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プロローグ

「おい……死ぬなよ! しっかりしろよ! こんなところでくたばってるんじゃねぇぞ!」


 力なく項垂れた戦友の腕を右手で掴み、自分の肩へと回してからグッと力を入れて担ぎ上げる。

 その間にも絶え間なく矢が降り注ぎ、幾つかは周りにいた不幸な別の仲間の身体に突き刺さり絶叫が聞こえてきた。

 だが、今担いでいる戦友で手が一杯なのだ。見殺しにするしかない。


「殺してくれ……頼む……」

「……すまん」


 とどめを願う声も聴こえてくるが、唇を噛み締めてやり過ごすしか無かった。

 しばらくすれば敗残兵狩りの敵兵士たちがここへもやって来る。

 その時までに命があるなら、きっと彼の願いは叶えられるだろう。

 願わくば敵兵士たちの追撃が出来る限り早く行われて、せめて苦しむ時間が短くなればと思わずにはいられなかった。

 ドーンッとそう遠くない場所から腹に響く爆発音が聞こえ、パラパラと土塊(つちくれ)が降り注いで来た。


「クソッ……魔法士が前線に投入されたのか」


 射程距離こそ弓矢や投石武器に劣るが、破壊力において遥かに優る魔法は、戦局の最終局面において使用されることが多い。

 組織的な反抗が途絶えた所で敵軍は、魔法士を前線に投入して拠点を一気に制圧するつもりのようだ。


「ここにいるとマズイ。おい急ぐぞ、しっかりしろ! 生きて、もう一度かみさんの作ったミートパイを……」


 爆風で肩からずり落ちかけた戦友に声を掛け、しっかり自分に捕まらせようとして気づいた。

 先程まで勢い良く吹き出していた血が、今はもう地面へポタリポタリと滴るだけとなっていた。腕も足もだらりと力が抜け失せ、俺の歩く動きに合わせて頭がガクガクと不規則に揺られている。

 握っていた腕を離すと、ドサリと糸の切れた人形のように地面へと横たわった。


「ちくしょう……」


 戦友の遺体をそのままにして歩きだす。

 左肩から胸にかけてべっとりと付いた赤黒い染みが気持ち悪い。

 ほぼ全身が血で赤黒く染まっている。

 戦場で倒した敵の返り血か。それとも、倒れた戦友から流れ出て染み込んだ血か。あるいは自分から流れ出てしまった血か。

 左腕を失っていた。右足の太腿には折れた矢が刺さっていて、左の脇腹も斬られて血が滴っているのがわかる。

 だが不思議と痛みは感じられない。


 失った左腕から大量の出血を免れたのは、炎の魔法で吹き飛ばされたからだ。

 傷口が炭化したおかげで、一気に血を失わずにすんだ。

 ショック死をしなかったのも運が良かった――いや、この状況では運が良かったといえるのか? 

 心の中で自嘲気味に笑う。

 とどめを願っていた男のように、さっさと死んでいたほうが楽だったのかもしれない。どのみち死ぬまでの時間が長くなっているだけにしか思えない。


 身体を支える足が、極度の疲労で震えていた。それでも僅かに残っている体力を振り絞り、そこかしこで倒れている僚友たちの身体から流れでた血だまりで足を滑らせ、瓦礫に足を取られながらも一歩一歩前へと進んだ。

 歩いていると友軍の兵士たちが、ボロ屑のように倒れていた。

 中にはまだ息があるらしく、呻き声を上げている者もいる。


「っく、おい……大丈夫か? 今助けを……」


 立ち止まり声を掛けようとして絶句する。

 確かにまだ生きてはいる。しかし、その下半身は失われ(はらわた)が下腹部よりこぼれ落ちていた。


(もう……助からない)


 為すすべなく呆然と立ち尽くす間に、呻き声も聞こえなくなり、わずかに上下していた胸も動かなくなった。

 見回せば、この周辺で生者は他に見当たらなかった。

 ふと気づくと、倒れた仲間の身体をうつ伏せにひっくり返し、矢筒から残っていた矢を自分の矢筒へありったけ詰め込んでいる自分がいた。

 矢を補充したところで、左腕を失って、弓を引くことすら適わないというのに。


 十八年の軍隊生活で染み付いた兵士としての本能が、無意識のうちにまだ戦おうとしているようだった。

 連続した爆発が近くで聞こえた。

 轟音に遅れて、火と熱気、黒煙、土煙が顔に吹き付けてきて残された右腕で庇った。


 すぐそこまで敵軍が近づいている。

 背中に背負っていた大振りの両手剣こそ抜いては見たものの、ここ二週間以上禄に手入れもできず刃はすっかり(なまく)らになってしまっている。

 それに体力もとっくに空っぽだ。

 俺の身長程もある刃の大剣を構えても、ほとんど振り回すこともできず、立っているだけで精一杯の有様なのだ。こんな状態では、赤子の手をひねるよりも簡単に殺されるに違いない。


 それでも諦めるという選択肢だけは選ばなかった。

 少しでも敵兵から逃れようと、瓦礫に足を取られて地面に這いつくばっても、死力を尽くして立ち上がった。

 しかし、逃げるといっても何処へ向かって逃げれば良いのだろう。

 今、敵軍に総攻撃を受けて攻め滅ぼされようとしているのは、この国の王都なのだ。

 もうこの国に逃げられる場所は存在しない。


「クソッ……クソッ、クソッ、クソォッ! どうしてだ……どうしてこうなったんだ……」


 視界がぼんやりとかすみ始めているのは、疲労と体内から大量に血を流しすぎたせいか。

 この国が滅亡の道を歩み始めたのは十八年前。

 前国王の亡き後、実権を握った宰相に対して、反宰相派の貴族たちが反乱を起こしたのがきっかけだった。

 その内乱につけ込んでやって来た周辺諸国は、双方の上層部に甘言を弄して同盟を持ちかけると軍を派遣。治安の回復と支援を称してリヴェリア王国の様々な権益を、まるでパンケーキを切り分けるように奪い取っていった。

 国を憂う者たちが事態に気が付いたときにはもう手遅れの状態だった。

 そして十八年続いた祖国の動乱は、滅亡という形で今日決着がつこうとしている。


 気がつけば大通りと思われる場所に立っていた

 建物は焼け落ち、打ち壊されて、ただの瓦礫の山と化していた。

 ついひと月前までは大勢の買い物客や行き交う旅人、そして彼らを呼び込もうと商人たちが声を張り上げていた場所なのだが、今や見る影も無い。


 よろめきながら大通りの真ん中に立つと、国王の住まう王宮がよく見える。

 そして、今まさに火に包まれて燃え落ちようとしている祖国の国旗が――流血と極度の疲労で視界が霞みつつあったのに、なぜかくっきりと目に飛び込んできた。


 頬を熱い何かが流れていくのに気づいた。 

 涙だった。

 頭から流れる血には気づかなかったのに、なぜかその涙だけは火傷しそうなほど熱く感じられた。


「おい! あそこにまだ生き残りがいるぞ!」

「殺せ!」

「殺せ!」


 ついに敵軍の兵士たちに追いつかれてしまったようだ。

 それでも俺は、燃え尽きようとする祖国の旗から目を逸らすことができなかった。

 敵兵が目前にまで迫る。

 彼らの握る槍の穂先が、周囲から上がる炎を反射して真紅の色を帯びていた。


 ――死ね! 


 敵兵の口の動きからそう叫んでいるのだろう。

 いつの間にか聴覚も失われてしまったようだ。

 もう碌な抵抗もできないだろうとわかっているだろうに、敵兵士たちは周到に俺の周囲を取り囲むと、四方八方から槍を突き出した。

 残った力を振り絞って大剣を振り回し、突き出された槍の柄を二本か三本へし折ったが、それが精一杯の抵抗だった。

 鋭い穂先が身体を貫いていく光景が、何か自分の事では無いように感じられた。

 穂先が引き抜かれた箇所から、滝のように血がこぼれ落ちるが痛みすらも感じなくなっていた。 

 その時考えていたことは、ただ一つ。


 ここで死ぬのか……。


 その事実が呑み込めてしまうと、生きようと抵抗していた身体から力がストンと抜け落ちるのがわかった。

 目の前の景色が歪み、視界が闇に染まっていく。

 自分が立っているのか、それとも無様に地面へ転がっているのかももうわからなかった。


 その時だった。


 ――全てをやり直したいか?


 声が聞こえた気がした。

 死の瀬戸際に幻聴でも聞こえたのだろうか。

 薄れ行く意識でそう考えていた時、再び声が聞こえる。


 ――もう一度人生をやり直せるとしたら、そなたはどうする?


(やり直す……もう一度やり直せる?)


 ――そうだ。もう一度同じ時に生を受け、同じ時を過ごす。そなたの行動次第では、未来を違った結末へ導くことができるかもしれぬ。


(違った未来)


 その言葉を聞いた時、脳裏に浮かんだのは戦火に巻き込まれて死んだ妻と娘、そして両親、兄姉。それから友人や戦友たちの顔だった。


(そんな事が……可能なのか?)


 ――それはそなたの決意次第だ。そなたがそう望むなら、我はそなたにその機会を与えてやる事ができる。


(そうか)


 そんな事ができるのは神か悪魔か。

 だが、大切な者たちを失い、祖国すらも失ってしまった俺に、たとえそれが悪魔の持ち掛けた誘惑だったとしても断る理由は無い。


(だが、どうして俺に? 俺には何の力もない。ただの一兵卒だ)


 ――強いて言うならただの気まぐれだ。そなたの生きたいという強い欲望、そしてやり直したいという渇望に我は引き寄せられただけだ。


(強い欲望……)


 ――力が無いというのなら、我がそなたにくれてやろう。


 不意に感覚を全て失ったはずなのに、俺の身体の裡に何か熱い塊のようなモノが宿るのを覚えた。


(これは?)


 ――我が操る七十二種の権能。それをそなたにくれてやる。その権能をその身に宿して今一度、そなたは過去へと遡り蘇る。我が与えたその権能を見事に使いこなしてみせよ。そして新たな歴史を刻むがいい。

(権能……? 待ってくれ! お前はいったい……?)

 ――時が流れて、未来がそなたの手で変わったなら、いずれ我の事を知る日も来るであろう。その時が来る日を我もまた楽しみにしている。

(待て! 話はまだ……)


 ――さあ、時を遡って甦るがいい。我が契約者、イオニス・ラントよ!



 ◇◆◇◆◇



 さらさらと水の流れる音。そして風で起きた葉擦れの音に、意識が鮮明になっていくのを感じた。


「う……俺は、生きているのか?」


 身体を動かすと、カサッという軽い音がした。

 ふらふらする頭を右手で押さえて、くっきりと目を開く。


「どこだ? ここは……」


 視界に飛び込んで来たものは、どこかの山中と思しき深い森の中だった。

 空が背の高い木々の葉によって覆い隠されていてよく見えないが、差し込む木漏れ日からまだ日は高いようだ。

 先程起きた際にカサッと聞こえた音は枯れ葉の音で、どうやら俺は降り積もった枯れ葉の上に倒れていたらしい。


「一体、何があったんだ?」


 呟きながらも、ようやく頭の中がすっきりしてきたので、周囲を用心深く観察する。

 先程まで激しい戦闘を繰り広げていたのだ。

 敵がいるかもしれない。


「誰も……いない?」


 しかし、どれだけ耳を澄ましてみても、つい先ほどまで絶え間無く鳴り響いていた爆発音は消え失せ、聞こえてくるのは風による葉擦れの音と、虫や鳥の声ばかり。

 視界に入ってくるのも背の低い草木に、天を覆う程青々と茂った広葉樹の幹だけだ。

 そもそも俺はこんな山中ではなく、王都にいたはず。


 はぁ、はぁ、はぁ……。


 荒い息が自分のものだと気が付くのに、少し時間がかかった。

 額に触れると大量の汗が流れていた。その汗を無意識に左手で汗を拭い――。


(左手がある!? そんな馬鹿な!) 


 確かに左手はあの時、至近距離で起きた爆発によって引き千切られていたはずだ。

 左腕の肩口まで失われ、袖口が炭化してしまった軍服がその事を証明して――。


 身に着けていたのは麻で織られた粗末なシャツ。

 そしてそのシャツから伸びていたのは、一言で言えば子どもの手足。

 それも一桁の歳頃の子どもの手足だ。


 わけがわからない。

 だけど。


 繰り返していた荒い呼吸を一旦止めて、深く息を吸い込み――長く、長く息を吐き出した。


「そうか……俺は生きてるのか」


 口に出すと生きていることを実感する。

 どうして生き延びられたのか。

 なぜ子どもの姿になっているのか。

 そして王都で戦っていたはずの俺が、なぜこんな深い森の中で倒れていたのかもわからない。


 気を失う前の最後の記憶。

 あの声が聞こえていた。


 ――全てをやり直したいか?


 あの時、確かに声はそう言った。


 ――権能をその身に宿して今一度、そなたは過去へと遡り蘇る。我が与えたその権能を見事に使いこなしてみせよ。そして新たな歴史を刻むがいい。


 つまり俺はあの声が言った通り、過去へ時を遡り蘇ったって事なのか。

 だから子どもの姿になっていた。

 俺はまたも大きく息を吐き出すと、近くに生えていた大きな木の根本に座り込んだ。

 わからないことだらけだが――これからどうするかを先に考えることにした。

 とりあえず周囲を見回してみたけど、ここは知っている風景じゃ――いや、知っている! 見覚えがある! とても懐かしい風景……。


 立ち上がった俺は、記憶を頼りに走り出す。

 木々の合間から見える小川。

 この小川沿いを下流に下っていけばそこに――。

 木々が切れて目の前に広がったのは、田畑の間にポツポツと粗末な木造茅葺きの家が点在する小さな村。

 家々からは炊事の煙が煙突から昇り、田畑には農夫たちの働く姿が見える。

 どこにでもある典型的な田舎の農村だ。


 そして俺にとってその風景は、永遠に失われた風景。

 戦火に焼かれた故郷の村。

 村へと続く最後の斜面を駆け下りて、俺は一目散に一軒の家を目指して走る。


 そうだ。

 まだこの時は。

 村が焼かれていないこの時代ならば!


 村の中に通された道を駆け抜けて、俺は懐かしい家へと辿り着く。

 そして粗末な木の板戸を勢い良く開けると、中にいた女性が弾かれたように振り向いた。


「どうしたの、イオ?」

「母さん……」


 死んだはずの母がびっくりした顔で立っていた。

 そして俺の両目から涙がこぼれ落ちたのだった。

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