前世で見た場所と、穴の空いた黄金の鍋と
リヴェリア王立士官学校の本校は、貴族街に隣接した位置に存在する。王国全土から騎士志望の若者を集めて教育を施すリヴェリア王国の最高学府で、この士官学校の卒業者には軍だけでなく将来国の中枢で働く者も多い。
魚料理を食べて腹ごしらえした俺とルナレシアは、その旅の目的地だった王立士官学校へやって来たのだが。
「これは……またでかいなぁ」
王立士官学校の正門前で俺は思わずポカーンと見上げてしまった。
まず、正門と敷地を囲む壁がもう要塞と呼びたいくらいに重厚だ。
正門からまっすぐに伸びた道の先に見える、城と呼びたいくらいに大きな建物が本校舎らしいのだが、それとは別に同程度の建物が敷地内に幾つも見える。
「士官学校と言っても軍の高級士官を養成する立派な軍事施設ですから。昔はれっきとした城塞として使われていたと聞きました」
隣で俺と同じように正門を見上げていたルナレシアがそう教えてくれた。
正門前には俺たち以外にも人がいた。
どうやら王立士官学校は王都でも有名な観光スポットらしく、正門の中を覗き込む旅行者がたくさんいた。小銭目当てに観光客相手にガイドをしている者がいる程である。
ちなみに前世の俺が王都へとやって来た時は、内乱に乗じて攻め込んできた近隣諸国連合軍に半包囲されていたので、のほほんと観光している旅行者なんているはずもない。
この時の王立士官学校は王国軍の上層部が詰める本部として機能していたし、王都が半包囲されて戦争の趨勢がほぼ決まりつつあった時だ。
殺伐とした雰囲気ただよう場所となっていて、一兵卒上がりの下士官に過ぎない俺が近寄れるような場所ではなかった。
「試験には間に合ったんだろうな?」
「あ、あちらを見てください。あちらに掲示板がありますよ」
ルナレシアの指差した所は、正門の脇に立てられた掲示板。
そこには旅装姿をした若者が数名、掲示板に貼られた紙を熱心に読んでいる。
できれば試験日はひと月以内に実施される予定だと嬉しいんだけど、などと思っていたら――。
「……危ねぇな。一週間後が試験日じゃないか」
「本当ですね。もう一週間しか猶予が無かったって思うと、本当に間に合って良かったです」
例年に無い降雪量のため、ただでさえ予定より長く足止めをされていた。
これはちょっとした嵐にでも遭ってたら、数日でも足止めされていたら間に合わなくなっていたかも。しかも途中アルルの背に乗せてもらって、かなり旅程を短縮している。そう考えたると試験まで後一週間という日程はギリギリすぎる予定だった。
「イオは試験の日までどうされるのです?」
「適当に安宿でも探して泊まるさ」
「私は、入学の日まで王宮で過ごす事になるかと思います」
「そうか。お姫様だもんな」
ルナレシアは王国軍騎士団の意向を受けているため、王立士官学校へは無試験で入学が決まっているらしい。
羨ましい。
「それとエイジェス――いえ、ルドリアム卿のご家族へ、卿の最期をお伝えにもゆかねばなりません」
エイジェスの最期を見届けたわけではないが、あの状況で無事に済むとは思えない。
悲しげに俯くルナレシアだったが、嫌な役回りを他人に任せるつもりは無いようだ。
なるほど。
騎士団がルナレシアを擁立しようとした理由が良くわかる。
「イオにも何かお礼をしたいのですが……。そうだわ! 私を王都まで護衛してくれた事を王国軍へ報告すれば、イオが士官学校へ入学する事を許可して頂けるかも知れません」
「…………そこまで世話になるつもりはないさ。別に礼が欲しくて助けたわけじゃないからな」
「……すみません」
「ああ、いや……俺の力を試してみたいって気持ちもあるんだ。正々堂々と試験を受けてみたい」
「はい」
まるで、お礼目的でルナレシアを助けたように言ってしまったと思ったのか、ルナレシアがシュンとしてしまったので俺は慌てて弁解する。
正直、ルナレシアの提案に心揺れなかったと言えば嘘になる。
士官学校に入学して士官への道を開き、国の滅亡を、悲惨な未来を変える事が俺の目標だからだ。
でも、弁解したように力を試してみたいという気持ちも本音だ。
権能、そしてこの日までに準備してきた俺の力がどこまで通用するか。
試してみたい。
士官学校の見物を終えると、俺はルナレシアを王宮まで送り届ける。
王都は何層にも積み重ねたパンケーキ、もしくは蟻塚のような作りをしているので、中心を目指して歩いていくと何度も登り階段にぶつかる。
長旅から来る疲労で随分と足が重たく感じていたが、ルナレシアに手を貸しつつ一段一段と登って――そして俺たちは、王都の中央高台にそびえ立つ王宮まで辿り着いた。
「イオ、ありがとうございます。ここまでで良いです」
王宮の正門前広場で、ルナレシアは俺に礼を言った。
「そうだ。宿が決まったら場所を教えて頂けませんか?」
「教えるって言っても、どうやって連絡を取ればいいんだ?」
「そうですね……。あ、ちょっと待っててください」
「あ、おい……」
ルナレシアが正門の横にある警備兵の詰め所へ駆け寄っていく。
衛兵は駆け寄ってきたルナレシアを訝しげに見ていたが、一言、二言彼女が離すとさっと姿勢を正した。
そして慌てて詰め所の中へ飛び込むと、彼女に何か手渡す。
戻ってきたルナレシアの手には、封筒と小さな紙があった。
「この紙に宿の名前を書いて封筒へ入れてください。それからあの詰め所にいる衛兵さんに渡して頂ければ、私の元へ届けてくださるはずです」
「へえ」
俺は封筒と紙を受け取ると、大切にしまいこんだ。
「なるほど、わかったよ」
「じゃあイオ……私はもう行きます」
「ああ、次に会う時は士官学校の入学式かな?」
「ええ、きっと……」
ルナレシアの小さな手を振ると、王宮の門へタタッと走る。それからパッと俺の方へ振り向いた。
「イオ!」
「ん?」
「……いえ、その……試験頑張ってくださいね!」
◇◆◇◆◇
王宮の中へ去って行くルナレシアの後ろ姿を見送っていると、門の衛兵が俺の方へ物問いたげな目で見ていた。
そりゃそうだ。突然現れた王女が貴族、騎士に見えない男へ親しげに手を振っていたら、俺だって相手が何者なのか気になるだろう。
俺はヒラヒラと衛兵に手を振ってみせると、背を向けて歩き出した。
正門前広場からまっすぐに伸びた大通りへ入る。
当初の予定とは違っていたが、リーリアへ来たら必ず行こうと思っていた場所があった。
それがこの大通りだ。
ここは前世の俺が命を落とした場所だ。
あの時、炎を上げて燃え落ちようとしていたリヴェリア王国の国旗が、王宮で無事風にはためいている。
「おい、道の真ん中で突っ立てるな! 邪魔だ!」
通り掛かった馬車に警鐘を鳴らされて、俺は慌てて道の端へと避けた。
魔法の炸裂音と剣戟の音は、忙しく往来する馬車の轍の音や商家が鳴らす鐘の音に。
戦友たちの苦悶の声と断末魔の叫びは、客と商人のやり取りに。
俺の見た王都陥落の光景が、まるで夢の中の出来事のように感じられた。
口元に喜びで小さな笑みが浮かぶのを抑えきれない。
この光景を、必ず守ってみせる。
だがその前に――。
「さて、まずは宿代稼がなくちゃな」
懐にある財布がとにかく寂しくなっている。
「試験が一週間後か。試験を受けた後で、合格発表まで更に一週間。入学したら寮に入れるとしても……、大体三週間分は稼ぐ必要があるな」
というわけで、小金を握り締めて俺が向かった先は。
「すいませーん! そこの穴の空いた鍋、この金で売ってくれませんか?」
『鍋鎌包丁、修理やってます』の立て看板のある中古品専門の金物屋。
「いいけどよ、その鍋まだ修理終わってないぜ? 料理しても汁が漏れるぞ?」
「大丈夫です」
穴が空いては何度も熱を加え叩いて引き伸ばしたのだろう、鍋底がすっかり薄くなってしまっている鍋を捨て値で購入。何に使うのかと言えば、『黄金変化』の素材にするつもりである。
穴の空いた鍋のままで『黄金変化』を使ってもいいのだが、そうすると『穴の空いた黄金の鍋』というよくわからん代物ができてしまう。
それでも黄金は黄金なので価値は変わらないだろうが、どこかの店に持ち込んで売り捌いた際に、変な品物を持ち込んだ客として覚えられるのも嫌なので少々手を加える事にする。
そういえば、『穴の空いた黄金の鍋』で売ろうした場合、売り捌く店の業種は何になるんだ?
黄金なら貴金属を取り扱う商会で買い取ってもらえるだろう。
でも鍋の形なら……食器、厨房器具を扱う店か? それも庶民ではなく王侯貴族御用達の。
でも穴が空いてるし……案外、遺跡で発掘された物として古美術商辺りに売りつけるのが一番良かったりするのかも知れないな。
とりあえずリーリアで一番安い宿に落ち着いた。
周囲の建物同様石材を使って建てられている以外は、田舎の村にある宿屋と大差ない古ぼけた外観。部屋は狭い上に薄暗く、ベッドも干し藁を敷き詰めてシーツを掛けただけと粗末な癖に、値段だけは立派な王都価格となっていた。
ボッタクリだろ、これ……。
少し埃っぽい床に外套を敷き、その上に座って鍋の取っ手掴んだ。
「イオニスの名において命ずる。腐れよ――『腐蝕』」
わずかに光を帯びた金属の鍋の表面に錆が浮かぶと、瞬く間に外套の上にボロボロと崩れて山となった。そこへ『黄金変化』の権能を使って行く。
しばらくは何の変化も無いように見えたが、やがて錆の山が熱を帯びたように赤くなってきた。
ん、焦げ臭い。
このままだと外套に穴が空くので、一度中断して宿屋から金属製の食器を借りてくると、そちらに錆の山を移してもう一度『黄金変化』を使う。
再び錆の山は赤熱していき、やがて白く眩く輝き始め――。
「おお……」
思わず声を漏らしてしまった。
白い光から徐々に治まってくると、金属製の皿の上にはキラキラと輝く砂金の山が生まれていた。
すげぇ! すげぇよ! 本当に金だ。
元が錆なので砂粒のように小さな粒から、小指の先くらいの大きさまで、様々な砂金の粒が積もっている。
ただ、思った以上に時間が掛かるな。
握りこぶし一個分の量の砂金を得るまでに、三時間以上も権能を使い続けなければならなかった。
その上権能を使っている間は、ずっと走り続けているかのように体力を消耗していくのである。
結論として、大量の屑鉄を買い込んで全部黄金に帰るという錬金術は使えそうにない。
ただ、三週間程度の王都滞在費にするには十分以上だろう。
早速一粒残らず砂金を小袋に詰めると、貴金属を扱っている商会へと持ち込み――商会から出てきた俺は、ちょっとした小金持ちになっていた。




