。
その姿を見た瞬間、俺もアセリア中佐も少しだけ顔を見合わせる。
「子ども、いますね」
「罪を犯したとはいえ、さすがに幼い子どもの前で父親を拘束するのは気が引けるな」
「寝静まるまで待ちますか?」
「そうだな」
どのみちこっそりと忍び込んで拉致し、背後関係を吐かせるつもりなのだから、家人が寝静まってから行動を起こすつもりなのだ。
しかし。
ドンッ!
というくぐもった爆発音が聞こえたのは、プルシェンコ大尉の屋敷の窓から全ての明かりが消えて、一時間程度が過ぎた頃合いだった。
プルシェンコ邸の家人が寝静まった事を確信し、そろそろ俺たちも屋敷の中へ忍び込もうとしていた矢先の事である。
「爆発!?」
「何だ!?」
プルシェンコ大尉の屋敷から炎が勢いよく燃え盛っていた。




