貴族社会の事情と、にゃんこと
「遅いぞ、貴君」
「すみません、中佐」
アセリア中佐との待ち合わせ場所へ行くと、一台の馬車が停まっていて、中佐はその中で待っていた。それも荷馬車や乗合馬車によく使われる幌馬車などではなく、黒塗りの高級そうな木材を、艶が出るまで磨き込んだ客車に馬六頭仕立てという大型馬車だ。
「出してくれ」
俺が馬車へ乗り込むと、中佐が御者へ馬車を出すように命じた。
ガラガラという車輪の音がして馬車が動き出したのだが、ガラス窓越しに見える道行く人たちの注目を集めている。
日中ならともかく、日が落ちてから大型の馬車が走る事はあまりないだろうからな。
「あの、中佐。馬車で移動するのは目立つのではないでしょうか?」
「逆だ貴君。我々が今から向かう先は、貴族の私邸が集まる貴族街だ。軍服の私や士官学校の制服を着た貴君が街を歩くと、貴族の私設警備兵に見咎められてしまうぞ」
なるほど。木を隠すなら森の中という事ね。
それにしても、さすがは伯爵家だというルドリアム家。
馬車の外観も立派なものだったが、客車の内装も非常に豪華である。
特に椅子と背もたれのクッションの柔らかさときたら、車輪が伝える道の凹凸の振動が、全く気にならない。
「このままプルシェンコ大尉の屋敷へ?」
「いや、ウイニア伯爵の屋敷へ向かう。大尉は今夜、彼の後ろ盾であるウイニア伯爵邸で催される夜会へ、出席する予定らしい」
「プルシェンコ大尉の後ろ盾が? 大尉の縁戚か何かなのでしょうか?」
「む? 貴君は知らないのか?」
アセリア中佐が意外そうな顔で俺を見る。
「プルシェンコ男爵家は先王の御世、我が国の東に接するランザス王国から離れて我が国に参入した新興貴族なんだ。その際に後ろ盾として立ったのがウイニア伯爵家だ」
先王の御世というと、俺が生まれる前の頃か。
さすがにその頃の国内事情までは知らなかった。
「田舎の村育ちなので」
「ああ、そうか。貴君はそうだったな。貴族の世界では有名な話だったので、つい貴君も知っているものだと思っていた」
「『プルシェンコ』という大尉の家名、リヴェリアで聞き慣れない綴りだとは思っていました。なるほど、もともとランザス王国の貴族だったからなんですね」
「うん。先王の御世にリヴェリアとランザス王国が戦争した時期がある。プルシェンコ家はその折に我が国へ寝返ったのだ。我が国での貴族としての地位と所領を保証してな。だがその結果、一度は主君を裏切った家という評判が、プルシェンコ男爵家に付きまとうようになってしまった。今回の姫様の暗殺を奴が請け負ったのも、新興貴族ゆえの事情かもしれない。ウイニア伯の属する門閥貴族のトップ、ライエル侯の覚えを良くするためにな」
なるほど。
山岳踏破訓練でルナレシアを襲う際、どうして遠い国境ルザイ砦の指揮官が指揮する部隊が派遣されてきたのか疑問に思っていたのだけど、これでスッキリした。
仕えていた国を裏切って、他国に付く。裏切った当初はリヴェリア王国から盛大に歓迎されただろうけど、年月が経てば微妙な立場となるんだろうなあ。
リヴェリア王国内で確固たる立場を築くために、現在国内で最も力を持つライエル侯の信用を得るために、姫様を暗殺するという大逆罪の任を引き受けたわけだ。
プルシェンコ男爵家の苦しい立場を考えれば、わからなくもない。
だからといって、馬車の事故を装って俺自身も死にかけた事。罪もないルナレシアを暗殺しようとした事を許すつもりは無い。
話しているうちにいつの間にか貴族街へ入っていたようだ。
貴族街は、空は日が落ちてすっかり暗くなっているというのに、街灯のおかげで通りが照らされていて、とても明るかった。
通りを何台もの馬車が往来しているのだが、どの馬車もルドリアム伯爵家の大型の馬車に匹敵するサイズの馬車ばかり。
どれも貴族お抱えの馬車なんだろう。
街路樹と街灯が整然と並んだ石畳の通りは、市民街の通りよりも随分と幅が広く余裕ですれ違えた。
「ここだ」
貴族街をしばらく進むうちに、馬車は大きな邸宅の門前で停車した。
夜会へ参加する客のために、大きく開け広げられた門の中を馬車の窓越しに覗き込むと、広い庭園とその奥に大きた屋敷が見えた。屋敷の窓全部から煌々と明かりが漏れていて、それだけでもウイニア伯爵家は相当な金持ちなんだろうなと察せられる。
邸宅を囲む壁の門から少し離れた広場に、十数台の大型の馬車が駐車していた。
夜会に参加している貴族の家お抱えの馬車なのだろう。
馬車の周囲にはそれぞれの家の御者たちが、立ち話に興じている。
俺たちの乗る馬車にも門の前に立っていた衛兵がやって来た。
「貴君。窓から離れて頭を下げてくれ」
御者と一言二言会話をすると、やがてゆっくりと馬車が動き出した。どうやら俺たちの馬車も、駐車スペースとなっている広場へと案内しているようだ。
「御者が、この馬車は、今夜の夜会へ招待された貴族の迎えのために来たと説明したはずだ」
俺と同じように頭を低くした姿勢で、アセリア中佐が小声で耳打ちをする。
「我々はこのまま馬車の中で、プルシェンコ大尉が出てくるのを待つ」
「衛兵が客車の中を調べたりは?」
「するわけがないだろう。貴族の馬車だぞ? 変に疑いを掛けて何もなかった場合の責任を考えると、わざわざ馬車の中を検分しようとする仕事熱心な衛兵などいない。良くも悪くもな」
「でも、ここからだと屋敷の中はもちろん見えませんし、正門も少し距離があって、顔の判別が付きづらくありませんか?」
貴族街の通りは、街灯のおかげで明るいとはいえ昼のようにとはいかない。
門の前に立っている衛兵の顔も陰影ができていて、俺たちのいる場所からでは、個人個人を判別するのは難しそうだ。
「こいつを使う」
アセリア中佐がそう言って取り出したのは、手のひらに乗るサイズの小さな人形、木偶人形だった。
そういえば、アセリア中佐は動く人形を操る魔法士、傀儡士だったな。
アセリア中佐の魔力が込められた木偶人形は、ピョコンと彼女の手のひらの上で立ち上がると、ぴょんっと客車の床へ降り立った。
「コレの視界を私が見ることができる。屋敷の中にまで入るのは難しいかもしれないが、夜会が催されているホールが覗ける窓くらいは近づけるだろう」
というわけでアセリア中佐が馬車の扉を細く開けると、木偶人形を地面に下ろした――ところで、ちょっと困ったような顔をする。
「――屋敷まで結構遠いな」
確かに。ここから門を潜り抜けて、さらに夜会の催されているホールが見える窓へ行くには、随分と距離がある。
手のひらサイズの木偶人形が歩くには、結構な距離だ。
それに小さいとはいえ、正門から堂々と中に入ろうとすると、衛兵にも見つかりかねないと思う。
「う~ん……」
ところで、馬車から下ろしたところで木偶人形をまごまごさせつつ、困り顔をしているアセリア中佐はちょっと可愛かった。
でも、このままじゃあ話が進まないので何か俺に手助けできないかと、馬車の窓から周囲の様子を探ってみる。
おっ、ちょうど良いのがいた。
「中佐。人形を運ぶのに最適な方法を思いつきました」
「貴君?」
「イオニスの名において命ずる。かの猫と今ひと時の縁を結べ、我が意のままに我がなすままに――『使役魔』」
「――ニャアオ」
見つけたのは屋敷の塀の下を歩いていた一匹の猫だ。
この辺りの貴族の飼い猫か、それとも野良猫なのかは知らないが――あ、首にリボンがある。
飼い猫だ。
トットットと馬車まで近寄ってきてチョコンと座ると、俺を見上げた。
「この猫は貴君が?」
「中佐。そちらの猫で人形を運びます。背中に乗せてやってください」
「あ、ああ」
「ニャアアアン」
アセリア中佐の木偶人形を乗せた猫は、サッと駆け出すと、トン、トン、トーンと軽やかな身のこなしで塀を駆け登るようにしてジャンプすると、屋敷の庭へと消えた。
侵入成功だ。




