二 戸次氏十三代目、戸次親家
鎧ヶ岳の麓に広がる平野には、家屋が点在しており、大人や子供の村民たちが田や畑を耕していた。
長閑な田舎の雰囲気が漂っているが、この時代では何処にでもある普通の風景。
この村里を一望できる見通しが良い場所に、一際大きく立派な屋敷が建てられていた。
屋敷の周囲に石垣や空堀、土塁を築いてはいるが最低限の規模でしかなく、城や砦というよりは館と呼ぶ方が相応しい為に、村民からは“藤北館”と呼ばれていた。
藤北館には、この地を納める地頭の戸次氏十三代当主、戸次親家が居住していた。
親家は寝間にて布団から上半身を起して、客人の十時惟安、十時惟通と対面していた。
「この格好で失礼する。惟安に惟通……ゴホッ。暫くぶりだな」
十時家本家の惟安、その分家の惟通。
ただの親戚同士で、惟忠と惟次の父親たちであるが、不思議にもこの二人の顔も似ていた。顔に刻まれた歴戦の勇士の証である刀傷で判別するしかないほどに。
「ご無沙汰しております、親家殿。お身体の方は……あまり優れないみたいですな」
代表として本家の惟安が挨拶を述べつつ、親家の容姿に思わず案じてしまう。
元来、親家は体が弱く病気がちであるが、以前に会った時よりも痩せ細った弱々しい体つき。顔色は青く、喉に引っかかる咳をする回数も多かった。
「正月が過ぎた頃に、悪い風邪に障ってしまってな……。未だ良くならない」
「ならば、美味くて精が出るものを食べて養生しませんとな。惟通、例のものを」
惟通は脇に置いていた風呂敷を解いて中身のものを差し出した。
それは、ザルにこんもりと盛られていた乾し椎茸だった。
「おお、これは見事な“冬茹”だな」
親家のみならず、周囲にいた者たちからも思わず感嘆な声があがった。
贈られた冬菇は、こぶし大サイズで肉厚も充分にあり、鼻と腹をくすぐる芳しい香りが部屋中に漂った。
冬枯とは、傘が開いていない状態で全体的に丸くなっている“乾し椎茸”を指す。(なお、九州では椎茸を“なば”とも称される)
一般的に傘が開いた状態の乾し椎茸よりも香りが芳醇で、味も濃厚のもの。
現代で椎茸は手軽に親しまれているが、人工栽培が確立されていないこの時代では天然採取しかなく、当然採取量はごく僅か。格別の希少品であり、庶民どころか将軍や貴族、帝など有力者でさえ滅多に口に出来ないものであった。
つまり椎茸はこの時代では至高の逸品なのだ。
この高嶺の花の椎茸が、この豊後(後の大分県)の地で人工栽培方法が確立されて、普通家庭の食卓に並ぶようになるのは別の話し――。
「冬茹と言えば……はは」
ふと親家が思い出し笑いをすると、つられるように惟安と惟通も笑みを浮かべた。
三人だけの共通の思い出が“冬菇”を通じてよぎったのだ
「これほど立派なものであれば、御屋形様に食して貰いたいものだが……」
貴重品であるからこそ、親家は当主に献上した方が良いと口に出してしまうが、
「そういうことを言うと思ったから、こうして俺たちが直に持ってきたのだ」
惟安と惟通は呆れた表情を浮かべてしまう。
「相も変わず……その忠義には敬意を払うが、今は養生して体調を戻す方を優先するべきではないか。大友の御屋形殿も、それをご所望しているだろう。ほれ、これはお主のだ」
惟安自ら、冬菇が乗ったザルを持ち、親家へとしかと手渡した。
「はは。では、ありがたく頂くよ。みなで夕餉に鍋でもつつこうか……ゴホッ」
「……親家殿、家臣で無い者が言うのも何だが……そろそろ、ご子息の孫次郎に家督を継がせて、お主は隠居して、ゆっくりしたらどうだ? 確か、若殿(孫次郎)の御歳は十四になっただろう。そもそも元服がまだだし、これを機に元服を挙げさせても良いではないか?」
他家の跡目相続に口を出すのは憚れるものだか、親家は友の進言として真摯に受け止める。
「隠居に、元服か……」
親家は四十歳を越えており、その年齢での隠居は特段珍しくない。
また体調が思わしくなく病弱ならば、なおさら負担軽減の為、早々に息子の孫次郎に家督を継がせて、悠々自適の隠居を勤しむ方が良いはずだ。
元服は一人前の大人として認められる十歳~十五歳で行うのが習わしであるも、伝統ある武家の元服はその年令に達したからといって軽易に行われない。
武家としての厳格な仕来りがあり、親だけではなく親戚一族や主家の当主からの同意が必要となる。
「親家殿から大友の殿様に推挙すれば反対もされないだろう」
しかしながら、孫次郎を元服させるには心に引っかかていた。
「御二方は孫次郎について、どう思われますかな?」
「そうですな……。贔屓目無しで見ても、勇健で利発。日々の鍛錬や勉学を励んでおられるという。跡継ぎとして申し分はない。立派に親家殿の跡目を継げるのではないかと存じます」
惟安が評すと、惟通も頷いては同意を示す。
我が子が褒められたのならば親は喜ばしいものだが、親家は沈痛な面持ちを浮かべていた。
「そうか……」
「なにが気掛かりでも?」
「いや……孫次郎に戸次家の役目や心構えを教えきれていない。あやつに戸次家たる家長の役目を果たせるかどうか……」
神妙な言葉の重苦しさを吹き飛ばすように、惟安は一笑した。
「しゃっち、そんなに気に病むものではない。それこそ杞憂だ。隠居して、ゆったりと教えて、解らせていけば良いではないか。ウチらのところもそうだ。ついこの間、元服させたが、まだまだ至らないばかりだ。一丁前の口を言うが、剣の腕も心構えも礼儀作法も、まだまだまだ半人前だ。でも遅かれ早かれ、家督を継がせなければならぬ時が来るものだ」
隠居したからといって全てを退く訳では無い。後見として補佐するものだが――その時間が残されていないと親家は推知していた。
生まれつき病弱の身である為に、短い命であると若い時から覚悟している。だが、惟安たちに要らぬ心配をかけまいと、親家は心の中を吐けなかった。
その代わりにと、親家は「ゴホゴホ……」と出来る限り小さく咳き込んだ。
「孫次郎は、武士に……源義経に憧れを抱き過ぎている面がある。戸次家の当主となるならば、武の強さよりも示さなければならぬ“義”があるというのに……」
形の無いものを言葉で説明しようとしても伝わり難いものだ。
自らが経験にした時にこそ深く理解をするものである。
「あ、若様。何処に行かれていたのですか。十時様がお見えになられていますよ!」
女中の一段と大きな声が廊下より響き聞えてくる共に、ドカドカと足音も近づいてくる。
「噂をすれば、ご子息が帰ってきましたな」
惟通がそう口にしてすぐに、上着を脱いで上半身の素肌をさらした孫次郎が部屋にやってきた。
鎧ヶ岳より駆けてきたので、冬の冷たい気温も相まって身体から湯気が立ち登るのが見え、汗まみれとなっていた。
「孫次郎。只今、帰参いたしました。十時殿、よくお越しいただきました」
孫次郎の不格好な姿に父・親家は眉をしかめる。
「なんだ、孫次郎。その姿は?」
「鎧ヶ岳より足早で駆けて馳せ参じましたので。ところで、父上は起きても大丈夫なので?」
「ああ、客人(十時)が来てくれているのに横になっていては失礼だろう」
「左様で。それならば父上が毎日起きてくださるならば、十時殿がたにこのまま滞在して頂いた方がよろしいですね」
そうこうしていると惟忠と惟次も到着した。
「十時殿、さっそくですが、お約束の剣術の稽古をお願いいたします」
惟安と惟通が顔を見合わせると、惟安は頷いて、惟通が腰を上げる。
「それでは拙者が指南をいたしましょうか。すでに身体も暖まっていまし、すぐに始められますな。惟忠に惟次も良いな」
孫次郎を先導して、惟安たちと鍛錬場の庭へと向かって行った。
その後ろ姿を見つめる親家。
惟安は親家と孫次郎の間に微妙な隙間を感じ取った。
「親家殿、こう言っては何ですが……」
「こんな病弱で、戦場に出たこともない父親を毛嫌いしているのだよ」
「そうですか……。若殿は、親家殿の本当に強い所を知らんのですな」
「強いか……。私は強くなど無いよ、惟安殿……」
親家は小さな声で呟き、稽古をする孫次郎を眺めた。
本当ならば武家の家長として、“父”として剣術の指南をするべきなのだが、それが出来ない自分への不甲斐なさに苛まれた。