森の夜と、少女の正体と
日が落ちると森の中はあっという間に暗くなる。
お腹が満たされて疲れが出たのか、少女がこっくりこっくりと船を漕いでいた。
俺も少女も旅人用の分厚いローブを身に着けていたが、毛布も無しに凌げる寒さでは無いので盛大に火を焚く。というより、昨夜に降った小雨で薪が濡れていたので火を大きくしなければすぐ消えてしまう。
夜に火を使うと遠目にも目立つので避けたかったのだが仕方がなかった。
少女がふと身体を寄せてきた。
寒さに暖を求めたのかもしれない。
マントの中に少女を入れてやって、薪を火に突っ込んだ。
そういえばこの子、何者だろう?
結局まだ名前を聞いていない。
商隊護衛の隊長は軍閥貴族騎士団に所属する貴族で、少女の護衛が本来の任務だったらしい。ということは、相当なお偉い家のお嬢様なんだろうけど。
「イオニスの名において命ずる。我が未来を見通せ――『未来視』!」
少女の正体はひとまず置いておいて、俺は『未来視』の権能を使った。
この権能、近い将来に起こる出来事を見通せるらしいのだが――。
「……ダメか」
どういうわけかこの権能、子どもの頃から何度となく試してみたのだが、今まで一度も未来を見通せたことがない。
『未来視』の権能は、使用するために何か特別な条件が必要なのだろうか。この権能が使えたなら、少女の正体に繋がる何かが見えるかもと思ったのに。
少女が目を覚ましたのは空は未だ暗い時分。はるか東の空にうっすらと白みが差した頃合いだった。
夜中に霧が出たので視界は悪く、空気が湿っていて冷たい。
「はぅ……ごめんなさい。ごめんなさい。私だけ眠っちゃって……」
俺が一睡もせず、周囲に気を配っていた事。また、無意識にとはいえ暖を求めてしがみつくようにして眠りこけてしまった事を随分と気にしている。
気にしなくていいのに。
「そんな事よりもこれを食べておけ」
手渡したのは昨日の残りのキノコを焼いたもの。
本当ならスープにしたい所なのだが、鍋もないし器もないので仕方がない。
焼き立てで熱々なので、これでも身体は温まるだろう。
「もう少し明るくなったら歩こうか。そのうちアルルも戻って来るだろうし、少しでも腹に入れて体力を回復しておいてくれ」
「……はい。本当に申し訳ございません」
日が昇って森の中が明るくなった頃にアルルが戻ってきた。
「主様」
「ん?」
「私が乗せて行くのか?」
「そう考えていたんだけど……何か問題が?」
子どものように頬を膨らませて不満な態度を示すアルル。
「主様はいい。でも……」
「二人乗せるのは嫌なのか?」
「そうじゃない。うう……」
アルルが噛みつきそうな目で少女を見ていた。
「主様は私のもの。人間のメスの分際で主様にくっつくなんて許せない……」
「あのな……」
俺はため息を吐いた。
アルルの背に乗るには俺が少女を抱えなければならない。
まあ、狼も犬みたいなもんだしこいつもメスだから嫉妬でもしてんのか?
「まだこの子は子どもなんだからな? それに俺も王都には行かなくちゃならないんだ。この子をここに置いていくわけにもいかないし、力を貸してくれ」
「うう……」
「あの……私、歩きますから」
「追っ手がいるからダメだ。それに俺たちは荷物もない」
旅用の荷物はほぼ全部馬車に置いて来てしまった。
王都までどのくらいの距離があるか正確にはわからないが、まだかなり遠いはず。旅装も無しに何日も歩く事はできない。
途中の村や町で装備調達するしかないが、手持ちも少なかったりする……。
「私も手持ちは……。旅の費用はエイジェスに任せていましたので」
そうだよね。貴族のお姫様っぽいものね。
旅の道中、自分で支払いする事なんてまずあるはずがない。
「だからアルル、我慢して俺たちを乗せて行ってくれ」
「うう……」
アルルは小さく唸り声を上げていたが、やがて諦めたように肩を落とすと上目遣いに俺を見て言った。
「わかった……でも、じゃあ後でご褒美が欲しい」
「主様。……森の中に散らばるように人の気配が複数……」
「巻狩りをしている猟師……なわけないか。追っ手だよね?」
「……そうだと思う」
アルル曰く半径三百メートル程度の範囲内で、二名から三名程度のグループが複数。森の中で半円状に展開して徐々に距離を詰めてきているらしい。
森の中で三百メートルというと結構な距離なのだが、思った以上に追っ手の行動速度は速かった。
追っ手の思惑は一方向に俺たちを追い詰めたいのだろう。
そこに本隊が伏せてでもあるのかな。
アルルなら強行突破できそうだが、生憎と追っ手が追い詰めたい方角は王都とは逆の方角。
「アルル、この子の面倒見ててくれるか」
「主様?」
『飛行術』で一気に空へと舞い上がると、俺はこちらへ徐々に方位を詰めているという追っ手の姿を探す。
いた。
数は二人。
まさか上から見られているとは思ってもいないのだろう。
槍で下草を払いつつ歩いている。
まあ森の中の道は木の根や石、小雨でできた泥濘に足場が悪いので、上空に注意を払う余裕が無いのは仕方がない。
見つからないようにこっそりと降りると、『植物操作』の権能を使う。
「うわ、何だ!」
「く、苦しい! 締め付けられ……」
シュルシュルと伸びた蔓草があっという間に二人の男を縛りあげると、宙に引っ張り上げた。
「く、そ……いったい何、が!」
「な、何だ貴様は!」
俺は姿を現すと縛り上げられた男の一人へゆっくりと歩み寄る。
「おのれ……これは貴様の仕業か!」
「さてはあの騎士の仲間だな? ふざけた真似を……早く我らを下ろせ! そうすれば命だけは助けてやらんでもないぞ?」
あの騎士の仲間、か。エイジェスの事だろうな……。
「そこのところを詳しく聞きたいものだな。答えろ。何であの娘を追い回す?」
「貴様に答える義務はない!」
「つべこべ言わず、さっさと下ろさんか!」
どっちかというとちょっと偉そうな男にため息をこれ見よがしに吐いて見せて、俺はもう一人の少し歳若い男の真下に歩み寄った。
「な、何だ。貴様!」
そして手をジタバタともがく男の足に当てる。
途端にもがいていた足から力が抜け、四肢をダラリの垂れ下げた状態で静かになった。
「な、何を……何をしたのだ」
「さあね」
「ひ、ひぃいい……」
俺はほくそ笑んで見せると、ゆっくりと残った偉そうな男へと近づく。
「ほ、本当にし、知らんのだ! わ、我らは上官の命令に従ってあの娘を追っていただけだ!」
「上官? ならその上官の名前は?」
「プ、プ、プルシェンコ大尉だ」
「プルシェンコ大尉?」
「東の方に所領を持つ男爵様だ。な、なあもういいだろう? 助けてくれ……死にたく……」
命乞いをする男の足に俺の手が触れると、この男もさっきの男と同じようにクタッと全身から力が抜けた。
「――主様」
そこにアルルとその背中に乗った少女が追いついてきた。
少女は蔓草によって宙に縛り上げられ、力なく揺れる男二人を見て顔が引き攣っている。
「その方たちを殺したのですか?」
「いや、気を失っているだけだよ」
触れた相手の意識を奪う『昏倒』という権能を使ったのだ。
「そう、ですか」
「なあ、プルシェンコ大尉、いや男爵って人知ってる?」
「……プルシェンコは姉を支持する者たちの一人です」
「姉? 姉が妹を殺そうとしているのか?」
「……これまで名乗らずに申し訳ありません。私の名前はルナレシアと言います」
ルナレシア、聞いたことがあるような無いような……。
「イオは王立士官学校を受験すると言いましたね? 実は私もなんです。ルナレシア・レイフォルト・ヴァン・リヴェリア。王族の一人です。」