廿四 献杯
親家の逝去を知った藤北の者たちは一様に嗚咽をもらし、その死を嘆き悲しんだ。
その訃報は府内(大友義鑑)、そして馬ケ嶽にも届けられた。
報せを受けた戸次親延は兵卒たちが動揺と混乱をさせないように、古くから仕える一部の重臣や、由布・十時のみに伝えたが各々は我慢するも堪えきれず落涙し、日が暮れゆく中、自ずと藤北の方角を見据えて手を合わせたのであった。
親延、由布、十時(とその子)たちは、井手や松岡兄弟たちが敵方の大将を討った死闘の地である馬ケ嶽の中腹の開けた場所に赴き、その場に転がってる大岩に腰を落とした。
日は完全に沈み、酒が注がれた土杯を手にし、焚火を囲んだ。
一同は押し黙っており、その沈黙で場の空気は重く、闇夜は一段と暗くなったようだった。
由布家続、十時惟忠・惟次は父たちの後ろに座し、背中を見つめるだけしか出来なかった。
「覚悟はしていたが、こうも気持ちが沈むとは思わんもんだ‥‥」
十時惟安がそう言い漏らすと、十時惟通が答える。
「だが、この戦の勝報が間に合ったのは良い手向けになっただろう」
「もし黄泉の世界があるのであれば、今頃お光殿に逢えているのかもな」
十時惟安は土杯に注がれた酒を一口飲み、由布惟克の方に視線を移す。
「惟克よ。今だから訊くが、何故、親家とお光殿の婚姻を認めた? いくら大友の殿様(大友義長)からの便宜があったとしても、我ら大神一族の因縁がある大友派の戸次と縁を結んだのだ?」
「‥‥理由は様々あるが、親家が直接由布家に訪れて、お光を貰い受けたいと頭を下げたのが切欠だったかな」
この時代、男尊女卑であり、ましてや武家の当主が家格の下の家(この場合、豊後守護の大友一族が大神一族)に頭を下げるなど、腰の低い態度を見せるのは以ての外だった。
「由布と戸次に上も下もなく、由布と戸次、両家の為の婚姻。それが自ずと大神、大友の繁栄の為とかなんとか言っていたが、最終的にはお光自身が決めたのだ。まあ、気に食わなければ離縁でも家出でも戸次と合戦でもすればと良いと思っていたが‥‥二人の仲は円満で子宝にも恵まれた。そういえばお光との長子が死産した時やお光が亡くなった時も親家は大粒の涙を流しては、我ら由布に頭を下げていたな。そういう男だったからこそ、お光は親家に添い遂げたのだろう」
十時惟次が話しの中で「長子が死産?」と気になった言葉を漏らすと、父の惟通が答える。
「ああ、若‥‥孫次郎が生まれる前に親家殿とお光殿の長男坊がお亡くなりなられているのだ。故に、孫“次”郎なんだよ」
これまで親や孫次郎から亡くなった長男の話しなど聞き及んでいなかったので、そうだったのかと納得する惟次たちだった。
「そういう、おまえたち十時も何故、親家に与したのだ? 由布は戸次とは親戚関係であるからして、此度の戦にも参陣したが。今の戸次は大神の血など繋がっておらんだろうに」
「そうだな‥‥」
由布惟克の質問に惟安は答えずに後ろを振り返り、子の惟忠・惟次に話しかけた。
「惟忠よ。お主たちから見て、孫次郎のことをどう思っている。腹を割って奇譚なく言うがよい」
惟忠は少し考え込んだが、すぐに思いついたことを率直に答える。
「少々威勢を張っていますが、戸次の次期家長であるならば、それも是非もないかなと。剣術や体術の腕前も中々。でも、特に眼を見張るのは“俺たちのことを見間違えない”ところかな」
惟忠と惟次は双子や兄弟でもないのに顔がよく似ており、瓜二つだった。
それは父親の惟安、惟通も同様に似ており、顔に付いた傷でしか判別できないほど。
その発言に惟安と惟通は思わず吹き出してしまう。
一笑した後、「やはり親子だな」と惟安が感想を漏らすと、惟通も相槌を打った。
「ああ、こういう所で血の繋がりを感じるな。あれは親家がお光殿を娶った頃だったか‥‥」
そう言いつつ惟通は懐かしそうに語り始めたのだった。
■□■
十時家の本貫地(十時村)は藤北村の隣に在るがゆえ、藤北の地頭が大神一族にとって因縁の大友一族の戸次あれど、諍いの種にならないように当たり障りのない穏便な付き合いをしていた。
そして、親家とお光が祝言を挙げたという報せは十時村にも届き、戸次よりも由布と関わりがあった十時としては祝いの挨拶をしに藤北へ訪問するべきだと話が上がっていた。
若かりし頃の十時惟安は苦虫を噛み締めたような渋い表情を浮かべ、
「行かん」
と拒否したのであった。
惟通は呆れつつ、
「行かんって‥‥いやいや、流石に十時の家長が挨拶しに行かんと礼節に反するだろうに。それに、お光ちゃんにこそ祝いの言葉と品を贈ってやらんと」
「‥‥」
「ああ、御前は幼い頃よりお光ちゃんに思いを寄せていたよな。だからか‥‥」
図星を突かれて、惟安は顔を真っ赤になって慌てふためいてしまう。
「なっ!? そ、そんなこと言ったら、惟通だってお光ちゃんのことを気にしていただろう!」
「十時本家の家長ならば、いざ知らず。分家の俺では由布とは釣り合わんだろう。高嶺の花ぞ、お光ちゃんは」
「‥‥その高嶺の花を、なんで由布はお光ちゃんを戸次なんかに。惟克はお光ちゃんを溺愛をしていたというのに」
「戸次の親家は大友の殿様とは馴染みの仲で贔屓されていると聞く。由布も大友との何かしらの繋がりが欲しかったのだろう。どう考えても政略婚だ。惟安、傷心する気持ちは解るが、十時から祝いの言葉一つも贈らなければ、角が立つものぞ」
「‥‥だったら、惟通。お主が行ってくれ」
「替え玉か?」
二人は顔が似ているのを活かして、幼い頃より替え玉などの悪戯をよくしていた。
「良くも悪くも俺たちの顔はよく似ている。しゃっち、入れ替わっても分からんだろう。あの大友の腰巾着には」
「そうか。まあ、二度ほどしか会ったことがないから大丈夫だろう。親延も未だ俺たちを区別が出来ておらんし。ただ、一番の懸念はお光ちゃんだが‥‥。目も真っ赤になっている十時の家長が、そう愚痴るのであれば致し方ないな」
そうして十時惟通は惟安の替え玉として藤北に赴き、親家と対面したのだが――
「十時惟安‥‥? いや、惟通殿ではないか。どうして、惟安殿と仰るのだ?」
親家はすぐに惟通だと気づいたのであった。
「二度ほどしかお会いしていないのに、某たちのことを‥‥あ、いや。その、じつは十時惟安は、体調を‥‥その風邪を引いてしまい、寝込んでしまいまして。代わりに某が参りましたが、御祝言は十時家長がお伝えすべきものだと思い、某が惟安の顔が似ているのをこれ幸いとして、惟安の名で名乗った次第でございます」
惟通は動揺のあまり、咄嗟に子供のような言い訳をしてしまったが、親家は沈痛な面持ちを浮かべて語りかける。
「そうでしたか。十時惟安殿はお風邪を。体調が思わしくないのであれば、その旨をお伝えいただければ良かったのに」
「いえ、この目出度き事に我が十時家のことで親家殿たちに余計な憂慮をかけてはならぬと思いましたので」
「そうですか‥‥ならば。おい」
親家は側にいた侍女を呼び、何やら持ってくるように言付けると、暫くして侍女が干し茸を盛ったザルを惟通の前に置いた。
「これは?」
「冬菇(干し椎茸)だ。これを惟安殿に食べさせて、英気を養ってくだされ」
「こんな希少なもの。頂けません! ましてや此度は親家殿とお光殿のご祝儀に参ったのです。お収めください」
「はは、ご遠慮なく。それは多量にありますので、ほんの僅かでありますが、お裾分けしたものです。引き出物としてお持ち帰ってくだされ」
多量にあるからといって冬菇は非常に貴重な品物であり、十時家との関係を取り持つ為の貢物だとしても、分家である惟通の一存で安易に貰い受けられるものではなかった。
(高価な品を分家が受け取るということは、十時本家を蔑ろにして、十時分家と戸次が癒着していると思われるからである)
だが、惟通と惟安を見分けた親家に引かれるものがあった。
また相手の厚意を何度も断るというのも失礼にあたる。惟通は止むを得ずと受容したのだった。
「‥‥親家殿がそこまで仰るのであれば、有難く頂戴いたします。惟安が快調いたしましたら、また近い内に是非ともご挨拶と返礼をいたしますので、どうぞお見知りおきを」
「ええ、是非ともお越しくだされ。お光共々楽しみにお待ちしております」
親家は優しい眼差しを惟通に向ける。
その温かい眼差しが強く惟通の心に残った。
■□■
「とまあ、惟安とわしを一目で見抜き、替え玉を咎める訳ではなく、仮病の惟安を案じるだけではなく、希少な冬菇まで賜ってしまったな。その後、何度か親家殿と言葉や酒を交わしては、あやつの人柄に打たれた訳だが‥‥」
惟通が染み染みと語りつつ、親家との語らいを思い出す。
『親家殿。よく、わしと惟安を見分けられるとは。昔なじみのお光殿すら気づかれなかったのに‥‥。あれはあれで少し物哀しくありましたが』
『そなたの親が惟通殿たちを見間違えないように、よく見ていれば分かりますよ。それに、人それぞれに、その人だけの性格というものがありますからな』
惟安もまた同じことを思い出していただろう。顔を伏して、独り言のように呟く。
「親家は、わしらをよく見てくれて、気遣ってくれた。親家は友であり、どこか親のようでもあったな」
「ああ、だからこそ親家殿は我らにとって“親しい友”だった」
惟通の言葉に由布惟克は静かに頷き呟く。
「さて戸次孫次郎は、どうなるか‥‥」
親家亡き後、余程のことがなければ戸次の家督は嫡子の孫次郎に継ぐだろう。自然と親家と比較してしまう。
「初陣で気負い過ぎていたからか、周囲を気遣えていなかったのがな」
「敵方しか見ていなかったからな。まあ、無理もない」
「だが、好機に檄を飛ばしていたのは見事であった。もし孫次郎が親家のように配慮できるようになったのなら、豊後一‥いや、鎮西一の名将と謳われる日が来よう」
「親家の息子だ。その見込みはある」
各々が感想を述べ合うのを黙って聞いていた親延は胸を撫で下ろしていた。
親家が亡くなった後、求心力を失い由布や十時たちが離れていくのではと気懸かりではあったが、孫次郎を相応に認めて期待してくれているからだ。
此度の戦でも両家の活躍がなければ勝てたかどうか分からない。
由布と十時は今後の戸次にとって欠かせない一族だと実感していた。
「よし、決めたぞ!」
突如、惟安が大声を発すると、
「惟忠、今を以てお主に十時の家督を譲り、わしは隠居する」
「「えっ!?」」
名指しされた惟忠と共に親延も一驚してしまう。
「案じるな。隠居したとしても、ちゃんと一丁前になるまで補佐してやるわ。戸次も親家殿亡き後、孫次郎が家督を継ぐだろう。良い機会だ。若輩者同士、存分に語り合い、支え合え。そして。わしと同じように見極めるがよい。仕えると決めたのなら、藤北の隣に十時があるように、いついかなる時も隣には十時が居れ。良いな」
惟忠は真剣な眼差しを惟安に向けて「畏まりました!」と力強く返事をしたのであった。
由布惟克も息子の家続に話しかける。
「家続、俺の一存でまだ家督は譲れんが、由布に戻り次第、親族一門に家督相続を申し出る。美作守衆が何か言ってくるかもしれんが、由布加賀守の次期当主は御前だ。そのつもりで今の内に心構えをしとけ」
宣告された家続もまた惟忠にも負けない声で返事をした。
話し合いは一段落して、一同は徐ろに立ち上がり土杯をかざした。
親家や討ち死にした十時惟種、井手度壽、松岡親之、松岡親利、沓掛尚之たちに届くように、
「「「献杯!!!」」」
哀悼の意を込めて一声をあげ、注がれていた酒を一気に飲み干すと土杯を地面に叩き落として割ったのであった。




