お人形遊戯と、相棒と
本校舎にある応接室。
訪れた者が思わず背筋を伸ばしてしまいそうな重厚感ある扉が見えた所で、リゼル教官は足を止めた。
「私はここまでだ。あの応接室でお待ちだ。行って来い」
「はい、ありがとうございました」
「――イオニス候補生!」
数歩歩いた所でリゼル教官が声を掛けてきた。
「――はい?」
「あ、いや、お客様に失礼の無いようにな」
「? 了解しました」
なんだろう、珍しく歯切れの悪い言い方だ。
扉を叩くと、中から声がした。ん、女性の声だ。
「普通科初年度候補生、イオニス・ラント、入ります!」
教室ほどもある広い応接室は、遮光カーテンが閉められていて薄暗い。
一番奥の窓際に人がいるが、あの人がお客様かな?
誰だろう?
明るい場所から急に暗い場所へ入ったため、顔が良くわからない。
手招きをされたので、
「失礼します」
応じて部屋の中程にある応接セットの所まで入った。
その時。
ガチャン!
硝子が複数割れる音。
遮光カーテンが大きくはためき、飛び込んできたのは複数の影。真っ直ぐ俺に向かって突っ込んでくる。
――何だ!? いったい!
飛び込んできた影は三つ。
真っ直ぐに俺に向かって飛んできたので、ひとまず避ける。
俺に避けられた影はドカッという重そうな音を立てて壁にぶつかった。
あんなのまともに受け止めたら骨が折れそうだな!
その時、割れた窓から拭いた風に遮光カーテンが捲れて部屋の中に日が差し――。
――人形!?
三体の影は、等身大の木偶人形だった。
「人形を操る傀儡士の魔法士か!」
傀儡士は形代に魔力を流して自在に動かす魔法士で、有名所では岩塊の人形や動く石像といった動く人形。
疲れを知らず、恐れを知らず、痛みを知らず――魔法士の力量にもよるが、使い減りしない兵士を生み出せる軍でも重宝される魔法士だ。
カタカタカタという音を立てて、三体の木偶人形が起き上がる。
派手に壁にぶつかったのに、ダメージは無さそう。
(魔法士はどこだ!?)
そう傀儡士は、動く人形に任せて本人は安全な場所に隠れて動かせるのも大きなメリットなのだ。
状況から見て、俺を呼んだお客様とやらが傀儡士なんだろうが……。
カタカタカタ……。
窓際に立っていた人物の目は――ガラス玉! こいつも人形!
背後の三体が飛び掛かってきた!
一体目の拳を躱しざま顎に掌底を叩き込み、二体目に回し蹴りを胴に決める。三体目が二体目に巻き込まれて、後ろへ吹っ飛んだ。
サイドボードに並んでいた楯、トロフィーが派手な音を立てて床へ落ちる。
カタカタ……、カタカタカタ……。
人ならば悶絶しそうなダメージも、立ち上がってきた木偶人形には見られない。
なるほど。
打撃技で仕留めるのは難しいか。
動く人形を倒すには、身体のどこかに埋め込まれた動力源の核を砕くか、動けなくなるまでバラバラに砕くしかない。
ジャキンという金属音がした。
木偶人形が肘から先を取り外して、そこから細身の刃を生やしていた。
そして三度突っ込んでくる。
「くっ」
人形が腕を振り回す度にカーテンや表彰旗、ソファといった布が鋭利な刃で切り裂かれる。あまつさえ、ザンッと固い樫で作られているはずの応接机やサイドボードの板すらも切断する。
木偶人形だからこそ人と違って、腕に受ける反動や衝撃を気にせずにできる芸当だ。
敵は四体。木偶人形同士、味方に当たっても構わないとばかりに刃を振り回すので近づけない――が!
「武器が無いからって、調子に乗るなよ!」
イメージを浮かべる。
前世の記憶。
思い浮かべた映像は、最期の瞬間まで共にあり続けた相棒の姿形。
過去に遡行して八年の年月が経とうとも、形状はもちろんの事、その重さも感触も、刻み込まれた傷の一つだって忘れてはいない。
「イオニスの名において命ずる。我が手の中へ具現せよ――『武器創造』!」
両手に蘇る懐かしい感触と、ズッシリとした重み。
俺の手の中に現れた大剣は、前世の俺が十年以上も愛用していた両手剣だ。
その銘――『ファナティカー』という。
十四歳になった俺の背丈よりも長大にして幅広の刀身が、傷一つ、寸分違わず、俺の記憶の中にある姿そのままに再現される。
「うおおお!」
刀身の根元と鍔の間にある刃が付いていない箇所、リカッソを右手で握り締め、足を踏ん張って大剣を振るう。
動く人形の弱点の一つ。
戦況に変化が生じても、傀儡士の意思が伝えられるまで行動を変えられない。
無防備に大剣の間合いへ入り込んだ三体の木偶人形を、腰の所からまとめて一刀両断。
寸断された木偶人形の上半身が、吹っ飛んで壁にぶち当たって床に転がった。
最後の一体が、大剣を振り切った俺へ突っ込んでくる。
右手部位に生やした刃で、俺を切り裂こうと振り被る――が、真っ直ぐに突っ込んでくるのも予想済み。
融通が利かないのも動く人形の弱点だ!
「イオニスの名において命ずる。我が敵を貫け――『光槍』!」
俺の右手から生まれた大木の幹をも容易く貫く光の槍は、木偶人形の胸部から腹部に掛けてを消し飛ばし、切り離された頭部と両腕が慣性の法則に従って、俺を掠めて飛んでいく。
残った木偶人形の下半身に、ドンッと大剣を突き立てて部屋の中を見回した。
どうやら全ての木偶人形の動きが止まったようだ。
ふぅっと一つ息を吐くと、大剣の姿が揺らいで空間に溶け込むように消えていく。
ありがとう、相棒。
大剣、この時代でも手に入れておかないとな。
手に入れたのは王都ではなく別の街だったので、折を見て買いに行きたい所だ。
大剣を買いに行くために、まとまった休暇って貰えるのかな?
パチパチパチ……。
拍手の音が聞こえて振り向くと、扉を開けて一人の女性が立っていた。
◇◆◇◆◇
「驚いたな。姫様があまりにも大仰に評価されていたものだから話半分に聞いていたが、まさかこれ程の実力とは……」
リゼル教官よりも少し若い、二十代前半くらいの女性だった。
黒をメインにして金で縁取りされた服は、高級士官が身に着ける軍服だ。胸元には、幾つもの綺羅びやかな勲章が付けられている。
ひと目で地位の高い人物だとわかるのだけど、誰だろう? 全く面識がない。
ありえないとは思うが、前世の記憶を探ってみても、やっぱり覚えは無かった。
襟元の階級章は――うおっ、中佐だ!
大隊級の指揮官だぞ!
いや、そんな事よりも。
状況から考えると、木偶人形をけしかけたのはこの人か?
俺が警戒していると、
「イオニス・ラント候補生だな? 少し実力を試させて貰ったよ。私は王室近衛隊のアセリア・ヴァン・レイ・ルドリアム中佐だ」
――ルドリアム。そうか。
「もしかして、中佐殿はエイジェス殿の――」
「貴君には父が世話になった。姫様――ルナレシア殿下より貴君が、父が最期に言葉を交わした相手だと聞いた。父の最期の頼みを聞き入れ、姫様を守って王都までお連れした事。亡き父に代わって礼を言わせて欲しい――感謝を」
「恐縮です」
「今日は父と姫様の件で礼を述べるために、個人的に貴君を訪ねたのだ。そう固くならないで欲しい」
「――はい」
「とりあえず話をしようにも、この有様では座る場所が無いな。別の部屋に行こうか」
応接セットの長椅子は切り裂かれて中身が飛び出し、絨毯の上には木偶人形はもちろん、トロフィーや表彰旗といった内装品の残骸が散らばっている。
これ、俺のせいじゃ無いからな。
後で怒られたりしないよな?
改めて案内された別の応接室は、最初の応接室の約半分くらいの広さだった。
この位の広さの方が何となく落ち着くね。
調度品はさっきの応接室同様に壁際に表彰旗、サイドボードにトロフィーと変わりが無い。ただ、中央の応接セットの机や長椅子がひと回り小さい物となっていた。
「掛けたまえ、イオニス候補生」
促されてアセリア中佐の対面の長椅子に座った。
「姫様から王都までの出来事は聞かせて頂いた。だが賊の襲撃を受けた後、貴君に庇われて森の中で目覚めるまでの間が曖昧なのだ」
そうだろうなぁ。
暴走した馬車が道を外れて崖を落ちた時、ルナレシアは白光に輝く繭に包まれていた。そのおかげで彼女は無傷だったのだが……、そういえばあれは何だったのだろうか?
何かしらの防御魔法の一種だと思うのだが、俺でさえも『転移』で空へ飛び出すのがやっとの状況。馬車が転落した一瞬で、防御魔法を唱えられる力量が、ルナレシアにあるとは思えないんだけど。
「良ければ貴君が見た父の最期の姿、教えては貰えないだろうか?」
「もちろんです」
賊の襲撃からのエイジェスとその部下二人の奮闘。
馬車の転落。
そして俺にルナレシアを託し、一人馬車に残って賊の足止めを図った事。
「そうか……、父は最期まで姫様を守るために最善を尽くしたのだな」
「はい。見届けることはできませんでしたが、私が見た最期は立派なお姿でした」
俺の話を聞き終えたアセリア中佐は、大きく息を吐いた。
「――ありがとう。貴君の話で、我が父の最期が誇れるものだと知る事ができた。本当に感謝している」
「はい」
「そして姫様を貴君に託した父の慧眼にもな。先程貴君を襲った木偶人形、もう解っているとは思うがあれは私がけしかけたものだ」
他には考えられないよな。
「リゼル中尉から貴君の試験成績は見せて貰った。運動能力と戦技はともかく、学科は散々な成績だし、魔法士適性検査は受けていないしで、正直姫様の話にあった幻獣の召喚や飛行の魔法については、話半分に思受け取っていたのだ。それでも幻獣の召喚が見られるのではと思い、木偶人形をけしかけたのだが……、まさか物質を具現化した上に光術のようなもので破壊されるとは思わなかったぞ。貴君はなぜ普通科なのだ? どうして魔法士科じゃない?」
「ええっと、生まれた時の魔力素質検査で引っ掛からなかったので、魔法士適性検査は受ける必要が無いと言われました」
「魔力素質検査で素質は無いと判断されたのか? ということは貴君は後天的に魔力を得たという事だな?」
「そうなります」
「魔力を後天的に得る――そんな話は聞いたことが無いが……、貴君というケースが現実にある以上、そういう事もあり得ると考えた方がいいな。この事は一応上申しておこう」
過去に遡行して転生した俺だからこそ、後天的に魔力を得られた可能性が高いのだが、もしかしたら転生しなくても魔力を得られた者がいないとも限らない。
どうも王立士官学校での対応を見ると、端っから後天的に魔力を得られないと決めつけてしまっていて、魔力素質検査の再検査が行われていない。そのせいで後天的に魔力を得た人を見過ごしている事もあるんじゃないか?
「ところで貴君は、この夏に予定されている山岳踏破訓練で姫様とバディになるそうだな?」
「はい」
「正直に言えば私は、姫様にはこの訓練を受けないで欲しいと願っていた。何しろおよそ一週間、山林の中でバディと二人だけで行動する事になるのだからな。私が敵対者側の人間なら、間違いなく姫様の命を狙う絶好の機会と捉えるだろう」
「あの、もしかしてマズかったでしょうか?」
「いや……」
恐る恐るそう伺うと、
「だから貴君の実力を試させて貰ったのだ。そしてその結果、貴君の実力は計り知れないものだった。私などでは全然底すら見せて貰えない。全く上官としては遺憾な話だよ。正直、なぜ君が士官候補生なのか理解し難い」
アセリア中佐は苦笑を浮かべると、首をゆっくりと横に振った。
「姫様が心より信じられるお味方は本当に少ない。騎士団という後ろ盾があるが、貴族の世界で面従腹背はよくある話で、信じていた味方から背中を刺される事なども珍しい話ではない。まだ子どもという歳頃なのに、一瞬たりとも気が抜けないのだ、あの方は……。王立軍を庇護する立場として士官学校に入られているが、ここに姫様の心休まる場所は存在しない」
アセリア中佐は痛ましげな表情を浮かべていた。
「だからこそ、この士官学校に貴君のような人物がいてくれた事は本当に僥倖だったと思う。誰が本当の味方なのかもわからない、常に命を脅かされてきた姫様が、より危険の大きい山岳踏破訓練を受けようと決めたのは、バディが貴君だからだ。それだけの信頼を、貴君は姫様から得ているのだ。だからその信頼を、決して裏切らないで欲しい」
俺が、一国の王女から信頼されている――。
神妙な顔で俺は頷いた。
「では、時間を取らせたな。私の用件は以上だ。戻りなさい」
「あ、あの、中佐殿。もしよろしければこちらで、少々お待ち頂けないでしょうか?」
「構わないが、何だ?」
「中佐殿にお渡ししたい物があるのです」
それはアセリア中佐の父エイジェスから渡された、彼の遺品のカフスボタン。
急いで寮の自分の部屋へと走り、俺はアセリア中佐へカフスボタンを手渡した。
「これは父の……」
「殿下を託された時に何かの役に立つかもと、中佐のお父上が私に渡してくださったものです。幸い、必要とする事態はありませんでしたので、これは中佐へお返しすべき物と存じます」
「――そうか。ありがとう」
父の遺品のカフスボタン。アセリア中佐はそれを胸に掻き抱く。
「ふむ、何か礼をしたい所だな。貴君さえ良ければ、私から士官学校に働きかけて、兵科を普通科より魔法士科に転籍させる事も出来るが?」
「いえ、自分は普通科で十分です」
アセリア中佐の申し出を断った。
「自分は魔法を使えても、地理を除いた学科の成績が芳しくありません。魔法士科に転籍しても、教練についていけないでしょう。普通科で精進したく思います」
それに魔法士科へ行っても権能と魔法は違うので無意味だろう。自分の適性に合わせた魔法を学ぶ事もできない。
「余計な申し出だったな。忘れてくれ。しかし、それでは私の気持ちが収まらないな……。何か私にできるような事はあるか?」
「そうですね……」
ここまで言われて断れば、気を悪くするかもしれない。
そうだ!
「では、一つお願いしたい事が……」
「何でも言ってくれ」
「タンガスの街にアーケロンの武具店という店があります。そこにあるひと振りの大剣を取り寄せて欲しいのです」
「タンガスの街、アーケロンの武具店だな?」
「大剣の銘は『ファナティカー』と言います。店の主人に聞けばわかると思います」
「『ファナティカー』だな? さしずめ『狂信者の大剣』と言ったところか。物騒な名前だな」
俺が先程『武器創造』で具現、使用していた大剣の銘だ。
その由来は大昔、『全ての竜は神に牙剥く邪悪なる存在。神のために全ての竜を滅ぼすべし』と断じた聖騎士が、竜の首を一刀で切り落とすために作らせた物らしい。
ただ、残念な事にその聖騎士は、最初の竜との戦いでその大剣を振り回した際に、誤って自身が騎乗する馬の首を切り落として落馬。そのまま命を落とした。
大剣はその後回収されたのだが、聖騎士の最期があまりにも情けない死に様だったものだから、俺が買うまで誰の手にも渡らなかったらしい。
戦場に立つ者は縁起を担ぐからな。
あの両手剣は今もタンガスの街、アーケロンの武具店の片隅で埃を被っているはずである。
「お願いします。取り寄せて頂けましたら、代金は支払いますので」
「いや、ならその剣を私からの礼として、贈らせては貰えないだろうか?」
マジで!?
縁起が悪いとされて誰からも敬遠されているだけで、大剣そのものは決して悪くない逸品。
聖騎士が特注しただけあって、当時の名のある刀鍛冶によって鍛え上げられた銘持つ名剣なのだから、実はかなり値が張る物だったりする。
それを贈り物として頂けるというなら、とんでもない幸運としか言いようがない。
「ありがとうございます。ぜひ、受け取らせて頂きます」
「イオニス候補生。貴君と私は姫様を守護する同志だ。だがその事を除いても、当家が貴君への恩を忘れることは無い。何かあったなら、当家はいつでも貴君に力を貸すだろう。その事を忘れずにいてくれたまえ」




