エルフの少女と、エルフの里と
指先に灯った光球を消して、ふうっと大きく息を吐いた。
「あなた……今のは魔法よね?」
あ、しまった。
窮地だったので咄嗟に権能を使ってしまった。
「そういえばさっき、会話ができるようになった時も魔力を感じたわ。あなた、一体何者なの? ただの子どもじゃないわね?」
俺から一歩二歩と後ずさりして、警戒心をむき出しにした目を向けてくる。
「僕はこの山を降りた所に住んでる村の子だよ」
「嘘ね。さっきの光の矢の魔法。悪魔と契約を交わした者、魔導師でなければ使えない魔法の一種よ。あなたみたいな歳頃の子で使えるような人なんているものですか!」
「そんな事言ったって……」
「それに使えたとした所で、契約の儀式を行わなければならなかったはずよ。どこで覚えたというの?」
「いつの間にか覚えてたとしか……」
本当である。
死んだと思ったら六歳になって生き返っていて、いつのまにか権能が宿っていたのだ。
嘘は言っていない。
それにしてもこの権能ってやつ、悪魔と契約を結んで力を導き操る魔導師が使う魔法と似たような力なんだな。あの声はやっぱり悪魔かそれに近い奴のものだったか。
効果が邪悪感満載な時点で、そうじゃないかとは思っていたので驚きはしない。
「……どうやら嘘じゃなさそうね」
しばらく俺を猜疑心に満ちた目で見ていたエルフ少女だが、俺の言葉に嘘が感じられないとわかったのか、ため息を吐いて微笑みを浮かべた。
「お礼を言わないといけないわね。ありがとう、助かったわ。私の名前はルーシアよ」
「僕はイオニスです」
「そう、イオニスっていうの。助けてもらったのに疑ってごめんなさい」
「別にいいですよ――って、大丈夫ですか?」
会話の途中でルーシアは苦痛に顔をしかめると、その場にうずくまってしまったのだ。
慌てて倒れそうになったルーシアの身体を支え――何だこれ、燃えるように熱いじゃないか! この身体の熱は走ったからだけじゃないぞ。
そしてルーシアの手足を見て絶句した。
手首と足首の所に縛られた跡と新しい火傷の跡があった。
「何だよ、これ! ひどい……早く手当をしないと!」
「ありがとう、大丈夫」
ちっとも大丈夫そうに見えない。
「僕、火傷に効く薬草を探して来ます!」
「待って!」
この辺りの下草はシカに食べつくされている。
ちょっと離れた場所まで探しに行こうと、走り出そうとした俺をルーシアが止めた。
「ここから早く離れないと。さっきの犬が人を連れて戻ってくるかもしれないから、あなたは早く逃げなさい」
「そんな、放っておけませんよ。薬草を採ってきます。ここを動かないで!」
「あ、ちょっと!」
構わず俺は走り出す。
幸い、すぐに薬草を見つけることができた。
急いで泉の傍に戻ってみると、ルーシアは泉の水で火傷の傷に付いた汚れを洗い落としているところだった。
冷たい水が傷にしみて激痛が走るのだろう、痛みに顔をしかめている。
「薬草採ってきたよ。ちょっと待ってね」
「あ、ありがとう」
枝にシャツを引っ掛けると、力任せに引き裂いた。
包帯代わりだ。
それから手で揉みほぐした薬草をルーシアの傷口に塗り込もうとして。
「あ、待てよ。イオニスの名において命ず。秘められし力、濃化せよ――『精錬薬』」
『精錬薬』は薬効を高める効果を持った権能……というか、多分権能の傾向から考えて、本来は毒物の効果を高めるための力な気がする。
傷口に薬を塗り込まれる際の痛みに耐えようと、ルーシアはグッと唇を噛み締めたが。
「え? 痛くない……それどころか、痛みが引いていく?」
驚いた顔で俺が薬を塗り込んで包帯を巻いていくのを見ていた。
「嘘でしょう? 私もその薬草は知っているけれど、ここまでの効能は無いはず。もしかしてあなたの魔法?」
「うん。でも薬の効果を高める魔法しか使えないんだ。本当は回復系の魔法があればよかったんだけど……」
自己治癒能力を増幅させる『快癒』という権能があるのだけど、この権能は他者には使用できなかった。
「回復魔法は、魔導師とは相性の悪い聖職者と呼ばれる者の領分だったかしら。魔導師らしいあなたが使えないのも当たり前だわ」
「包帯、僕のシャツだからあまり綺麗じゃなくてごめんなさい」
「ううん、大丈夫。本当にありがとう。随分と楽になったわ」
包帯を巻き終えた俺がそう言って謝ると、ルーシアは優しい笑顔を向けてくれた。
「でも、もうあなたはここから早く離れなさい」
「まだ、座っていたほうが……」
「座ってなんていられない。こうしている間にも村のみんなが連れて行かれちゃう。それにさっきの犬の事もあるわ。追っ手が来る前にここから移動して、早く助けを呼ばないと」
「無茶だよ、その足じゃあ」
何とか立ち上がったルーシアだけど、その足取りはフラフラとしていて危なっかしい。
多分、火傷から来る高熱だってまだあるのだろう。
解熱効果のある薬草があればよかったんだけど、あいにくとこの辺りには生えていないのだ。
「今、誰か大人を呼んでくるから……」
「それじゃ間に合わないわ。私が直接村に行って助けを呼んでこないと、皆が連れて行かれちゃう」
「いったいルーシアさんの村で何があったの?」
「……あなたに言ってもわかるのかしら? 奴隷狩りよ」
奴隷狩り。
田舎に行けば行くほど、奴隷狩りというものはそれほど珍しい話ではなかったりする。
農村などで妙齢の娘を捕まえては、娼館や高貴な身分の家に下女として売り払う者たちがいる。
もちろん犯罪なのだが、常駐の警備兵もいない田舎の村ではなかなか取り締まれないのが実情だ。
それに高貴な身分の者が顧客に含まれている時点で、この奴隷狩りは事実上黙認されているも同然だった。
ただし、さすがに村を焼き払ってまで娘をさらったりするような事はない。
そこまですれば、領主の怒りを買ってしまうからだ。
ルーシアの村を襲った奴隷狩りの集団は、村一つを丸々奴隷としてしまうつもりのようだ。
エルフなら領主の顔色を窺う必要がないからな。
エルフは種族として容姿端麗な者が多く、奴隷として売りに出された場合高値で取り引きされると聞く。
でも、村一つとはいえエルフ族は全員が精霊魔法の使い手。
魔法士を組み込んだ軍隊でもなければ、そう簡単に敗れるとは思えないのだけど。
「奴隷狩りの中に魔導士がいたのよ……。奴ら、私たちの村に随分と前から目を付けていたみたい。精霊を封じる結界を村に張り巡らしていて、気がついた時には長老様を人質に取られていたの。あまりにも事態が急すぎて手も足も出せなかったのよ……」
悔しげに、涙まで浮かべてルーシアが言う。
なるほど。
精霊よりも上位存在である悪魔や魔神、邪神から力を導き借り受ける魔導士の魔法は、精霊魔法に対して優位にあるからな。
話を聞くとそれでもエルフたちのほうが人数的にも勝っていたのだが、人質を取られてしまったことが敗北に繋がった。
事前準備を念入りに済ませていた奴隷狩りたちの作戦勝ちといったところか。
ルーシアたちは手足を縛られると、運び出されるまで倉庫の一つに監禁されていたらしい。
ルーシアは見張りたちの一瞬の隙を見計らうと、手足を縛った縄を明かりの火で焼いて切って逃げ出したという。火傷はその時の傷らしい。
大した精神力だ。
「村のみんなが運び出されたら、行方がわかんなくなっちゃう。その前になんとかしないと」
「なら、僕も手伝うよ」
「何を言っているのよ! 相手には魔法士もいる奴隷狩りなの。子どもの遊びじゃないのよ!」
だからと言ってうちの村の大人たちを呼んだところで、荒事に慣れた奴隷狩りをどうにかできるとは思えない。
それともうちの村の人間に奴隷狩りの存在を露見させて、この辺りの領主に動いてもらうつもりなのだろうか。
「大丈夫、ルーシアさんも見たでしょう? 僕は魔法士だ」
どうして俺がルーシアに対して協力を申し出たのか。俺は正義の味方なんかじゃないので、理由があった。
エルフ族。
彼らは俺たち人間とは違った独自の文明を築いている種族。
その精霊魔法は強大で、国も彼らと積極的に問題を起こそうとは考えない。
そんな彼らとコネを作る絶好の機会なのだ。
村一つだけとはいえ、彼らは里同士の横のつながりも深いと聞く。
未来の事を考えるならば、ここで恩を売っておいて損はない。
「イオニス、よく聞いて? これは私たち村の問題で、あなたにとって何一つ関係ないことなの。少しくらい魔法が使えるからって、まだ子どものあなたを巻き込むわけにはいかない」
「関係ないことないよ。僕はもうルーシアさんと知り合っちゃったんだから。知り合いがこれからヒドイ目にあうかもしれないって時に、逃げ出すなんてできるわけないよ」
ルーシアが絶句する。
俺はルーシアの走って来た方角へ足を踏み出して振り向いた。
「一刻も早く助けが必要なんでしょう? 村に助けを呼びに行って、領主様の所に応援をお願いしたって時間が掛かるよ。僕ならすぐに行ける。きっとなんとかできると思うよ」
◇◆◇◆◇
「あそこが私たちの村よ」
「こんなところに村があったなんて」
徴兵で村を離れるまで十八年住んでいたが、全く知らなかった。
ルーシアに案内されて俺はエルフの村が見えるところまで来ていた。
二人で近くに茂みに身を隠しての様子を観察する。
「こんな所にルーシアさんの村があるなんて、村でも聞いたこと無かったよ」
「普段は人が近づかないようにする結界が張られているのよ」
エルフ族以外の者が結界に近づくと、無意識のうちに別の方角へ向かってしまうらしい。
その結界も奴隷狩りに加わっていた魔法士によって無効化されてしまい、奴隷狩りたちに簡単に侵入されてしまったのだそうだ。
「みんなはあそこに監禁されているわ」
ルーシアが指差した先には、木造の倉があった。入り口の前に見張りの男が一人と猟犬が一匹いる。
「長老様はあっち」
人質である長老だけは、別の家に一人で隔離されているらしい。
そのため村の者たちは、抵抗することもできずにおとなしく監禁されているのだ
正面から近づくのは難しい。
村の中にも複数の男たちがうろついていて、何匹もの猟犬がいた。
「結構、規模の大きな奴隷狩りたちだね」
「頭目が魔法士みたいだったわ。確か人間の魔法士って……」
「うん、貴族がほとんど」
正確には王侯貴族と騎士身分の者たち。
聖職者は神と天使から力を借りて奇跡を起こす魔法の使い手ばかりだから、奴隷狩りには関わらないだろう。
つまり頭目は貴族か騎士が関わっている。
まあ、あり得ない話ではない。
この手の奴隷商は儲かるらしいので、裏稼業として奴隷商を営む貴族がいても不思議じゃない。
「これ以上近づいたら、匂いで気づかれちゃうかも」
今は風の精霊に頼んで匂いを消してもらっているのだが、あの獰猛な猟犬の鼻に匂いを嗅ぎつけられる恐れはあるとのことだ。
「人質にされている長老様さえどうにか解放する事ができたら……」
「じゃあ、僕が行ってくるよ」
「えっ、ちょっと、ま……」
「イオニスの名において命ずる。我が身を彼方へ――『転移』!」
ルーシアの言葉を待たず、『転移』で村の外れにまで転移。すかさず再び『転移』で近場の家の屋根へと移動する。
ここで何匹かの猟犬が俺の匂いに気づいたようだ。
俺がいる家の屋根に向かってけたたましく吠え声を上げる。
「何だ? 猿でもいるのか?」
一斉に吠えだしたので不審に思ったのだろう。奴隷狩りの男たちも集まってくるが、屋根の上までは見ることができない。
「ここからじゃ見えねえな」
「俺たちの目を盗んで誰が屋根の上に登れるっていうんだ。猿かネズミだろうよ」
「猿なら捕まえて食っちまうか?」
「おい、うるさいぞ! 静かにしろ!」
よく訓練されている犬だ。何者かの侵入に気づき主たちに警告をしたというのに、叱られては報われないな。咎められて吠えることを止めたが、唸り声はまだ聞こえる。
構わず俺は『転移』を再び使って、エルフの長老が隔離されているという納屋の屋根へと飛んだ。
そしてすぐにその場で身を伏せる。
少しだけ顔を上げて様子を窺ってみれば、犬と奴隷狩りの男たちは、俺が最初に転移した家の周囲にまだ集まっていた。
最初の転移で離れた家の屋根に飛んだことが、かえって陽動となったらしい。
犬たちが騒いでくれたおかげで、納屋の周囲にいた見張りの男たちも離れている。
今なら少々物音を立てても気づかれないに違いない。
屋根の上に伏せたままで右手をそっと屋根板に当てると、『腐蝕』を発動させる。
すると木材がグズグズと腐って柔らかくなった。
十分柔らかくなった所で指で小さな覗き穴を開けて中を覗き込むと、換気用の小さな格子窓しかない薄暗い部屋の中に、年老いたエルフの男性が静かに座り込んでいた。
あの人が長老さんだろう。
他には人がいない。好都合だ。
穴を少しずつ大きくしていくと、ボロボロと床に落ちる木屑とやがて天井から差し込んできた光に気づいて、長老さんが不思議そうに見上げた。
静かにと仕草で示してみると、長老さんは察してくれたのか一つ頷く。それから立ち上がって、俺が開けた穴の下へ敷物を置いた。
そういえば、木屑の落ちる音まで考えていなかったな。
そう時間を掛けることもなく、人一人が余裕で通れる大きさにまで天井に穴を開けると、『飛行術』を使ってゆっくりと部屋の中に降り立つ。
「人の幼子か? 主はいったい?」
「助けに来ました。村の外でルーシアさんが待機しています」
「助けにじゃと……幼子が一人でかね?」
「はい。ご覧の通り魔法が使えますから」
「ふむ、空を飛んでいるのも穴を開けたのも魔法じゃな?」
「さ、僕に捕まってください」
「ふむ、捕まれと言うてものぉ……」
そうだった。
六歳の子どもである俺のどこに捕まれば良いというのか。
「僕が後ろに回り込みます」
「頼む」
長老さんの背後に回り込むと、両脇から手を回してゆっくりと上昇する。
そういえば人を抱えて飛ぶのは初めてなんだけど、しっかりと抱え込めば長老さんの体重を感じること無く浮かび上がることができた。
穴の縁に頭をぶつけないよう慎重に上昇すると、まずは納屋の上へと出た。
見張りが戻ってきている。犬は連れていないが、納戸の前に座り込んで眠たそうに大きく欠伸をしていた。
どうやら納屋の中から長老の姿が消えた事には気づいていない。
「スマンの、助かったわい。顔色が随分と悪いが大丈夫かの?」
納屋の屋根の上で長老は、荒い息を吐く俺の顔を心配そうに覗き込む。
「ハアハア、大丈夫です。ちょっと魔法を使いすぎただけ」
そういえばルーシアと出会ってから権能を乱発している。
この疲れ具合からしてあと数発しか権能は使えない。
長老を抱えて『転移』を使う事は難しそう。『転移』は何か重たい物を抱えると比例して転移距離が短くなるし、体力の消耗も大きくなる。『飛行術』なら長老一人くらい村の外に潜んでいるルーシアの所まで抱えて飛べる。人を抱えて飛ぶのも余計に体力を消耗するのだが、『転移』よりはマシだ。でも、それで今日の権能はおそらく打ち止めになってしまうだろうな。
でも、人質となっていた長老さえ解放してしまえば。
「人質の儂さえいなければ、村の者たちは皆優秀な精霊魔法の使い手にして腕利きの狩人じゃ」
俺は頷くとルーシアから教えてもらった村の人たちが閉じ込められている倉へと目を向ける。
そして長老に抱き抱えると『飛行術』で飛んだ。