君が寄せる信頼と、偽り飾る卑劣漢と
「……お邪魔します」
荷物を運び終えた――と言っても、ベッドを運び込み、服や下着、雑貨を詰め込んだ鞄を幾つか持ち込んだだけだ。
一国の王女様だというのに、驚く程に荷物が少ない。
これも清貧を旨とする修道院で育てられたせいなのだろうか?
「驚きました。随分と広いんですね、イオの部屋は」
ルナレシアが驚くの無理はない。
しっかりとしたコンクリートと石造りの他の兵科の寮と違って、木造平屋建てに外観もみすぼらしいが、元は兵舎だっただけあって中がとても広い作りなのだ。
俺に割り当てられた部屋は、恐らく元は兵士たちがすし詰め状態になって寝るための多段ベッドが、多数詰め込まれていた部屋だった。
その多段ベッドを全部運び出した後に、そのベッドを全て俺たちの手で解体。そうして手に入れた材木を使って、部屋を仕切るための壁板を作ってもらった。
おかげで今の俺の部屋は居間に寝室に物置きの三部屋構造と、無駄に豪勢な間取りとなっているのだ。
「あ、コラ、ティア!」
ルナレシアの腕に抱かれていたティアがスルリと抜け出し、ボテッと床に落ちた。そのまま小さな翼をパタつかせて、ポテポテと部屋の中を歩き回る。
幼竜は翼があっても飛べないんだな。腹がボテッとしてるもんな。
成竜となった飛竜の腹はシュッとしていて、かっこいいんだが――。
ティアはフンフンと部屋中の匂いを嗅ぎ回っている。
「私の部屋も個室でしたけど、この部屋を全て合わせた間取りは、私の部屋よりも広いんじゃありませんか? 他の兵科の方たちは、この居間よりも狭い部屋に四人部屋で住まわれているんですよ?」
「その分しっかりした造りの建物で、食事や掃除もしてくれる管理人もいるんだろう?」
「そうですけど……」
「住み始めた頃のここは本当にひどかったんだぞ? 雨漏り、隙間風は当たり前。腐った床板が何箇所もあって踏み抜きそうで、特に身体の大きいコールの奴なんて、おっかなびっくり歩いてたんだぜ?」
嵐や地震でも来ようものなら、建物が倒壊しかねない。
「まあ、今は俺たちの手で完璧に修繕しちまったからな。全然問題無しだ! 自分たちで準備する必要があるけどさ、台所も風呂も物凄く広くて大きい。それを俺たちだけで使えると考えたら、凄く良い物件だよ」
俺たちにとって幸運だった事は、今期の普通科にはドムという老ドワーフが存在した事だ。
ドムは大きな工房を構えていた職人で、後継者に工房を譲るまで何十人もの弟子を抱えた腕利きの職人。
王立士官学校へ入学するまでは、職人を引退した後も、ドムに教えを請いに若い職人が訪れることも珍しくなかったらしい。
そんなドム親方の的確な指導の下で、俺たちは日々の教練の合間に、修繕に励んだ。
その結果、住環境はここまで格段に改善できたのだ。
「そうですか、そんな事が……。でも、どう言えば良いのか……何だかイオのお部屋、寂しいお部屋のように思います」
「まあね。寮へは寝に帰っているだけなのに、部屋が広すぎるんだよ。だから部屋を壁板で仕切って三つにしたんだけど」
荷物が少ない上に、家具や調度品をあまり置いていないため殺風景なのだ。
食事は寮の大食堂で皆と一緒に食べるし、食後は大体談話室に集まっている。
本当に自室に戻る時は、自習するか寝るくらいだ。
「でも、ルナの荷物も入れれば少しはマシになるかもね」
「そうでしょうか?」
確かにルナレシアの荷物も少ないしなぁ……。
「それよりも――」
ルナレシアは俺の寝室のベッドに細身の身体を投げ出すと、はふぅ、と大きく息を吐いた。
「ルナ、そこは俺のベッドだよ。君の寝室はあちらに用意してある」
「クアアア」
ルナレシアには、俺が寝室としていた部屋を明け渡して、物置部屋を改めて俺の寝室とするつもりだったのだが。
ポテポテとやって来たティアが、ベッドの上によじ登ってルナレシアの側で丸くなった。
「私もこちらで一緒に寝てはいけませんか?」
ティアの背を撫でつつ、寝転んだままで俺を見上げて言う。
「一緒にって……王女様と何処の馬の骨ともわからない男が、同じ部屋で寝ちゃマズイだろ?」
「イオの事は信用していますよ?」
「いや、信用してくれているのは有り難いけど……、こういうのは俺たちがどうこうと言うよりも、周りからどう見えるかという問題だからな?」
嫁入り前のお姫様に、良からぬ噂を纏わり付かせるわけにはいかない。
「フフ、そうですね。でも、理由があるのです」
「理由? そういえばさっきそんな事を言っていたな? 教えてくれても?」
「もちろんです。でも………………本当に疲れました」
「緊張していたのか?」
普通科の皆とは全員初対面。挨拶で疲れてしまったとしても仕方がない。
「そうじゃありません。イオは知らないでしょう? 王都に来て以来ずっと、私は心が休まる日は無かったのですよ?」
王都に来て以来ずっとだって?
ベッドに寝転んだまま俺を拗ねた顔で見上げるルナレシアを、俺は驚きの目で見た。
「王都って、俺と一緒に来たあの日からか?」
「そうですよ? あの日からずーっとです。イオが皆さんと楽しくお勉強している間もずーっとずーっとですよ」
「べ、勉強は別に楽しくは無かったぞ?」
ううっと頬を膨らませていたルナレシアだったが、フフッ、と笑った。
「冗談です。ちょっと意地悪してみました。きっとここに来て随分と気持ちが楽になったからでしょうか?」
気持ちが楽に……。
「――それが俺の所へ来た理由か?」
「――はい」
ベッドから起き上がってルナレシアは、床に正座すると真剣な面持ちで俺を見上げた。
「イオ……いえ、イオニス様。私が王都に参ったのは、エイジェスから助けを求められたからです。王の命だけに従い国と民を守るためにあるはずの王国軍が、今、一部の臣の傀儡に成り下がりつつある、と。私が王国軍の象徴として立つ事で、奸臣の暴走を止めて欲しい、と……」
一部の臣、宰相ライエル侯爵の事か。
ルナレシアの話によると――。
病に伏した王に代わって国政を預かるライエル候は、まず宮廷内や国政の重職かから他の派閥の貴族を一掃した。そして後任に己の血縁や派閥に属する貴族を就かせ、アデリシア王女の婚約者に、若い妻との間に生まれた息子アリアバートを据えた。
そんなライエル候の専横を危惧した王族、貴族もいたが、彼らの間で病死、事故死が相次ぐと、やがて異を唱える者がいなくなる。
宮廷内の反対勢力を黙らせたライエル候は、次に王国軍へと手を伸ばしてきたらしい。
そこで王国軍の軍閥貴族『騎士団』はライエル候に対抗するため、ルナレシア王女を王国軍へ入隊させ擁立する事にした。
これがルナレシアが王都へ呼び戻された理由である。
今上王は即位してから数年後に病に倒れた。そのため、直系の子どもは双子の姫二人しか存在しない。
――ライエル候ら門閥貴族が擁立する姉のアデリシア王女。
――軍閥貴族『騎士団』が擁立する妹のルナレシア王女。
今現在、この二人が最も王位に近い王族なのだ。
「イオニス様。私はエイジェスの命を賭した願いを叶えて差し上げたいと思っています。でも……でも、本当は怖い。ここにいる事が、王都にいる事が、私はとても恐ろしいのです。士官学校には私が信を置ける数少ない一人であるアセリアでさえも、簡単には入れない。私はイオニス様、あなたに縋るより他ありませんでした」
宮廷内を完全に掌握したライエル候にとって、現在最大の敵は軍閥貴族の騎士団。
王国軍を掌握する彼らは、王国内最大の武装集団でもある。
その上、今上王のもう一人の姫、ルナレシア王女を擁立する彼らには、いかに宰相といえども易易と切り込めない。
今のライエル候に取って、自身の権勢を拡大するのに邪魔となっているのはルナレシアなのだ。
今までの他の王族に対する策を見るに、ライエル候はルナレシアの事も必ず排除しようとするだろう。
そして残酷な事に俺は、前世でライエル候の目論見が成功している事を知っている。
前世ではアデリシア王女が女王として即位した。
その時、他の王族は全員命を落としている。ルナレシア王女も例外ではない。
アデリシア女王の即位後、相次いで反乱を起こした軍閥貴族と反ライエル候閥の貴族は、王の子孫という錦の御旗を得られずに全て失敗してしまった。
王国軍の要だった軍閥貴族の滅亡は軍組織そのものの弱体化を招き、諸外国の介入を防ぐ事ができず、王都リーリアは陥落したのだ。
ルナレシアがいつ命を落としたのか?
俺と出会った馬車の暴走の時か?
それともこれから命を落とすような危機が訪れるのか?
前世の時の流れの中で、俺はルナレシアがいつ、どのようにして命を落としたのか知らなかった。
だからこそ、破滅の未来を変える一手として、俺はルナレシアを守ろうと考えている。
死ぬはずだったルナレシアが生きていた場合、歴史はどのように変わるのか。
ルナレシアが生きている限り、軍閥貴族はライエル候に対抗する事ができる。
軍閥貴族の力が弱まらなければ必然、前世のようにリヴェリア王国軍が弱体化する事もなく、諸外国の介入も難しくなるはずなのだ。
最初はただの偶然だった。
だが、今は俺の目的のために、ルナレシアの命を守っている。
彼女は言うなれば、誘蛾灯。
ルナレシアという名の明かりに吸い寄せられる、前世の俺では見ることが叶わなかったこの国の暗部を、俺の前に引きずり出すための灯火だ。
そのような卑劣な手段でも用意しなければ、前世でただの一兵卒だった俺が、歴史を変えるという大それた真似はできそうにない。
今だって、軍人として出世すれば、できないことができるようになるのではないか? その程度の考えで士官学校に入学しているのだから。
「――迷惑、だったでしょうか?」
そう言って上目遣いに見上げてくるルナレシアを見て、俺の胸の深い所で、ズクンッと痛みが走った。
ルナレシアはきっと俺が善意で守ってくれているとでも思っているのだろう。
そうじゃない。
俺はただ、俺自身の目的のために、彼女を囮に利用しているようなものなのだ。
俺は込み上げる罪悪感を誤魔化すために、ルナレシアの柔らかい金髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
「キャッ……」
「あのな、子どもが迷惑だとか気にするなっての」
「だって……、私は命を狙われているのですよ? 私がここにいれば、イオニス様も襲われる事になります」
「そうなったら話が早いな。返り討ちにして、証拠を掴んでやればいいんだ。王族暗殺未遂ともなれば極刑だろ?」
そう言うと、笑って見せた。
その笑いの中に俺自身の決意を込めて。
ルナレシアの信頼を利用する以上、俺は彼女の命だけは絶対何があろうとも守り抜く。
その信頼だけは決して裏切らない。
「あの……私はこの話を聞いても、ここにいてよろしいのでしょうか?」
「条件がある。イオニス様とその私というのは止めろ。イオでいいって言っただろ?」
「っ! は、はい、はい! イオ、イオ…………ありがとう……ございます」
涙を浮かべるルナレシアに手を差し伸べて立たせると、
「となると、こっちにもう一度ベッドを運ばないとな。ドム……いや、コールに頼むか? まだ起きてるといいんだけど。ところで、ティアってさ?」
「はい?」
「この仔もずっとここで?」
「幼竜の間だけです。一年もすれば、契約主と離れて竜舎に入れても大丈夫になります」
そうなんだ。




